【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2021年01月

イタリア政治危機が行く~イタリア首相が辞任、大統領が政局の主役に

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2021年1月26日、イタリアのコンテ首相が辞任。マタレッラ大統領に辞表を提出して政局の行く末を大統領にゆだねた。

マタレッラ大統領は今後全ての政党と協議して、

①コンテ(前)首相に議会多数工作を促し再び組閣するように要請する。

②全政党に呼びかけて挙国一致のテクノクラート(実務者)政権を樹立する。
※首相は話し合いで決定。場合によってはマタレッラ大統領自身が兼務することもある。

③議会を解散して総選挙を行う。

という、3つの可能性を目指すことになる。

イタリア大統領は普段は実権のない儀礼的な存在だが、今回のような政治不安が起きた時には強い権限を持つ。

今後数日、状況次第でははるかに長く、イタリアの命運は大統領に託される。

イタリアでは上院と下院が全く同等の権限を持つために政権が安定しない。その上に今回のような危機にあたっては、大統領が絶対の力を与えられる。

いわば三すくみの権力構造がイタリアの政治の特徴である。この奇妙な形は、権力を一箇所に集中することでファシズムの台頭を許した過去への反省から生まれた。

権力を分散してファシズムや独裁を回避しようというわけである。だが皮肉なことにその体制は頻繁に政治不安をもたらす。

政治不安の実際は、力が拮抗する上下両院によっていて、大統領はむしろ混乱の調停役になるのだが、制度上の第3勢力である大統領の大きな権限も一筋縄ではいかない。

今回の政治危機は、壊し屋の異名を持つマテオ・レンツィ元首相の我欲一つによってもたらされた。EUからの巨大なコロナ救済金に目がくらんだ元首相が、連立政権を「壊して」しまったのだ。

政治に駆け引きは付きものである。一国の権力の周囲では、駆け引きは権力を握る者の横暴を抑える働きをすることもある。

だが現在イタリアは、コロナパンデミックの脅威にさらされて呻吟している最中だ。そこに大きな政治混乱を持ち込んだレンツィ元首相の罪は重い。




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世界最古のカフェの瀬戸際

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ベニスのカフェ・フローリアンが廃業の瀬戸際に立たされている。言うまでもなく新型コロナパンデミックが原因である。

カフェ・フローリアンは1720年12月29日に開業した。ベニス最古の、おそらく世界でも最古のカフェと言われている。

昨年12月29日がちょうど創業300年の節目だったが、都市封鎖下のベニスでは飲食点の営業が禁止されている。

禁止が解かれても、観光客でもっているカフェ・フローリアンは生き延びられない。ベニスにはほとんど観光客がいない。

カフェ・フローリアンは開業300年記念を祝うどころか、店の扉さえ開けられないまま昨年暗い年末を過ごし、年が明けた今も店の営業ができずにいる。

カフェ・フローリアンはひとことで言えば喫茶店だが、歴史と物語と文化に彩られて、もはや単なる飲食店ではなく古都ベニスの欠かせない一節になっている。

店は17世紀に完成した街の行政館の回廊にある。建物の完成から80年後に開業したが、店自体も古色美しい荘重な雰囲気に満ちている。

大理石のテーブルの間を完璧に正装したウエイターが行き交う。壁の金箔や絵画や年代ものの装飾品などがそれを見つめている。

カフェ・フローリアンはカフェ・ラッテの発祥地としてもよく知られている。軽い食事も提供される。だが店の醍醐味は飲食物ではなく充満する「時間の雰囲気」である。

「時間の雰囲気」の中にはカサノバからバイロン、ディケンズからヘミングウエイ、チャップリン、ワグナー、そしてアンディ・ウォーホルなど、など、世界中のセレブが残した夢の残り香も含まれる。

カフェを訪れた世界の有名人は枚挙に暇がない。いま述べた人々は記録に残っている大物のほんの一部だが、記録にはなくてもベニスを訪れたあらゆる分野の世界中のスターは、1人残らず店を訪れている可能性がある 。

ベニスを旅する一般の観光客もほとんどの人が カフェ・フローリアンを訪れているのではないか。訪れないのは、おおかた店の名を知らない者ぐらいだろう。

仕事とプライベートでベニスを頻繁に訪れる僕も店内を撮影したり、店の内外の席で飲食を楽しんだりしてきた。その経験から訪問者は店の「雰囲気」に魅了されるのだと実感として分かる。

店は常時70人ほどのスタッフを雇い、夏の最盛期にはさらに多くのスタッフが働く。 カフェ・フローリアン=ブランドは2019年には1千万ドル以上の売り上げがあった。

ところがコロナが蔓延した2020年にはその80%が失われた。ワクチンが行き渡るなど、劇的な展開がない限り、ことしも見通しは暗い。

カフェはロックダウンが始まって以来、国からの援助を一切受けていないという。倒産の瀬戸際にある。おそらく決定的な閉鎖に追い込まれるだろう。

とは言うものの―これは私見だが―ベニスの歴史の一部をなす店は、たとえ倒産しても誰かが買い取って事業を継続するのではないか。由緒ある店にはそれだけの魅力と価値がある。

だが言うまでもなく、そうやって再開された店が、これまでの優雅な雰囲気と伝統と心意気を維持していくのかどうかは不明だ。

イタリアの多くの歴史的なブランドやモニュメントや工芸や商品などと同様に、中国人ビジネスマンやロシア系商人らが、新しい伝統を作ろうと群がり集うのかもしれない。

また近年はカフェ・フローリアンも、母体の古都ベニスも、ボー大な大衆観光客に占領されることが多くなっていた。特に中国人旅行者が目立った

新型コロナの猖けつで事態はふいに転回した。たとえコロナが終息しても観光客はすぐにはベニスに戻らない、という分析もある。

それならばそれで、ベニスもカフェ・フローリアンも、昔日の実態と面影を取り戻すチャンス、と考えるのは多分単なる希望的観測だろう。

たとえその可能性があるとしても、ベニスの街自体はともかく、カフェ・フローリアンが将来も存続しているのかどうか覚束ない、というのはとても寂しいことである。



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バイデン時代への期待・倦怠・難題

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2021年1月20日、ジョー・バイデン第46代米国大統領就任式の一部始終をライブ中継で見た。新大統領は少し長過ぎた就任演説の中で民主主義という大儀が勝利したと強調。同時に米国民の結束と融和を呼びかけた。

またバイデン大統領は、議会議事堂襲撃に代表される国内テロや白人至上主義を打倒するという言い方で、その名を一度も口にすることなく退任するトランプ大統領を厳しく糾弾した。

ひとことで言えばバイデン演説の内容は、自由と平等と多様性及び民主主義を信奉するアメリカ国民が、アメリカはかくありたいと願う「理想のアメリカ」へ向けて歩もう、と語りかけるものだった。アメリカには人種差別や格差や不寛容がはびこり、その傾向はトランプ時代に加速した。

アメリカの理想を訴えた、という意味ではバイデン新大統領の演説の中身は目新しいものではない。過去には何人もの大統領が、バイデン新大統領とよく似た内容を言葉を変えて語っている。それでもバイデン演説は特別なものである。なぜならそれがトランプ時代のレガシーである分断と憎しみが渦巻く中で提示されたものだからだ。

トランプ以前の世界の大半は、「理想のアメリカ」を追い求める米国民とアメリカ合衆国を賛美し慕ってきた。だが差別と憎悪と不寛容を平然と口にし行動するトランプ大統領の登場で、賛美は失望に変わり傾慕は嘲笑に変わった。

人々ははじめ米国の変質は、トランプ大統領という怪異だけに付いて回る独特の現象だと考えた。だがそれは米国民のほぼ半数に当てはまる世界観であることが次第に明らかになった。トランプ大統領は彼らの存在ゆえに誕生したのであり、その逆ではない。事態は2016年の選挙時に既に明らかになっていたが、世界はそれを中々理解できなかった。それが常識を覆す異様な状況だったからだ。

だが時が経つにつれて変容は疑いないものとなり、アメリカ国内は深く分断されていった。アメリカの趨勢は世界にも影響し、同様の傾向が強まって行った。その中でくっきりと全貌を顕したのがBrexit(英のEU離脱)であり、フランスの極右ル・ペンの躍進であり、イタリアの極右政党「同盟」の連立政権入りだった。ドイツ、オランダ、オーストリア他の国々にも極右勢力が台頭した。

バイデン新大統領は、かつてのアメリカの理念を前面に押し出して国内の融和を図り、世界と協調すると宣言した。だがアメリカの民主党にもトランプ主義と同じ極論や過激姿勢がそこかしこに見受けられる。バイデン新大統領の誕生は、多くの分野でトランプ時代よりはましな変化をもたらすだろうが、米民主党的偏向もまた必ず形成されるに違いない。

イデオロギーが存在する限りそれは避けることができない。ポイントはバイデン大統領が、トランプ時代の負の遺産を政権の糧にして、民主党ならではの極端化を抑えながら対立勢力も取り込んだ、真に融和的な政策を押し進められるかどうかにある。

例えば覇権主義に取り付かれている中国との付き合い方だ。国際法を無視しては蛮行に走る中国を、バイデン政権は日欧などの同盟諸国と協調しつつ強く指弾し牽制することができるのか。つまりトランプ政権並みの明快さで反中国キャンペーンやメッセージを世界に送り続けられるかどうかも焦点だ。

アメリカが先導する民主主義陣営は中国ともむろん対話をしなければならない。だが中国が対話をする振りで、香港やチベットやウイグルまた尖閣を含む東シナ海域や台湾で無法傲慢な動きを続けるならば、外交辞令の穏当な言語をいったん脇に置いて、トランプ大統領まがいの強い批判の言葉を投げつけることがあってもいいのではないか。

トランプ大統領はおよそ外交儀礼とは縁のない露骨な言行で中国と対峙した。それはあまりにも刹那的に過ぎて、長期的には中国に資する危険があるとも批判された。だがトランプ政権の声高な中国批判には明らかなメリットもあった。老獪な動きで自らの虚偽を隠蔽しようとする中国の正体を絶えず人々の意識に上らせ続けるという効果だ。

バイデン新大統領は、日本を含む西側同盟国と協力しながら中国と向かい合うことを宣言している。それは長期的にも利のあるやり方だ。だが習近平主席率いる唯我独尊の一党独裁政権に対しては、対話と同時にトランプ政権ばりの厳しい姿勢で臨むことも必要ではないか。

バイデン新大統領はこれまでどちらかと言えば親中派の政治家と見られてきた。米中が対立する状況でもその姿勢は変わらない可能性がある。対話と同時に威嚇に近い圧力を中国にかけることができるのかどうか。またその意思があるのかどうかさえ不明だ。

スターリン並みの独裁政治を強行する習近平政権には、民主主義世界の穏健なやり方は通用しないことが明らかになっている。中国は日本を含む西側陣営の尽力もあって貧困を克服した。それどころか世界第2の経済大国にさえなった。だが自由主義世界が期待したような民主的な体制に変貌することはなかった。

習近平主席と共産党が支配する限り、中国は民主的な政体に移行するどころかその精神や哲学や思想を尊重することさえあり得ないことは明らかだ。従って自由主義世界は、バイデン新大統領のこれまでの在り方に代表される、中国への穏健一辺倒のアプローチ法を改める必要がある。そして変化へのヒントは、実は使命を終えたばかりのトランプ政権にあるように思える。

僕は理想を満載したバイデン大統領の就任演説を少し斜に構えて見、聴いた。演説の内容は目新しくはないものの、まさに理想に満ちていた。全てが実現されれば素晴らしい主張ばかりだった。だが新大統領に果たしてそれらの理想を現実化する力量があるかどうかは疑問だ。

大統領就任式のあと、僕が直ちにブログに思いを書かなかったのはその疑問ゆえだ。僕はバイデン新政権をトランプ狂犬政権に替わる制度として大いに支持するが、今のところその力量に関しては懐疑的だ。バイデン大統領の、平凡な議員や副大統領としての彼自身の前歴を打ち壊す、まさに大統領然とした明白な実力行使を見なければならないと思うのである。





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コンテ内閣、上院できわどい信任


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イタリア上院は19日、賛成156、反対140の僅差でコンテ内閣を信任した。

レンツィ元首相が率いる小政党「Italia Viva イタリア・ヴィヴァ」が連立政権から離脱したのが政局混乱の原因である。

議会絶対多数は161だった。そこに届かない場合はコンテ首相が辞任するなど、さらなる政治不安が出現する可能性もあった。

単純多数で信任されたンテ首相は「少数与党政権」を率いることになる。

イタリアでは珍しくないことだが、新型コロナパンデミックの中での厳しい政権運営になることが必至である。

イタリアでは上下両院が同等の権限を持つ。コンテ首相は予算案などの重要法案の可決の度に絶対多数工作をしなければならない。

パンデミックがはびこる非常時に、エゴイズム丸出しで政治混乱を演出したレンツィ元首相は無体な政治家だが、無体がイタリア政治の常態だから、今後もしぶとく恥知らずに生き延びるのだろう。



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不覚人たちの不覚

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イタリア下院では18日、コンテ内閣の信任投票が行われた。レンツィ元首相が主導する小政党「Italia Viva イタリア・ヴィヴァ」が連立政権から離脱したのが混乱の原因。

下院では賛成321、反対259で内閣は信任された。だが19日の上院では絶対多数を獲得しての信任は厳しい見通し。

イタリアでは一方的に連立政権を離脱したレンツィ元首相への反感とともに、中国寄りの反体制政党「五つ星運動」に親和的なコンテ首相への不信感も少なからずある。

上院議員のうちには、昨年の新型コロナ第1波の危機を乗り切ったコンテ首相を賞賛しつつも、中国と親しい左派ポピュリストを頼る姿勢を善しとせずに反対票を投じる者も出ると見られている。

政治アナリストによる分析等では、上院で絶対多数に届かなくてもコンテ内閣の信任投票は可決される可能性が高い。

「Italia Viva イタリア・ヴィヴァ」所属の上院議員は、信任投票では棄権に回る方針。そのため他の欠席議員数などを含めれば、絶対多数よりは少ない単純多数には届くと見られる。

単純多数で信任された場合、コンテ首相は「少数与党政権」を率いることになる。その形はイタリアでは珍しくない。が、新型コロナパンデミックの中では異様に厳しい政権運営になることが確実だ。

なぜならイタリアでは、予算案などの重要法案は絶対多数での可決が法律で義務付けられている。それらの可決の度に絶対多数工作をしなければならないのは政権にとって大きな苦痛だ。

上下両院が同等の力を持つイタリアの政治システムではなおさら厳しい。コンテ内閣を「壊し」つつあるレンツィ元首相は2016年、上院の力を削ぐか否かの国民投票に敗れて下野した。

レンツィ元首相は上院の権限を縮小することを強く主張した。上院の力を大幅に弱めることには、当の上院議員以外の全てのイタリア人が賛成している、と言われるほどそのシステムは長く問題視されてきた。

レンツィ元首相は真っ当な考えを推し進めながら当時大きな間違いを犯した。いつもの唯我独尊体質のために自らを過信し、「私を取るか、否か」という言い方で国民投票のキャンペーンを張って、思いきりコケた

思い上がったキャンペーンの文句に国民は反発し、彼に対抗する政治勢力は国民の憤懣をうまく利用して、国民投票をあたかも「レンツィ信任投票」のように仕向けた。

そうやって必ず卑小化されると見えた上院は強権体質のまま存続し、レンツィ首相は辞任した。レンツィ首相は上院改革に失敗したことと連立政権から離脱したことで、コンテ首相を2重に貶めていると見ることもできる。

コンテ首相が拠って立つ「五つ星運動」は、現金バラまき策のベーシックインカム制をゴリ押し成立させたり、中国との連帯を強く主張するなど、過激左派的な不穏な勢力だ。従って僕は彼らを支持しない。

だが今は、パンデミックが猖獗を極めている非常事態だ。そんな時に我欲に目がくらんで政権を瓦解させようとするレンツィ元首相一派の動きは言語道断だ。

コロナ危機のただ中でイタリアが政治不安に陥るようなら―それがイタリアのお家芸とはいうものの―レンツィ元首相は、議会議事堂の襲撃教唆で「万死に値する」ほどの不名誉にまみれて退任するトランプ大統領と同じ不覚人である。



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パンデミックよりもパンデミックなイタリア・レンツィ元首相


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マッテオ・レンツィ元首相が、支持率3%以下の自身の極小政党「Italia Viva」を連立政権から引き離した。コンテ内閣は一気に崩壊の危機にさらされた。

このままコンテ政権が倒れるなら、レンツィ元首相は進行中の新型コロナパンデミックよりも悪質なイタリアのパンデミックとして歴史に名を刻むことになるかもしれない。

レンツィ元首相の反乱の動機は、EU(欧州連合)からイタリアに贈られる莫大な新型コロナ復興資金の使い道に対する不満。

いろいろもっともらしい言い分があるが、結局彼の真意を翻訳すると⇒【俺にも分け前を寄越せ】あたりである。

レンツィ元首相は、若くしてイタリア政界にデビュー。彗星の勢いで首相にまで上り詰めた。頭の回転が速く弁舌が得意なところが新鮮に見えた。

ほどなくして、回転の速い頭はジコチューな発想をもたらすだけの機能に過ぎず、能弁は巧言令色以外の何ものでもないことが判明。

それらの残念な能力はさらに悪いことに、彼に傲岸という風体も付け加えた。

僕はかつて彼を評価し将来に期待した。多くの不誠意で老体の政治家が跳梁跋扈するイタリアでは、若いという事実だけでも貴重に見えた。

レンツィ元首相はEU(欧州連合)信奉者でもある。EUは欧州の国々の融和と、その結果としての経済的メリットの顕現という意味でも重要だ。

さらに独裁勢力の中国やロシア、また狂犬的な米トランプ主義とそれに連なる政権等に対抗する総合力としても見逃せない。

加えてEUは―少なくない問題を抱えつつも―これまでのところは究極の「戦争回避装置」という重要な役割も十分に果たしている。僕はEUを強く支持するが、レンツィ元首相には失望しか感じない。

レンツィ元首相は2016年12月の憲法改正を問う国民投票で、「私を取るか、私を失うか」という尊大なキャッチフレーズをかかげて戦って大敗。権力の座から引き摺り下ろされた。

彼はそれでも懲りず、民主党の党首になってからもいかにも彼らしいさまざまな権謀術数を展開。陰湿な動きはイタリア政局を揺らし続け、彼は「壊し屋」と異名された。

「壊し屋」は政界の多くのシステムや関係やルールを壊し続け、ついには彼自身が所属する民主党さえも壊して、追随する少数の国会議員を率いて極小政党「Italia Viva」を結成した。

レンツィ元首相は今回、その極小政党「Italia Viva」を道具にして、存在意義を見せたい、落ち目の党勢を拡大したい、などの強い我欲に駆られて「俺の言うことを聞かなければ連立の枠組みを抜ける」とコンテ首相を脅した。

そして脅しが効かないことを悟ると、すぐさま自らも寄って立つコンテ連立政権を「壊し」にかかったのである。そこにはレンツィ氏らしい邪悪且つ狡猾な駆け引きだけが透けて見える。

イタリアは依然としてコロナ危機のまっただ中にある。そして危機を乗り越えるにはジコチューな主張が多い従来の政治家ではなく、敵を作らずバランス感覚に優れ且つ誠実なコンテ首相が最適だ。

そのことは昨年3月から5月にかけてのコロナ地獄のまっただ中で十分以上に証明された。

大学教授から突然内閣首班に抜擢されたコンテ首相は、最初の頃こそ周囲の政治家連の操り人形と批判された。だが間もなく彼は有能なリーダーであることが明らかになっていった。

狡猾な既成政治家らをうまくかわし、また別のときには彼らを適切にまとめて政権を運営した。そのコンテ首相の武器は、敵を作らない温厚とバランス感覚と、国民に愛される誠実さだった。

やがてコロナパンデミックが起こった。コンテ首相の政治手腕は、世界最悪のコロナ地獄の中で最も良く発揮された。

首相は阿鼻叫喚のコロナ修羅場の底で、テレビを通して文字通り連日連夜、団結と我慢と分別ある行動を、と国民に語りかけ訴え続けた。

全土ロックダウンの呪縛の中、恐怖と不安にわしづかみにされながらテレビ画面で彼の演説を見、聞く人々は、その誠心に説得され共感し勇気付けられていった。

第1波の過酷なロックダウンでは、法律や規則や国の縛りが大嫌いな自由奔放なイタリア国民の、なんと96%もが施策を支持した。

それ以外には当時のイタリア国民には選択肢がなかったこともある。だが、過酷な政策への異様なほどに高い支持率は、コンテ首相の類い稀な意思伝達能力と誠実と情熱によって成就されたものだった。

特に重要なのは首相の誠実さである。彼の言動にはうそ偽りのない誠情があふれているため国民の信頼を集め、その度合いは日々大きくなっていった。

レンツィ元首相にはコンテ首相にある清廉正直な資質が全く感じられない。あるのは自己中心的な能弁と政治的駆け引きだけだ。

稀代の策略家であるレンツィ元首相は、彼と彼の政党が、三角波の渦巻くイタリア政局の藻屑となって消えるかもしれない瀬戸際で、ぎりぎりの政治ゲームを仕掛けている。

だがイタリアは、今この時も新型コロナ危機のまっただ中にいる。そしてコンテ首相は、世界最悪のコロナ第1波の地獄を先導し克服した立役者だ。

少なくともパンデミックが終わるまでは、国民の信頼が厚いコンテ首相が政権を担うべきではないか。

レンツィ元首相は論外だが、この国の他の政治家らにも、未曾有のコロナ危機を切り抜ける力量と勇気、そして何よりも人としてのまた政治家としての誠実さがあるとは全く思えない。



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万死に値する政治的放火魔トランプにも三分の理があるかも

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米国議会議事堂へ殴りこむよう支持者を教唆したトランプ大統領は万死に値する。だが例によって、統計上はアメリカ国民の半数近くはそうは考えていない。支持者らの暴力行為には眉をひそめても、トランプ大統領を支持するアメリカ国民は依然として多いのだ。

アメリカはもはや民主主義国家の理想でもなければ世界をリードする自由の象徴国でもない。ネトウヨヘイト系排外差別主義者とそれを否定しない国民が半数を占める、「普通の国」に過ぎない。だからトランプ大統領が誕生したのだ。彼がアメリカを作り変えたのではない。

むろんトランプ大統領の存在は、自由と寛容と人権と民主主義を死守しようとする「理想のアメリカ」の信奉者をくじき、右派ポピュリズムに抱き込まれた人々を勢いづかせた。そうやって悪のトレンドは過去4年間ひたすら加速し続けた。

アメリカほど暴力的ではないが、ネトウヨヘイト系排外差別主義者とそれを否定しない国民が半数を近くを占める普通の国は、欧州を始め世界中に多い。ここイタリアもフランスもイギリスも、そして日本もそんな国だ。南米にも多い。

アメリカ以外では、トランプ登場以前の良識や政治的正義主義(ポリティカルコレクトネス)が一見優位を占めるような空気がまだある。そのためアメリカで起きている無残な政治的動乱は対岸の火事のようにも見える。

だがイギリスには保守ポピュリストのBrexit信奉者がいて、フランスには極右のル・ペン支持者がいる。ここイタリアにおいては、極右の同盟支持者とそれに同調する反EU勢力を合わせると、国民のほぼ半数に相当する。それらの人々は、あからさまに表明はしなくても心情的にはトランプ支持者と親和的である。

さらに言えば、普通の国のそれらの右派勢力は―彼らがいかに否定しようとも―どちらかと言えば中国やロシアや北朝鮮などの独裁勢力とも親和的なリピドーを体中に秘めている。ネトウヨヘイト系排外差別主義はほぼ独裁思想なのである。

そうは言うものの、アメリカに関して言えばトランプ支持者また共和党支持者に対抗する民主党も、彼らの対抗者と同様に危なっかしい。成立する見込みのないトランプ大統領弾劾決議案を、ここで再び出したことは何とかの一つ覚え的だ。

絶望的な上院での3分の2の賛成を目指すのではなく、民主党がかすかに過半数を占めることになる1月20日以降に狙いを定めて、上院の過半数の決議でできるトランプ公職追放に狙いを定めているとも言われる。

それならば理解できる。だがその場合でも、共和党とトランプ支持者らの激しい反発を招いて、アメリカ国民の融和と癒しはますます遠ざかるだろう。リスクに見合うだけの意義があるかどうかは不明だ。

もっとも既述したように、アメリカはネトウヨヘイト系排外差別主義者とそれを否定しない国民が半数を近くを占める国なのだから、いずれにしても今後しばらくの間は、分断と対立と不穏が渦巻く社会であり続けるだろうが。

トランプ時代への反動という一面があるにせよ、民主党の施策も極端な動きが目立つ。政権の広報担当者を全員女性で固める策などがその典型だ。どっちもどっちなのである。

トランプ大統領は2016年、差別や憎しみや不寛容や偏見を隠さずに、汚い言葉を使って口に出しても構わないと考え、そのように選挙運動を展開して米国民のおよそ半数の共感を得た。

そして前述のようにネトウヨヘイト系差別主義や右派ポピュリズムは、米国のみならず世界のほぼ半数の人々が隠し持つ暗部であることが明らかになりつつある。いや、明らかになった、と言うほうがより正確だろう。

トランプ大統領の、大統領にあるまじき人格下種と差別思想はあくまでも万死に値する。だが、彼の存在は、大手メディア等に代表される世界の「良識」が、実は叩けば埃が出る代物であることも暴き出した。

そしてその巨大な負の遺産を暴き出したこと自体が、世界が真の開明に向けて歩みだす「きっかけ」になるなら、あるいはわれわれは将来、彼の存在は「大いなる必要悪」だったとして再評価することになるのかもしれない。



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レンツィさんの狼藉の気配がうとましい



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イタリア政局はコロナ禍もなんのその、風雲急を告げるいつもの化かし合いが進行中。

壊し屋」のレンツィ元首相が、EUからの莫大な補助金の分け前に与ろうとして、良い人の振りでコンテ首相に詰め寄っているのだ。

分け前を寄こさなければ、彼の小政党「Italia Viva イタリア・ヴィーヴァ」を連立政権から引き上げてコンテ内閣を倒す、と息巻いている。

政治家素人のコンテ首相は、就任したての頃こそ連立政権の2人の首謀者、五つ星運動ディマイオ及び同盟のサルビーニ両党首の操り人形と揶揄された。

だが、イタリアが世界最悪のコロナ地獄に陥った際、素晴らしいリーダーシップを発揮して国民に絶賛され、一気に有能な政治家へと変身した。

一方レンツィ元首相は、彼の政権の初めの頃こそ弁舌の巧みさと若さで国民の期待を集めた

だが、彼の能弁は巧言令色の類いで、権謀術数の塊のような政治家であることが国民にバレて政権の座を追われた

イタリアのコロナ惨禍は依然として治まらない。治まるどころかどん底の盛りである。

レンツィ元首相にはぜひ得意の雄弁と巧言また傲岸を控えて、一度はイタリア国民のために働いてほしい。

どうやって?

新型コロナが終息するまでは、コンテ首相を支えてもらいたい。

支えなくてもいいから、せめてコンテ首相を「壊す」ようないつものジコチューな無法行為を慎んでほしい。

コンテ首相を惜しんで言うのではない。

凄惨なコロナ地獄からイタリアを救えるのは、レンツィさんをはじめとする政界の魑魅魍魎ではなく、誠実な政治素人のコンテ首相しかいないからだ。

なぜそれが分かるかって?

だって昨年2月から5月にかけてのロックダウン中にイタリアを救ったのは、魑魅魍魎ではなくコンテ首相だったではないか。



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菅首相は伊コンテ首相の爪の垢を煎じて飲め 

手中の太陽


菅政権の「行き当たりばったり感」なにに起因するのか?

止まらない感染増加と、小池都知事らの高まる批判にこらえきれず、2021年1月7日、菅義偉首相はついに緊急事態宣言を発令した。

思い起こせば昨年の12月14日には、手塩にかけた「GoToトラベル」を全国一斉に停止すると発表し、例によって賛否両論を巻き起こしてもいる。

GoToトラベルの全国一時停止は妥当な施策ではあったと思う。

ただ、「勝負の3週間」の最中の「ガースー発言」、それに「ステーキ会食」、そして「旅行は感染拡大に影響しない」と言い続けてきた菅首相は、「コロナ対策よりも経済」をこれまで強くうったえてきたのは間違いない。

そうした菅首相の方針から考えると、GoToをやるのかやらないのか、緊急事態宣言を出すのか出さないのか、行き当たりばったりで、方針転換の連続であるように見えてしまう。

菅首相の決定がそう受け取られるのは、「コミュニケーション能力」の問題だと思う。

GoToキャンペーン、感染対策、また経済対策についても、菅政権の掲げる政策についてはわりと真っ当だと僕は思っている。異論はあるかもしれないが。

ただ、その政策が意図するところが国民に十分伝わっているとは思えないのだ。それが伝わらなければその政策は当然評価されない。

為政者のコミュニケーション力は非常に重要だが、コロナ禍のような「国家の危急存亡」時にはより一層その重要性が高まるのは言うまでもない。

「コミュニケーションの達人」伊コンテ首相の演説力

菅首相がもたつく一方で、コロナ危機の真っただ中、コミュニケーション力によって、国民を混乱と不安から救った指導者が世界には数多くいる。

例えばドイツのメルケル首相は2020年12月9日、新型コロナ対策としてクリスマスから年末年始に厳しいロックダウンを導入する不都合を国民に侘び、どうか我慢をしてくれ、とほとんど涙ながらに訴え、ドイツ国民を感動させるとともに、国際社会の共感も呼び起こした。

国力がドイツより劣るためにどうしても世界の注目度は低くなりがちだが、実はここイタリアのジュゼッペ・コンテ首相も、卓越したコミュニケーション能力の持ち主だ。

彼は2年前、大学教授から突然宰相に抜擢された。メルケル首相のように根っからの政治家ではないが、コミュニケーション能力にかけては彼女に勝るとも劣らない力量がある。

まさしく「阿鼻叫喚」となったイタリアの「コロナ地獄」は、昨年2月に始まり、3月、4月にピークを迎えた。

コンテ首相はその間、過酷な現実を正面から見据えつつ、「団結と我慢と分別ある行動を」とテレビを通して国民に訴え続けた。

具体的にコンテ首相がどのように国民とのコミュニケーションをはかっていたかを説明しよう。

彼は原則、毎日12時と18時の一日二回、コロナの被害状況を発表した。

また同時に、多くの人々が視聴する公共放送RAIの20時からのニュース枠でも、長い時間を取って国民に直接呼びかけた。

その際、手元に用意した原稿を読んだり、テレプロンプターを読み上げたりせず、カメラ目線で視聴者に真っ直ぐ語りかけるスタイルを貫いた。

その流暢かつ熱っぽい口調は、彼の言葉がライターや官僚による「作り物」ではなく、首相自身の等身大の思いであることを雄弁に物語っていた。

見方によっては「露出しすぎ」と批判されかねないほど多くの時間をコンテ首相はテレビ演説に費やした。

批判をうけたとしても、今は国民の不安に寄り添う必要があるとコンテ首相は判断したのだろう。

当時はコロナにより多数の死者が発生、イタリアは孤立無援の状態が続き、国民は恐怖におびえていたからだ。

「できるだけわかりやすい言葉」かつ「専門的知見を踏まえて」

長いロックダウンの期間中にコンテ首相は印象に残るたくさんの言葉を残した。

例えば「密」を避けるように訴えた際には、ごく普通のイタリア人のごく当たり前の日常に言及して関心を引いた。

曰く、

「若者や年配の友人同士がバールでアペリティーヴォ(食前酒)を飲みながら語らい、日曜日にスタジアムにサッカー観戦に出掛かるのは私たちイタリア人のかけがえのない日常です」

「だが今はその日常を忘れ、私たちの習慣を変えなければならない時です」

一方で首相は、高邁な内容をわかり易い言葉に置き換えて語ることにも長けていた。

中でも最もイタリア国民の心を震わせたのは、一部の感染爆心地だけに適用していたロックダウンを全土に拡大する、と決定した際に述べた言葉だ。

彼はいつものように法令の中身を分かりやすい言葉で詳細に説明した後、こう締めくくった。

「明日、強く抱きしめ合えるように今日は離れていましょう。明日、もっと速く走れるように今日は動かずにいましょう。皆でいっしょに。必ずうまく行きます!」
(“Rimaniamo distanti oggi per abbracciarci con più calore, per correre più veloci domani. Tutti insieme ce la faremo”、※1)

あるいは次のようなフレーズも人々の心を打った。

「私たちの一人ひとりがルールを守れば、この危機から速やかに脱出できるでしょう。
私たちの国は私たち全員の責任を必要としています。

6000万人のイタリア国民が、この非常事態が続く限り大小の犠牲を払って日々果たす責任です。
私たちは全員が同じ共同体の一部です。

私たち一人ひとりは自らの犠牲のみならず他人の犠牲の恩恵も受けています。

これこそがわが国の力なのです」

(se saremo tutti a rispettare queste regole, usciremo più in fretta da questa emergenza. Il Paese ha bisogno della responsabilità di ciascuno di noi, della responsabilità di 60 milioni di italiani che quotidianamente compiono piccoli grandi sacrifici. Per tutta la durata di questa emergenza. Siamo parte di una comunità.Ogni individuo si sta giovando dei propri ma anche degli altrui sacrifici. Questa è la forza del nostro Paese、※2)

コンテ首相の「語り」は時として感情的なものになりかねないため、定時報告の際には救援活動を担う市民保護局(Dipartimento della Protezione Civile )の局長を必ず同席させ、彼の分析と意見を付け加えた。

つまり、専門的知見を踏まえた政策だと見えるように、絶えず工夫していたのである。

コンテ演説の「3つの論拠」

コロナ対策について語る際、コンテ首相は常に「3つの論拠」を踏まえていて、その点では決してぶれることがなかった。(※3)

1つ目は、対コロナ政策の主眼は国民の健康にある、ということ。

それはつまり、「経済が後回しになることも辞さない」ということになる。

イタリアが「コロナ地獄」のただ中にあった当時は的確な主張だったと思う。

2つ目は、あらゆる方策が科学的根拠によって導き出されるべきだ、ということ。

3つ目は、情報の完全な透明性が必要だ、ということである。

真実を国民に伝えることこそ安全保障の要だ、とコンテ首相は考えており、その点について国民に訴え続けた。

長い全土ロックダウンの中、恐怖と不安の禍中にある人々は、コンテ首相の誠心誠意からの言葉に共感し、勇気付けられた。

当時、コンテ首相が導入した過酷なロックダウン政策を、なんと96%もの国民が支持した。

法律や規則や国の縛りが大嫌いで、自由奔放な、あのイタリア国民が、である。

ほかに選択肢がなかったことも事実だが、コンテ首相の類い稀なるコミュニケーション力がもたらした偉大な成果だと言える。

「日本ではコミュニケーション力が育たない」は本当か


欧米の家庭では食事の際に「おしゃべり」を奨励される。

日本の食卓のように、「黙って食べなさい」とは決して言われない。

せいぜい「口の中の食べ物を飲み込んで、それからお話ししなさい」と言われるくらいだ。

学校ではディベート(討論)中心の授業が行われ、試験では口頭試問が待っている。

万事につけ、会話、あるいは対話に重きが置かれるのが欧米社会である。

そうした社会に育つなかで、子供のころからコミュニケーション力を磨いているのが欧米人だ。

昔、「男は黙ってサッポロビール」という三船敏郎演じるコマーシャルが日本にあった。

あのキャッチフレーズは、沈黙を美徳とする日本文化を体現するものだ。

一方、欧米の男性はそうではない。

パーティーや食事会などあらゆる社交の場で、一生懸命しゃべらなければならならない。

「男はだまって、しゃべりまくる」のが欧米では美徳なのである。

ここイタリアには、人を判断するうえで「シンパーティコ」「アンティパーティコ」という言葉がある。

これは直訳すると「面白い人」「面白くない人」という意味である。

面白いか面白くないかの基準は、要するに「おしゃべり」かそうでないかということだ。

イタリアに限らず、欧米においては「おしゃべり」できない人間は、意見を持たない者、つまり「思考しない愚か者」と見なされることがある。

一方、逆に「しゃべりすぎ」で「自己主張が強すぎる困った人」も欧米には少なくない。

ただ、コンテ首相のように、極上のコミュニケーション力を発揮する優秀なリーダーも輩出するのが欧米の土壌だ。

とにかく「誠実」でさえあればもっと心を打てるはず

とはいえ、多弁な欧米人でなくとも、上手なコミュニケーションは可能だ。

コミュニケーション力の真の核は「誠実さ」だからである。

それさえあれば、言葉数が少なくても、コミュニケーションはきっとうまくいく。

政治家の場合には「誠実さ」に加えて、「人となり」がにじみ出た言葉、そして「リーダーにふさわしい勇気」が必要だと思う。

コンテ首相の「言葉」には、それらが常にはっきりと感じられた。

一方、菅首相をはじめ、日本の指導者たちの「言葉」にそうした資質は感じられるだろうか。

専門家だけに語らせたり、官僚の作文を読んだり、誰かに責任を押し付けたり、といった場面ばかり目にしている気がする。

そうではなく、常に首相自身が先頭に立ち、自分の言葉で直接国民を鼓舞することが必要だ。

残念ながら菅首相には、コンテ首相やメルケル首相のようなコミュニケーション力も、国民に直接伝えるんだという「気持ち」すらまったく感じられない。

それは彼の言葉に「誠実さ」が欠けているからではないだろうか。

「コロナ対策もっとやれ派」と「コロナ騒ぎすぎ派」に日本国民が真っ二つにわかれていがみ合っている現状を見るにつけ、管首相のコミュニケーション力の低さが残念でならない。


※1 https://www.youtube.com/watch?v=rLBNdo0Fa1g
※2 https://www.youtube.com/watch?v=rLBNdo0Fa1g
1と同じ演説の一部。このフレーズの最後は「una "comunità di individui" come direbbe Norbert Elias.」で締めくくられます。
~Ogni individuo si sta giovando dei propri ma anche degli altrui sacrifici. Questa è la forza del nostro Paese, una "comunità di individui" come direbbe Norbert Elias.
~私たち一人ひとりは自らの犠牲のみならず他人の犠牲の恩恵も受けています。これこそがわが国の力であり、哲学者ノルベルト・エリアスが規定するところの「諸個人の社会」です。
※3 https://www.youtube.com/watch?v=9RKXPIE5hPU




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