【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2021年03月

五輪話のくずかご

5色聖火横拡大


外国人観客だけを排除して五輪を開催するという考え方には賛成できない。


観客を入れないのなら日本人も除外するべきだ。それでなければ差別になる。


世界共有の宝であるオリンピックを誘致しておいて、パンデミックを口実に日本人(観客)だけを特別扱いにするのは間違っている。


観客がいたほうがゲームは確実に盛り上がる。選手のやる気も高まる。


それは大相撲でもイタリアのプロサッカーの試合でも証明されている。


同時に、無観客でも試合がある程度盛り上がることは、再び大相撲でもプロサッカーでも確認されている。


金儲けが気になるのなら、主催者と菅政権は、少し商品価値が落ちる「無観客ゲーム」の、世界配信収入のみで我慢するべきだ。


それでなければ、五輪に出場する全ての選手の背後にいる、世界各国の国民の競技場への「直接参加」を拒絶した申し訳が立たない。


落としどころがどこになるにせよ、東京五輪は後味の悪い結果になる可能性も高い。


最も安全なのは、この際、世界共通の悩みであるコロナパンデミックを世界とともに悩み、格闘し、打ち勝つ努力に専念することだ。


つまり、勇気を持って開催を諦めることである。まだ決して遅くはない。


そうはいうものの、開始された聖火リレーが福島県内を練り行く様子を見ると、大震災からの復興のシンボルとしての五輪開催に大きな拍手を送りたい、とも腹から思う。


聖火リレーを中継したNHKは、五輪に大金をつぎ込むよりも、いまだに避難を余儀なくされている多くの人々の救済を優先してほしい、という被災者の悲痛な声もしっかりと伝えていてよかった。


考え方は人みなそれぞれだ。


僕はあくまでも開催には懐疑的だ。だが、やはりどうしても開催するのなら、むろん成功を祈りたい。


世界同時中継されるであろうゲームもしっかりと観ようと思う。




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外国人締め出し五輪は攘夷論っぽい

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東京五輪は外国人観客を排除して開催することになった。「全ての観客を排除」ではなく、外国人観客だけを受け入れない、というところが気になる。

日本人、外国人を問わず観客は一切入れない、つまり『無観客での開催』というのならまだ納得できる。だが日本人はOKで外国人は排除、という内容は驚きだ。

観客を「受け入れる「とか「受け入れない」などの婉曲な言い方をしているが、要するにそれは外国人観客を「排除」して開催、ということだ。まるで幕末の攘夷運動のようでもある。

むろん激しい暴力と憎悪が伴った当時の攘夷運動とは違うが、日本人の根深い外国人嫌いや排外思想がにじみ出ているようで、少し胸騒ぎがしないでもない。

極右系保守主義者や民族主義者などは例によって、飽くまでもコロナの感染拡大防止のための措置であって排外思想の体現ではない、と言い張りそうだ。

だが、それほどに感染防止を徹底したいのなら、日本人観客も締め出して無観客で開催するのが筋だ。

もっと言うなら、五輪の中止が最大の感染予防策である。パンデミックにかこつけて、競技会場には日本人は入場できるが外国人はオフリミット、という考えは差別と同じアブナイ思想だ。

日本人観客はコロナ感染とは無関係とでもいうのだろうか。

その決定には、日本人自身が無意識のうちに日本人は特別と考えてしまう「異様な日本人心理」がはたらいているのではないか、と危惧しないでもない。

日本国内での開催だから日本人だけは特別に競技場に入っても良い、という考えがあるとしたらそれもまた攘夷論だ。あるいは攘夷論に似た排外差別思想だ。

オリンピックは開催国だけのものではない。世界の人々が共に手を取り合って運営し、楽しみ、友誼を深める世界共有の祭典だ。それがオリンピックの理念だ。

世界のコロナ状況は、五輪開催がGOになること自体が異様に見えるほどに悪い。感染拡大も世界的な移動制限も止むことはなく、変異株が猖けつを極めている。

それでも敢えて開催すると決めたのだから、コロナ対策などに自信があるのだろう。ここまでの浪費と先の経済的利害のみに目が眩んだ無謀な動きではないことを祈りたい。

それにしても日本政府の戦略の貧しさは絶望的とさえ感じる。日本は安倍前政権時代からコロナ禍が進行しても五輪開催を諦めない、と一貫して主張してきた。

それなのになぜワクチン対策を強烈に推し進めなかったのだろうか。日本のワクチン接種状況がいま現在、例えばイスラエル並みのレベルであったならば事態は大きく違っていた。

おそらく五輪が始まる7月頃には国民の大半が接種を済ませていて、感染拡大の不安を覚えることなく五輪祭りを楽しむ環境が整っていたことだろう。

そうなれば外国人観客の到来も問題にならなかったはずだ。やみくもに五輪開催を叫ぶだけで、なんらの長期戦略もなかった安倍前首相の罪は重い。

その安倍政権の中枢にいて、やがて政権そのものさえ引き継いだ菅首相は、ワクチンどころかコロナ感染防止を国民に呼びかける方法さえまともに知らない体たらくだ。

世界の統計では、多くの国の70%以上の国民が、東京五論を開催するべきではない、と考えている。

ここイタリアに限って言えば、僕の周囲の人々や友人知己のうちの8割以上が、東京五輪開催に反対、という雰囲気だ。

彼らはほとんどが親日の人々である。五輪中止論に同情しながらも、コロナが猖けつ を極める今の状況では、とてもスポーツ大会には気持ちが向かない、と一様に語る。

統計では、日本人でさえ大半が7月からの五輪開催に反対、とされている。そんな中で、いやそんな中だからこそ、コロナからの復興の象徴としてオリンピックを開催する、と主催者は言う。

その心意気は善しとするべきである。開催のタイミングが果たして適切かどうかはさておいても、考え方は間違っていないと思う。

だが、聖火リレーの様子などを衛星中継で見ていると、強烈な違和感に襲われるのもまた事実だ。世界のコロナの状況にはお構いなしに、日本人だけで盛り上がる様子がしっくりこないのである

世界から孤立して一人勝手に騒ぐのは、日本人であることしか自慢するものがない日本教の狂信者の、いま流行りの空騒ぎにも似ているようだ。

つまり「日本ってすごい」「日本って素晴らし過ぎる」などと自画自賛する、珍妙な「集団陶酔シンドローム」のような。

隔絶されて極東の島国に生きている「日本島民」が、世の中に認められたい一心で「世界祭の五輪」を誘致した。

ところが運悪くコロナで状況が一変した。でも、何も気づかない振りで必死に盛り上がっている。。

みたいな。

それは悲しくも怖い光景に見えないこともないのである。



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国民と対話できない管首相はうっとうしい

サルsuga引き伸ばし



詭弁が呼ぶ迷走

イタリアにいながら衛星放送を介して日本とのリアルタイムでほぼ毎日菅首相を目にする。むろんネット上でもひんぱんに見る。出くわすたびに気が重くなる。

国会の答弁では相変わらず自らの言葉を持たず官僚が書いた文面を読み上げている。そのせいなのか目つきがあまり良くないと映る。人を信用せず絶えず疑惑に囚われている眼差しに見える。

彼は安倍政権の官房長官として脅しを専門にしていた、という噂をいやでも思い出してしまう。脅しの性癖が形を変えて、だが端的に出るのが、批判されて「俺はそうは思わない」と開き直る見苦しい答弁なのだろうか。

菅首相には前後の見境なく且つエビデンスも示さないまま、開き直ったり強弁したり詭弁を弄する癖があるようだ。強弁が得意なところは彼のボスの安倍前首相にも似ている。

菅義偉首相は昨年12月14日、GoToトラベルを全国一斉に停止すると発表した。それでいながら「GoToトラベルの人の動きによる感染拡大の証拠はない」と言い張った。

それならなぜあのときGoToトラベルを止めたのだ、とありきたりの論難をする代わりに、ここで次のことを指摘しておこうと思う。

欧州の真実

欧州各国は、昨年3月から4月がピークだった感染拡大第1波の沈静化を受けて、5月から徐々にロックダウンを緩和し6月には多くの国がほぼ全面的にそれを解除した。

それを受けて厳しい移動規制に疲れきっていたヨーロッパの人々は、どっとバカンスに繰り出した。また仕事や旅行での人の動きも活発になった。

その結果、夏ごろから英仏独スペインなどの主要国を筆頭に、欧州では感染拡大が再び急速に強まった。第2波の到来である。

欧州の主要国の中では、唯一イタリアだけが感染拡大を免れた。

第1波で世界最悪のコロナ地獄を味わったイタリアは、ロックダウンを解除したものの、社会経済活動の再開スピードを抑えたり感染予防策を徹底し義務化するなど、慎重な政策を取り続けた。

それが感染抑制につながった。

だがイタリアはEU(欧州連合)の加盟国であり、人と物の動きを自由化しているシェンゲン協定内の国でもある。国外からの人の流入を止めることはできず、バカンス好きの自国民の移動を抑えることもできなかった。

規制解除の開放感で高揚したイタリアの人々は、国内で動き回り、国外に出た者はウイルスを帯びて帰国し、他者に受け渡した。そうやってイタリアにも遅い第2波がやってきた。

コロナウイルスは自身では動かず、飛びもせず、這い回ることもしない。必ず人に寄生して人によって運ばれ、移動先で新たな宿りを増やして行く。

欧州全体とイタリアの例に照らし合わせて見ても、管首相の強弁とは裏腹に、GoToトラベルの人の動きが感染拡大の大きな一因、という見方には信憑性があることが分かる。

アナクロで陰気なムラオサ(村長)

GoToトラベルは感染拡大を招かない」という菅首相の根拠のない主張は、経済を重視する気持ちから出た悪気のない言葉かもしれない。だが、不誠実の印象は免れない。

そんな例を出すまでもなく、菅首相の話しぶりや話の内容には、分別や学識がもたらす「教養」が感じられない。教養を基に形成される深い思考や創造などの「知性」に至っては、皆無とさえ言いたくなる。

もっと言えば古代のムラ社会のネクラなボスが、いきなり現代日本のトップに据えられたような印象さえある。そういう人が日本の顔として国際政治の舞台にも出て行くことを思うと気が重くなる。

何よりも問題なのは、それらの負の印象が錯綜し相乗して、菅首相の存在自体から明朗さを消し去ってしまうことだ。それがテレビ画面ほかで見る彼の印象である。

彼は実際には明るいオジさんなのかもしれない。だが国民にとっても世界の人々にとっても、メディアで見る菅首相の印象が彼の存在の核心部分になっているのは否定できない。

イメージの重さ

イメージは火のないところに立つ煙のようなものだ。実体がない。従ってイメージだけで人を判断するのは危険だ。しかし、また、「火のないところに煙は立たない」とも言う。それは検証に値するコンセプトなのである。

一般的に見てもそうだ。ましてや彼は日本最強の権力者であり、海外に向けては「日本の顔」とも言うべき存在だ。そこではイメージが重要でである。

菅首相のイメージの善し悪しは日本の国益にさえ関わる。細部にこだわって言えば、彼のネクラな印象は、例えば外国を旅する一人ひとりの日本国民のイメージさえ悪く規定しかねない。無視できないことなのだ。

明朗さに欠ける国のトップのイメージは致命的だ。国際政治の顔で言えば、中国の習近平国家主席や韓国の文在寅大統領、さらにいえばトルコのエルドアン大統領などの系譜のキャラだ。

明朗な人の印象は、存在や言動や思想が、善悪は別にして「はっきりしている」ことから来る。その点菅首相は表情も言動もはっきりしない。だから人に与える印象が暗い。そこは文在寅大統領も似ているようだ。

中国の習主席は表情や物腰がヌエ的だ。トルコのエルドアン大統領は、無知蒙昧なムラのボス的雰囲気が、不思議と暴力を連想させてうっとうしい。それが彼の暗さになっている。

コミュニケーション力

イメージもさることながら、日本のトップとしての菅首相の最大の難点は、何といってもコミュニケーション力の無さだ。政策やポリシーや政権の方針といったものは、実は菅内閣はまっとうなものを掲げている。

それらは政策立案のうまい優秀な官僚やブレーンが考え出したものだ。そして首相たるものの最大の役目は、彼の政権のブレーンが編み出したポリシーを、国民にわかり易く伝えることだ。

国民が理解しなければ、政策への支持は得られず、結果それを実行に移すこともできない。即ち政策は無いにも等しいものになる。

菅首相は自らの言葉を持たないばかりではなく、国民と対面していながら官僚が準備した「政策文書」を下を向いて読み上げることが多い。それはコミュニケーション法としては最悪だ。

彼は自分で考え、書いていないから内容を覚えていない。そのため正面を向いて国民に語りかけることができない。さすがに内容を理解してはいるのだろうが、文面を覚えていないから棒読みをするしかない。

せめて文面を暗記していれば、カメラ目線で、すなわち視線を国民にしっかり合わせながら内容を読み上げることができる。つまり語りかけるポーズが取れる。

正面を向いて語りかける言葉は国民の心に響きやすい。そこから菅首相への親近感が生まれ、それは政策への支持となって実を結ぶ。

コミュニケーション力が貧弱であるにもかかわらず、彼は文書を暗記しカメラに向かって語りかける努力さえしない。努力そのものがコミュニケーションの一環だという基本概念さえ知らない。

それは「俺が理解されないのは相手が悪い」という典型的な傲岸思想をもたらす。菅首相が国会答弁やインタビューなどで見せるそっけなさや閉鎖性は、そこに起因しているように見える。

コミュニケーション力ほぼゼロの管首相が、今後国際会議などで世界中の首脳や政治家や各種官僚などと会談し、付き合い、外交関係を結んでいく状況を想像するのは難しい。

なぜならコミュニケーションのできない者には、それらの活動で成果を挙げることもできないからだ。それどころか、それらの営為自体が実は「コミュニケーションそのもの」だから状況は深刻である。

ムラの言語

日本人は一般的に欧米人に比べてコミュニケーション能力が低い、とよく言われる。日本文化が能弁や自己主張や個人主義に重きを置かない、内省的な傾向の強い社会・人文・生活体系だからだ。

政治家もその縛りから逃れることはできない。

古い時代の日本の農民は、ムラの中だけで通用するいわば無言の言語「阿吽の呼吸」を駆使して彼らだけの意思伝達のシステムを作り、何かがあるとシステム外の者を村八分にした。

片や現代の日本の政治家は、仲間や政党や派閥などの政治ムラの中で、彼らだけに通用する「根回し」という名のコミュニケーションの体系を作り上げる。

だが仲間や群れや徒党内だけで通用する意思伝達手法は、忖度や憶測や斟酌の類いの仲間内の符丁にとどまるものであって、不特定多数の人々に一様に、あるいは広範に伝わる真のコミュニケーションではない。

菅首相の言葉が中々国民の心に沁み入らないのは、彼が政治ムラ内だけで通じる言語を使っているからだ。彼は政界でのしあがって首相にまでなった。彼の話す言葉が政界では十分以上に通用しているからなのだろう。

だがテレビを見ている国民には一向に意味が伝わらない。国民は政界ムラ内の人間同士が使う言葉なんて知らない。知らない言葉に感動しろと言われても、国民にはなす術がないと思うのである。



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不幸中の不幸という大悲運 

希望の道650

僕は先日、東日本大震災10周年に際して何か書くつもりで今月のはじめあたりから構えていたが、いざ3月11日になるとその気になれなかった、と書いた。

つまり出来事があまりにも巨大すぎて、その巨大さに負けて何も書けない、と言ったのである。だがそれは,事案の大きさを強調したい気持ちを言い訳にした逃げだと気づいた。

つまり僕は考えることを放棄して、事が重大すぎて僕には表現できない、と辞柄し書くことから逃げた。そう気づいたのであらためて考え、書くことにした。

僕が大震災10年の節目に何かを書く気を失ったのは、主にNHKの良質の報道番組やドラマに接して、文章に無力感を覚えたからである。

東日本大震災から10年の節目ということで、NHKは僕が知る限り3月の初めころから多くの関連番組を放送してきた。

ニュースや特集番組またドキュメンタリー。さらにドラマもあった。綾瀬はるか主演の『あなたのそばで明日が笑う』また遠藤憲一主演の『星影のワルツ』は実際に見た。

ほかにも「ハルカの光」「ペペロンチーノ」など、大震災を扱ったドラマがいくつかあったらしいが、前述の2作以外は見逃した。

民放のドラマ「監察医朝顔」でも大震災で行方不明の母親をモチーフに家族の物語が展開する。昨年に続いてそれもずっと見ている。

被災者の苦難と葛藤と痛みは尽きることなく続いている。また家族を失った遺族の悲嘆も終わることはない。だがそれらは時間とともに癒される可能性も秘めている。

なぜなら少なくともそれらの被災者の皆さんは、不幸にも亡くなってしまった愛する人々との「別れ」の儀式を済ませている。再出発へのへの区切りあるいはけじめをつけることができたのだ。

一方、行方不明の家族を持つ人々にはその安らぎがない。彼らは永遠に愛する家族を待っている。時には重過ぎるほどのこだわりが被災者の生を支配している。

日本人が遺体にこだわるのは精神性が欠落しているから、というキリスト教徒、つまり欧米人の優越感に基づく言い草がかつてあった。今もある。

キリスト教では人は死ぬと神に召される。召されるのは魂である。召された魂は永遠の生命を持つ。だから肉体は問題にならない。言い方を変えれば、精神は肉体よりも重要な事象である。

肉体(遺体)にこだわって精神を忘れる日本人は未開であり、蒙昧で野蛮な世界観に縛られている、とそこでは論が展開される。

それは物理的、経済的、技術的、軍事的に優勢だった欧米人が、自らの力を文化にまで敷衍して、彼らはそこでも日本人を凌駕する、と錯覚した詭弁だ。

物理、経済、技術、軍事等々の「文明」には疑いなく優劣がある。しかし、精神や宗教や慣習や美術等々の「文化」には優劣はない。そこには違いがあるだけである。

それにもかかわらず、かつてはキリスト教優位観に基づくでたらめな精神論がまかり通った。面白いことに、日本人自身がそんな見方を受け入れてしまうことさえあった。

それは欧米への劣等感に縛られた日本人特有の奇怪な心理としか言いようがない。欧米の圧倒的な文明力が日本人を惑わせたのである。

日本人が遺体に執着するのは、精神に加えて肉体が紛れもなく人の一部だからだ。両者が揃ってはじめて人は人となる。死してもそれは変わらないと日本人は考えている。それが日本の文化である。

同時に日本人は遺体を荼毘に付することで肉体的存在が精神的存在に昇華すること知っている。僕自身もその鮮烈な体験をした。

母を亡くした際、母の亡きがらがそこにある間はずっと苦しかった。だが、一連の別れの儀式が終わって母の骨を拾うとき、ふっきれてほとんど清々しい気分さえ覚えた。

それは母が、肉体を持つ苦しい存在から精神存在へと変わった瞬間だった。僕は岩のような確かさでそのことを実感することができた。

片や、彼らのみが精神を重視するとさえ豪語する欧米人は、「再生」という存意にもとらわれていて、遺体を焼き尽くすことはしない。

荼毘に付して遺体を消滅させてしまうと、再生のときに魂の入る肉体がないから困る。だから遺体は埋葬して残す。

その点だけを見ると、再生思想にかこつけて遺体を埋めて温存しようとするキリスト教徒の行為こそ、肉体にこだわり過ぎる非精神的なもの、という考え方もできる。

だがそれは「山と言えば川と言う」類の、不毛な水掛け論に過ぎない。信じる宗教が何であろうが、死者の周りで精神的にならない人間などいない。

精神を神に託すのも、荼毘を介して精神存在を知るのも、人間が肉体的存在であると同時に「精神的存在」でもあるからだ。

日本人(非リスト教徒)は、遭難や事故や災害で亡くなった人の遺体が見つからないといつまでも探し求め待ち続ける。肉体(遺体)にこだわる。

だが実は、津波で行方不明になった肉親を家族がいつまでも探し続けるのは、遺体にこだわっているのではなく、その人に「会って」生死を確かめたいからである。

会って不幸にも亡くなっていたなら、荼毘に付して精神的存在に押し上げてやりたいからである。それは死者の魂が神に召される事態と寸分も違わない精神的営為である。

同時にそこには―あらゆる葬礼がそうであるように―生者への慰撫の意味合いがある。生者は遺体に別れを告げ荼毘に付することで悲運と折り合いをつける。

けじめが得られ、ようやく大切な人の死を受け入れる。受け入れて前に進む。前に進めば、時が悲しみを癒してくれる可能性が生まれる。

だが生死がわからず、したがって遺体との対面もできない行方不明者と、家族の不幸には終わりがない。けじめがつけられないから終わりもない。そうやって彼らの不幸は永遠に続く。

被災地と被災者の周囲には、行方の知れない大切な人を求め、思い、愛し続ける人々の悲痛と慟哭が満ち満ちている。僕はせめてそのことを明確に記憶し、できれば映像なり文章なりに刻印することで、彼らとの絆を確認し続けようと思う。







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伊コロナ地獄の象徴絵

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2020年3月18日、つまり昨年の今日、世界最悪のコロナ被害国になりつつあったイタリアのロンバルディア州ベルガモ県の道路を、15台の軍用トラックが列を作って通った。

荷台に積み込まれた荷物は全て新型コロナ被害者の遺体。ベルガモ県内の墓地も火葬場も受け入れ限界を超えたため、隣接のエミリアロマーニャ州まで遺体を運んで火葬することになったのだ。

イタリア政府はその悲しい現実を記憶にとどめるために、3月18日を「新型コロナ犠牲者を悼む日」と定めた。今日がその1周年記念日ということになる。

当時のイタリアのコロナ死者は2978人。1年後の今日の103432人に較べたら嘘のような少なさだが、それは死者の山のほんの始まりに過ぎなかった。

イタリアの惨状は速やかにスペイン、フランス、イギリス、アメリカなどに伝播。欧州の優等生という陳腐な異名を持つドイツにも広がった。

正確に1年後の今、アメリカとイギリスはワクチンの普及が進み、イタリアほかの欧州各国はワクチン不足に悩まされている。

コロナ変異種の猖けつにおののいているイタリアは、昨年3月-5月、クリスマスから正月に続いて3度目のロックダウン中。

2021年3月18日現在、イタリアの累計コロナ感染者数はアメリカ、ブラジル、インド、ロシア、イギリス、フランスに続いて世界7番目の3281810人。

死者数は既述のように103432人。欧州ではイギリスの次に多い世界6番目の悲惨な状況である。

またワクチンの接種者は2211454人(2回接種者)。回数は4955597(1回接種者含む総計)。

ワクチンの接種状況は予定より大幅に遅れている。

イタリアはワクチンが行き渡るまでは、他の欧州諸国と同じように、ロックダウンやロックダウンに近い移動規制を繰り返しながら進むことになる。








ロックダウン・ぶるーす



焚き火、ビール、サルミ&豆腐800

2020年の過酷なロックダウン開始から1年と5日目の今日、イタリアは再び都市封鎖を敢行した。

ただし今回は全国20州のうち11州が対象。

残り9州のうち8州にはややゆるい準ロックダウンが適応される。

島嶼のサルデーニャ州は唯一、規制の対象から外れる。島の感染防止策がうまくいっているからだ。

期日は復活祭が終わる4月5日まで。

復活祭期間の4月3日~5日はサルデーニャを除く全土が完全封鎖される。復活祭中は例年、祭りを祝う人の動きが盛んになるからだ。

2020年3月10日からのロックダウンに比べて世間が割と穏やかに見えるのは、国民がコロナに慣れたから。危険は人々が慣れた分、むしろ高まっていると見るべきだろう。

昨年の第1波以来、常に最悪の感染地であり続けているロンバルディア州に住まう僕にとっては、いわば毎日が変わらずロックダウン中である。

食料の買出しや仕事また通院などでは外出できるが、必ず自己申告の外出証明書を携帯しなければならない。

僕はその証明書とマスクまた消毒液等を常時車に積んで動くのが習慣になっている。わが家は田園地帯にあって何をするにも車が必要なのである。外出しない時はむろん自宅に留まっている。

僕は必要以外には全く外出をしないで、執筆を含む仕事とWEB巡りと読書三昧の暮らしをしている。その合間にテレビも結構見る。 日伊英3ヶ国語のニュースとスポーツ。また主にNHK系の日本のドラマ。

コロナ禍以前からやっている料理もよく作る。春から夏には菜園も耕す。夜はRAI(イタリアのNHK)の8時のニュースをじっくり見ながらワインやビールを飲む、という暮らし。

昨年はロックダウンが明けた6月から8月の間は、感染拡大がかなり収まったこともあって外出もひんぱんにした。

バールでワインを楽しみレストランにもよく出かけた。常にマスクをして対人距離を取り、密を避ける努力をしながらの動きだったが、それなりに楽しく時間を過ごした。

バカンス期が過ぎて再び感染拡大が始まってからは、毎日がほぼロックダウンの状態に戻った。そこでは庭で焚き火をすることも覚えた。

日本のコタツにヒントを得たと考えられる鉄製の焚き火台が手に入った。冬の間しきりに焚き火をした。

実を言えば、2021年3月半ばの現在もーまたおそらく今後もしばらくはー焚き火台のぬくもりと明かりを大いに楽しんでいる。

午後5時ころから暗くなる7時あたりまで、暖まりつつ、例によってワインをはじめとする酒を楽しむ。読書をするときもある。

そこでもチーズやサラミまたプロシュットをはじめとするいわゆるサルーミ(加工肉)類、自分で作る肴などをさかんに食べる。

結果、動かず飲んで食べる日々が重なって、体は丸くなりナチュラル落髪も進んで頭はテカるものの、人間のできていない悲しさで心は未だ丸くはなりきらない。

それでも寒さが大きく和らぐまでは庭火を続けるつもりでいる。泣いても怒っても楽しんでも同じ人生。ならば泣かず怒らず楽しむべき、と信じるからである。

そんな具合に退屈しない毎日だが、それでも自在に外出をできない生活には少しうんざり気味、というのが正直なところ。

この閉塞状況から脱出するにはワクチンの普及しかないことは明らかだ。相変わらずワクチンを一日千秋の思いで待ち続けている。





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大震災10年目に思う


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東日本大震災10周年に際して何か書くつもりで今月のはじめあたりから構えていたが、いざ3月11日になるとその気になれない。

何を書いても大震災の巨大な悲劇の前では浅薄で実がなく口からでまかせのような印象がある。

その気分は10周年を振り返るNHKの報道やドラマやドキュメンタリーを見る間にいよいよ募った。

多くの犠牲者と、いまだに避難を続ける4万人余りの被災者、そして2529人の行方不明者。行方不明者の周囲に渦巻く深い悲しみ。

それらをあらためて知らされると、下手な文章で下手な感情移入などできない、と腹から思うのである。

2011年5月、微力ながら東北の被災地を援助するために自家の庭でチャリティーコンサートを催した。

多くの人の力でそれはうまく行った。

コンサートが終わった直後から、次は10周年の節目にまた開催しようと決めていた。だが昨年からのコロナ禍でとうていかなわない夢となった。

コロナパンデミックは大震災の思い出さえも消しかねいほどのインパクトを世界に与えた。

あまりにも大き過ぎる不幸の記憶は、それでも決して消えはしないが、そこに思いを込める時間が短くなったのは否定できない。

その意味でもコロナパンデミックは、重ねて憎い現象だと繰り返し思う。

時間が過ぎて心騒ぎが少し治まったとき、思うところを書けるなら書こうと心に決めている。

なぜならたとえあの大震災といえども、記憶はひたすら薄らいでいくことが確実だから、いま書けることは書いておくべき、と考えるからである。



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ロックダウン1周年の憂うつと希望と


モクレン壁込み中ヨリ2021年3月8日650

2020年の今日、イタリアは新型コロナの感染拡大防止のために全土のロックウンを断行した。

薬局と食料品店を除くすべての店が閉鎖され、病気治療や食料の買出し以外の国民の外出が厳しく制限された。

イタリアは、そのほぼ20日前の2月21日から23日にかけて、クラスター絡みの感染爆発に見舞われた。

感染者と死者が激増する中で医療崩壊が起こり、北部の感染爆心地では、軍のトラックが埋葬しきれない遺体を満載して列を成して進んだ。

その凄惨な映像は世界を震撼させた。

ロックダウンはイタリアの前に中国の武漢でも行われた。だがそれは国民を思いのままに生かし、殺すことができる独裁国家での出来事。

民主主義国家イタリアにとっての十全の参考にはならなかった。

国民の自由を奪うロックダウンは憲法違反、という強い批判もある中、イタリア政府は民主主義国では不可能とも考えられたほぼ完全な都市封鎖を決行した。

当時のジュゼッペ・コンテ首相は「明日、強く抱きしめ合えるように今日は離れていましょう。明日、もっと速く走れるように今日は動かずにいましょう」という名文句を添えて国民に忍耐と団結と分別ある行動を要請した。

見習うべき手本のない状況の下、死臭を強烈に撒き散らすコロナの恐怖におののいていたイタリア国民にとっては、他に選択肢はなかった。彼らは政府の強硬な施策を受け入れた。

国と法と規則に従うことが大嫌いなイタリア国民が、ロックダウン中は最大96%もの割合いで政策を支持した。

そこにはコンテ首相の熱い誠実とそれを国民に伝える卓越したコミュニケーション力があった。

イタリアの先例はその後、次々に感染爆発に見舞われたスペイン、フランス、イギリス、アメリカなどの規範となった。

それらの国を介して規範はさらに拡大し世界中が恩恵にあずかった。

当のイタリアは、過酷ですばやいロックダウン策が功を奏して、5月以降は感染拡大に歯止めがかかった。

しかし夏のバカンスが終わるころには、前述の国々を追いかける形で、感染拡大第2波に呑み込まれて行った、

ロックダウンからちょうど1周年の今日、イタリアは再び全土ロックダウンを敢行するか否かの瀬戸際に立たされている。

コロナウイルスの変異種による感染拡大が激しくなっているのだ。

3週間の全面封鎖を要求する声もある。が、今のところは週末だけをロックダウンし、状況によってオンとオフを繰り返す方式が有力視されている。

それは昨年末から年始にかけても取られた方策だ。

ロックダウンが始まった昨年のこの時期には、庭のモクレンの花が7分咲きほどになっていた。

モクレン頭&青空2021年3月8日650

ことしは去年より寒く、開花が遅れた。それでも蕾がほころび出している。

コロナは花を枯らすことはできない。

季節を止めることもできない。

人の歩みを止めることも実はできない。

人は勇気を持ってコロナに対峙しワクチンを開発してそれを克服しようとしている。

おそらく僕は来年の庭のモクレンの開花を、マスクを付けずに、春の空気を思い切り吸いつつ眺めていることだろう。

そう切に願いたい。



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女性の日と東日本大震災とロックダウン


狭石回廊切り取り


今日3月8日は女性の日。ここイタリアでは、ミモザの花がシンボル。女性祭り、ミモザ祭りなどとも言う。

女性の日は元々、女性解放運動・フェミニズムとの関連が強い祭り。20世紀初頭のニューヨークで、女性労働者たちが参政権を求めてデモを行なったことが原点である。

昨年の今日、僕は次のようにブログに書いた。


2020年3月8日AM8時現在のイタリアのCovid19死亡者は233人。感染者の総数は5883人に上る。それは韓国に次ぐ世界3番目の数字。だが死亡者数は韓国よりも多い。

感染の拡大が止まないことを受けてイタリア政府は、ロンバルディア州全体とその近隣の北部の州、14県の封鎖・隔離を決定した。

合計約1600万人の住民が4月3日まで居住地域からの移動を禁止され、違反者には3ヶ月の禁固刑が科されることになった。

ロンバルディア州内に住む僕も州境を超えての移動ができなくなった。


女性の日については言及しなかった。あるいは言及できなかった。

3月8日の女性の日は例年、僕の中では実は東日本大震災とセットになって記憶されている。

こんな体験をしたからだ。


2011年3月11日、僕はイタリアにおける女性の日についてブログに書こうと考えてPCの前に座った。

日遅れのミモザ祭り」とか「フェミニズムとミモザの花」とか「ミモザって愛のシンボル?闘争のシンボル?」・・などなど、いつものようにノーテンキなことを考え始めた。

 そこに東日本大震災のニュースが飛び込んだ。衛星テレビの前に走った僕は、東北が大津波に飲み込まれる惨劇の映像を日本とのリアルタイムで見た。

息を呑む、という言葉が空しく聞こえる驚愕のシーンがえんえんと続いた・・

 そうやって38日の女性の日は、僕の中で、日付が近いという単純な話だけではない理由から東日本大震災と重なり、セットになって住み着くことになってしまった。おそらく永遠に(僕が生きている限りという意味で)。


だが僕のその感慨はその場限りの感傷にすぎないことが明らかになった。

なぜなら僕は新型コロナパンデミックが世界を席巻した昨年、3月8日の女性の日も3月11日の大震災の日も気持ちのうえでスルーしたからだ。

忘れていたわけではない。特に東日本大震災のメモリーは確かに僕の脳裡に去来した。だが目の前の巨大な不安が全ての記憶や思念を脇に押しやっていた。

イタリアは2020年2月21日から23日にかけて新型コロナの感染爆発に見舞われた。それは日ごとに悪化して、感染発祥地とされる中国の武漢など比較にもならない阿鼻叫喚の地獄絵が展開された。

感染拡大を抑える目的で北部地域限定のロックダウンが敷かれ、それは徐々に拡大された。

そして3月10日、ついにイタリア全土が封鎖されるという前代未聞の事態になった。

イタリア北部は最大最悪の被害を受けた。医療崩壊が起こり、埋葬しきれないコロナ犠牲者の遺体が、軍用トラックで列を成して運ばれるという凄惨な状況まで出現した。

そのイタリア北部ロンバルディア州の、ブレッシャ県に住む僕の周りでは、高齢の親族や友人知己が次々に亡くなっていった。

ブレッシャ県は隣のベルガモ県と共に、ロンバルディア州所属の12県の中でも最も被害が大きく、感染爆心地中の爆心地と見なされていた

加えて僕は年齢が高リスク圏とされる年代の入り口あたりに差しかかっている。且つ基礎疾患があるため感染すれば重症化する可能性が高かった。

それやこれやでコロナ地獄は全く他人事ではなかった。

そんなわけで2020年の女性の日と東日本大震災の記念日は、あたかも存在しないものでもあるかのように時間の流れの中に埋没していった。

2021年は、今日の女性の日も、3日後の大震災も、そしてあらたに加わったイタリア全土ロックダウン記念日の3月10日も、こうして次々に思い起こしている。

少なくとも記憶を振り返り、感慨にふけるだけの心の余裕がある。

ならば、コロナ禍が沈静化したのかというと全くそうではない。イタリアの状況も、ここに似た欧州全体の様相も、収束どころかむしろ悪化しているほどだ。

ワクチンが行き渡らない限り、感染者も死者も増え続け、経済社会生活の落ち込みも回復しないだろう。

そんな中でも女性の日や、大震災のメモリーや、ロックダウンの記憶に思いが行くのは、単にコロナパンデミックの辛酸に身も心も慣れ切ったということにすぎない。

不幸は続いている。不幸の中でも、しかし、前を向いてポジティブに生きよう、と今さらのように思うばかりである。




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違和感もある政治屋だが、レンツィ元首相よ暴力には負けるな

アカンベーbestrenzi650


2021年3月3日、マッテオ・レンツィ元首相に封筒に入った2発の銃弾が送りつけられた。犯人は分からないが、ここ最近レンツィ元首相はそこかしこからの恨みを買っている。

彼はことし1月、第2次コジュゼッペ・コンテ内閣から自身が率いる「Itaria・Viva」党所属の閣僚を引き上げて連立政権を崩壊させた。結果、マリオ・ドラギ内閣が誕生した。

イタリアは新型コロナパンデミックに打ちのめされている。その最中に政治混乱を引き起こしたレンツィ元首相には、厳しい非難が投げつけられた。

「壊し屋」という異名を持つ彼は、権謀術数に長けていて、政敵はもちろん仲間でさえ容赦なくなぎ倒す手法で知られている。

現在46歳のレンツィ元首相は、29歳でフィレンツェ県知事になり、34歳でフィレンツェ市長に当選。その5年後には首相になった。

39歳での首相就任は、それまで最も若い記録だったムッソリーニの42歳を抜いて史上最年少になった。

レンツィ氏の若さと華々しい経歴は、驚きと期待と希望をイタリア中にもたらした。僕も彼の行動力とEU信奉主義のスタンスに共感を覚えた。

少しの不安はあった。彼はすぐさま腐敗政治家の象徴のようなベルルスコーニ元首相とも手を結んだからだ。だがそれはまた、彼の優れた政治力の表れのようにも見えた。

しかし、その僕の不審は残念ながら時とともに増大した。僕は「壊し屋」の異名どおりの彼の政治手法に違和感を隠せなくなっていった。

僕の違和感は多くの人の違和感でもあったようだ。レンツィ首相は、人が彼を俊才と見なすよりもさらに強く自らを頼むところがあるらしく、自己過信気味の鼻持ちならない言動を多く見せるようになった。

それが最高潮に達したのが、2016年の憲法改正を問う国民投票だった。自信過剰の絶頂にいたレンツィ首相は、「私(憲法)を取るか否か」と言うにも等しい思い上がったスローガンを掲げて、国民と政敵の憎しみを買った。

彼は国民投票で大敗し首相を辞任した。辞任したあとも、もはや「生来のもの」と誰もが納得した尊大な言動は止まず、しばしば人々の反感を招いた。

そんな具合に元首相にはただでも敵が多いが、1月の政変は特にタイミングが悪く、彼自身が「私は多くの人の怨みを買った」と告白するほどの醜聞になった。

加えて彼は、自らが誘起した政治危機の真っ最中にサウジアラビアを訪れて、同国人記者の殺害指示やその他の疑惑でも憎まれている、ムハンマド皇太子をさんざん持ち上げる言動をした。

それだけでも不可解な行動に映るのに、彼はサウジアラビアから1000万円以上の報酬を受け取っていたことが判明した。レンツィ元首相への非難は嵐の勢いで膨張した。

そこに死の脅迫を示唆する銃弾送付事件が起きた。愚劣且つ幼稚な行為だが笑って流せるような事案ではない。政争に暴力が伴うようでは独裁国や軍政国と同じだ。

実は僕は1月の政変以来レンツィ元首相を糾弾する記事を書き続けてきた。それだけでは飽き足らず、さらなる批判を書こうと考えていた矢先に銃弾事件が発生した。

僕はかつて彼に大きな期待をかけた。その分失望も大きく、2016年前後から厳しい批判者になった。1月の政変にも強い怒りを覚えた。

しかし、彼に銃弾を送りつけた蛮行には、元首相への批判など物の数にも入らないほどの憤りを感じる。卑怯・下劣な行為は強く指弾されなければならない。

そのことを明言した上で、レンツィ元首相への抗議は続けたい。彼は一国の首相まで務めた男だ。しかもれっきとした現役の政治家。言動の責任は重い。

暴力には断固として反対するが、それは僕が彼への批判を取り下げるべき理由には全くならない、と考える。


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イタリア「五つ星運動」が「コンテ星運動」に大変化?

conte+grillo


先日辞任したイタリアのジュゼッペ・コンテ首相が、「五つ星運動」に入党するよう熱心に誘われ、その気になっているようだ。

入党と言っても、党を率いてくれるように創始者のベッペ・グリッロ氏と幹部に頼まれたのである。

「五つ星運動」の支持率は低迷している。一方、彼らの支えで1月まで政権を維持したコンテ前首相の人気は未だ衰えない。

「五つ星運動」はコンテ人気を利用して浮上したい。片やコンテさんにも政治の世界でもう一度脚光を浴びたい気持ちがあるかもしれない。

コンテ前首相は2018年6月、大学の法学教授から突然宰相に抜擢された。

彼は「五つ星運動」に担がれ、これを連立相手の「同盟」が受け入れた。「五つ星運動」と「同盟」は、左右のポピュリスト、と称されるように考え方や主張が大きく違う。

加えて両党はどちらも自らの党首を首相に推したい思惑もあり、折り合いがつかなかった。そこにコンテ氏が出現。

「同盟」は政治素人の彼を組しやすいと見て首相擁立に同意した。

議会第1党の「五つ星運動」と第2党の「同盟」の妥協で誕生したコンテ首相は、初めのうちこそ2党の操り人形と揶揄されたりした。だが、時間と共に頭角をあらわした。

コンテ首相はバランス感覚に優れ、清濁併せ呑む懐の深さがあり、他者の話をよく聞き偏見がないと評される。

彼のリーダーシップは、「同盟」が連立を離脱したとき、同党のサルビーニ党首を「自分と党の利益しか考えておらず無責任だ」と穏やかに、だが断固とした言葉で糾弾した時に揺るぎ無いものになった。

そして2020年はじめ、世界最悪と言われたコロナ地獄がイタリアを襲った。

コンテ首相は持ち前の誠実と優れたコミュニケーション力で国民を励まし、適切なコロナ対策を次々に打ち出して危機を乗り切った。

するとことし1月、コンテ政権内にいたレンツィ元首相が反乱を起こして倒閣を画策。第3次コンテナ内閣が成立するかと見えたが、政権交代が起きてドラギ内閣が成立した。

2018年の政権樹立から2021年1月の政権崩壊まで、「五つ星運動」はコンテ首相を支え続けた。しかし、党自体の勢力は殺がれる一方だった。

「五つ星運動」は政権運営に不慣れな上に内部分裂を続けた。ディマイオ党首が辞任するなどの混乱も抱えた。

そこにコンテ首相の辞任、ドラギ新内閣の成立と、「五つ星運動」にとってのさらなる危機が重なった。

そうした情勢を挽回する思惑もあって、五つ星運動の生みの親グリッロ氏は、コンテ前首相に党首かそれに匹敵する肩書きで同党を率いるように要請した。

コンテ氏が五つ星運動のトップになれば、彼自身の政治家としてのキャリアと五つ星運動の党勢が大きく伸びるかもしれない。

逆に情勢によっては両者が失速して政界の藻屑となる可能性も高い。

「ほぼ革命に近い変革」を求める五つ星運動を、その気概を維持したまま「普通の政党」に変えられるかどうかがコンテ前首相の課題である。

五つ星運動は2018年の選挙キャンペーン以来、先鋭的な主張を修正して穏健な道を歩もうとしている。EU懐疑主義も捨てて、ほとんど親EUの政党に変貌しつつある。

「五つ星運動」はコンテ政権と引き換えに誕生したドラギ内閣を信任した。それは彼らが、彼らの言う「体制寄り」に大きく舵を切ったことを意味する。それが原因で同党はさらに混乱し造反者も出た。

そうやって五つ星運動はまた分裂し党勢もますます殺がれた。落ち目の彼らの希望の星がコンテ前首相なのである。

穏健になり過ぎれば、彼らが攻撃の的にしてきたイタリアの全ての既成勢力と同じになる。一方で今のまま先鋭的な主張を続ければ党は生き残れない。

五つ星運動は特に経済政策で荒唐無稽な姿をさらすが、弱者に寄り添う姿勢の延長で、特権にどっぷりと浸っている国会議員の給与や年金を削る、とする良策も推進している。

またベルルスコーニ元首相に代表される腐敗政治家や政党を厳しく断罪することも忘れない。2018年6月の連立政権発足にあたっては、連立相手の同盟にベルルスコーニ氏を排除しろ、と迫って決して譲ることがなかった。

コンテ前首相は、五つ星運動のトップに就任した場合、同党の過激あるいは先鋭的な体質を、いかに穏やかな且つ既成の政治勢力とは違うものに作り変えるか、という全く易しくない使命を帯びることになる。


 

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