【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2021年07月

地中海の土左衛門の愉悦

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エーゲ海まで

6月から7月初めにかけての2週間イタリア本土最南端のカラブリア州に遊んだ。

正確に言えば、カラブリア州のイオニア海沿岸のリゾート。

ビーチを出てイオニア海をまっすぐ東に横切ればギリシャ本土に達する。そこからさらに東に直進すればエーゲ海に至る、という位置である。

地中海は東に行くほど気温が高くなり空気が乾く。

今回の滞在地は、西のティレニア海に浮かぶサルデーニャ島と東のエーゲ海の中間にある。エーゲ海の島々とサルデーニャ島が僕らがもっとも好んで行くバカンス地である。

2021年初夏のカラブリア州のビーチは、定石どおりにサルデーニャ島よりは気温は高いものの、空気はやや湿っていた。

しかし、蒸し暑いというほどではなく、紺碧の空と海を吹き渡る風が、ギラギラと照りつける日差しを集めて燃え、心地良い、だが耐え難い高温を運んでは去り、またすぐに運び来た。

それは四方を海に囲まれた島々にはない、大陸に特有の高温である。僕はイタリア半島が、まぎれもなく大陸の一部であることを、いまさらのように思い起こしたりした。

今回も例によって仕事を抱えての滞在だった。だが、やはり例によって、できる限り楽しみを優先させた。

イタリア最貧州と犯罪組織

カラブリア州はGDPで見ればイタリアで1、2を争う貧しい州だ。

だがそこを旅してみれば、果たして単純に貧しいと規定していいものかどうか迷わずにはいられない。

景観の中には道路脇にゴミの山があったり、醜悪な建物が乱立する無秩序な開発地があったり、ずさんな管理が露わなインフラが見え隠れしたりする。

行政の貧しさが貧困を増長する、南イタリアによくある光景である。カラブリア州の場合はあきらかにその度合いが高いと知れる。

時としてみすぼらしい情景に、同州を基盤にする悪名高い犯罪組織“ンドランゲッタ”のイメージがオーバーラップして、事態をさらに悪くする。

イタリアには4つの大きな犯罪組織がある。4つとも経済的に貧しい南部で生まれた。

それらは北から順に、ナポリが最大拠点のカモラ、プーリア州のサクラコロナユニタ 、カラブリア州のンドランゲッタ、そしてシチリア島のマフィアである。

近年はンドランゲッタが勢力を拡大して、マフィアを抑えてイタリア最大の犯罪組織になったのではないか、とさえ見られている。


貧困の実相

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それらの闇組織は貧困を温床にして生まれ、貧困を餌に肥え太り、彼らに食い荒らされる地域と住民はさらに貧しさの度合いを増す、という関係にある。

だが、そうではあるものの、カラブリア州の貧しさは「“いうなれば”貧しい」と枕詞を添えて形容されるべき類いの貧しさだと僕は思う。

つまりそこは、やせても枯れても世界の富裕国のひとつ、イタリアの一部なのである。

住民は費用負担がゼロの皆保険制度によって健康を守られ、餓死する者はなく、失業者には最低限の生活維持に見合う程度の国や自治体の援助はある。

それとは別に、よそ者である僕らが2週間滞在したビーチ沿いの宿泊施設は快適そのものだった。海に面した広大なキャンプ場の中にある一軒家である。

海で休暇を過ごすときにはほぼ決まって僕らはそういう家を借りる。今回の場合は普通よりもベランダが広々としていて、快適度が一段と増した。


旅人たちは憩う

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僕らは朝早い時間と夕刻にビーチに向かう。

波打ち際を散歩し、泳ぎ、パラソルの下で読書をし、気が向けばアペリティブ(食前酒)を寝椅子まで運んでもらい、眠くなれば素直にその気分に従う。

そうした動きもまた、海で休暇を過ごすときの僕らのお決まりの行事だ。

今回は少しだけ様子が違った。

昼食後にビーチに向かう時間が普段よりもかなり遅くなった。降り注ぐ日差しが強烈過ぎて、午後6時ころまでビーチに出る気がしないのである。

空気は熱く燃え、ビーチの砂は裸足で歩けば確実に火傷をするほどに猛っていた。

今回の休暇でも、1日に少なくとも1回はレストランに出かけた。昼か夜のどちらかだが、初めの1週間はこれまた例によって、1日に2度外食というのが普通だった。

だが時間が経つに連れて、美食また飽食に疲れて2度目を避けるようになった。それもまた「いつもの」成り行きだった。

食べ歩いたレストランはどこも雰囲気が良く、頼んだ料理はことごとく一級品だった。

カラブリア州の可能性

宿泊施設もレストランもあるいは地元住民とは無縁の、「貧しさの中の富裕」とでも形容するべき特権的な事象かもしれない。

しかし、旅人が利用する宿泊施設はさておき、レストランは地元民も利用する。それは地元の人々の嗜好を反映し、いわば民度に即した形で存在する施設だ。

そこで提供される食事も、特に地域グルメや郷土料理の場合は、地元民自身が美味い食事をしていない限り、旅人にとってもおいしいという料理は生まれにくい。

つまり強烈な陽光と青い海に恵まれた「貧しい」カラブリア州は、イタリア随一のバカンス地であるサルデーニャ島や、ギリシャのエーゲ海域にも匹敵する可能性を秘めた、いわば「発展途上の」リゾート地というふうである。



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書きそびれている事ども 2021年7月30日

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コロナワクチンのおかげで例年通り6月に休暇に出ることができた。そこに4年に1度開催されるサッカー欧州選手権が重なった。サッカー好きの僕は試合のテレビ観戦と記事執筆で「休む暇」もない有り様だった。選手権はバカンス後も続き、ただでも面白いのにイタリアの活躍でますます愉快になった。今度は「仕事をする暇」もないほど喜んだ。選手権が終わり、東京ではオリンピックが始まった。オリンピックでは陸上を毎回よく見る。陸上以外では水泳と体操を少々見る、という程度だ。僕はオリンピックにはあまり魅力を感じない方だ。それでも陸上には興奮する。特に駆けっこが好きだ。

7月から9月のイタリアは国中がバカンスモードに入って仕事がうまく進まない。仕事には相手が必要だ。だからその期間中は、休暇ではない者までも「相手不足」で仕事が思うようには回転しないのである。加えて僕は7月-9月は本職以外の仕事でも多忙になる。イタリア北部のガルダ湖畔にある歴史的建造物の管理にかかずらう、という仕事外の大仕事があるのだ。

それやこれやで書こうと思いつつ優先順位が理由でまだ書けず、あるいは忙しくて執筆そのものができずに後回しにしている時事ネタが多くある。僕にとってはそれらは「書きそびれた」過去形のテーマではなく、現在進行形の事柄である。ブログの趣旨が時事ネタの速報ではなく、それを観察し吟味して自らの考えを書き付けることだからだ。過去形のトピックも現在進行形の話題もできれば将来どこかで掘り下げて言及したいと思う。その意味合いで例によってここに箇条書きにしておくことにした



マンチーニの変貌?

サッカーイタリア代表チームのロベルト・マンチーニ監督にはかつて、国際試合に弱く、「スタープレーヤー」なしでは勝てない、などの悪評がついて回った。クラブチームを優勝に導くものの、そこには必ず強力なスタープレーヤーがいる。そして彼はそれらの卓越した選手に頼る戦略を多用し重宝する。だがそのクラブチームは、欧州全体が相手のチャンピオンズリーグでは勝てない、と陰口をたたかれた。

だが彼は、2018年にイタリア代表チーム監督に就任して以来、スター選手不在のチームを改造し鍛え上げてきた。そして欧州選手権の予選を含む国際試合で不敗記録を作り、ついには欧州選手権そのものまで制した。そうやって彼について回った酷評を一気に吹き飛ばしてしまった。

彼は変貌したのか。あるいは単純に批評家らが判断ミスを犯していたのか。


殺人鬼を死刑にすることは正か邪か

もちろん邪である。

だが20114月、僕はこのブログに

「調べても勉強しても、考えても分からないことがある。そこで僕は、考え続けても分からないことや結論付けられないあらゆることに「今のところは」と枕詞をつけることにしている。というか、それが僕の主義であり原理原則である

と書き、続いて

「今のところ僕は、死刑制度に賛成」

と書いた

また20173月には

僕は今のところ、自分の復讐心を制御できないのではないか、と感じるのである。その一点を正直に認めるために、僕はどうしても死刑制度に反対、と主張することができない

とも書いた

そして直近の記事ではさらに

「死刑制度を否定するのは、論理的にも倫理的にも正しい世界の風潮である。僕は少しのわだかまりを感じつつもその流れを肯定する。

だが、そうではあるものの、そして殺人鬼の命も大切と捉えこれを更生させようとするノルウェーの人々のノーブルな精神に打たれはするものの、ほとんどが若者だった77人もの人々を惨殺した犯人が、あと11年で釈放されることにはやはり割り切れないものを感じる

と書き、

最後に

「(77人を虐殺したアンネシュ・ブレイビク には)終身刑も釈放のない絶対終身刑あるいは重無期刑を、と言いたいが、再びノルウェー国民の気高い心情を考慮して、更生を期待しての無期刑というのが妥当なところか」

と締めくくった

僕はそこでは少し卑怯な気持ちにとらわれていた。ノルウェー(そして世界の多くの国々)の制度に便乗して、あたかも僕自身がもはや完全に死刑反対論者でもあるかのように誤魔化したのだ。

だが僕は今も、理性では死刑制度に反対しながら、感情がどうしても100%そうだとは言えない、懐疑論者である。

いや、野蛮だ、未開だ、残酷だ、等々の批判を覚悟で言えば「消極的な死刑賛成論者」だと告白しよう。

「消極的な死刑賛成論者」の“消極的”とは何なのか。

特にノルウェーの殺人鬼アンネシュ・ブレイビクに絡めて論じようと思う。


東京五輪開幕式に露呈したいつもの日本の課題

五輪の開幕式の様子をやや否定的な気分でテレビ観戦した。思い入れの強いシークエンスの数々が、「例によって」空回りしていると感じた。その思いを書こうと決めてあれこれ考えていたら、英国のタイムズ紙 がえらく好意的な記事を発表した。他のメディアも概ね肯定的な評価だった。

それらを見、読んでいくうちに記事を書く気持ちが失せた。言うまでもないが批判的な視点は、逆のそれよりも鬱陶しい。ネットにあふれるショボイ、ダサイに始まる否定コメントに自分の見方の暗さが重なった。コロナ禍中のいわくつきの五輪とはいえ、もう始まったのだ。始まった以上はやはり成功してほしい。祝賀にケチをつけるのは控えようという気持ちになった。

ところが、時間とともにやはり書いておくべき、という考えが強くなってきた。

どのシークエンスの思い入れが強く、なぜ空回りをしているのかを書くのは、公に意見を開陳している者の義務でさえある、というふうに心が動いている。

開会式の速報や時論時評を書くのは僕の仕事ではない。それらに絡めた自らの根本の考え方や意見を記すのが僕のブログの趣旨なのだから、今さら遅い、などと引かずに近いうちに書こうと思う。


コロナ禍中のバカンスについて

コロナパンデミックが到来して初の本格的な休暇を、これまた初めてイタリア半島最南部のカラブリア州で過ごした。地中海に突き出た大陸の気候とイタリアの最貧州の趣について。

意外な出来事もあった。予期に反して、地中海域で僕が探索し続けているヤギ羊肉の絶品に出会ったのだ。秘境とも呼ぶべき山中にミステリアスな人々が住む集落があって、そこで育まれたレシピなのである。


白鵬の無残と照ノ富士の不安

大相撲は衛星放送を介して欠かさず観ている。白鵬は強い怪物横綱などではなく、異様悲壮な安い怪物男、という本性を7月場所で露わにした。

その白鵬に千秋楽で負けた照ノ富士は先行きが不安だ。白鵬の見苦しい動きに惑わされた軽さはそこだけのもので、横綱に昇進した先の頼りなさを暗示するものではないことを祈りたい。






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PK戦も物にするのが真の強者~付記


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2020サッカー欧州選手権では、イタリアがイングランドとのPK戦を制して優勝した。

PK戦を偶然が支配するイベントと考える者がいるが、それは間違いだ、と前のエントリーで書いた。

そこでは主に選手に焦点をあてて論じた。

実はPK戦にはもうひとつの側面がある。そのこともPK戦にからむ偶然ではなく、戦いの結末の必然を物語る。

PKを蹴る5人の選手を決めるのは、たいていの場合監督である。

監督のなくてはならない重要な資質のひとつに、選手の一人ひとりの心理やその総体としてのチームの心理状況を的確に読む能力がある。

監督は優れた心理士でなければ務まらないのだ。

監督は大きなプレッシャーがかかるPK戦に際して、選手一人ひとりの心理的状況や空気を察知して、気持ちがより安定した者を選び出さなければならない。

緊張する場面で腰が入っているのは選手個人の特質だが、それを見抜くのは監督の力量である。その2つの強みが合わさってPKのキッカーが決まる。

より重要なのは選手の心理の様相を見抜く監督の能力。それは通常ゲーム中には、選手交代の時期や規模に託して試合の流れを変える手腕にもなる。

監督はそこでも卓越した心理士でなければならない。

代表チームの監督は、各クラブの監督とは違って、いかに有能でも優れた「選手を作り出す」ことはできない。彼の最重要な仕事は、国内の各チームに存在する秀でた「選手を選択」することだ。

選択して召集し、限られた時間内で彼らをまとめ、鍛え、自らの戦略に組み込む。彼が選手と付き合う時間は短い。

ナショナルチームの監督は、その短い時間の中で選手の心理まで読む才幹を備えていなければならない。厳しい職業である。

イタリアのマンチーニ監督は、あらゆる意味で有能な軍師であり心理士だ。長く不調の底にいたイタリアチームを改造して、53年ぶりの欧州選手権制覇へと導いた器量は大いに賞賛に値する。

欧州選手権の決勝戦では特に、彼は力量を発揮して通常戦と延長戦を戦い、最後にはPK戦でも手際を見せてついに勝利を収めた。

一方、敢えて若い選手をキッカーに選んで敗れたイングランドチームのサウスゲート監督は、「誰が何番目にPKを蹴るかを決めたのは私。従って敗れた責任は私にある」と潔く負けを認めた。

イタリアのマンチーニ監督も、もし負けていれば同じコメントを残しただろう。

2人の天晴れな監督の言葉を待つまでもなく、PK戦とは2チームが死力を尽くして戦う心理戦であり、偶然が支配するチャンスはほぼゼロと見なすべきサッカーの極意なのである。




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殺人鬼も保護するのが進歩社会だが、辛くないこともない 

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ノルウェー連続テロ事件から明日で10年が経つ。

事件では極右思想にからめとられたアンネシュ・ブレイビクが、首都オスロの市庁舎を爆破し近くのオトヤ島で10代の若者らに向けて銃を乱射した。

爆破事件では8人、銃乱射事件では69人が惨殺された。

殺人鬼のブレイビクは、禁固21年の刑を受けた。

そして11年後には早くも自由の身になる。

事件が起きた2011年7月以降しばらくは、ブレイビクが死刑にならず、あまつさえ「たった」21年の禁固刑になったことへの不満がくすぶった。

だがその不満は実は、ほぼ日本人だけが感じているもので、当のノルウェーはもちろん欧州でもそれほど問題にはならなかった。

なぜなら、欧州ではいかなる残虐な犯罪者も死刑にはならず、また21年という「軽い」刑罰はノルウェーの内政だから他者は口を挟まなかった。

人々はむろん事件のむごたらしさに衝撃を受け、その重大さに困惑し怒りを覚えた。

だが、死刑制度のない社会では犯人を死刑にしろという感情は湧かず、そういう主張もなかった。

ノルウェー国民の関心の多くは、この恐ろしい殺人鬼を刑罰を通していかに更生させるか、という点にあった。

ノルウェーでは刑罰は最高刑でも禁固21年である。従ってその最高刑の21年が出たときに彼らが考えたのは、ブレイビクを更生させること、というひと言に集中した。

被害者の母親のひとりは「 1人の人間がこれだけ憎しみを見せることができたのです。ならば1人の人間がそれと同じ量の愛を見せることもできるはずです」と答えた。

また当時のストルテンベルグ首相は、ブレイビクが移民への憎しみから犯行に及んだことを念頭に「犯人は爆弾と銃弾でノルウェーを変えようとした。だが、国民は多様性を重んじる価値観を守った。私たちは勝ち、犯罪者は失敗した」と述べた。

EUは死刑廃止を連合への加盟の条件にしている。ノルウェーはEUの加盟国ではない。だが死刑制度を否定し寛容な価値観を守ろうとする姿勢はEUもノルウェーも同じだ。

死刑制度を否定するのは、論理的にも倫理的にも正しい世界の風潮である。僕は少しのわだかまりを感じつつもその流れを肯定する。

だが、そうではあるものの、そして殺人鬼の命も大切と捉えこれを更生させようとするノルウェーの人々のノーブルな精神に打たれはするものの、ほとんどが若者だった77人もの人々を惨殺した犯人が、あと11年で釈放されることにはやはり割り切れないものを感じる。

死刑がふさわしいのではないか、という野蛮な荒ぶった感情はぐっと抑えよう。死刑の否定が必ず正義なのだから。

しかし、犯行後も危険思想を捨てたとは見えないアンネシュ・ブレイビクの場合には、せめて終身刑で対応するべきではないか、とは主張しておきたい。

その終身刑も釈放のない絶対終身刑あるいは重無期刑を、と言いたいが、再びノルウェー国民の気高い心情を考慮して、更生を期待しての無期刑というのが妥当なところか。







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渋谷君への手紙~イングランドのサッカーは子供のゲームに似ています

ローマでの優勝パレード650

「 渋谷君

結構なスポーツマンでもある君が、身体能力重視のイングランドサッカーに好感を抱くのは理解できます。

でも僕は、サッカーをスポーツというよりもゲームや遊びと捉える考え方に共感を覚えます。

ご指摘のように確かに僕は

イングランドのサッカーは、直線的で力が強くて速くてさわやかでスポーツマンシップにあふれている

と書きました

今もその通りに考えますが、僕は同時に

ことサッカーに関しては、(イングランドのサッカーは)アマチュアのフェアプレイ至上主義、あるいは体育会系のド根性精神みたいなものの影を感じて引いてしまう。 退屈と感じる

とも書きました

その考えにも変わりはありません。

もう少し具体的に説明しましょう。


子供の夢

イングランドのサッカーは子供のゲームに似ています。

サッカーのプレーテクニックが稚拙な子供たちは、試合では一刻も早くゴールを目指したいと焦ります。

そこで七面倒くさいパスを避けてボールを長く高く飛ばして、敵の頭上を越え一気に相手ゴール前まで運びたがります。

そして全員がわーっとばかりに群がってボールを追いかけ、ゴールに蹴りこむために大騒ぎをします。

そこには相手陣営の守備の選手も参加して、騒ぎはますます大きくなります。

混乱の中でゴールが生まれたり、相手に跳ね返されてボールが遠くに飛んだり、自陣のゴール近くにまで蹴り返されたりもします。

するとまた子供たちが一斉にそのボールの周りに群がる、ということが繰り返されます。

相手の頭上を飛ぶ高く速いボールを送って、一気に敵陣に攻め込んで戦うというイングランド得意の戦法は、子供の稚拙なプレーを想起させます。

イングランドの手法はもちろん目覚しいものです。選手たちは高度なテクニックと優れた身体能力を活かして敵を脅かします。

そして往々にして見事にゴールを奪います。子供の遊びとは比ぶべくもありません。

子供たちが長い高い送球をするのは、サッカーの王道である低いパスをすばやくつないで敵を攻めるテクニックがないからです。

パスをするには正確なキック力と広い視野と高いボール操作術が必要です。

またパスを受けるには、トラップと称されるボール制御法と、素早く状況を見渡して今度は自分がパスをする体勢に入る、などの高度なテクニックがなくてはなりません。

その過程で独創と発明と瞬発力が重なったアクションが生まれます。

優れたプレーヤーが、敵はもちろん味方や観衆の意表を衝く動きやパスやキックを披露して、拍手喝采をあびるのもここです。

そのすばらしいプレーが功を奏してゴールが生まれれば、球場の興奮は最高潮に達します。


スポーツオンリーの競技

イングランドのプレーヤーたちももちろんそういう動きをします。テクニックも確立しています。

だが彼らがもっとも得意とするのは、直線的な印象を与える長い高いパスと、それを補足し我が物にしてドリブル、あるいは再びパスを出して、ゴールになだれ込む戦法です。

そこにはアスリート然とした、速くて強くてしかも均整の取れた身体能力が要求されます。

そしてイングランドの選手は誰もがそんな印象を与える動きをします。

他国の選手も皆プロですからもちろん身体能力が普通以上に高い者ばかりです。だが彼らの場合にはイングランドの選手ほど目立ちません。

彼らが重視しているのはもっと別の能力だからです。

つまりボール保持とパスのテクニック、回転の速い頭脳、またピッチを席巻する狡猾なアクション等が彼らの興味の対象です。

言葉を変えれば、低い短い正確なパスを多くつないで相手のスキを衝き、だまし、フェイントをかけ、敵を切り崩しては出し抜きつつじわじわと攻め込んで、ついにはゴールを奪う、という展開です。

そこに優れたプレーヤーによるファンタジー溢れるパフォーマンスが生まれれば、観衆はそれに酔いしれ熱狂します。

子供たちにとっては、サッカーの試合は遊びであると同時に身体を鍛えるスポーツです。

ところがイングランドのサッカーは、遊びの要素が失われてスポーツの側面だけが強調されています。

だからプレーは速く、強く、きびきびして壮快感があります。

だが、どうしても、どこか窮屈でつまらない。

子供のころ僕も楽しんだサッカーの手法が、ハイレベルなパフォーマンスとなって展開されるのですが、ただそれだけのことで、発見や発見がもたらす高揚感がないのです。


ボール保持率の意味

君はこうも主張しています。

決勝戦は1―1のスコアのまま延長戦まで進み、終わった。従ってイタリアとイングランドの力は拮抗している。PK戦でイングランドが破れたのはただの偶然ではないか、と。

両チームの得点数はそれぞれ1ゴール、と確かに接戦に見えます。

だがゲームの中身はイタリアの圧勝、と表現しても過言ではないものでした。

それはボールの保持率に如実にあらわれています。

イタリアは得意のパス戦術で65%のボールを支配しました。一方、イングランドのそれは35%。

ここにもイタリアがパス回しを重ねてゴールを狙い、イングランドが長い送球を主体に攻撃を組み立てている実態が示されています。

イングランドは中空にボールを飛ばし、長いパスを送って選手がそれを追いかけます。その間ボールは彼らの足元を離れています。

一方イタリアは、地を這うような低い短いパスを選手間でひんぱんに交わしながら進みます。その間ボールは、ずっと彼らの支配下にあります。

ボールを常に足元に置いておけば、いつかはシュートのチャンスが訪れます。

ボール保持率とは、言葉を変えれば、シュートの機会の比率でもあります。

それを反映して決勝戦でのイタリアのシュート数は19本。イングランドは6本でした。

そのうちゴールを脅かしたのはイタリアが6本、イングランドがわずかに2本です。

イングランドはそのうちの1本が見事にゴールに突き刺さったのでした。

お気づきでしょうか。

ほぼ3対1の割合でイタリアは優勢だったのです。

あるいはこうも言えます。

両チームの得点は客観的に見て、 3-1という内容だったのだ、と。


高速回転の知的遊戯

サッカーのゲームの見所は、短く素早く且つ正確なパスワークで相手を攻め込んで行く途中に生まれる意外性です。意表を衝くプレーにわれわれは魅了されます。

イタリアの展開には例によって多くの意外性があり、おどろきがありました。それを楽しさと言い換えることもできます。

運動量豊富なイングランドの展開も、それが好きな人には楽しいものだったに違いありません。

だが彼らの戦い方は「またしても」勝利を呼び込むことはありませんでした。

高く長く上がったボールを追いかけ、捉え、再び蹴るという単純な作業は予見可能な戦術です。

そしてサッカーは、予測を裏切り意表を衝くプレーを展開する者が必ず勝ちます。

それは言葉を変えれば、高度に知的で文明的でしかも高速度の肉体の躍動が勝つ、ということです。

ところがイングランドの身体能力一辺倒のサッカーには、肉体の躍動はありますが、いわば知恵者の狡猾さが欠けています。だからプレーの内容が原始的にさえ見えてしまいます。

イングランドは彼らの「スポーツサッカー」が、イタリア、スペイン、フランス、ドイツ、ブラジル、アルゼンチンなどの「遊戯サッカー」を凌駕する、と信じて疑いません。

でも、イングランドにはそれらの国々に勝つ気配が一向にありません。1996年のワールドカップを制して以来、ほぼ常に負けっぱなしです。

イングランドは「夢よもう一度」の精神で、1966年とあまり変わり映えのしない古臭いゲーム展開にこだわります。

継続と伝統を重んじる精神は尊敬に値しますが、イングランドは本気でイタリアほかのサッカー強国に勝ちたいのなら、退屈な「スポーツサッカー」を捨てるべきです。


次回ワールドカップ予測

来年のワールドカップでは、イングランドが優勝するのではないか、という君の意見にも僕は同調しません。

理由はここまで述べた通り、イングランドサッカーが自らの思い込みに引きずられて、世界サッカーのトレンドを見誤っていることです。

イングランドサッカーが目指すべき未来は、今の運動量と高い身体能力を維持しながら、イタリア、ブラジル、スペインほかのラテン国、あるいはラテンメタリティーの国々のサッカーの技術を徹底して取り込むことです。

取り込んだ上で、高い身体能力を利してパス回しをラテン国以上に速くすることです。つまりドイツサッカーに近似するプレースタイルを確立すること。

その上で、そのドイツをさえ凌駕する高速性をプレーに付加する。

ドイツのサッカーにイングランドのスピードを重ねて考えてみてください。それは今現在考えられる最強のプレースタイルだと思いませんか?

イングランドがそうなれば真に強くなるでしょう。が、彼らが謙虚になって他者から学ぶとは思えません。

従って僕は、来年のW杯でのイングランドの優勝は考えてみることさえできません。

2022W杯の優勝候補はやはりブラジル、イタリア、スペインと考えます。ブラジルはW5回優勝の実績を買い、イタリアはマンチーニ監督によって真の復活を遂げた点を評価します。

イタリアはここしばらくは好調を維持し、勝利の連鎖回路に入ったと見ます。

スペインは不調とはいえ、そのイタリアを2020欧州選手権の準決勝で苦しめました。彼らのポゼッションサッカーの強靭はまだ生きているように思えます。

次にランクされるのはフランス、ドイツ、また先日のコパ・アメリカ(サッカー南米選手権)でブラジルを抑えて優勝したアルゼンチンです。

その次に最新のFIFAランキングで一位に据えられたベルギー、そしてオランダ。そこに加えて、C・ロナウドが彼の全盛時の80%以上のパフォ-マンスをするなら、という条件付きでポルトガル。

その次にイングランドを置きます。つまり、優勝候補は相も変わらずのメンバーで、イングランドは小国ながら今を盛りのベルギーと実力者のオランダのすぐ下にいます。

言葉を変えてはっきりと言います。イングランドは活躍する可能性はありますが、優勝の目はまずありません。

理由は-何度でも繰り返しますが-イングランドが自負と固陋の入り混じった思い込みを捨てない限り、決して世界サッカーの最強レベルの国々には勝てない、と考えるからです。


生き馬の目を抜く世界サッカー事情

欧州と南米のサッカー強国は常に激しく競い合い、影響し合い、模倣し合い、技術を磨き合っています。

一国が独自のスタイルを生み出すと他の国々がすぐにこれに追随し、技術と戦略の底上げが起こります。するとさらなる変革が起きて再び各国が切磋琢磨をするという好循環、相乗効果が繰り返されます。

イングランドは、彼らのプレースタイルと哲学が、ラテン系優勢の世界サッカーを必ず征服できると信じて切磋琢磨しています。その自信と努力は尊敬に値しますが、彼らのスタイルが勝利することはありません。

なぜなら世界の強豪国は誰もが、他者の優れた作戦や技術やメンタリティーを日々取り込みながら、鍛錬を重ねています。

そして彼らが盗む他者の優れた要素には、言うまでもなくイングランドのそれも含まれています。

イングランドの戦術と技術、またその他の長所の全ては、既に他の強国に取り込まれ改良されて、進化を続けているのです。

イングランドは彼らの良さにこだわりつつ、且つ世界サッカーの「強さの秘密」を戦略に組み込まない限り、永遠に欧州のまた世界の頂点に立つことはないでしょう。

                                          以上 」
                                    



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PK戦も物にするのが真の強者

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2020サッカー欧州選手権では、イタリアがイングランドとのPK戦を制して優勝した。

PK戦を偶然が支配するイベントと考える者がいる。それは間違いだ。

PK戦は通常戦と延長戦における2チームの拮抗を証明はするが、決して偶然を証明するものではない。

それどころかPK戦は、そこまでの120分間の戦いにも勝る、選手の体力と気力と技術の高さが求められる過酷な時間だ。

そして何よりも重要なのは、PK戦が神経戦そのものである事実だ。

技術も能力もある選手が往々にしてゴールを外すのは、心的プレッシャーが巨大だからだ。

イタリアの至宝ロベルト・バッジョが、1994年のW杯決勝のPK戦で、勝敗を分けるキックをはずしてワールドカップ優勝を逃したのも、プレッシャーが原因だ。

ほかにもPK戦にまつわるドラマは数多くある。

今回の欧州杯でも優勝候補の筆頭と目されていたフランスのエース、エムバペがトーナメント初戦のPK戦で痛恨の失敗をしてフランスが敗退した。

PK戦はサッカーのルール内にある非情な戦いだ。

各チームと選手は、普段からPK戦を想定して訓練をしておかなければならない。

当たり前の話だが、PK戦は90分の通常戦や延長戦と同様に勝つこともあれば負けることもある。

PK戦が偶然に絡めとられているならば、通常戦や延長戦も偶然が支配している時間ということになる。

むろんそんなことはあり得ない。

PK戦は90分の通常戦や延長戦と全く同格のサッカーの重要な構成要素だ。偶然が支配する余地などないのである。

イタリアは今大会は、準決勝も決勝もPK戦までもつれ込んでの勝利だった。

PKを実行する5人の選手にとっては、ほとんど残酷でさえある精神的重圧に耐えてゴールを決めるのは、通常ゲーム中のプレーにさえ勝る重要堅固なパフォーマンスだ。

PK戦にもつれ込もうが90分で終わろうが、勝者は勝者で敗者は敗者である。

現実にもそう決着がつき、また歴史にもそう刻印されて、記録され、記憶されていく。

試合を観戦する者は、PK戦を嘆くのではなく、120分の熾烈な競技に加えて、PK戦まで見られる幸運をむしろ喜ぶべきなのである。





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欧州選手権でイタリアが勝った理由(わけ)


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決勝までの歩み

2020サッカー欧州選手権はイタリアが1968年に次ぐ2度目の優勝を果たした。

イタリアの決勝戦進出は今回が4度目だった。

選手権では、ロベルト・マンチーニ監督の手腕によって再生したイタリアが活躍するであろうことを、僕は1次リーグの割と早い段階で予測した。

その予側は、“負けたら終わり“のトーナメント初戦で、イタリアがオーストリアを相手に苦戦した時に、僕の確信になった。

イタリアは青息吐息で勝ち抜いていく時にいつもとても強くなる。すらすらと相手を倒している場合にはコケることが多いのだ。

1次リーグではイタリアはトントン拍子で勝ち進んだ。3戦3勝で合計得点が7、失点が0というほぼ完璧にも近い戦いばかりだった。そこに少しの不安があった。

事態が順調に進み過ぎると、よく言えばおおらか、悪く言えば軽忽なイタリアチームは、ついつい調子に乗って油断する。

結果、空中分解する。失墜しない程度に苦戦し続けるほうが強いのだ。

イタリアは準決勝でもスペインを相手に苦戦した。のみならず、ボール保持率ほぼ70%対30%と大人と子供の試合のようなありさまだった。

それでもイタリアの伝家の宝刀・Contropiede(コントロピエデ=カウンター攻撃、逆襲)のおかげで120分を1-1で戦い終えて、PK戦を制し決勝進出を果たした。

決戦開始初っぱなの事故

イタリアとイングランドが戦った決勝戦では、試合開始2分足らずでイングランドが1点を先取した。

このとき多くのイングランドファンは勝利を確信し、同じ数だけのイタリアファンは敗北を意識したのではないか。

イタリアファンの僕はその時、20%の不安と80%の喜び、とまでは言わないが、8割方は平穏な気持ちで見ていたことを告白しようと思う。

むろん理由がある。

試合開始早々のそのゴールは、まさにイングランド的なプレースタイルが最善の形であらわれたものだった。

直線的で、速くて、高い身体能力が見事に表現されたアクション。

それこそがイングランドサッカーの最大の特徴であり、強さであり、良さであり、魅力である。

そして同時にまさにそれこそが、イタリア的プレースタイルのチームと相対したときのイングランドサッカー最大の欠点であり、誤謬であり、弱さなのである。

そして僕はこれまで何度も述べてきたように、そのことをもってイングランドサッカーは退屈と感じ、そう主張するのである。

そして退屈なサッカーは必ず敗北するとも。

いつか来た道

イングランドは分かりやすいように極端に単純化して言えば、長く速く高いボールを敵陣に蹴り込むのが得意だ。

それをフォワードが疾駆して追いかけ、捕らえてゴールを狙う。

そこでは選手のボールコントロール能力や技術よりも、駆けっこの速さと敵の守備陣を蹴散らす筋肉と高い身体能力、また戦闘能力が重視される。

決勝戦の初っ端のたった2分で起きた“事件”はまさにそういうものだった。

だからこそ僕は平穏にそれを見ていたのだ。

シュートとしたルーク・ショー は、イタリアのディフェンダーとは肉体的に接触しなかった。彼は高く飛んできたボールをほぼボレーに等しいワンバウンドでゴールに蹴り込んだ。

そうしたシュートはほとんどの場合成功することはない。空いているゴールの領域と角度があまりにも狭く、キックするアクションそのものも咄嗟の動きで、ボールの正確な軌跡は望めないからだ。

だがショーのキックは、タイミングを含む全てがうまくかみ合って、ボールは一瞬でゴールに吸い込まれた。

言うまでもなくそこにはイングランドのすばらしい攻撃力とショーの高いテクニックが絡んでいる。

だが、いかにも「イングランドらしい」得点の仕方で、デジャヴ感に溢れていた。

イングランドがそんな形のサッカーをしている限り、イタリアには必ず勝機が訪れることを僕は確信していた。

イタリアはやはり追いつき、延長戦を含む120分を優勢に戦って最後はPK戦で勝利を収めた。

イタリアの真髄

イタリアは、主に地を這うようなボールパスを繰り返してゴールを狙うチームだ。

そういう駆け引きの師範格はスペインである。

今このときのイタリアは、パス回しとボール保持力ではスペインにかなわないかもしれないが、守備力とカウンターアタックでは逆にスペインを寄せ付けない。

ボール保持を攻撃の要に置くスタイルを基本にしているサッカー強国は、イタリアとスペインのほかにフランス、ポルトガル、オランダ、ブラジル、アルゼンチン等々がある。

それらのチームはボールを速く、正確に、敵陣のペナルティエリアまで運ぶことを目的にして進撃する。

一方イングランドは、パスはパスでも敵の頭上を超える長く速い送球をして、それを追いかけあるいは待ち受けて捕らえてシュートを放つ。

繰り返しになるが単純に言えばその戦術が基本にある。それは常に指摘されてきたことで陳腐な説明のように見えるかもしれない。

そしてそのことを裏付けるように、イングランドも地を這うパス回しを懸命に習得し実践もしている。

だが彼らのメンタリティーは、やはり速く高く長い送球を追いかけ回すところにある。

あるいはそれをイメージの基本に置いた戦略にこだわる。

そのために意表を衝く創造的なプレーよりも、よりアスレチックな身体能力抜群の動きが主になる。

速く、強く、高く、アグレッシブに動くことが主流のプレー中には、意表を衝くクリエイティブなパスやフェイントやフォーメーションは生まれにくい。

サッカーはスポーツではなく、高速の知的遊戯

観衆をあっと驚かせる作戦や動きやボールコントロールは、選手がボールを保持しながらパスを交換し合い、敵陣に向けてあるいは敵陣の中で素早く動く途中に生まれる。

ボールを保持し、ドリブルをし、パスを送って受け取る作業を正確に行うには高いテクニックが求められる。

その上で、さらに優れたプレーヤーは誰も思いつかないパスを瞬時に考案し送球する。

そこで相手ディフェンスが崩れてついに得点が生まれる。

というふうな作戦がイングランドには欠けている。

いや、その試みはあることはあるのだが、彼らはやはりイングランド的メンタリティーの「スポーツ優先」のサッカーにこだわっている。

サッカーは言うまでもなくスポーツだ。だがただのスポーツではなく、ゲームや遊びや独創性や知的遊戯が目まぐるしい展開の中に秘められているめざましい戦いなのだ。

イングランドはそのことを認めて、「スポーツ偏重」のサッカーから脱皮しない限り、永遠にイタリアの境地には至れないと思う。

むろんイタリアは、フランス、スペイン、ブラジル、アルゼンチン、などにも置き換えられる。

またそれらの「ラテン国」とは毛並みが違いプレースタイルも違うが、ドイツとも置き換えられるのは論をまたない。





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Englandちゃ~ん、いらっしゃ~い。かわいがってあげましょうゾ~。


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欧州選手権の準決勝でイングランドがデンマークを破って決勝に進出した。

イングランドはもうひとつの準決勝戦でスペインを倒したイタリアと決勝戦を殴り合う、もとへ、戦う。

イングランドちゃん、いらっしゃ~い!!


今回大会のイングランドは強い。

なんといってもドイツを負かしたのはエライ。

ドイツは絶不調とはいえ、腐っても鯛。終始一貫、首尾一貫、 筋金入り エバーグリーンのサッカー強国だ。

そしてイタリアは、僕の独断と偏見ではドイツをも凌ぐサッカー大国。

イングランドが決勝でイタリアも粉砕すれば、彼らの強さは本物中の本物と証明されるだろう。

イングランドは1966年のワールドカップの決勝でドイツを倒して以来、主要な国際大会ではドイツに勝てずにきた。

ドイツはイングランドにとっては、55年も目の上にこびり付いていたタンコブだった。

そのドイツを2-0で撃破した。

そして勢いを保ったまま、決勝リーグ2回戦ではウクライナから4ゴールも奪って快勝。

次の準決勝では延長戦の末にデンマークも下した。

だが、イタリアはイングランドに比較するともっと強く、ずっと強く、あたかも強く、ひたすら強い。

何が根拠かって?

サッカー「やや強国」のイングランドは、ワールドカップを5世紀も前、もとへ、55年前に一度制している。準優勝は無し。つまり自国開催だった1966年のたった一度だけ決勝まで進んだ。

片やイタリアはW杯で4回も優勝している。準優勝は2度。つまり決勝戦まで戦ったのは合計6回。

欧州選手権では、イタリアは1回の優勝と2回の準優勝、計3回の決勝進出の歴史がある。

今回が4度目の決勝進出。

いや~ツエーなぁ。

一方、イングランドはですね、

一回も優勝していません。準優勝もありません。

つまりですね、決勝進出は0回。

3位決定戦に進んだことは1度あります。

でも、3位とか4位とかってビリと何が違うの?

あと、それとですね、僕の感情的な見方もあります。そこでもなぜかイタリアが強いんだよなぁ。

イングランドのサッカーは、直線的で力が強くて速くてさわやかでスポーツマンシップにあふれている。

イタリアのサッカーは、曲がりくねってずるくて意表をついて知恵者の遊戯に似て創造性にあふれている。

僕はイングランド的なメンタリティーも嫌いではない。

が、ことサッカーに関しては、アマチュアのフェアプレイ至上主義、あるいは体育会系のド根性精神みたいなものの影を感じて引いてしまう。

退屈と感じる。

そして、サッカーの辞書には退屈という文字はない。

だから退屈なサッカーは必ず負ける。

イングランドが、退屈ではないサッカーを実行するイタリア、フランス、スペイン、ポルトガルなどに比較して弱いのはそこが原因だ。

発想が奔放、という意味では上記4国に近いブラジルやアルゼンチンに負けるのも同じ理由だ。ドイツに負けるのは、創造性ではなくただの力負けだけれど。

そんなわけで、7月11日の決勝戦ではイタリアが勝つみたい。

でも、イングランドも史上初の決勝進出を果たしたのだから侮れない。

もしもイングランドが勝てば、それは「退屈」なサッカーが勝ったのではなく、イングランドが退屈なサッカーワールドから抜け出して、楽しく創造的な現代サッカーのワンダーランドに足を踏み入れたことを意味する。

それを未開から文明への跳躍、と形容してもかまわない。

なので2020欧州選手権の覇者は、イタリアでもイングランドでもどちらでもよい。

でもイングランドはBrexitをしたから嫌い。

なので、できればイタリアが勝ったほうがヨイ。

よ~し!



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イタリア、予定通り決勝進出!

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サッカー欧州選手権の準決勝でイタリアがスペインを退けて決勝に進んだ。

イタリアにとっては厳しい戦いだった。もっとも負けたスペインにとってはさらにきつい結果だったのだろうが。

試合の内容は客観的に見てスペインが勝っていた。

スペインは初めから終わりまで70%前後のボール保持率を誇り、それを反映してシュート数もイタリアをはるかに上回った。

スペインのポゼッション・サッカーは今回も健在だった。

そしてイタリアの伝家の宝刀「必殺の電撃カウンターアタック」もまた生きていた。

イタリアは前半45分の全てと、後半に入ってもしばらくは、スペインの圧倒的なボール保持力に威嚇されて青息吐息状態だった。

だが後半15分、ゴールキーパーから出たボールをあっという間に敵陣まで運んで、最後はFWのフェデリコ・キエーザがそれをゴールに叩き込んだ。

イタリアは鉄壁の守備で相手の攻撃を耐えに耐えて、機を見て反撃に出る「カウンターアタック」が得意だ。

得意のみならずイタリアはこのカウンターアタックで世界最強のチームの一つになった。

少しの侮蔑とともに語られるイタリアの特徴としての「カテナッチョ(閂並みの堅守)」は、このカウンターアタックを引き出すための戦術だと見なすこともできる。

一方スペインは徹頭徹尾ボール保持にこだわる得意の戦略で、イタリアを圧倒し続けた。

そこだけを見れば、スペインが勝っていても不思議ではない。いや、むしろそのほうが自然だ。

なぜならボールをキープし続けるとは、相手にシュートのチャンスを与えないことを意味する。

シュートとはボールをゴールに向けて蹴り込むことだ。肝心のボールが足元になければ誰もシュートをうつことはできない。

同時にボールが常に自らの足元にあれば、いつかは敵ではなくて“自分が”シュートを放つことができる。

そのようにボール・ポゼッションとは究極の「勝利の方程式」である。あるいはサッカーの基本中の基本とも言える。

どのチームもボール保持にこだわる。だが誰もスペインのようには貫徹できない。その意味でもスペインの技術は目覚しいものなのである。

しかし、サッカーの勝敗はボールの保持率では決まらない。あくまでもゴール数による。ボールの保持率が劣っていても、相手より多く得点できればそれが勝利だ。

たとえボール保持率が1%であっても、シュートが決定的ならそれが強者なのである。

イタリアの先制点は、少ないボール保持の中で抜き打ち的に攻撃を仕掛けて、見事に成功したものだった。それはスペインに押しまくられている状況では心理的にきわめて重要だった。

なぜならイタリアは、その先制点によって自信と余裕を取り戻した。

イタリアはその後も押しまくられ、得点から20分後にはスペインに追いつかれた。

だが一度復活した自信は崩れず、守りと反撃を繰り返して延長を含む120分を耐え抜いた。

そして最後はPK戦を制して決勝進出を決めた。

僕は試合前イタリアの勝利を予測した。ポジショントークは脇において、そこにはそれなりのいくつかの理由があった。

もっとも大きな理由は、イタリアがマンチーニ監督の指揮の下、2006年に始まった不調サイクルを抜け出して勢いに乗っていることだった。

スペインはポゼッション・サッカーによって2008年の欧州選手権、2010年のワールドカップ、2012年の欧州選手権と次々に勝ちを収めて世界を席巻した。

だがその後は世界中のチームが彼らの手法を研究し、真似し、進歩さえさせて、じわじわとスペインへの包囲網を築いた。

ワールドカップの実績だけを見れば、明らかにスペインよりも強いイタリアはその筆頭格であり続けている。それがもう一つの大きな理由である。

2012年の欧州選手権では、スペインは1次リーグから2次リークを「よたよたと」勝ち進んで、彼ら得意のポゼッションサッカーは退屈、とまで批判された。

それでも決勝にまで駒を進めた。

一方同大会では、不調に喘いでいるはずのイタリアが、優勝候補の最右翼と見られていたドイツを準決勝で圧倒するなどして決勝進出。スペインと激突することになった。

決勝戦は勢いに乗るイタリアが有利と見られた。僕もそう信じた。スペインのポゼッション・サッカーが限界に近づいている、という思いも強かった。

ところが決勝戦ではスペインがイタリアを一蹴した。4-0という驚きのスコアもさることながら、オワコンにも見えたスペインのポゼッション・サッカーが、イタリアをこてんぱんに打ちのめしたのである。

昨夜の準決勝戦を見ながら、僕はずっと2012年の決勝戦を思い出していた。スペインのポゼション戦術が功を奏して、再びイタリアを沈めるのではないか、とはらはらし通しだった。

だが、イタリアの復活とスペインのポゼッション・サッカーの衰退はセットになっているらしい。イタリアは苦しみながらも難敵を退けたのだから。

その勝利はもちろん優秀な選手たちのものである。しかし、今のイタリアのケースでは特に、ロベルト・マンチーニ監督の力量も賞賛されるべきではないかと思う。

イタリアは7月11日、今夜行われるイングランドvsデンマークの勝者と決勝戦を戦う。

個人的にはぜひイングランドが相手であってほしい。

復活したイタリアの創造的なサッカーが、大分進化したとはいえ依然として直線的でクソ真面目なイングランドのサッカーをへこますところを見たいから。

これはイングランドへのヘイト感情ではなく、創造的なサッカー、言葉を替えれば「遊び心」満載のサッカーが、体力にまかせて走り回るだけの「退屈」なサッカーよりも楽しいことを、あらためて確認したいからである。

もしもイタリアが勝てば好し。

イングランドが勝つならばそれは、創造的なサッカーが敗退したのではなく、イングランドのサッカーが遊びを理解し創造的になったことの証、ととらえて歓迎しようと思う。


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サッカー欧州選手権を放映しないNHKが解せない


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サッカー欧州選手権のたびに言っていることだが、同大会が日本であまり注目されないのは返す返すも惜しい。

欧州選手権はワールドカップ同様に4年ごとに開かれ、しかもW杯の最終ステージ、つまり準決勝や決勝戦にも匹敵するような超ド級の面白い試合が連日見られる。

僕は欧州サッカーの集大成である選手権のハイレベルな競技をぜひ日本の若者たちに見てもらい、国全体のサッカーのレベル向上に役立ててほしいと心から願っている。

欧州カップにはブラジルやアルゼンチンなど、南米の強豪チームが参加しない。それは少し物足りないかもしれない。

だが、そこかしこで指摘してきたように、レベルの低いアジア、アフリカ、オセアニア、北米などが出場しない分緊迫した試合が続く。

サッカー好きの子供たちがゲームを見れば、大きな刺激となり勉強になることが確実だ。

僕はかつて「ベンチのマラドーナ」と相手チームの少年たちに恐れられたサッカー選手だ。

もしも子供のころに欧州選手権の試合をひとつでも見ていれば、きっと多くのことを学んで、たまには試合に出してもらえる程度には上達したかもしれない。

僕でさえそうなのだから、才能豊かな少年たちが欧州選手権のハイレベルなゲームを見れば、多くの中田英寿が誕生し、もしかすると100年も経てば日本のロベルト・バッジョさえ生まれるかもしれない。

NHKはなぜ欧州選手権の放映権を手に入れないのだろう?

日本が出場しなくても、日本のサッカーのレベルと人気を高めるためにぜひとも行動してほしいものである。

商業目的ではなく、日本国民の教育と啓蒙に資するのだから。

そしてなによりも、日本のサッカーを強くするのだから。




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バカンスよりイタリアのE杯制覇が大事だっツーの


合成ルカCR7&ビーチ

イタリア本土最南端のカラブリア州に2週間遊んだ。

実は例によって仕事を抱えての滞在だったが、やはり例によって、できる限り楽しみを優先させた。

カラブリア州はイタリアで1、2を争う貧しい州とされる。

“される”とひとごとのように言うのにはわけがある。

カラブリア州は経済統計上は、あるいは州のGDPを語れば、確かに貧しい。

だが、そこを旅してみれば果たして“貧しい”と規定していいものかどうか迷う。

つまりそこはやせても枯れても世界の富裕国のひとつ、イタリアの一部である。

2週間滞在したビーチ沿いの宿泊施設は快適で、食べ歩いたレストランはどこも雰囲気が良く、出る料理はことごとく一級品だった。

“南イタリアらしく”宿泊施設の備品は古いものもあり、サービスは時々ゆるく、インターネット環境も最新ではなかったりした。

だがそれらは、終わってみれば枝葉末節の類いの不同意で、大本の流れは十分に満足できるものだった。

特に食べ歩いた料理がすばらしかった。そのことについてはまたぼちぼち書いて行こうと思う。

カラブリア州滞在中に、TVでサッカー欧州選手権の激闘も楽しんだ。

16強が戦い、8強が出揃ったあたりで、僕はイタリアの進撃を予想し、スペインの成功を信じ、イングランドの負けっぽい展開を予測した

イタリアとスペインは僕の予測を裏切らなかった。だがそれほど強くないはずのイングランドは、ウクライナをコテンパンにやりこめた。

その試合は2つの意味で僕を驚かせた。

1つはイングランドが大勝したこと。

1つはウクライナのふがいなさ。

試合はウクライナのディフェンスの、草サッカー並みの稚拙さによってぶち壊しになった。

ウクライナの指揮官は同国史上最強のフォーワードだったアンドリー・シェフチェンコだ。

彼はこれまでいい仕事をしてきたが、今回はもしかするとストライカーだった者の落とし穴にはまって、ディフェンス陣の強化を怠ったのかもしれない。

イングランドは例によって、創造性に欠ける激しい運動でめまぐるしくピッチを席巻し、ウクライナのがっかり守備陣のおかげで4ゴールもものにした。

イングランドの運動量の豊富と、サッカーをあくまでも「スポーツ」とみなす生真面目さは、マジで尊敬に値する。

だが同時にそのメンタリティーは退屈だ。

退屈なサッカーは必ず負ける。

なぜならサッカーの辞書に「退屈」という言葉はないからだ。

サッカーは体力に加えて知恵と創造性と頭の回転の速さを競う「遊び」だ。スポーツだが遊びなのだ。

イングランドサッカーには後者が欠落している。だから退屈に見えてしまう。

最終的には退屈なサッカーが勝つことはありえない。

4強に入った“退屈な”イングランドが、もしもデンマークを下して決勝でイタリアを撃破するなら、それはイングランドのサッカーがついに「未開」から「文明」へ移行したことを意味する。

僕は今、スペインを無視して「イングランドが決勝でイタリアを撃破するなら」と、すらすらと書いた。

そう、準決勝のイタリアvsスペインは「イタリアの勝ち」というのが僕の確固たる思いだ。

「イタリアの勝ち」という僕の主張には、常にポジショントークの色合いがあることを僕は決して隠さない。

だが、絶不調の波に呑み込まれて呻吟している2つの強豪国のうちでは、マンチーニという優れた指揮官に率いられたイタリアの復調のほうがより本物に見える。

そこから推してのイタリアの勝利だ。

そういうわけで、

準決勝:

イタリアvsスペインはイタリアの勝ち。イングランドvsデンマークはイングランド。

へてからに、

決勝:

イタリアvsイングランドはイタリアの勝ち。

だぜ。

いぇ~い!!!!!!!




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サッカー欧州杯は電撃特攻テロに裏切り、何でもありの仁義なき戦いだ


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サッカー欧州選手権は準々決勝に進む8強が出揃って佳境に入った。

欧州選手権は番狂わせ、逆転、寝首搔き、闇討ち、だましあい、何でもござれの仁義なき戦いが面白い大会だ。

言葉を換えれば出場チーム全体のレベルが高く予測不可能な乱戦が展開されるのが特徴である。

いや、少し違う。

同大会やワールドカップ優勝体験国などを軸にして、誰でも展開や結果を予測をすることはできる。

だがそうした予測や期待がよく裏切られる。

だからこその乱戦なのである。また、だからこその欧州各国のサッカーのレベルの高さである。

例えばありふれた予測では、ポルトガルは二次リーグの初戦でベルギーを破るはずだった。

もうひとつのありふれた予測では逆に、ベルギーがポルトガルに競り勝つはずだった。

なぜならベルギーは最新のFIFA世界ランキングで、ブラジルやドイツなどを抑えてなんと一位にランクされているからである。

サッカーを継続して見ていない者や権威付けが好きな者はFIFAの発表をうのみにしがちなところがある。

一方で、割とサッカーに詳しい者はポルトガルが4年前(5年前)に優勝したディフェンディング・チャンピオンであること、あるいは世界最高峰の選手であるロナウドが所属するチームという事実などを基に、ポルトガル有利と見なす。

それらはいつも常に正しくまた間違っている。勝負は理論的に見渡せもするが、時の運でもあるからだ。

また専門家などの予測は、理路整然と間違うことがしばしばだ。経済学者が実体経済の予測を理路整然と間違うように。

ゲームの予測を立てるのはほとんどの場合ムダである。確率論に基づけばある程度の正しい方向性は見つかるのだろうが、選手とチームの心理的要素や偶然性が試合展開に大きくかかわるから、プロでも正確な予測はできない。

それでも人は予測を立てたがる。予測することが、ゲームそのものを見るにも等しいほどに楽しい行為だからだ。

当たるも八卦、当たらぬも八卦。当たれば嬉しく、当たらなければ無責任に何もなかった振りをする。

そんなわけで、僕もサッカー好きな者の常で、ここからもっともらしく予測を立ててみることにする。

準々決勝に残ったのは強い順にイタリア、スペイン、ベルギー、イングランド、 ウクライナ、デンマーク、チェコ、スイスの8強である。

僕はイタリアを応援するばかりではなく、その強さを腹の底から認知している。

そのことを拠りどころに正直に言えば、世界のサッカーのランクはブラジルとイタリアがトップ。次にドイツ。

続いてフランスとスペインとアルゼンチンが横一列に並び、その下のグループにポルトガル、イングランド、オランダ、などがいる、と見る。

今をときめくFIFA世界ランキング一位のベルギーがいないじゃないか。お前はバカか。という声が聞こえてきそうである。

だが僕は世界のサッカー強国のランキングを言っているのであって、今この時のチームの好調ぶりを語ろうとしているのではない。

また、ベルギーの話はさておいても、見ていて楽しい攻撃サッカーのブラジルと、カテナッチョ(かんぬき)とまで揶揄される守備主体のイタリアを同列に並べるのはナンセンス、という声も聞こえてきそうだ。

その主張の意味は分かるが、同時にサッカーの本質を忘れているとも言いたい。

攻撃的サッカーのブラジルのディフェンスは、フォワード陣と同様に超一級である。

同じように守備が堅固なイタリアの攻撃も超一級なのだ。

だから2チームはブラジルが5回、イタリアが4回もW杯を制している。

ドイツは2014年の第20回ブラジル大会を制して、イタリアに並ぶ4回優勝となった。

そしてドイツサッカーもブラジルとイタリアのように強く、超一級である。

だがドイツはブラジルの自由奔放な動きにかなわない。イタリアの独創性に富んだ戦術にも振り回されてよくコテンパンにやられる。

その分ドイツサッカーは、ブラジルとイタリアの下にランクされると思うのだ。

近年、ポゼッションサッカーで世界を席巻したスペインは、長くW杯を制することができなかった。

ポゼッションによって一世を風靡したが、世界が彼らの戦術を真似し、取り込み、改良し自家薬籠中のものにしてさらに前進した結果、スペインの衰退が訪れつつある。

フランスも移民選手を手厚く育てることで1998年のW杯を制し大きく伸びた。だが、未だにブラジル、イタリア、ドイツの境地にまでは至っていない。

アルゼンチンの立ち位置はフランスとスペインに近いが、2チームよりもほんの少し劣る。

W杯を一度制しているイングランドは存在感があまりない。2度優勝した古豪ながら近年は沈んでいるウルグアイにも似ている。

今回の欧州選手権では、ここまでに強豪のドイツが敗れ去り、フランスもポルトガルも消えた。

今後は、イタリアとスペインが有利である。

勢い盛んで且つ絶好調のベルギーが準々決勝でイタリアを撃破する可能性は高い。だがそれ以上に、イタリアが地力を発揮して勝つ可能性のほうがより高い、と僕は思う。

そこには希望的観測が含まれることを否定しない。

次の優位者のスペインは、優勝候補の筆頭だったフランスを撃破して意気盛んなスイスと対峙する。僕はここでも強豪のスペインが優勢と見る。

フランスとの激烈な戦いを制したスイスの布陣はすばらしい。だが彼らには大舞台での活躍の経験があまりなく、且つフランスと90+延長戦+PK戦を戦ったことによる心身の消耗が大きい。

いわば新参なだけに疲れよりも高揚のほうが優っていてむしろ有益、という見方もできるだろうが、クロアチアを相手に5得点を挙げたスペインの底力は無視できないように思う。

イタリアとスペインが敗れた場合、勢いから推してベルギーが圧倒的に有利になりそうである。

そこに、目の上のタンコブだったドイツを久しぶりに撃破した、イングランドが挑む、という構図である。

過去にそれぞれ一度づつ優勝しているデンマークとチェコも侮れない。

冒頭で触れたように欧州杯はW杯と違って下剋上や逆転劇が多い。

優勝経験のないベルギー、スイス、ウクライナ、イングランドに加えて、いま言ったように優勝経験はあるものの穴馬的存在に見えるチェコとデンマークが躍動する。

そうなれば、今回も番狂わせ全開の仁義なき戦いが繰り広げられることになるだろう。

ああ、ワクワク感が沸点に達しそうだ。



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