【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2022年04月

夫婦の寝床と夫婦のベッド

・ミモザ合成イラクサ650

イタリアきってのシンガーソングライター、ファブリツィオ・デ・アンドレは彼の名作の一つ「バーバラの唄」の中で

「♪~あらゆる夫婦のベッド
 オルティカとミモザの花でできているんだよ
 バーバラ~♪」

と歌いました。

オルティカは触れると痛いイラクサのことです。

結婚生活は山あれば谷あり、苦楽でできています。

それを「夫婦のベッドは、イラクサと美しく甘い香りのミモザで作られているんだよ、バーバラ」と艶っぽく表現するところがデ・アンドレの才能です。

同時に、そういう言い回しができるのがイタリア語の面白さだとも考えられます。

それというのも、これを正確な日本語で言い表すと「夫婦の褥(しとね)は~でできている」とか「夫婦の寝床は~でできている」とかいうふうになって、とたんにポルノチックな雰囲気が漂い出しかねません。

少しこだわり過ぎに見えるかもかもしれませんが、この歌の内容は日伊ひいては日欧の文化の根源的な違いにまでかかわる事象の一つ、とも考えられますのであえて書いておくことにしました。

「♪~あらゆる夫婦のベッドは
  オルティカとミモザの花でできているんだよ ~♪」

をイタリア語で書くと、

「♪~ ogni letto di sposa
e’ fatto di ortica e mimosa ~♪」

となり、そのうち「夫婦のベッド」に当たるのは「letto di sposa」です。

筆者はその部分をダイレクトに「夫婦のベッド」と訳しました。

その上で、実は日本語では「夫婦の寝床」とか「夫婦の褥(しとね)」または「」夫婦の布団」とするのが正確な表現、というふうにもって回った説明をしました。

なぜそうしたのかというと、イタリア語をそのまま本来の日本語にすると「letto di sposa」の持つ「性的な意味合い」だけが突然強調されて、その結果、原詩が強く主張している(夫婦の)人生や生活や暮らし、というニュアンスが薄くなると考えたからです。

ポルノチックになりかねない、と書いたのもそういう意味でした。

だが、そうではあるものの、二次的とはいえ「letto di sposa」には性的な含蓄も間違いなくあって、それらの微妙なバランスがイタリア語では「艶っぽい」のです。

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日本語とイタリア語の間にある齟齬やずれは、性あるいは性的なものを解放的に語ったり扱ったりできるかどうか、という点にあります。

イタリア語のみならず欧米語ではそれができるが、日本語では難しい。

言葉が開放的である、とは思考や行動が開放的である、ということです。そう考えれば性的表現における欧米の開放感と日本の閉塞感の違いが説明できます。

性や性表現が閉鎖的だから、日本にはそのはけ口の一つとして「風俗」という陰にこもった性産業が生まれた、とも考えられます。

人生の機微や結婚生活の浮き沈みの中には、夫婦の性の営みも当然含まれていて、欧米文化の方向性はそのことも含めて直視しようとします。

日本文化の方向性はそこから目をそらせます。あるいは見て見ぬ振りをします。あるいはぼかして捉えます。

そこには日本文化の奥ゆかしさに通じる美もありますが、内向して「風俗」的な執拗につながる危うさもあるように思います。

良くしたもので、日本語には都合の悪い表現を別の言い回しでうまく切り抜ける方法があります。それが外来語です。

たとえば日常の会話の中ではちょっと言いづらい「性交」という言葉を「セックス」と言い換えると、たちまち口に出しやすくなるというようなこと。

筆者がバーバラの唄の「letto di sposa」を「夫婦の寝床」と訳さずに、あえて太字で強調して「夫婦のベッド」と書いたのも、そのあたりの機微にこだわったからです。

ベッドはもはや、日本語と言っても良いほどひんぱんに使われる言葉です。

しかし夫婦の「寝床」や「褥(しとね)」や「布団」に比べると、まだまだ日本語のいわば血となり肉となっている言い回しではありません。

依然として外来語のニュアンスを保っています。

だから「性交」に対する「セックス」という言葉のように、生々しい表現のクッションの役を果たして、それらの直截的な言い回しをぼかす効果があるように思います。

そればかりではなく、日本の大半の家の中には「夫婦のベッド」など存在しないのが普通です。夫婦のベッドとは巨大なダブルベッドのことです。だから狭い日本の家にはなじみません。

また例えそれを用いていても、ベッドはあくまでもベッド、あるいは寝台であって、朝になれば畳まれて跡形もなくなる「寝床」や「褥」や「布団」ではないのです。

そんな具合に日本の家においては「ベッド」は、やっぱりまだ特別なものであり、日本語における特別な言葉、つまり外来語同様に特別なニュアンスを持つ家具なのです。

だから夫婦の「寝床」や「褥」や「布団」と言わずに「夫婦のベッド」と表現すると、この部分でも恥ずかしいという感じがぐんと減って、耳に心地よく聞こえるのです。

もっと言えば、日本語では「夫婦の寝室」「や「夫婦の寝間」などと空間を広げて、つまりぼかして言うことは構わないが、「夫婦の寝床」とピンポイントで言うと、微妙に空気が変わってしまいます。

そこがまさに日本語のつまり日本文化の面白いところであり、ひるがえってそこと比較したイタリア語やイタリア文化、あるいは欧米全体のそれの面白さの一つなのだと思います。

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ウクライナの4月25日が待ち遠しい

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毎年4月25日はイタリアの「解放記念日」である。

解放とはファシズムからの解放のことだ。

日独伊3国同盟の仲間だったドイツとイタリアは、第2次大戦中の1943年に仲たがいした。3国同盟はその時点で事実上崩壊し、独伊は険しい敵同士になった。

イタリアではドイツに抵抗するレジスタンス運動が戦争初期からあったが、仲たがいをきっかけにそれはさらに燃え上がった。

イタリアは同時に、ドイツの傀儡政権である北部の「サロ共和国」と南部の「イタリア王国」との間の激しい内戦にも陥った。

1945年4月、サロ共和国は崩壊。4月25日にはレジスタンスの拠点だったミラノも解放されて、イタリアはムッソリーニのファシズムとドイツのナチズムを放逐した

掃滅されたはずのイタリアのファシズムは、しかし、種として残った。それは少しづつ土壌と湿りを獲得して、やがて発芽した。

芽は成長し、極右政党と規定されることが多い現在の「同盟」と、ファシスト党の流れを組むまさしく極右政党の「イタリアの同胞」になった。

「同盟」はトランプ主義と欧州の極右ブームにも後押しされて勢力を拡大。2018年、極左ポピュリストの「五つ星運動」と組んでついに政権を掌握した。

コロナパンデミックの中で連立政権は二転三転した。だが「同盟」も「イタリアの同胞」も支持率は高く、パンデミック後の政権奪還をにらんで鼻息は荒い。

彼らは自らを決して極右とは呼ばない。中道右派、保守などと自称する。だが彼らはウクライナを蹂躙しているプーチン大統領を賞賛しトランプ主義を信奉して止まない。

極右の頭を隠したがるが、尻がいつも丸見えなのである。

彼らは今日この時は、特にその傾向が顕著だ。ウクライナで残虐行為を働くプーチン・ロシアへの激しい批判が起きたため、一斉にプーチン大統領と距離を置くポーズを取っている。

しかしながら、それは見せかけの装い、死んだ振りに過ぎない。

彼らはフランス極右の「国民連合」 とも連携し欧州の他の極右勢力とも親しい。それらの極右勢力も、プーチン大統領との友誼を必死に隠匿しようとしているのは周知の通りだ。

極右はファシストに限りなく近いコンセプトだ。しかし、イタリアの極右勢力をただちにかつてのファシストと同じ、と決めつけることはできない。彼らもファシトの悪を知っているからだ。

だからこそ彼らは自身を極右と呼ぶことを避ける。

第2次大戦の阿鼻地獄に完全に無知ではない彼らが、かつてのファシストやナチスや軍国主義日本などと同じ破滅への道程に、おいそれと迷い込むとは思えない。

だが、それらの政治勢力を放っておくと、やがて拡大成長して社会に強い影響を及ぼす。あまつさえ人々を次々に取り込んでさらに膨張する。

膨張するのは、新規の同調者が増えると同時に、それまで潜行していた彼らの同類の者がカミングアウトしていくからだ。

トランプ大統領が誕生したことによって、それまで秘匿されていたアメリカの反動極右勢力が一気に増えたように。

政治的奔流となった彼らの思想行動は急速に社会を押しつぶしていく。それは日独伊のかつての極右パワーの生態を見れば火を見るよりも明らかだ。

そして奔流は世界の主流となってついには戦争へと突入する。そこに至るまでには、弾圧や暴力や破壊や混乱が跋扈するのは言うまでもない。

したがって極右モメンタムは抑さえ込まれなければならない。激流となって制御不能になる前に、その芽が摘み取られるべきだ。

では権力を握った極右の危険の正体とはいったい何だろう?

それは独裁者の暴虐そのもののことである。

ロシアの独裁者、プーチン大統領がウクライナで無差別殺戮を繰り返しているように、極右政権は自国民や他国民をいとも簡単に虐待する。

ウクライナ、またロシア国内の例を見るまでもなく、人類の歴史がそのことを雄弁に物語っている。

イタリアは今日、解放記念日を祝う。ファシズムとナチズムという専制主義を殲滅したことを称揚するのである。

それは将来ウクライナの人々が、プーチンという独裁者を地獄に追いやる時の儀式にも似ているに違いない。


ウクライナの4月25日を僕はイタリアの地で待ちわびている。


付記

ロシアを擁護することが多いイタリア右派連合の政党のうち「イタリアの同胞」のメローニ党首だけは、これまでの親プーチンのスタンスを捨ててロシアを厳しく批判している。それが選挙目当てのポーズかどうかは間もなく明らかになるだろう。






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マクロン勝利でも油断はできない

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フランス大統領選は予想通りマクロン候補が勝った。喜ばしいことだ。

ウクライナ危機が大きく影響した選挙戦は、マクロン候補の大差のリードで始まり、その同じ危機の余波でフランス国内のインフレが高まると、ルペン候補に支持が急激に集まった。

投票直前の2候補のテレビ討論によってマクロン候補の挽回が伝えられたが、フランス国内では同候補への反感も強く、棄権する有権者の動向によってはルペン候補の逆転勝利の可能性もあった。

結局、どんでん返しはなく、マクロン大統領が再選された。

マクロン大統領は、ウクライナ危機対応で欧州が暴君プーチンと戦うために欠かせない存在だ。

片や極右のルペン候補は、選挙戦中は必死でプーチン大統領との仲を隠していたが、当選すれば独裁者プーチンに肩入れし、欧州各国はもちろんアメリカなどとも距離を置く可能性があった。

ひと言でいえば“ルペン大統領”は、欧州の民主主義と自由を否定して、プーチン・ロシアや中国が主導する世界の専制主義勢力と親和的な政権を構築する。

それはウクライナ危機でさえ、プーチン大統領に理があると主張する、世界のネトウヨヘイト系排外差別主義勢力と握手をする政権ということだ。

フランスは再び極右の脅威を退けた。しかし、ルペン候補への支持率は右肩上がりに上がっている。

それはフランス国内に親トランプまた親プーチン勢力が増えていることを意味する。

その状況は、世界がネトウヨヘイト系排外差別主義勢力に支配される方向へと、じわじわと進んでいることを示唆している。




マリオ・ドラゴン伊首相の脳天唐竹割り


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プーチン・ロシアによるウクライナへの蛮行は止む気配がない。

欧州で発生した戦争という信じがたい事態に、人々は怒り悲しみ嘆いている。

各国の政治指導者も、ほとんどが強い言葉でプーチン大統領の独善と残虐性を指弾している。

同時に停戦を目指して、プーチン大統領と対話し説得し、仲介を試みる動きも活発だ。

中でもフランスのマクロン大統領は、対話は功を奏していないという批判もある中、プーチン大統領との会談を繰り返して和平を模索している。

一方イギリスのジョンソン首相やEUのフォンデアライエン委員長、またポーランドやバルト3国の首脳など、多くの政治家がウクライナを訪問し、トルコほかの首脳もプーチン大統領との接触を間断なく続けている。

そんな折、プーチン大統領と会談したイタリアのマリオ・ドラギ首相が、EU主要国の首脳としては異例の発言をした。

ドラギ首相は「プーチン大統領と話すのは時間のムダ」と言い放ったのだ。

ドラギ首相はプーチン大統領に、「ウクライナのゼレンスキー大統領と一刻も早く面談し、停戦を模索するべき」と促したが、プーチン大統領は「今じゃない」と繰り返すだけだった。

ドラギ首相はまた、「プーチン大統領の目標は今のところ平和の追求ではない。ウクライナの抵抗勢力を全滅させ、国土を占領し、親ロシア政権を作ってウクライナを操ることだ」とも説明した。

イタリアはG7の構成国だが、国際政治の場では日本と同様の弱小国だ。ほとんどの何の影響力も持たない。

ところがドラギ首相は、欧州中央銀行総裁として辣腕を振るった経歴がものをいって、欧州はもちろん世界的にも一目置かれている存在だ。

だからこそプーチン大統領も、危機のさなかでドラギ首相との会談に応じた。

ドラギ首相が説明した、プーチン大統領の目標の中身は目新しいものではない。

しかし、「ロシアのボスとの対話は時間のムダ」と一刀両断に切り捨てた彼の言葉は重い。

ロシアは中国と並んで伝統的にイタリアと親しい。しかしながらドラギ首相は、「中国もロシアも専制国家」と公言してはばからない。

歯に衣着せぬ発言が彼の持ち味だ。

ドラギ首相の辛らつな発言をなぞるような出来事も起こっている。

イギリスのジョンソン首相が「プーチン大統領との協議は、ワニに足をかまれたまま対話するようなものだ」とドラギ首相の発言に追随したのだ。

また主要20か国の財務相・中央銀行総裁が集まるG20会議では、米英カナダの代表団が、ロシアの発言時に退席するというあからさまな動きに出た。

各国が協調し団結するのが目的の世界会議場で、ロシアへの抗議を優先させた3国の異例の行動も、ドラギ首相の率直な発言に触発されたのかもしれない。

しかしながらドラギ首相の言葉も、それをなぞったように見えるあれこれの動きも、どちらかと言えば和平には資さない。

少しでも和平に貢献する可能性があるのは、ドラギ首相の単純明快な発言ではなく、対話を続けようとするマクロン大統領のねばり腰である。

そうはいうものの、しかし、ガツンと一発かましたドラギ首相の正直もクライナ危機の実相を捉えている。それはそれで気に留めておくべき、と思う。

誰もが彼と同じ態度に出れば、戦線の拡大から世界戦へと、悪夢が現実化して行かないとも限らない。





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気がかりなゼレンスキー大統領の勇み足

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ウクライナのゼレンスキー大統領が、ドイツのシュタインマイヤー大統領のキーヴ訪問を拒否した。

シュタインマイヤー大統領が、ロシア寄りのスタンスを取り続けたことをゼレンスキー大統領が問題にしての動きだが、僕はその頑なさに危うさを感じる。

ロシアがウクライナを侵略するまでは、日本を含む多くの西側諸国の指導者が多かれ少なかれロシア寄り、つまり親プーチン大統領のスタンスを取ってきた。

そこにはロシアを懐柔しようとする西側の打算と術数が秘匿されていた。

同時にプーチン・ロシアは、西側とうまく付き合うことで得られる巨大な経済的利益と、政治的なそれを常に計算してきた。

西側とロシアのいわば“化かし合いの蜜月”は、おおざっぱに言えば90年代の終わりに鮮明になり、プーチン大統領の登場によってさらに深化し定着した。

なぜか。

西側がプーチン大統領の狡猾と攻撃性を警戒しながらも、彼の開明と知略を認め、あまつさえ信用さえしていたからだ。

言葉を替えれば西側世界は、性善説に基づいてプーチン大統領を判断し規定し続けた。

彼は西側の自由主義とは相容れない独裁者だが、西側の民主主義を理解し尊重する男だ、とも見なされたのである。

西側はプーチン大統領以前からロシアを調略する作戦を取り、ロシアをG7の枠組みに招待してG8クラブに作り変えたりさえした。

だがG8は2014年、プーチン・ロシアがクリミア半島を併合したことを受けて崩壊し、元のG7に戻った。

それでもG7が主導する自由主義世界は、プーチン大統領への「好意的な見方」を完全には捨て切れなかった。

彼の行為を非難しながらも強い制裁や断絶を控えて、結局クリミア併合を「黙認」した。

そうやって西側世界はプーチン大統領に蜜の味を味わわせてしまった。

西側は以後、プーチン・ロシアへの強い不信感を抱いたまま、性懲りもなく彼の知性や寛容を期待し続け、何よりも彼の「常識」を信じて疑わなかった。

「常識」の最たるものは、「欧州に於いてはもはやある一国が他の主権国家を侵略するような未開性はあり得ない」ということだった。

欧州の歴史は、血で血を洗う過酷な殺し合いの連続だった。それでも、ようやく第1次、第2次大戦という巨大な殺戮合戦を経て欧州は生まれ変わった。

民主主義と自由を獲得し、欧州の良心に目覚め、武器は捨てないものの政治的妥協主義の真髄に近づいて、武器を抑止力として利用することができるようになった。できるようになったと信じた。

その欧州はロシアも自らの一部と見なした。従ってロシアも、血で血を洗う過去の悲惨な覇権主義とは決別しているのが当然、と思い込んだ。

ロシアは、専制主義国ながら欧州のその基本原則を理解し、たとえ脅しや嘘や化かしは用いても、殺し合いは避けるはずだった。

ところがどっこい、ロシアは2022224日に主権国家のウクライナを侵略した。ロシアはプーチン大統領という魔物に完全支配された悲劇の国であることが明らかになった。

ロシアは欧州の一部などではなく、またプーチン大統領は、民主主義の精神とはかけ離れた独善と悪意と暴力志向が強いだけの、異様な指導者であることが再確認された。

プーチン大統領がウクライナ侵略を正当化しようとして何かを言い、弁解し、免罪符を求めても、もはや一切無意味だ。それらは全て枝葉末節であり言い逃れであり虚偽になった。

事態核心は、彼が歴史を逆回転させて大義の全くない侵略戦争を始め、ウクライナ国民を惨殺していることに尽きる。

それによって第2次大戦後に獲得された欧州の恒常的な平和が瓦解し、世界秩序が無理やり引き裂かれた。

多くの西側の指導者が突然、プーチン大統領を買いかぶっていたことに気づいた。

シュタインマイヤー大統領もそのひとりだ。彼はそのことに気づいて「ロシアを支持し続けたのは間違いだった」と公式に認めた。

ドイツ大統領は象徴的な置き物で実権はない。

彼のキーヴ訪問を拒否したゼレンスキー大統領の言葉を翻訳すると、大統領ではなく「実権を持つショルツ首相がウクライナに来い」ということだろう。

ドイツはエネルギーの首根っこをロシアに掴まれている弱みから、危機の初めにはウクライナに冷たい態度を示した。

ゼレンスキー大統領の怨みは理解できるが、ドイツを責めるのはこの場合は得策ではない。見当違いでさえある。
過去にはドイツに限らず多くの国が、エネルギー欲しさからもロシアにしきりに擦り寄った。そしてドイツを含む西側のほぼ全ての国が、2022年2月24日を境にそれが大きな誤りだったと悟った。

ゼレンスキー大統領は、来るものは拒まずに共鳴者を獲得し続けるべきだ。敵はロシアだけで十分である。友を、味方を得ることが彼の仕事にならなければならない。彼がこれまで必死でやってきているように。

シュタインマイヤー大統領の訪問を拒否することで得る、ドイツの偽善を暴く、というウクライナにとってのある種の「利益」は空しい。

ゼレンスキー大統領はシュタインマイヤー大統領を許し受け入れて、彼の訪問に感謝し今後の支援を要請していたほうがウクライナの国益に叶い、世界世論の受けも良かったのではないか、と切に思う。



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ル・ペン大統領誕生はプーチン‘プッツン’大統領の勝利と同義語だ


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4月10日のフランス大統領選では、現職のマクロン候補と極右のル・ペン候補が24日に実施される決選投票に駒を進めた。

ふたりは2017年の大統領選でも争った。そのときの決選投票ではマクロン候補が66%の得票率で圧勝した。

今回の決選投票では両者が競り合う展開になっている。マクロン候補は、ウクライナ危機でプーチン大統領との対話を続ける態度が評価され、前半は極めて有利に選挙戦を進めた。

だがその同じ危機の影響で、エネルギーや食品価格を筆頭に物価が高騰し社会不安が急速に高まった。

ル・ペン候補はそこを捉えて物価対策を旗印にキャンペーンを張り、中・低所得者層を取り込んで急激に支持を伸ばした、という形だ。

ル・ペン候補は決選投票でも物価高や購買力などの国内問題を強調して選挙戦を戦うことが確実だ。それはウクライナ危機をほぼ無視して、フランス・ファースト主義に徹するということである。

一方のマクロン候補は、これまでのように欧州の中のフランス、ひいては世界の中のフランスの責任ある役割、というテーマを前面に押し出して戦う。

彼はこれまで力を注いできたウクライナ危機への強い関与を継続し、フランスの指導力を世界に示そう、と国民に呼びかけるだろう。

ドイツのメルケル前首相が欧州政治の表舞台から消えた今は、マクロン候補こそ自由主義世界の木鐸ともいうべき存在だ。

独裁者のプーチン大統領に対抗する欧州の強い指導者は、マクロン大統領のほかには英ジョンソン、伊ドラギの両首相、EUのフォンデアライエン委員長などがいる。

だがジョンソン首相はBrexitを主導した反EU主義者だ。単身キーヴに乗り込んでゼレンスキー大統領を激励した行動力はすばらしいが、正体がトランプ主義者に近い存在だから100%は信用できないかもしれない。

イタリアのドラギ首相は、元欧州中央銀行の辣腕総裁という肩書きと、その肩書きに支えられた手堅い政権運営が評価されて、国内的はもちろん国際的にも一目置かれてはいる。

しかし彼には、政治家に必要なコミュニケーション能力が欠けている。それは仲介能力が低いというのとほぼ同義語だ。対話による停戦が喫緊の課題であるウクライナ危機のさなかでは、先導者を務めるのは少し厳しそうだ。

フォンデアライエン欧州委員会委員長も、海千山千の怪物プーチン大統領と丁々発止にやりあうには、少々役者不足と言わざるを得ない。

3人のほかにはドイツのショルツ首相もいるが、彼はエネルギー問題でロシアに首根っこを押さえられていて、今のところはほとんど身動きできずにいる。また存在感が巨大だったメルケル前首相に名前負けしている弱さもあって、リーダーシップを発揮できていない。

西側連合全体のリーダーはむろんバイデン米大統領だが、彼はプーチン大統領を口を極めて罵るばかりで、今のところは対話からは遠い位置にいる。

そうして見てくると、フランス国内では‘金持ちのための大統領’などという批判もあるマクロン候補だが、怪物のプーチン大統領と対抗できるのは、今はやはり彼が最も相応しい。

マクロン候補を抑えてフランス大統領になるかもしれないル・ペン候補は、穏健化路線の仮面を剥ぎ取れば、プーチン信奉者でありトランプ追従者だ。彼女はここイタリアの極右指導者サルヴィーニ、メローニ両氏とも親和的だ。

それらの反国際協調路線主義者は、各国それぞれの事情で立場に微妙な違いはあるものの、強権政治を志向する傾向がある点で中国や北朝鮮にも近い。

もしもル・ペン政権が成立した場合、ウクライナ危機に対しての欧州の結束は乱れ、米バイデン政権との仲もギクシャクする可能性が高まる。

そうなれば、言うまでもなくそれは、プーチン・ロシアへの援護射撃となることが確実だ。

ル・ペン候補は彼女が牛耳る極右政党の名前を、攻撃的なイメージが強い「国民戦線」からよりソフトなイメージの「国民連合」に変え、自身の過激な言動にも封印をして穏健化路線を進めた。

それは「脱悪魔化」とも呼ばれてきた策である。

支持の拡大を図るそれらの動きはしかし、あくまでもル・ペン候補と極右政党の「死んだ振り」政策に過ぎない。彼女の正体は「脱悪魔化」というおどろおどろしい言葉が示すように悪魔的であり、彼女の政党も好戦的な極右勢力であり続けている。

それは半島北部の独立を目指したここイタリアの北部同盟が、より全国区の協調路線をイメージさせようとして、党名を「同盟」と改名したことと同じ姑息な手段だ。反移民・反イタリア・反EUの同盟は、「北部同盟」時代と中身は何も変わらず極右の剣呑な政党であり続けている。

彼らはトランプ主義者であり白人至上主義者だ。加えて言えば、日本のネトウヨ・ヘイト系排外外差別主義者らとも親和的な政治勢力である。

またル・ペン候補もサルヴィーニ同盟党首も、はたまたトランプ前大統領も、いずれも隠れなきプーチン信奉者である。その周囲には中国もぴたりと寄り添って、隙あらば取り入り取り入れようと画策している。

マクロン大統領は、フランス政界分断をうまく捉えて極左と極右を痛烈に批判し、彼が「責任ある中道勢力」と彼が呼ぶ層をまとめて国を引っ張ってきた。だがその手法は選挙では、今のところ2017年ほどの明確な成功には至らず、ル・ペン候補の激しい追い上げに遭っている。

選挙戦の出だしではマクロン候補が大差でリードしていると考えられた。しかし、先に触れたように、ウクライナ危機がもたらす疲弊と急激なインフレが社会不安を招き、それへの対応を最優先すると訴えるル・ペン候補に庶民の支持が集まった。

世論調査によるとフランスでは、極左と極右を合わせた過激派への国民の支持率5割を超えている。それはここイタリアの状況にも似ている。もっといえば、アメリカのトランプ主義勢力、英国のBrexit支持派、などとも通底している現象だ。

さらにいえばそれらの政治勢力は、たとえ表立ってその素振りを見せていなくても、潜在的にはロシアのプーチン大統領とも親和的な政治力学である。

だからこそ真っ向からその勢威と張り合うマクロン大統領の存在は、自由と民主主義にとっての、今このときの最重要な拠り所なのではないか、と考える。



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プーチン信徒もはびこるイタリアの度量


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前回エントリーで、プーチン“悪の根源”大統領を受身に擁護する、ジュゼッペ・コンテ前イタリア首相を批判した

彼の名誉のために付け足すと、プーチン大統領を名指しで非難しないイタリアの有力政治家は、ほかにも少なからずいる。

その筆頭がマッテオー・サルヴィーニ同盟党首である。極右とも規定される同盟のトップは、かねてからプーチン大統領を崇拝し、彼を称揚する言動を堂々と展開してきた。

サルヴィーニ党首は先日、ウクライナからの難民に連帯を示したいと称してポーランドを訪れたが、プーチン大統領支持の正体を見抜かれて現地の人々の総スカンを食らった

サルヴィーニ党首は、プーチン大統領とともにトランプ前大統領も敬する。

サルヴィーニ党首はポーランドで叱責を受けた際、ロシアのウクライナ侵攻は良くないことだ、としぶしぶ認めたが、その後はコンテ前首相と同じく、“プーチン”という名を一切口にせず、むろんロシアを非難することもしない。

支持するとまでは表明しないものの、沈黙を守ることでプーチン大統領を支持した、もう一人の大物政治家もいる。ベルルスコーニ元首相である。

プーチン大統領と親密な元首相は、ロシアがウクライナで殺戮を繰り返すのを目の当たりにしながら、当初は同大統領を全く指弾しなかった。

ベルルスコーニ元首相はおよそ一ヵ月後、これまたしぶしぶという風体でロシアの蛮行を初めて批判した。

そして4月9日、自身が党首を務めるFI党の党大会で「プーチン大統領には失望した」と強い調子で友人の独裁者を糾弾した。

遅きに失した感はあるが、だんまりを決め込んだり、消極的にあるいは受け身にプーチン大統領支持に回るよりは増しだろう。

醜聞にまみれたベルルスコーニ元首相には多くの批判がある。だがそのことはさて置いて、彼は政治的には、いわゆる「欧州の良心」から大きく逸脱することは一貫してなかった、と僕は思う。

プーチン大統領を擁護する勢力は、イタリアにおいても左右の極論者が多い。左の代表が前述したようにコンテ前首相であり、右の極論者がサルヴィーニ同盟党首である。

彼らはトランプ主義者である点でも共通している。

僕が知る限りコンテ前首相は公にトランプ前大統領を称揚したことはない。だが彼の上に君臨する五つ星運動創始者のグリッロ氏は、隠れなきトランプ礼賛者でありプーチン追従者だ。

コンテ前首相は、残念ながら彼のボスに倣って、ここのところは“プーチン”という言葉を全く口に出さない主義を貫いている。

そのようにイタリアでは、他の先進民主主義国では中々見ることができない衝撃的な政治実況に出くわすことも珍しくない。

つい先日まで首相の座にあった者や10年近くも首班を務めた政治家、あるいは世論調査で支持率1、2位を争う政党の党首などが、今このときのロシアの蛮行を見て見ぬ振りをしたり、あまつさえ支持するなど、ほとんどあり得ないことではないか。

イタリアではそれが堂々となされることも少なくない。

イタリア政治の特徴は多様性だ。それは傍目には混乱に映ることも多い。

事実、混乱も起きるが、イタリア共和国は混乱では崩壊しない。国家の中にかつての自由都市国家群が息づいているからだ。

仮にイタリア共和国が崩壊しても、歴史的存在の自由都市国家群はしぶとく生き残って、さらなる歴史を継承していくことが確実だ。

イタリア共和国とは、つまり、決して崩壊しない一つ一つの自由都市国家の集大成だ。従ってイタリア共和国自体もまた崩壊することはない、とも言える。

むろんイタリアが民主主義国家であり続ける限り、イタリア共和国の「民主的な解体」はいつでも起こり得る。

そのイタリア共和国は、たとえばBrexitに走った英国や、国民連合が台頭するフランス、またドイツのための選択肢を抱えるドイツなどとそっくり同じだ。

つまり他の西側諸国がプーチン・ロシアの愚行を受け入れることがないように、イタリア共和国がプーチン大統領の悪行に寄り添うことはあり得ない。

だがイタリアの国民的合意には、イタリア的多様性がもたらす不協和音に似た耳障りな響きも、またくっきりと織り込まれているのが常なのである。




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残念なジュゼッペ・コンテ前首相 

コンテ白黒横長

イタリアは2024年までに防衛費をGDP(国内総生産)の2%に引き上げるとしたNATOとの合意を反故にした。

連立政権を構成する五つ星運動の党首、コンテ前首相が激しく反対したからである。

コンテ前首相は、2019年に当時首相だった自分自身がNATOと約束した防衛費の増額を否定したのだ。

それによって彼は、右顧左眄と民心扇動が特徴的なポピュリスト政党のトップであることを如実に示した。

彼の主張は五つ星運動の目玉であるバラマキ策、「最低所得保障(reddito di cittadinanza 」とも深く結びついている。

コンテ氏が首相だった2019年、五つ星運動のゴリ押しが功を奏して、イタリア政府は低所得者層に一定の金額を支給し始めた。

コンテ政権は同年、NATOとの防衛費増額にも合意した。

ところが最近になってコンテ前首相は、イタリアを含む欧州が、プーチン・ロシアに侵略されるかもしれない危険に備えるための防衛費増は認めない、と声高に主張し始めたのだ。

弱者を援助するという名目で票集め用に金をバラまくのは構わないが、安全保障は天からの恵みで自然に備わるものだから気にしなくてもよい、とでも考えているのだろうか。

イタリア共和国がロシアによって破壊された場合、貧者も富裕者も関係がなくなり誰もが等しく地獄に落ちる。そんな瀬戸際に陥らないための防衛費増である。

NATOとEUを含む欧州各国が、歴史を大転回させるほどのロシアの凶行に太平の夢を破られて緊張し、欧州全体を守るために団結して即座の防衛費増を決めた。イタリア一国の問題ではないのだ。

言うまでもなく弱者は救済されるべきだ。だがそれは国が存続してはじめて可能になる事案だ。国が破壊されたら弱者への援助どころか、金持ちも貧乏人も何もかも消滅する。

今はその大本の真理のみを凝視して、基本原理に立ち返る努力をするべき時ではないか。

それをしないで詭弁を弄するのは、ロシアのプーチン大統領が「主権国家を侵略してはならない」という 原理原則を踏みにじっておきながら、細部を持ち出して言い訳や詭弁や強弁を声高に主張するのとそっくり同じ行為だ。

ドラギ政権は、コンテ前首相の強硬な反対に遭って、NATOとの合意を変更せざるを得なくなった。五つ星運動が大連立政権内の最大勢力だからだ。

過激は得てして ― それが右か左かには全く関係なく ― 常識を一気に飛び越えて極論に走る。

この場合は極左の五つ星運動が、大本の議論を無視して、たとえロシアからミサイルが飛来しても先ず貧者を助けろ、とわめいているに等しい。

五つ星運動は、ベーシックインカム(最低所得保障)導入に関しても、同じ偏執論理で突っ走った。

だが貧者を援助するための財源は働く人々の税金から出される。ならば先ず働く人々を助けるべきだ。

同時に働かない、あるいは働けない人々を、働くように仕向けることが重用だ。つまりバラマキの前に、仕事を生み出す知恵を働かせるべきである。その上で貧者に手を差し伸べる政策を強化すれば、誰もが納得する。

だが彼らは端からその努力を怠って、財源には全く目を向けることなく金をバラマクことばかりを目指している。そうすれば投票してもらえるからだ。

コンテ前首相は、イタリアがコロナ地獄の底で苦悶していた2020年、強い意志と勇気とポジティブ思考で国民を鼓舞し、厳しい全土封鎖を断行してイタリアを危機から救った。

僕は彼の力量を大いに評価して、そこかしこで褒めそやし喧伝した。

また彼が首相退任後に五つ星運動のトップに迎え入れられた時は、僕が強い違和感を抱き続けてきた五つ星運動を、根底から変えてくれるのではないかとさえ期待した。

コンテ氏は首相時代に五つ星運動の支持を受けてはいたが、そこの所属ではなかったのである。

だが彼は今や、大衆迎合主義政党「五つ星運動」の、過激な本性を身にまとっただけの極論者になりつつある。

いや、もともとそうだった正体が、コロナ禍の混乱が去りつつある現在、徐々に表に出てきたというのが真実に近いだろう。

コンテ前首相は、ウクライナで残虐行為を続けているプーチン大統領を支持する、という信じがたい迷妄の底にも沈んでいる。

正確に言えば、コンテ前首相は、彼のボスである党の創始者、ベッペ・グリッロ氏の「金魚の糞」化して戦争勃発以来ひと言も「プーチン」という言葉を口に出さす、ロシアを表立って批判することもない。

ボスのグリッロ氏がそうしているからだ。あるいは2人が示し合わせてそうしているのかもしれない。

コンテ前首相は、確信犯的にプーチン大統領の名前を口にせず、同時に彼の蛮行から目をそらすことで、プーチン大統領を援護しているのである。

彼が党首を務める五つ星運動は、親中国、親ロシアのポピュリスト政党である。また同党は反体制、反EUも標榜している。

彼らは古い政党や腐った政治家をインターネットを介して糾弾する、という目覚しい手法で急速に支持を伸ばした。

イタリア政界にはびこる腐敗政治家を指弾しようとする姿勢はすばらしい。また弱者に寄り添おうとする取り組みも共感できる。

だが彼らには創造的な政策がない。働く人々が稼いだ国庫の富を、無条件に貧者に分け与えろ!と叫ぶばかり。

その公平な分配法、財源、不正防止策などにはお構いなしだ。そして致命的なのは、繰り返しになるが、貧者のためまた国民のために仕事を創出する、という視点がないことだ。

そうした無責任な体質が、党首であるコンテ前首相のプーチン大統領への「受身の支持」を招き、NATO軽視、安全保障無視のスタンスを呼び込んでいる。

彼らが極左のポピュリスト、と規定され批判されるゆえんである。

極左、とは過激派という意味である。その部分では彼らは、右の過激派である極右の同盟やイタリアの同胞などと寸分違わない。極論には右も左もないのである。

コンテ前首相はつまるところ、左の過激派と呼ばれても仕方のない言動に終始している。

プーチン・ロシアの脅威を排除するための軍事費の増額を批判して、その金を貧者に回せ、と叫ぶのは平和時なら正しい。

だが平和が危機にさらされている状況では、まず平和維持を追求するのが筋だ。

また、蛮行に突っ走るプーチン大統領を、コンテ前首相がこの期に及んでも批判しない了見は、全く理解できない。それどころかほとんど狂気の沙汰だ。

2020年のイタリア全土ロックダウン時の彼の八面六臂の活躍は、もはや帳消しになったと言っても過言ではないだろう。

残念至極である。




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思い上がりが時間経過を速くする

渦巻き時計Fibernacci-Clock650

年を重ねるごとに時間経過が速く感じられるのは、「人の時間の心理的長さは年齢に反比例する」というジャネーの法則によって説明されます。

だがその法則は、状況の報告をするだけで「なぜそうなるのか」の論説にはなっていません。

それを筆者なりに解読しますと、要するに人は年を取るに連れて見るもの聞くものが増え、さらにデジャヴ(既視)感も積層して物事への興味が薄れていく、ということなのだろうと思います。

さしずめ、食べに食べ過ぎて次の一皿への食欲をなくしたスーパー・デブ、とでもいうところでしょうか。

多くの事案がどこかで既に見、聞き、体験したと感じることなので、人はそこで立ち止まって物事をしみじみと検分し、感じ、思案して勉強することが少なくなります。

立ち止まらない分、人は先を急ぐことになり、時間が飛ぶように過ぎて行くのです。NHKのチコちゃんはそれを「ときめかないから」と表現していましたね。

そこには自らの意志に反して心が乾いていく悲しさと、同時に大人のいわば驕りがあります。

年齢を重ねて知っていることも事実多いのでしょうが、無駄に時間を費やし馬齢を重ねただけで、実は何も知らない知ったかぶりの大人は、筆者自身も含めて多くいます。

それでも知ったつもりで、人は先へ先へと足早に進みます。死に向かって。

すると理論的には、知ったかぶりをしないであらゆるものに興味を持ち、立ち止まって眺め続ければ、人の時間はもっとゆっくりと過ぎて行く、と考えられます。


時計巻き戻す女

しかし筆者の感じでは、それも少し違うように思います。

何よりもまず、目の前に出現するあらゆるものの検分に時間をかけ過ぎれば、未知なるものに費やす時間がない、という物理的な問題が生じます。

知らないことがあまりにも多すぎて、その過大な未知のもろもろを学び、知り、体験するには、1日1日が短かすぎる。

短かすぎる時間の経過また毎日の積み重ねが、すなわち「時間の無さ」感を呼び起こすように思います。

そして 「時間の無さ」感 とは、時間が「速く飛び去る感じ」のことです。

つまり、時間が疾風よりも光陰よりもさらに速く過ぎていくのは、「一生は短い」という当たり前の現実があるから、とも言えます。

その短い一生を愚痴や、怨みや、憎しみで満たして過ごすのはもったいない。人生にはそんな無駄なことに費やす時間などありません。

と、何度も何度も繰り返し自らを戒めるものの、人間ができていない悲しさで日々愚痴を言い、怨み、憎む気持ちが起こります。

そしてその度にまた自戒を繰り返します。自戒に伴って苦い悔恨が胸中に忍び入るのもいつものパターンです。

結局、人の人生の理想とは、多くの事柄がそうであるように、愚痴らず、怨まず、憎まない境地を目指して、試行錯誤を重ねていく『過程そのもの』にあるのではないか。
そう考えれば、中々人間ができない情けない筆者自身にも、まだ救いの道があるようで少し肩の荷が軽くなる気がします。








ヒトラーはヒトラーを知らないがプーチンはヒトラーを知っている戦慄

corriere掲載写真650

ウクライナのブチャでロシア軍が行ったらしい大規模虐殺が明らかになった。

それを示す衝撃的な絵の数々は、あるいはプーチン大統領の運命を決定付けた可能性がある。

敢えて言えばその運命とは、彼は死なない限りもう救われない、ということではないかと思う。

プーチン大統領の異様な性状については先に言及したが、あまりにも深刻な状況に見えるので、重ねてここにも記しておきたい。

プーチン大統領はヒトラーではない。彼はユダヤ人ほかの抹殺を目指したホロコーストは「まだ」引き起こしていない。

子供たちを含むウクライナの人民を虐殺し、政敵を弾圧し謀殺し、情報操作によってロシア国民を欺き、世界に殴りかかっているだけだ。

そしてそれらの悪逆無道な行為の数々を以ってしても、あるいは彼の悪はヒトラーの悪を上回ることはないのかもしれない。

だがプーチン大統領は、「ヒトラーを凌駕する魔物」とも規定されるべき、不吉な性根を秘めてそこに存在している。

不吉さは彼がヒトラーを知っている事実から来る。

ヒトラー自身はヒトラーを知らなかった。ヒトラーはまだ歴史ではなかったからだ。一方プーチン大統領は、ヒトラーという歴史を知っている。

それは彼が、「ウクライナを侵略した大きな動機の一つは、ウクライナからナチス勢力を排除すること」と、明確に主張している点からも明らかだ。

ユダヤ人であるゼレンスキー大統領と、彼の同調者がナチスとは恐るべき詭弁である。だが血肉の全てが、嘘で固められたスパイ仕様になっているらしいプーチン大統領にとっては、飽くまでもその欺瞞が真実なのだろう。

とにもかくにもプーチン大統領は、ヒトラーの悪魔性を知悉した上で、なおかつヒトラーを髣髴とさせる暴虐に突き進んだ。

それは極めて危険な兆候だ。

ウクライナに軍を進めるまでのプーチン大統領を、世界はまともな心情と哲学と知性を備えた強い指導者とみなしてきた。

自由主義世界は、彼の一風変わった政治スタイルを、強権主義的風潮が割と普通な、ロシアという「普通ではない」国のリーダーゆえの奇矯、と捉えていわば見て見ぬ振りをしてき

その姿勢は、プーチン大統領が基本的には自由や寛容や、そしておそらく民主主義でさえ支持しているだろう、という根拠のない性善説によって担保された。

だがプーチン大統領は、自由と民主主義と開明を空気のごとく当たり前に謳歌してきた、欧米と日本を含む西側世界全体の思い込みをあっさりと踏みにじった。

彼はわれわれが性善説に当てはめて、2022年2月24日までナイーブに思い描いてきたプーチン・ロシア大統領ではない。、

彼は常人のわれわれの世界の向こう側にいる、ヒトラーと同類の得体の知れない何者かなのである。

われわれはそのことをしっかりと認識しつつ、今後のウクライナ情勢とそれに影響また規定されていくであろう、世界のあり方を見つめ続けるべきだ。





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イタリアの化けは偽者かもかい?の答えは残念ながら YESだ!


ブルーマンチーニ&選手ら背景650


イタリアが2大会連続でワールドカップ出場を逃した。

あきれてものが言えず、おどろきで涙も出ない。

1年遅れで昨年開催されたEURO2020の覇者が、北マケドニアという人口200万とちょっとの国のささやかなチームに負けて予選敗退。

EURO2020で燃えに燃えた「燃え尽き症候群」といえばカッコいいが、また実際にそうなんだろうが、「ざけんなよコノヤロー、人の楽しみを2回も奪いやがって」という気分だ。

イタリアサッカーの大ファンの1人として、やっぱり次のことも言っておいてやる。

「イタリアには燃え尽き症候群という高級な病気にふさわしい超一流プレーヤーなどいない!ゼイタク言うな!」


昨年11月末、僕は:

イタリアの化けは偽者だったかも、かい?

という記事をここに書いた。その中に言いたいことの多くが込められているの

で、併せて読んでもらいたい。


閑話休題


結論を先に言ってしまえば、イタリアにはやはり違いを演出できる優れたファンタジスタ(ファンタジーに富む創造的なフォーワード)が必要だ。

イタリアの常勝監督の一人ファビオ・カペッロ氏は、サッカーでは監督の力量が影響を及ぼすのは15%ほどに過ぎない、と語ったことがある。

理論も実際もまた実績も超一流の監督の見解が、正しいかどうかは誰にも分からない。

カペッロ監督にも匹敵する力量の持ち主であるマンチーニ監督は、イタリアが60年振りにW杯出場を逃した2018年に就任した。

そしてすぐに改革を断行し、チームを強力軍団に作り上げた。

そうやってイタリアは2021年、53年振りに欧州選手権を制した。

そこまでのマンチーニ監督の貢献は70%、もしかすると80%程度にもなるのではないか、と僕は個人的に感じていた。

マンチーニ監督は、イタリアがW杯に出場して活躍し、あわよくば5度目の優勝を目指す、という明確な目標を掲げて監督に就任した。

ところがマンチーニ・イタリアは、いま触れたようにW杯を待たずに、W杯にも匹敵する厳しい欧州杯を制した。

彼の力量はますます高く評価され、カタールW杯への期待が一層高まった。

そんな折りにイタリアは再びコケた。

それでもマンチーニ監督の続投が決まった。

僕はその決定に賛成である。

だが、彼の能力が選手のそれを凌いでチームが勝ち進む、という幻想からは完全に決別すると決めた。

イタリアはやはり、1人あるいは2人の天才プレーヤーを中心に、9人~10人の世界クラスの選手が進撃する形を目指すべきだ。

それがイタリアサッカーの強さであり同時に面白さだ。

イタリアには次なるバッジョ、デルピエロ、トッティ、ピルロが必要だ。

早く出て来いスーパー・ファンタジスタよ!!



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プーチンは死して後も糾弾されるべき罪を犯した 

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プーチン大統領が停戦に応じるのではないかという見方と、逆にさらに険悪な展開に持ち込むのではないかという意見が交錯している。

プーチン大統領が停戦に肯定的らしいという見方は、彼が3月17日、トルコのエルドアン大統領と行った電話会談のあとに広がった。

会談の中でプーチン大統領は、 ウクライナが中立を保つと同時に北大西洋条約機構(NATO)への加盟を申請しないことを条件とする、と一方的に伝えた。

それに対してウクライナのゼレンスキー大統領は、「NATOには加盟できないと認識している」と公言するなどして、譲歩する姿勢を示してきた。

ロシアはまた、ウクライナが中立状態になるために軍縮を完了すること、国内のナチス的勢力を排除すること、同国内でロシア語を保護することなど、メンツを保ちたいだけらしいやや重みに欠ける要求なども明らかにした。

だがプーチン大統領の真の狙いは、ウクライナ東部のドンバス地方の割譲や、2014年に強奪したクリミア半島の永久ロシア領土化などが含まれる、という見方は根強い。

さらにウクライナを2分して、一方を北朝鮮化させる意図もあると言われる。それどころか、大帝国ロシアの復活を目指して、バルト3国ほかの国々に侵攻、併合する計画さえもあるとされる。

プーチン大統領が胸の奥に秘めているかもしれない壮大な計画は、決して荒唐無稽とは言えない。ロシアがウクライナに侵攻した当初は、多くの人々が彼の野望を危惧した。

だがロシア軍が前線で躓き、ウクライナを支持する欧米が速やかに一致団結し、世界の大半も欧米に同調して反プーチンの世論が形成されると、プーチン大統領の大望は挫かれて滑稽な様相さえ呈し始めた。

しかしプーチン大統領自身は、骨の髄まで“密偵”に違いない彼の正体に即して行動し続けた。

平然と嘘をつき、強権を行使して情報統制に躍起になり、核兵器の使用まで示唆して、ウクライナのみならず世界全体を恫喝し続けている。

停戦に向けたウクライナへの要求も、エルドアン大統領との会談後は合意に至るのが不可能な内容に終始。意図的にしか見えない手法とレトリックを駆使して、時間稼ぎを繰り返している。

それでも戦況そのものとプーチン大統領に対する世界の民意は、ひたすら逆風となって吹きまくっているのが実情だ。

国内世論を弾圧している彼には、軍部や側近らが戦況や国際世論の情勢を曲げて伝えて、結果プーチン大統領は多くの判断ミスを犯した、という憶測もある。

それらもいわば情報統制だ。国民を抑圧して情報を遮断し歪めた付けが、プーチン大統領自身への情報規制となって跳ね返ったに過ぎない。因果応報というべきものである。

停戦が実現するか戦争が泥沼化するかはむろん予断を許さない。追い詰められたプーチン大統領が、生物・化学兵器や核兵器を使用する悪夢のような展開の可能性も依然として低くない。

だがどんな経過をたどるにしても戦争は必ず終結する。そのときプーチン大統領がまだ生きているなら、-そしてもしも停戦が明日にも実現する僥倖があったとしても-プーチン大統領は決して許されるべきではない。

人は間違いを起こす。だから罪を犯した者もいつかは許されるべきだ。なぜならその人は間違ったからだ。人が犯した間違いと罪を決して忘れてはならない。だが人は究極には許されるべきである。

それが人と人が生きていく世界の縄墨であるべきだ。人は許しあうときに真に人になるのである、

だがその規範は果たしてプーチン大統領にも当てはまるのだろうか

ロシア側に即して事態を吟味した場合、プーチン大統領の行為にはなるほどとうなずけるような歴史や、事実や、出来事などがないこともない。

だがそれらの“詳細”は、プーチン大統領が「文明世界ではもはやあり得ない」と思われていた侵略戦争をいとも簡単に引き起こし、無辜の人民を殺戮している蛮行によって全て帳消しになった。

彼がたとえ何を言い、弁解し、免罪符を求めても一切無意味だ。それらは全て枝葉末節であり言い逃れであり虚偽となったのだ。

事態核心は、彼が歴史を逆回転させて大義の全くない侵略戦争を始めたことに尽きる。それによって第2次大戦後に獲得された欧州の恒常的な平和が瓦解した。

その重大な事実と共に、ウクライナに殺戮と破壊をもたらした張本人として、プーチン大統領は末代までも指弾されなければならない。

だが彼は、早い段階で停戦に応じた場合、あたかも善行を行ったのでもあるかのように見なされて、なし崩しに罪を許されてしまう可能性も十分にある。

しかし凡人で非寛容な自分は、とても彼を許す気にはなれない。もしも彼が許されるなら、ヒトラーも許されるべきではないか、とさえ思う。それはあり得ないことだ。

ヒトラーは間違いを許されるべき衆生ではない。彼は衆生の対極にいる魔物である。あるいはわれわれ衆生が魔物と規定せずにはいられない異形の存在である。

プーチン大統領はヒトラーではない。彼はユダヤ人ほかの抹殺を目指したホロコーストは「まだ」引き起こしていない。子供たちを含むウクライナの人民を虐殺し、政敵を弾圧しロシア国民を虐げているのみだ。

だがプーチン大統領は、「ヒトラーを凌駕する魔物」とも規定されるべき不吉な縁を性根に帯びている。

つまり、ヒトラー自身はヒトラーを知らなかったが、プーチン大統領はヒトラーを知っている、という真実だ。

彼はその上で、敢えてヒトラーを髣髴とさせる残虐行為に及んだ。

それは極めて危険な兆候だ。

彼はわれわれが性善説に当てはめて、2022年2月24日まで思い描いてきたプーチン・ロシア大統領ではない。ヒトラーと同類の、衆生の向こう側にいる得体の知れない何者かなのである。

われわれはそのことをしっかりと認識しつつ、今後のウクライナ情勢とそれに影響また規定されていくであろう、世界のあり方を見つめ続けるべきだ。

繰り返して言いたい。

人は間違いを犯す。従って間違いによって生まれた罪は許されなければならない。だがプーチン大統領が犯している間違いと罪を許すのは容易ではない。

それは神のみが下せる険しい審判なのかもしれない。




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