【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2022年11月

スペインサッカーの美しさは完璧な勝利の方程式ではないが勝利よりも楽しかったりする


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W杯出場チームの全てが顔出しを終え、1次ラウンドがさらに進行している11月30日の時点で、僕最も注目しているのはスペイン代表だ。

スペインは初戦、7-0の大差でコスタリカを下した。スコアも驚きだが試合内容はもっと驚きだった。しばらく鳴りを潜めていたスペインの華麗で強いサッカーが蘇えったと見えたからだ。

そこではポゼッションサッカーの弱点である自陣でのボール回しが最小限に抑えられて、逆に敵陣内では最大限に発揮される理想の形が完成していた。

スペインは徹頭徹尾ポゼッション・サッカーにこだわる得意の戦術によって、2008年の欧州選手権、2010年のワールドカップ、2012年の欧州選手権と次々に制覇した。

当時のスペインチームにはシャビとイニエスタという天才プレーヤーがいて、ボール保持を最大限に維持しながら、ティキ・タカの速いパス回して相手を縦横にかく乱した。

だがその後は世界中のチームが彼らの手法を研究し、真似し、進歩さえさせて、じわじわとスペインへの包囲網を築いた。

イタリア、ドイツ、フランスなどの欧州の強豪国は特に、彼ら独自の伝統的な戦術にポゼッションサッカーを絡ませて磨き、ほぼ自家薬聾中のものにした。

そして2014年、ドイツが隆盛を極めていたスペインサッカーを抑えてW杯を制覇した。

続いて2016年の欧州選手権ではポルトガルが、2018年のW杯ではフランスが最後まで勝ち進んでスペインを退けた。

そして仕上げには、2020年((コロナ禍で21年に延期))の欧州杯をイタリアが制して、スペインのポゼッションサッカーの時代が終わった。

そこに至るプロセスは、シャビとイニエスタが第一線から退いていく時間ともほぼ重なっていた。

ところが衰滅したはずのその美しいポゼッションサッカーが、カタールW杯で復活したように見えるのだ。

初戦では偉大なシャビとイニエスタに代わって、18歳と19歳の天才プレーヤー、ガビとペドリが躍動した。

2人はまるでシャビとイニエスタの生まれ変わりのようだ。

コスタリカ戦ではペドリはパス回しの中核として動き、ガビはそこに絡まる一方で最年少選手記録に近いゴールまで決めた。

彼らの出現でスペインサッカーは、一昔前の黄金時代に回帰しつつあるのかもしれない。

スペインは11月27日、ドイツとの第2戦を1-1で引き分けた。

歴史的に見ればスペインを上回る実力を持つドイツは、スペインのボール保持と高速のパス回しに翻弄されながらもどうにか引き分けに持ち込んた。

スペインは7ゴールを決めたコスタリカ戦ほどの爆発は見せなかったが、ボール保持と素早いパス回しの戦術は健在だった。

今後彼らがポゼッションサッカーを武器に大会を席巻するのかどうか、僕はわくわくしながらTV観戦を続けようと思う。

ところで、11月30日現在で見る今回大会の優勝候補は僕の見立てでは:

スペイン、ブラジル、フランスが筆頭。もしもドイツが1次ラウンドを突破すれば、ドイツも彼らに迫る活躍をしそうだ。

4チームに続くのは強い順に、アルゼンチン、ポルトガル、オランダ、ベルギー、イングランド、ウルグアイと見る。

ゲームの予測を立てるのはほとんどの場合ムダである。

確率論に基づけばある程度の正しい方向性は見つかるのだろうが、選手とチームの心理的要素や偶然性が試合展開に大きくかかわるから、正確な予測は誰にもできない。

それでも人は予測を立てたがる。予測をすることが、ゲームそのものを見るにも等しいくらいに楽しい行為だからだ。

当たるも八卦、当たらぬも八卦。当たれば嬉しく、当たらなければ無責任に何もなかった振りをする。

そんなわけで、僕もサッカー好きな者の常で予測を立てておき、あとはほっかむりを決め込むことにした。










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日本がW杯を制するかも、かい?

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W杯初戦で日本がドイツを破ったのは嬉しい驚きだった。

その前日、サウジアラビアがアルゼンチンに勝ったのを受けて、僕は明日は日本がドイツを撃破するだろう、とSNSに投稿した。

それはジョークのつもりだった。サウジアラビアVSアルゼンチンの結果はほとんど衝撃だった。そんな事態が2日連続で起きるとは正直考えなかった。

いわば、ゲンかつぎをこめて言ったのだが、ゲンをかつぐのが意味を成さないほどドイツと日本の実力の差は大きい、というのもまた偽らざる心境だった。

日本の勝利をフロックと見るかある程度の実力の反映と見るかは、個人のサッカー理解度で違ってくる。

日本が勝ったのは公平に見て番狂わせの類だと僕は思う。

陳腐な言い方をすれば、日本は勝負に勝ったものの試合内容では完全にドイツに負けていた。

ほぼ全試合を通してドイツに主導権を握られ、パス回しができず日本独特の“脱兎走り”を繰り返した。

むやみに走り回るのはパス回しができないからだ。そしてパス回しができないのは、実力がないからだ。それが日本の現実である。

はなから日本をなめてかかっていたドイツは、彼らがボールを保持して戦況を支配し、その結果日本が高速回転で右往左往するのを見て、ますます思い上がった。

とどのつまり、ペナルティキックで一点を先取しただけで、その後はゴールを割ることができなかった。詰めが大甘に甘かった。

それでも攻めまくられる日本にとっては、ドイツは前半の全てで大山のように巨大に見えた。

後半は日本にとってさらに惨めな展開になることが予想された。

その後半でもドイツは落ち着いていた。テクニックと戦略と試合展望でやはり日本を圧倒していた。だが彼らはゲームを決定的な展開に持ち込めなかった。

日本がじわじわと攻勢に転じ始めたとき、彼らは初めて危機感を抱くように見えた。あわてて気を引き締めようとしたが時は遅かった。

日本は泥臭い動きながら果敢に攻めて、後半30分に同点に追いついた。そこでドイツのパニックが頂点に達した。

ドイツのディフェンスは平常心を失った。パニックはミスを招く。彼らは日本の攻撃に耐え切れず、後半38分ついに日本逆転のゴールを許した。

日本のサッカーは確実に強くなっている。だがドイツの域に至るのはまだ先だ。それは疑いのない現実だ。そうはいうもののW杯では何が起こるかは分からない。

日本が優勝するのはさすがに難しいだろうが、ドイツを蹴散らした勢いでかなり勝ち進む可能性が出てきた。

だがそれ以上に、ドイツが目覚めて2戦目以降に強さを発揮しそうな雰囲気も生まれた。

日本VSドイツ戦の次に試合に臨んだ、強豪スペインの圧倒的な強さを見て僕はそう感じた。

つまりドイツは弱小日本に敗れてショック療法風に覚醒し、ライバルのスペインの華麗なサッカーを見て「負けてなるか」と奮起するのではないか。

そうなったらドイツは手がつけられなくなるほど強くなる。それはW杯が盛り上がることを意味する。

これまでの試合ではスペインだけが順当に実力を発揮している。フランス、ベルギー等は陳腐な戦いに終わり、アルゼンチンは敗北。続いてドイツも沈んだ。

次の大物ブラジルがどんな試合運びを見せるか楽しみにしつつ、僕は強豪チームの奮起を心待ちにしている。

予選でコケたイタリアがいないのが寂しいが、日本がこのまま勝ち進めば、その寂しさを補って余りある展開になるだろう。

わくわくドキドキの日々が見える。



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「ちむどんどん」の俳優は皆ど~んと輝いていた

4人海で横長

演出の罪

「ちむどんどん」スペシャルを見た。比嘉家の4兄妹が終わったばかりの番組について素の俳優に戻って語り合う、という趣向だった。

和気あいあいとした彼らの語りはすがすがしく納得できる内容だった。役回りについての4人のそれぞれの思いもきっちりと伝わった。

進行役を務めた川口春奈の自然でユーモラスで思いやりに富んだ語り口が印象的だった。僕ははたちまち彼女のファンになった。

4人の俳優のトークは、彼らが人間的にすばらしい若者たちで、且つプロの優秀な役者であることをあらためて示していた。それを確認できたことを僕は嬉しく思った。

僕は「ちむこんどん」については否定的な立場でこれまでに何度もそう書いてきた。僕のネガティブな見方は、繰り返して述べたように演出をはじめとする制作者へのものだった。

特に演出への批判は尽きなかった。脚本が悪いという意見も多くあったようだが、そして僕もそのことを否定はしないが、脚本は演出によっていくらでもダメ出しができる。

従って脚本にダメ出しをしなかった演出はもっとさらに責められるべきだ。

僕は演出家を筆頭にする「ちむどんどん」の制作陣の名前は一切知らない。ドラマの中身だけを見て批評した。それができたのは番組を録画して、クレジットの部分を飛ばして見続けたからだ。

そこには時間節約の意味もあったが、名前よりも制作のコンセプト、つまり演出の意図と彼の役割のみを重視したいという考えがあった。

日本の制作環境

僕はドキュメンタリー制作者だが下手な演出家でもある。その僕の数少ない劇作の経験によると、日本では演出の責任が少しあいまいであるように記憶している。

僕は劇作をする場合、脚本に注文をつけることを恐れない。というか、演出家は自己責任において脚本を管理下に置くべきだ。

管理下に置くことはほとんど義務だ。なぜなら脚本を含む劇作の全ての責任は演出にあるからだ。重ねて言いたいが、作品の結果の責任は、成功、失敗の区別なく一切が演出にある

ところが日本では、ドラマ作りのような極めてクリエイティブな世界でも和の精神が生きていて、演出の絶対的な権威よりもスタッフ全員の合意を重視するように感じた。

そういう環境では作品の核がぼやける危険がある。

そして日本のドラマ制作ではその危険が現実化するケースが多い。「ちむどんどん」はまさにその陥穽にはまったのだと思う。

和の重視は笑いの敵

恐らく制作の現場では出演者や技術系を含む全てのスタッフが、演出側と共ににーにーの演技に笑い、楽しみ、存在を盛り上げたに違いない。和の精神で全員が高揚する場面が見えるようだ。

それは良いのだが、全ての責任を負っている演出は、そこから一歩引いて、現場の笑いが直接に茶の間の笑いになるのではないことを冷静に見極めなければならない。

スタッフと共に盛り上がる演出はそのことを忘れたフシがある。和の精神に引きずられて、演出の責任を共有するとまでは言わないが、演出の実存である「孤独」と「責任」を放棄している。

それでなければ、にーにーが牽引する杜撰なシーンがこれでもかとばかりに提示され続けた理由が分からない。演出が独りで考え断固として差配していれば起こりにくいことだ。

現場でスタッフが大笑いするシーンは、得てして茶の間にシラケを呼び込む。演出は劇中の笑いが、彼とスタッフが鬼面になり苦しんで作り上げるものであることを軽視している。僕にはそう感じられる。

そこには「劇作りは演出が全て」という厳しい掟がおざなりになって、スタッフ全員が“共同で”シーンを作り上げていく、という和の精神の横溢が見える。既述のようにそれは往々にして作品の核を破壊する。

脚本の不備も演出の罪

演出は脚本が提示したにーにーのキャラクターに、それがドラマの大いなる欠陥であることに気づくことなくOKを出し、その結果引き起こされるさまざまなエピソードも良しとした。

のみならず彼自身も大いに自己投影して、にーにーが視聴者にたくさんの“笑いを届け得るキャラクター”だと信じ切り、劇作りの現場でそのように演出した。

その結果、映画「男はつらいよ」の寅さんを強く意識した、馬鹿で惚れっぽい愛すべき男の形象がふんだんに詰め込まれた。しかし全てが空回りした。

空回りしたのは同じようなシーンが頻出したからだ。たとえに-にーが本物の馬鹿であっても、現実世界でなら必ず歯止めがかかるはずの成り行きが、そうはならずに何度も見過ごされた。

しかも再三提示される(演出が面白いと信じているらしい)にーにーの動きは、ひたすら鬱陶しいだけだった。視聴者が疲れていることに気づけない演出の独りよがりはさらにもっとつまらなかった。

半年にも渡ってほぼ毎日放映される朝ドラは、ドラマツルギー的には全体にゆるい軽いものにならざるを得ない。従ってソープオペラよろしくある意味では批評に値しない。

それでも僕が批評じみた文章を書いたのは、ドラマの瑕疵が大きく、しかもそれは役者の問題ではなく「演出の問題」であることを指摘したかったからだ。

素晴らしい俳優たち

筆者は「ちむどんどん」スペシャルに顔を出した4人の俳優のうち、3人の演技を別番組で見て既に知っていた。

主人公の暢子役の黒島結菜はNHKドラマの「アシガール」、 にーにー役の竜星 涼は日本テレビの「同期のサクラ」、良子の川口春奈はNHK大河ドラマ「麒麟が来る」でそれぞれが好演していた。

彼らはドラマの内容も、それぞれの役のキャラクターも全く違う「ちむどんどん」の世界でも、きちんと仕事をこなした。彼らはいずれ劣らぬ有能な俳優なのだ。

末っ子の歌子を演じた上白石萌歌は「ちむどんどん」で初めて知ったが、おそらく彼女の場合も同じでだろう。難しい役回りの歌子をしっかりと演じていたのを見ればそれは明らかだ。

彼ら4人を含む「ちむどんどん」の多くの出演者は、脚本を支配する(しているはずの)演出の指示のままに彼らの高い能力を十二分に発揮して、それぞれの役を演じた。

その長丁場のドラマは、竜星 涼という役者が彼の優れた演技能力を思い切り示して演じた、にーにーというキャラクターとエピソードがNGだったために、大いに品質を落とした。

それは断じて役者の咎ではなく、これまで繰り返し述べたように演出の責任だ。演出は ― くどいようですが― 脚本をコントロールできなかったことも含めて批判されなければならないのだ。

一方、役者は脚本と演出が示すキャラクターを十全に演じ切った。そうやって愚劣なエピソードが積み重ねられ、リアリティのない不出来一辺倒のにーにーという人物像が一人歩きをした。

にーにーほどの不出来ではないが、主人公の暢子の人物像も感心できないものだった。本来なら前向きで明るいはずの主人公の暢子のキャラクターも、にーにーとの絡みで混乱した。

彼女もまたニーニーに似て、いい加減で鈍感な女性、と英語本来の意味での「ナイーブ」な視聴者に認識されてしまったフシがある。

再び言いたい。暢子の問題は断じて演者である黒島結菜の問題ではなく、暢子と劇を作り上げた制作者の、もっと具体的に言えば演出の責任である。

リメイク版があるならば

「ちむどんどん」は、にーにーのエピソードを思い切り短縮して、且つ人物像をリアルなものにしない限り、ドラマ全体の救済はできない。

それができれば、にーにーとの関わりで視聴者の不評をかった暢子の場面の改善や削減もできる。そしてその改定場面は連鎖して必ずほかの場面の内容の向上にもつながる。

だがそれは、たとえ番組のリメイクが許されたとしても恐らく実現しない。なぜならスペシャル版では、スピンオフ物語として性懲りもなくにーにーの物語がまた挿入されていたからだ。しかも再び長々と。

つまり制作サイドは、にーにーの存在の疎ましさがドラマの最大の瑕疵だと気づいていない。あるいは気づいていても認めたくないようだ。

一方で、4人の兄弟を始めとする出演者の全員はそれぞれがキラ星のごとく輝いていた。誰もが胸を張って今後のキャリアに邁進してほしいと思う。

中でも僕は、特に演出の失態の損害を被ったように見える黒島結菜に大きなエールを送りたい。





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プーチンを排斥してもトランプが復活すれば世界は元の木阿弥だ


濃霧南窓枠込み紅葉650


トランプ前大統領が、2024年の米大統領選に立候補すると宣言した。それはロシアのウクライナ侵攻にも匹敵するほどの悪い知らせだ。

118日の米中間選挙で民主党が勝利したのは幸いだった。上院で僅差の勝利、下院では逆に僅差の負けだから、あるいは民主党の勝利と呼ぶのは当たらないかも知れない。

だが事前予想では、上下院とも共和党が大勝すると見られていた。また歴史的にも中間選挙では野党が勝つのが当たり前、という明確なデータがある。

従って政権与党の民主党が上院を制し下院でも善戦したのは、やはり同党の勝利と呼んでも構わない結果ではないか。

下院では共和党が過半数を制したため、バイデン大統領の今後の政権運営が厳しいことには変わりがない。それでも政権がレームダック化することは避けられた。

民主党の善戦はイコール共和党の不振である。中でも選挙運動で派手に動いたトランプ前大統領の威信が落ちた。

彼は中間選挙で共和党が地すべり的な勝利を収めると予想されたことを受け、例によってそれを自らの手柄だと吹聴しながら2024年の大統領選挙への立候補宣言をすると見られていた。

ところが中間選挙の結果が思わしくなかったため、立候補をためらうか後回しにするか、極端な場合は断念するとさえ考えられていた。

だが嘘や憎悪や不寛容を武器に大衆を扇動するのが得意なトランプ前大統領は、何があっても彼を支持するネトウヨヘイト系の差別主義者らを頼りに早々と立候補を宣言した。

そこには次の大統領選に向けて共和党内に生まれつつある新勢力、デサンティス・フロリダ州知事やペンス前副大統領などを抑え込もうとするトランプ氏のしたたかな計算があると見られている。

トランプ氏は大統領選に敗れてからも負けを認めず、2021年1月6日には支持者を教唆して米国議会議事堂を襲撃したとされる。その後も岩盤支持者に呼びかけては集会を繰り返してきた。

そこではあることないことを思うままに誇張歪曲して叫んでは支持者を焚きつけた。

彼の主張を全て正しいと考えるアメリカ国民は相変わらずに多くいて、トランプ氏を再び大統領に押し上げようとする潮流はほとんど衰えを知らない。

またミーイズムが歩いているようなトランプ氏の唯我独尊主義も変わらず、彼は冒頭で触れたように2024年の大統領選への立候補を表明したのである。

トランプ前大統領は2016年、差別や憎しみや不寛容や偏見を隠さずに、汚い言葉を使って口に出しても構わないと考え、そのように選挙運動を展開して米国民のおよそ半数の共感を得た。

トランプ大統領を生み出したアメリカは、もはや民主主義国家の理想でもなければ世界をリードする自由の象徴国でもない。

アメリカは、ネトウヨヘイト系排外差別主義者とそれを否定しない国民が半数近くを占める「普通の国」であることが明らかになったのである。

トランプ大統領の存在は、自由と寛容と人権と民主主義を死守しようとする「理想のアメリカ」の信奉者をくじき、右派ポピュリズムに抱き込まれた人々を勢いづかせた。

そしてトランプ主義が横行する悪のトレンドは、彼の大統領在任中ひたすら加速した。

アメリカほど暴力的ではないが、ネトウヨヘイト系排外差別主義者とそれを否定しない国民が半数を近くを占める「普通の国」は、欧州を始め世界中に多い。

ここイタリアもフランスもイギリスも、そして日本もそんな国だ。南米にも多い。

そうではあるが、アメリカ以外の特に欧州の国々には、トランプ登場以前の良識や政治的正義主義(ポリティカルコレクトネス)が一見優位を占めるような空気がまだある。そのためアメリカで起きている政治的動乱を、対岸の火事のように眺める者も少なくない。

だがイギリスには保守ポピュリストのBrexit信奉者がいて、フランスには極右のル・ペン支持者がいる。ここイタリアでは、「イタリアの同胞」を筆頭にする極右政党への支持が増え続けている

イタリアにおける「反EU勢力」を全て合わせると、統計上は国民のほぼ半数に相当する。それらの人々は、あからさまに表明はしなくても心情的にはトランプ支持者と親和的である。

さらに言えば、「普通の国」のそれらの右派勢力は―彼らがいかに否定しようとも―中国やロシアや北朝鮮などの独裁勢力とも親和的なリピドーを体中に秘めている。

アメリカに関して言えば、トランプ支持者また共和党支持者に対抗する民主党も、対抗者と同様に危なっかしいと僕の目には映る。

民主党が対話と協調路線を追求するのは良いが、世界の権威主義的勢力に対抗するだけの力を秘めているとは言いがたい。

トランプ前大統領の立候補によってアメリカ国民の融和と癒しはますます遠ざかるだろう。その上彼が当選する事態になれば、アメリカの民主主義は今度こそ真に危機に瀕する可能性がある。

なぜならトランプ前大統領の正体は民主主義者などではなく、世界の権威主義的指導者すなわち習近平国家主席、プーチン大統領、金正恩総書記らに近い、ファシスト気質の政治的放火魔に過ぎないからだ。

ネトウヨヘイト系差別主義や右派ポピュリズムは、米国のみならず世界のほぼ半数の人々が隠し持つ暗部であることが明らかになりつつある。いや、明らかになった、と言うほうがより正確だろう。

それは憂慮するべき現実だ。もしもアメリカに第2次トランプ政権が誕生すれば、プーチン大統領が引き起こした世界の混乱は―彼の失脚や生死とは無関係に―収まるどころかますます悪化して行くことになりかねない。





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柿とカキ

柿2個家壁背景やや鮮明650

数年前に庭に植えた柿の木が実をつけている。

柿はイタリア語でも「カキ」と呼ばれる。そのことから分かる通り柿はもともとイタリアにはなく、昔日本から持ち込まれたもので、ほとんどすべてが渋柿である。

そのままでは食べられないので、イタリア人は容器や袋に密封して暗がりに置き、実がヨーグルトのようにとろとろになるまで熟成させてから食べる。そうすると渋みがなくなって甘くなるのだ。

要するにイタリアには、固い渋柿かそれを超完熟させた、とろとろに柔らかい甘柿しかない。

つまりこの国の人々にとっては、柿とは「液状に柔らかくなった実をスプーンですくって食べる果物」のことなのである。

最近は外国産の固い甘柿も売られているが、彼らはそれもわざわざ完熟させて極端に柔らかくしてから食べる。

かつて日本から柿をイタリアに持ち込んだのは恐らくキリスト教の宣教師だろう。

その際彼らがあえて渋柿を選んだとは考えにくい。きっと甘柿と渋柿の苗木を間違えたのだ。

あるいは甘柿のなる木が多くの場合、接ぎ木をして作られるものであることを知らなかったのだろう。

そんなわけで「普通に固い甘柿」が大好きな僕は秋になるといつも欲求不満になる。

店頭に出回る柔らかい柿はあくまでも「カキ」であって、さくりと歯ごたえのある日本のあの甘い柿とはまるきり別の果物だと感じるのだ。

そこで庭に柿の木を植えて甘柿の収穫を目指した。

植木屋に固い甘柿がほしいのだと繰り返し説明して、柿の木を手に入れ植えた。

数は多くないが甘柿の木はあるのだ。それには蜘蛛の巣のような模様のある実が生る。ところが庭の木に生った実は全て渋柿だった。

植木屋が僕をだましたとは思えない。

彼はきっと僕にとっての固い甘柿の重要さが理解できなくて、実がとろとろになるまで熟成させて食べれば渋いも甘いも皆同じじゃないか、と内心で軽く見切って僕に木を売ったと見える。

少し腹立たしくないこともないが、実をつけた柿の木は景色として絵になるので、まあ好し、と考えることにした。

結局、庭に生る柿は熟成させて家族が食べ、僕は相変わらず店で固い甘柿を買って食べている。



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異端がトリノの個性である


ポルチーニ売るおばさん650

オットブラータ(Ottobrata10月夏)の暖気に促されて繰り返した週末旅で、ピエモンテ州のアルバ(Alba)を訪ねた。

アルバはトリュフで知られた街。ちょうどトリュフ祭り(展示会)が開かれていた。だが僕が食べたいのはトリュフよりもポルチーニ茸だった。

トリュフは嫌いではないが興味もない、というのが僕の昔からの偽りのない気持ちだ。香りも味もピンと来ないのだ。

トリュフのパスタには簡単に出会った。だが、ポルチーニ料理にはありつけなかった。それでもメインで食べた子牛の頬肉煮込みが出色だったので満足した。

遅くなって帰宅の途に就いたが、途中で気が変わって一泊することにした。翌日は日曜日なので成り行き任せの決断でも問題なかった。

ほぼ行きあたりばったりにアスティ(Asti)で宿を取った。実はアルバほかの街々の宿はどこも満員で全く空きがなかった。「仕方なく」アスティに泊まった、というのが真実だ。

コロナが終息した、と考える国民が多いイタリアは旅行ブームだ。厳しい都市封鎖や規制から開放された人々が、観光地へどっと繰り出している。ホテルが混んでいるのもそのせいだった。

アスティは殺風景なたわいない街だった。ひとつ良かったのはアスティ産の甘い「アスティ・モスカートワイン」。アルコール度数がビール並みに低いので、ひとりでほぼ一本を開けた。むろん美味くなければそんなことはしない。

翌日は雨模様だった。

過去に仕事で訪ねた体験からも、地方は期待外れに終わりそうだと判断して、州都のトリノを目指すことにした。

トリノはイタリアの一部だがイタリアではない、と僕は少し誇張して考える。フランスのあるいはパリの下手な写しがトリノという都会である。

それは少し感性のある者なら誰でもすぐに嗅ぎつける同市の属性だ。

物事の多くは模写から始まる。

ところが模写を習いや修行や鍛錬などと称して尊重する日本文化とは違い、西洋のそれはオリジナリティを重視する。のみならず模写を否定する。

その意味ではトリノも否定的に捉えられがちだ。しかしトリノがフランスのそしてさらに詳細にはパリの模倣であっても構わない、と僕は思う。

なぜならトリノはフランスやパリを真似することで、イタリアの中で異彩を放つ都市になった。物真似がトリノの独自性である。

物真似から誕生したトリノは、そのありのままの形で存在することで、全体が個性的な都市や町や地域の集合体であるイタリア共和国の、多様性の一環を成している。

そうではあるものの、僕にとってはトリノは少しも美しくはない。

その理由はトリノの新しさだ。フランス的なものが新しく見えてつまらない。また建物が大げさで、そこかしこの広場や街路も無意味に広大だ。

イタリアの都市に必ず存在する旧市街あるいは歴史的街並がトリノにはない。気をつけて見ればないことはないのだが、それらは近代の建物に圧倒されてほとんど目につかない。

旧市街を別の言葉で言えば中世の街並み。あるいは中世的な古色に染まる景色。はたまた狭い通りや古い建物、崩れ落ちそうな遺跡などが醸し出す豊かな風情。あるいはワビサビの世界。

そういうシーンがトリノにはない。繰り返しになるが全てが比較的新しく、大きく、重厚気味に存在感があり、そしてたまらなく退屈だ。

トリノの街並みを思わせる歴史的なスタイルがイタリアにはもう一つある。それはファシスト時代の建築の構え、つまりリットリア様式の建築物だ。

リットリア様式は古代ローマを模倣しようとした表現法で、武骨且つ単純な力強さがある。尊大なファシストのムッソーリーニと取り巻きが、自らの力を誇示しようとして編み出した。

正確に言えばむろんそれとは違う。だが大きく、重々しく、うっとうしい雰囲気は共通している。

そこには「イタリアを所有している」とまで形容された巨大自動車メーカー、フィアット(FIAT)のイメージも影を落としている。

複合的な心象や写像や現実は、FIATそのものを支配し、果てはトリノという都市まで支配したアニエッリ一族のイメージへとつながる。

古い時代のトリノは、イタリア統一にかかわったサヴォイア王家の拠点だった。フランスの猿真似はサヴィオア家によって完成された。

後年、アニエッリ一族は自動車産業を介してトリノを支配した。街伝統の猿真似を踏襲しつつ貴族を気取ったのがアニエッリ一族だ。そのうさん臭さ。

アニエッリ一族の中でもっとも著名なジャンニ・アニエッリは、欧州に進出する日本のビジネスに恐れをなして「黄禍論」を公然と語った不埒な男だ。

当時の日本は今の中国と同程度に世界に嫌われ恐れられていた。従ってジャンニ・アニエッリの口吻は理解できないこともない。

だがイタリアに来たばかりの若い僕は、その有名人の言動に強い反感を抱いた。時間とともに怒りは収まったが、ジャンニ・アニエッリとアニエッリ家への好感は残念ながら未だに芽生えない。

そんな感慨は、しかし、トリノの街並みや雰囲気への僕のかすかな反感とは無関係だ。

なぜなら僕は、いま述べたように、トリノのみならずピエモンテの各地を巡るとき、他のイタリアの都市や地方とは違い、古色蒼然としたコアな街並みがほとんど存在しない点に、常に物足りなさを感じるからである。






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ヴェローナでリゾットを食べロメオとジュリエットに会った

人混みとジュリエット横顔650

10月、季節はずれのぽかぽか陽気と晴天にはしゃいで近場のヴェローナにも出かけた。

一応の旅の目的を立てた。つまりアマローネ・リゾットを食べること。ヴェローナ近辺で生産される高級ワイン、アマローネを使ったリゾットである。

僕はそれとは別に、なんとかの一つ覚えのように、ポルチーニ料理も頭に思い描いていた。

10月半ば過ぎの北イタリアでは、ほぼどこに行っても新鮮なキノコの料理が食べられる。

中でも僕が“イタリアマツタケ”と勝手に呼んでいるポルチーニは、それ自体でも、またパスタ絡みの調理でも出色の味がする。

ヴェローナはイタリアのエッセンスが詰まった美しい古都の一つだ。

だが晴天と暑気と週末が重なって、街には人出が多く花の都の景観をかなり損なっていた。少し前なら密が怖くて歩けなかったであろうほどに、街じゅうが混雑していた。

ローマ時代の円形闘技場・アレーナがあるブラ広場、街の中心のエルベ広場またシニョーリ広場とそれらを結ぶ大小の道を歩いた。

そこではときどき路上で立ち尽くさなければならないほどの人出があり、思わず雑踏事故の4文字を思い浮かべたりさえした。

イタリアではコロナがほぼ終息したと考えられていて、旅行また歓楽ブームが起きている。

コロナパンデミックに苦しめられ、ロックダウンで窒息した人々の怨念が解き放たれて、心身が雀躍しているのが分かる。

そこにOttabrata(10月夏)の好天が続いたので、人々の外出への欲求がいよいよ高まった。

僕は本職のビデオ取材以外でもヴェローナにはけっこう通った。

義父が製造販売していたワイン展示の手伝いでヴィンイタリー(Vinitaly)会場に出入りしたのだ。

ヴィンイタリー(Vinitaly)は毎年4月、ヴェローナ中心部に近い広大な会場で開催される。1967年に始まった世界最大のワイン展示会である。。

義父は10年ほど前までワインを作っていた。自家のブドウ園の素材を使って生産しVinitaly にも参加していた。

時間が許す限り僕はワインの展示を手伝うために会場に通った。

だが手伝うとは名ばかりで、実は僕はワインの試飲を楽しんだだけだった。展示会場を隈なく回って各種ワインの味見をするのだ。そこではずいぶんとワインの勉強をした。

義父のワイン事業はビジネスとしては厳しいものだった。

ワインは誰にでも作れる。問題は販売である。貴族家で純粋培養されて育った義父には商才は全く無かった。ワインビジネスはいわば彼の贅沢な道楽だった。

義父が亡くなったとき、僕がワイン事業を継ぐ話もあった。だが遠慮した。

僕はワインを飲むのは好きだが、ワインを「造って売る」商売には興味はない。その能力もない。

それでなくても義父の事業は赤字続きだった。

ワイン造りはしなくて済んだが、僕は義父の事業の赤字清算のためにひどく苦労をさせられた。彼の問題が一人娘である僕の妻に引き継がれたからだ。

ワインを造るのはどちらかといえば簡単な仕事だ。日本酒で言えば杜氏にあたるenologo(エノロゴ)というワイン醸造の専門家がいて、こちらの要求に従ってワインを造ってくれる。

もちろんenologoには力量の違いがあり、専門家としてのenologoの仕事は厳しく難しい。

ワイン造りが簡単とは、優秀なenologoに頼めば全てやってくれるから、こちらは金さえ出せばいい、という意味での「簡単」なのである。

ワインビジネスの真の難しさは、先に触れたようにワイン造りではなく「ワインの販売」にある。ワイン造りが好きだった義父は、enologoを雇って彼の思い通りにワインを造っていたが、販売の能力はゼロだった。

だから彼はワイナリーの経営に失敗し、大きな借金を残したまま他界した。借金は一人娘の妻に受け継がれ、僕はその処理に四苦八苦した、といういきさつだった。

vinitalyに顔を出していた頃は、会場から市内中心部まで足を運ぶこともなかった。それ以前にアレーナと周辺のロケをしたことがあるが、記憶があいまいなほどに時間が経った。

淡い記憶をたどりながらアレーナ周りを歩き、観察し、前述の広場や路地を訪ね巡った。

歴史的にはほぼフェイクとされる「ロメオとジュリエット」のジュリエット像と屋敷も見に行った。

そこの人ごみのすごさにシェイクスピアの物語の強烈な影響を思ったが、ただそれだけのことで格別に印象に残るものはなかった。

食べ歩きが主目的なので付け加えておけば、リゾットの後に子羊の骨付き肉を頼んだ。キノコ系のメインコースがなかったからだ。

どこにでもある炭火焼の、ありふれた味の一品だった。

子羊や子ヤギまた子豚などの肉は、炭や薪で焼く場合には丸焼きにしない限り陳腐な口当たりになる。それを地でいくもので作り話のジュリエット像にも似て味気なかった。



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国際都市ジェノヴァの肥溜めの彩

歌碑&顔中ヒキ650

10月の陽気に浮かれて旅したジェノヴァでは、下町の港周辺地区を主に歩いた。特にカンポ通り(Via del Campo)だ。

ジェノヴァは基本的に2地域に分かれると僕は考えている。港の周辺とそれ以外の地区である。

ジェノヴァ港は地中海でも1、2を争う規模と取引量を誇る。ジェノヴァの富の源泉がジェノヴァ港だ。

港周り以外のジェノヴァの地域は、割合で言えば8割程度の重みがある。

そこは街の政治経済文化の中心だ。元々のイタリア人(白人)で、いわば街の支配階級が住む場所である。

一方、そこからフェッラーリ広場を抜けて入るカンポ通りには、港の荷揚げ作業などの苦役に従事する外国人労働者や移民が多く住む。

通りは港の一部と形容しても構わないほどに近接している。

あたりの印象は、外国人に混じってイタリア人あるいはジェノバ人が細々と生きている、という風でさえある。

イタリアきってのシンガーソングライター、ファブリツィオ・デ・アンドレは



「カンポ通りには木の葉色の瞳を持つ娼婦がいる 

(通りも娼婦も街の肥溜めだ) 

ダイヤモンドからは何も生まれない 

だが肥溜めからは花が生まれる


と歌った。※( )内は僕の意訳


肥溜めのように貧しいカンポ通りに生きる娼婦こそ人生を正直に生きる花だ、と讃えたのである。

哀切を誘うメロディーに乗った寓意的な歌詞が、デ・アンドレの低い艶のある声でなぞられて心にぐさりと突き刺さる。

その歌“Via del Campo”は数多いデ・アンドレの名作の中でも最高傑作のひとつと見なされている

カンポ通りの一角の壁には、“Via del Campo”の1節を刻んだ表意絵が掛かっている。

通りを歩くと歌の世界と現実が交錯して、現実が歌を、歌が現実を補填し合い渾然一体となって迫り来る感覚にとらわれる。

歩いた先にあるレストランで食事をした。

そこには地域の住民はいない。街の8割方に住む豊かなジェノヴァ人と旅人が店の客だ。

僕らはその店で散財することができる特権的な旅人のひとりとなって食事を楽しませてもらった。

鮮やかな緑色のペスト・ジェノヴェーゼにからませたパスタは、本場でしか味わえない深い風味があった。

メインで食べたタコ料理に意表を衝かれた。いったいどんな手法なのか、タコが口に含むととろりと溶けるほどにやわらかく煮込まれていたのだ。

タコ料理は今日までにそこかしこの国でずいぶん食べたが、その一品はふいに僕の中で、ダントツのタコ料理レシピとして記憶に刻まれた。

白ワインはリグーリア特産のヴェルメンティーノ(Vermentino)。きんきんに冷えたものを、と頼むと予想を上回るほどに冷えたボトルが出てきた。

味は絶品以外のなにものでもなかった。

ところで

ジェノヴァ市民は、多分イタリアでもっとも親切な人々、というのが僕の持論だ。

特に交通巡査や役人や道行く人々・・つまり全てのジェノヴァ人。

僕はロケでイタリアのありとあらゆるところに行く。その体験から「親切なジェノヴァ人」という結論に行き着いたのである。

情報収集やコンタクトや時間の融通や撮影許可やロケ車の置き場所や始末や・・あるとあらゆる事案にジェノヴァ人は実に懇切、丁寧、に対応してくれる。

それは多分ジェノヴァの人たちが国際的であることと無関係ではない。

港湾都市のジェノヴァには、常に多くの外国人が出入りし居住した。埠頭の人足から豊かな貿易商人まで、様々な境遇の人々だ。

ジェノヴァの人々は言葉の通じない外国人を大事にした。彼らは皆ジェノヴァの重要な貿易相手国の国民だったから。

そこからジェノヴァ人の親切の伝統が生まれた。

国際都市ジェノヴァには、また、国際都市ゆえの副産物も多くあった。

その一つがサッカー。

世界の強豪国、イタリアサッカーの発祥の地も、実はジェノヴァなのである。

その昔、ジェノヴァに上陸したイギリス人の船乗りが母国からサッカーを持ち込んで、それが街に広まった。

今でこそトリノやミラノのチームが権勢を誇っているが、イタリアサッカーの黎明期には、ジェノヴァチームは圧倒的に強かった。

さらに

古来、イタリア半島西端のやせた狭い土地で生きなければならなかったジェノヴァ人は、働き者で節約精神も旺盛だと言われる。

そこで生まれた冗談が「ジェノヴァ人はイタリアのユダヤ人」。イギリスにおけるスコットランド人と同じ。

リグーリア州の大半は山が突然海に落ち込むような地形だ。平地が少なく地味もやせている。

そのため人々は海に進出し、知恵をしぼって貿易にいそしみ巨万の富を得た。

アメリカ大陸を発見したとされるコロンブスもこの地で生まれた。

それは英国におけるスコットランド人や、世界におけるユダヤ人と同じ。

彼らのケチケチ振りを揶揄しながら、人は皆彼らの高い能力をひそかに賞賛してもいる。

「~のユダヤ人」というのは決して侮蔑語ではない。それは感嘆語だ。

親切でこころ優しいイタリアのユダヤ人、ジェノヴァ人に乾杯。

感嘆語のみなもと、ユダヤ人には、もっと、さらに乾杯。




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聖人も信徒も等しく死者になる

光の中で女天使慟哭650

昨日、つまり11月2日はイタリアの盆でした。

一般には「死者の日」と呼ばれる万霊節。

「死者の日」という呼び名は日本語ではちょっとひっかかるニュアンスですが、その意味は「亡くなった人をしのぶ日」ということです。

やはり霊魂を慰める日本の盆や彼岸に当たると言えます。

ところで

死者の日の前日、すなわち11月1日は「諸聖人の日」でイタリアの祝日でした。

カトリックでは「諸聖人の日」は、文字通り全ての聖人をたたえて祈る日です。

ところがプロテスタントでは、聖人ではなく「亡くなった全ての信徒」をたたえ祈る日、と変化します。

プロテスタントでは周知のように聖人や聖母や聖女を認めず、「聖なるものは神のみ」と考えます。

聖母マリアでさえプロテスタントは懐疑的に見ます。処女懐胎を信じないからです。

その意味ではプロテスタントは科学的であり現実的とも言えます。

聖人を認めないプロテスタントはまた、聖人のいる教会を通して神に祈ることをせず、神と直接に対話をします。

権威主義的ではないのがプロテスタント、と筆者には感じられます。

一方カトリックは教会を通して、つまり神父や聖人などの聖職者を介して神と対話をします。

そこに教会や聖人や聖職者全般の権威が生まれます。

カトリック教会はこの権威を守るために古来、さまざまな工作や策謀や知恵をめぐらしました。

それは宗教改革を呼びプロテスタントが誕生し、カトリックとの対立が顕在化していきました。

カトリックは慈悲深い宗教であり、懐も深く、寛容と博愛主義にも富んでいます。

プロテスタントもそうです。

キリスト教徒ではない筆者は、両教義を等しく尊崇しつつ、聖人よりも一般信徒を第一義に考えるプロテスタントの11月1日により共感を覚えます。

また、教会の権威によるのではなく、自らの意思と責任で神と直接に対話をする、という教義にも魅力を感じます。

それでは筆者は反カトリックの男なのかというと、断じてそうではありません。

筆者は全員がカトリック信者である家族と共に生き、カトリックとプロテ

スタントがそろって崇めるイエス・キリストを敬慕する、自称「仏教系無心論者」です。



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