【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2023年06月

プーチンの終わりが始まった

ビニールの中の2人の顔650

ならず者のプリゴジンが、ならず者のプーチンを倒して世界を救うかも、と淡い期待を抱かせたもののあえなく沈没した。

ロシアの民間傭兵組織・ワグネルの反乱は24時間足らずで鎮圧された。毒を持って毒を制すなんてそう簡単にはいかないものだ。

プりゴジンは「7月1日にワグネルがロシア政府によって強制的に解体され消滅するのを防ぐために反乱を起こした。プーチン政権を転覆させるのが目的ではなかった」と言い訳した。

だが当たり前に考えれば、ワグネルのプリゴジンはもう死体になったも同然だと見るべきだろう。

プーチンに武力で対抗しようとして事実上敗れ、プーチンの犬のルカシェンコの庇護の下に入ったのである。プーチンは思い通りに、いくらでも彼をなぶることができるのではないか。

殺すにも幾通りかのやり方がありそうだ。

先ず密かに殺す。スパイのプーチン得意のお遊びだ。殺しておいて知らんぷりをし、殺害現場を見られても証拠を突きつけられても、鉄面皮に関係ないとシラを切り通す

おおっぴらに処刑する。今回の場合などは裏切り者を消しただけ、と大威張りで主張することも可能だ。意外と気楽にやり切るかもしれない。

殺害する場合はどんな手段にしろ、邪魔者を排除するという直接の利益のほかに、プーチン大統領に敵対する者たちへの見せしめ効果もある。

飼い殺しにするやり方もあるだろう。飼っておいていざという時には再び戦闘の最前線に送る、汚い仕事を強制的にやらせる、などの道がある。

殺すとプリゴジンが殉教者に祭り上げられてプーチンに具合が悪い事態になるかもしれない。だが長期的にはほとんど何も問題はないだろう。

逆に殺さなければプーチンの権威がますます削がれて危険を招く可能性が高まる。プーチンはやはりプリゴジンを殺すと見るべきだろう。

だがその前に、プリゴジンと親しくワグネルの反乱計画を事前に知っていた、とされるロシア軍のスロビキン副司令官が逮捕されたと各メディアが伝えている。

プーチンは「ロシアに背中から斬りつけた“裏切り者”」として、先ずスロビキン副司令官を粛清すると決めたらしい。

最大の裏切り者であるプリゴジンではなく、スロビキン副司令官を先に断罪するのは、プーチンがプリゴジンに弱みを握られていることの証だろう。

弱みとは、彼を排除することで、ワグネルの隊員や同調者らの反感を買うことや、先に触れたようにプリゴジンが神格化される可能性などを含む。

それでも彼は、スロビキンを排除したあとにはプリゴジンにも手を伸ばして殺害しようとするのではないか。

このまま何もしないでプリゴジンがベラルーシで生存し続けることを許せば、プーチンの権威はさらに地に落ちる。

そうなれば、遅かれ早かれプーチン自身も失墜し排除されるのは確実だ。

つまり、何がどう転ぼうと、プーチンの終わりは既に始まっている。




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漁師の命と百姓の政治


The Prank 漁650                    ©ザ・プランクス

                         

                     

菜園を耕して分かったことの一つは、野菜は土が育ててくれる、という真理である。

土作りを怠らず、草を摘み、水や肥料を与え、虫を駆除し、風雪から保護するなどして働きつづければ、作物は大きく育ち収穫は飛躍的に伸びる。

しかし、種をまいてあとは放っておいても、大地は最小限の作物を育ててくれるのである。

百姓はそうやって自然の恵みを受け、恵みを食べて命をつなぐ。百姓は大地に命を守られている。

大地が働いてくれる分、百姓には時間の余裕がある。余った時間に百姓は三々五々集まる。するとそこには政治が生まれる。

1人では政治はできない。2人でも政治は生まれない。2人の男は殺し合うか助け合うだけだ。

百姓が3人以上集まると、そこに政治が動き出し人事が発生する。政治は原初、百姓のものだった。政治家の多くが今も百姓面をしているのは、おそらく偶然ではないのである。

漁師の生は百姓とは違う。漁師は日常的に命を賭して生きる糧を得る。

漁師は船で漁に出る。近場に魚がいなければ彼は沖に漕ぎ進める。そこも不漁なら彼はさらに沖合いを目指す。

彼は家族の空腹をいやすために、魚影を探してひたすら遠くに船を動かす。

ふいに嵐や突風や大波が襲う。逃げ遅れた漁師はそこで命を落とす。

古来、海の男たちはそうやって死と隣り合わせの生業で家族を養い、実際に死んでいった。彼らの心情が、土とともに暮らす百姓よりもすさみ、且つ刹那的になりがちなのはそれが理由である。

船底の板1枚を経ただけの地獄と格闘する、漁師の生き様は劇的である。劇的なものは歌になりやすい。演歌のテーマが往々にして漁師であるのは、故なきことではない。

現代の漁師は馬力のある高速船を手にしたがる。格好つけや美意識のためではない。沖で危険が迫ったとき、一目散に港に逃げ帰るためである。

また高速船には他者を出し抜いて速く漁場に着いて、漁獲高を伸ばす、という効用もある。

そうやって現代の漁師の生は死から少し遠ざかり、欲が少し増して昔風の「荒ぶる純朴な生き様」は薄れた。

水産業全体が「獲る漁業」から養殖中心の「育てる漁業」に変貌しつつあることも、往時の漁師の流儀が廃れる原因になった。

今日の漁師の仕事の多くは、近海に定位置を確保してそこで「獲物を育てる」漁法に変わった。百姓が田畑で働く姿に似てきたのだ。

それでも漁師の歌は作られる。北海の嵐に向かって漕ぎ出す漁師の生き様は、男の冒険心をくすぐって止まない。

人の想像力がある限り、演歌の中の荒ぶる漁師は永遠なのである。




「怪物」より怪物的に面白い「アバウト・シュミット」  

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 映画「怪物」の退屈にうんざりした直後、イタリアへと飛ぶ飛行機の中で、たまたまジャック・ニコルソン主演の米映画「アバウト・シュミット」を観た。

面白く心を揺さぶられる内容だった。映画の良さを再確認した。そこで先日批判した「怪物」との決定的な違いについて書いておくことにした。

ジャック・ニコルソン演じるウォーレン・シュミットは、一流保険会社からの定年退職をきっかけに自身の人生を見つめなおす環境に置かれる。

妻のヘレンと2人で悠々自適の生活のはずが、仕事のない日常は退屈で不満だらけ。ストレスがたまっていく。

わずかな救いは、アフリカの貧しい子供を救うプロジェクトに参加してささやかな寄付をし、手紙を通して6歳の男の子の養父となっていることだった。

そんな中、妻が突然亡くなり、遠くに住む一人娘とはたまにしか会えない。ひとりで悶々と暮らすうちに、死んだ妻が親友と浮気していたことを知り彼の心はすさむ。

彼は妻と2人で行くはずだったキャンピングカーを運転して、ひとりで自分探しの旅に出る。孤独と挫折を経験しながら、シュミットは次第に人生の意味を学んでいく。

最後には、自身が養父になっているアフリカの少年とのつながりも、美しい人生のひと駒であることを悟って、はらはらと涙をこぼす、という展開である。

「アバウト・シュミット」は、派手なアクションや麻薬や陰謀や殺人や戦闘シーン等々の活劇が無いヒューマンドラマである。その意味では「怪物」の系譜の映画だ。

「アバウト・シュミット」が「怪物」と決定的に違うのは、出だしは少したるい展開だが時間経過と共にストーリーが俄然面白くなる点だ。

「怪物」は逆に始まりが興味深く、時間経過と共に話は重くわかりづらくなる。思い入れたっぷりの展開がうっとうしい。

「アバウト・シュミット」では、観る者は観劇の途中で余計なことは何も考えずにストーリーに引き込まれて行く。そして笑い、ホロりとさせられ、感動する。

あげくには「観劇後に」いろいろと考えさせられる。優れた映画の典型的な作用である

片や「怪物」では、観客はストーリーを追いかけるのに苦労し理解しようと考え続け、ついには「映画館で」疲れ果ててしまう。

つまらない映画を観る観客がたどる典型的な道筋である。

実を言えば僕は「アバウト・シュミット」という映画の存在を知らなかった。

日本からイタリアまでの長いフライトに疲れてビデオ画面をいじくるうちに、ジャック・ニコルソンらしい画面が目に入った。

僕はジャック・ニコルソンのファンだ。「アバウト・シュミット」が21年も前の作品だとは気づかず、俳優が今も若いことをかすかに喜びながらストーリーに引き込まれて行った。

映画が2002年の制作で、ジャック・ニコルソンが先日死去したイタリアのベルルスコーニ元首相とほぼ同じ年齢の86歳と知ったのは、イタリアに戻ってネット検索をした時である。

僕は名優のファンだが彼の年齢には無頓着だった。もはや86歳と知って少し寂しくなった。

同時に21年の歳月を経ても色あせない「アバウト・シュミット」の名画振りを思い、改めて感慨に浸った。



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ベルルスコーニの置き土産

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2023年6月12日、人生と政治生命の黄昏に立たされても鈍い光沢を放ち不死身にさえ見えたベルルスコーニ元イタリア首相が死去した。

脱税、少女買春、利害衝突とそれを否定する法改悪、数々の人種・女性・宗教差別発言、外交失言、下卑たジョークの連発、などなど、彼は彼を支持する無知な大衆が喜ぶ言動と、逆に彼を嫌悪する左派インテリがいよいよ激昂する、物言いや行動を無意識にまた多くの場合はわざと繰り返した。

そのために彼の周りでは騒ぎが大きくなり、ポピュリストしての彼の面目が躍動するというふうになった。

ベルルスコーニ元首相は道化師のように振舞ったが、常にカリスマ性を伴っていた。彼は一代で富を築いた自分を国民の保護者として喧伝し、国家の縛りに対抗して誰もが自分のように豊かになれる、と言い続けた。

彼はまたポリティカルコレクトネス(政治的正義主義)とエリートと徴税官と共産主義を嫌う大衆の心を知り尽くしていて、自分こそそれらの悪から国民を守る男だ、と彼の支配するメディアを通して繰り返し主張した。

それからほぼ30年後にはアメリカに彼とそっくりの男が現れた。それがドナルド・トランプ第45代米大統領だ。

彼と前後して出たブラジルのボルソナロ前大統領、トルコのエルドアン大統領、ハンガリーのオルバン首相、果てはBrexitを推進した英国右翼勢力までもがベルルスコーニ元首相のポピュリズムを後追いした。

美徳は模倣されにくいが、不徳はすぐに模倣される現実世界のあり方そのままだ。悪貨は良貨を駆逐するのである。

ちなみにそれらのポピュリストとは毛並みが違うものの、ベルルスコーニ元首相の負の遺産と親和的という意味で、安倍元首相やプーチン大統領などもベルルスコーニ氏のポピュリズムの影響下で蠢く存在だ。

世界のポピュリストに影響を与えたベルルスコーニ元首相は同時に、それらの政治家とはまったく異なる顔も持つ。それが彼の徹頭徹尾の明朗である

トランプ前大統領との比較で見てみる。

ベルルスコーニ元首相は、トランプ前大統領のように剥き出しで、露骨で無残な人種偏見や、宗教差別やイスラムフォビア(嫌悪)や移民排斥、また女性やマイノリティー蔑視の思想を執拗に開陳したりすることはなかった。或いはひたすら人々の憎悪を煽り不寛容を助長する声高なヘイト言論も決してやらなかった。

言うまでもなく彼には、オバマ大統領を日焼けしている、と評した愚劣で鈍感で粗悪なジョークや、数々の失言や放言も多い。前述のようにたくさんの差別発言もしている。また元首相は日本を含む世界の国々で-欧州の国々では特に-強く批判され嫌悪される存在でもあった。

僕はそのことをよく承知している。それでいながら僕は、彼がトランプ米前大統領に比べると良心的であり、知的(!)でさえあり、背中に歴史の重みが張り付いているのが見える存在、つまり「トランプ主義のあまりの露骨を潔しとはしない欧州人」の一人、であったことを微塵も疑わない。

言葉をさらに押し進めて表現を探れば、ベルルスコーニ元首相にはいわば欧州の“慎み”とも呼ぶべき抑制的な行動原理が備わっていた、と僕には見える。再び言うが彼のバカげたジョークは、人種差別や宗教偏見や女性蔑視やデリカシーの欠落などの負の要素に満ち満ちている。

だが、そこには本物の憎しみはなく、いわば子供っぽい無知や無神経に基づく放言、といった類の他愛のないものであるように僕は感じる。誤解を恐れずに敢えて言い替えれば、それらは実に「イタリア人的」な放言や失言なのだ。

あるいはイタリア人的な「悪ノリし過ぎ」から来る発言といっても良い。元首相は基本的にはコミュニケーション能力に優れた楽しい面白い人だった。彼は自分のその能力を知っていて、時々調子に乗ってトンデモ発言や問題発言に走る。しかしそれらは深刻な根を持たない、いわば子供メンタリティーからほとばしる軽はずみな言葉の数々だ。

いつまでたってもマンマ(おっかさん)に見守られ、抱かれていたいイタリア野郎,つまり「コドモ大人」の一人である「シルビオ(元首相の名前)ちゃん」ならではの、おバカ発言だったのだ。

トランプ氏にはベルルスコーニ元首相にあるそうした無邪気や抑制がまるで無く、憎しみや差別や不寛容が直截に、容赦なく、剥き出しのまま体から飛び出して対象を攻撃する、というふうに見える。

トランプ前大統領の咆哮と扇動に似たアクションを見せた歴史上の人物は、ヒトラーと彼に類する独裁者や専制君主や圧制者などの、人道に対する大罪を犯した指導者とその取り巻きの連中だけである。トランプ前大統領の怖さと危険と醜悪はまさにそこにある。

最後にベルルスコーニ元首相は、大国とはいえ世界への影響力が小さいイタリア共和国のトップに過ぎなかった。だが、トランプ前大統領は世界最強国のリーダーである。拠って立つ位置や意味が全く異なる。世界への影響力も、イタリア首相のそれとは比べるのが空しいほどに計り知れない。

その観点からは、繰り返しになるが、トランプ前大統領のほうがずっと危険な要素を持っていた。

ベルルスコーニ元首相が亡くなって世界からひとつの危険と茶目が消えた。だが彼が発明して世界に拡散した危険は、トランプ氏が再び米大統領に返り咲く可能性を筆頭に、ポピュリズムの奔流となってそこら中に満ち溢れている。




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怪物的な「怪物」の退屈

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鳴り物入りで上映が始まり進行している映画「怪物」を、帰伊直前の慌ただしい中で観た。

退屈そのものの内容に、時間を奪われた思いで少し腹を立てた。

カンヌ映画祭で脚本賞を受賞したのは何かの間違いではないか、と疑う気持ちにさえなった。

だがしかし、むしろ思わせぶりの内容だからこそ映画祭での受賞となったのだろう、と思い直した。

映画祭や賞や専門家は、大衆受けするエンタメよりも“ゲージュツ的難解”を備えたような作品を評価したがるものだ。

映画の初めは興味津々に進む。今ホットなテーマであるイジメの話と見えたのだ。

イジメではないか、と学校にねじ込む女主人公と対応する校長らとのやり取りの場面は、深く面白くなるであろう映画の内容を予感させた。

だが期待は裏切られる。

イジメられているらしい子供の担任の教師が見せる矛盾や、時間経過と共に― 作者の意図するところとは逆に― 子供たちの存在が軽く且つ鬱陶しさばかりが募っていく展開に食傷した。

映画の構成は重層的である。イジメとLGBTQと人間の二面性が絡みあって描かれる。謎解きのような魅力も垣間見える。

時間を遡及する際に、過去のシーンの切り返しの絵を使って退屈感を殺そうとする試みも好ましい。

嵐のシーンの細部の絵作りもリアリティーがある。

ところがそれらの努力が、全体のストーリー展開のつまらなさ故に全て帳消しとなって、ひたすらあくびを嚙み殺さなければならない時間が過ぎた。一昔前芸術追従映画を観るようだった。

映画は映画人が、芸術一辺倒のコンセプトでそれを塗り潰して、独りよがりの表現を続けたために凋落した。

言葉を換えれば、映画エリートによる映画エリートのための映画作りに没頭して、大衆を置き去りにしたことで映画産業は死に体になった。

それは映画の歴史を作ってきた日仏伊英独で特に顕著だった。その欺瞞から辛うじて距離を置くことができたのは、アメリカのハリウッドだけだった。

映画は一連の娯楽芸術が歩んできた、そして今も歩み続けている歴史の陥穽にすっぽりと落ち込んだ。

こういうことだ。

映画が初めて世に出たとき、世界の演劇人はそれをせせら笑った。安い下卑た娯楽で、芸術性は皆無と軽侮した。

だが間もなく映画はエンタメの世界を席巻し、その芸術性は高く評価された。

言葉を換えれば、大衆に熱狂的に受け入れられた。だが演劇人は、「劇場こそ真の芸術の場」と独りよがりに言い続け固執して、演劇も劇場も急速に衰退した。

やがてテレビが台頭した。すると映画人は、かつての演劇人と同じ轍を踏んでテレビを見下し、我こそは芸術の牙城、と独り合点してエリート主義に走り、大衆から乖離して既述の如く死に体になった。

そして我が世の春を謳歌していた娯楽の王様テレビは、今やインターネットに脅かされて青息吐息の状況に追いやられようとしている。

それらの歴史の変遷は全て、娯楽芸術が大衆に受け入れられ、やがてそっぽを向かれて行く時間の流れの記録だ。

大衆に理解できない娯楽芸術は芸術ではない。それは芸術あるいは創作という名の理論であり論考であり学問であり理屈であり理知また試論の類である。つまり芸術ならぬ「ゲージュツ」なのだ。

気難しい創作ゲージュツを理解するには知識や学問や知見や専門情報、またウンチクがいる。

だが「寅さん」や「スーパーマン」や「ジョーズ」や「ゴッドファーザー」や「7人の侍」等を愛する“大衆”は、そんな重い首木など知らない。

彼らは映画を楽しみに映画館に行くのだ。「映画を思考する」ためではない。大衆に受けるとは、作品の娯楽性、つまりここでは娯楽芸術性のバロメーターが高い、ということである。

「怪物」はそこからは遠い映画だ。

映画祭での受賞を喧伝し、作者や出演者の地頭の良さをいかに言い立てても、つまらないものはつまらない。

追い立てられて映画館に走り、裏切られて嘆いても時すでに遅し。支払った入場料はもう返ってこない。



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ベルルスコーニの功と影と罪と罰

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醜聞まみれの大衆迎合政治芸人、ベルルスコーニ元イタリア首相が死去した。6月12日のことである。

元首相は土建屋から身を起してテレビ、広告界に進出。イタリアの公共放送RAIに対抗するほど大きな3局の民放を武器に、ほぼあらゆる業界で事業を展開して席巻。押しも押されぬ金満家になった。

そして1994年、ビジネスで得た財力を背景に政界に進出した。進出するや否や自らの党・フォルツァイタリア(Forza Italia)が総選挙で第1党に躍進。党首の彼は首相になった。

その後、浮き沈みを繰り返しながら4期ほぼ9年に渡って首相を務めた。

彼の政治キャリアについては、訃報記事用にあらかじめ用意されていたものを含め多くの報道がある。

そこで僕は彼の履歴説明はここで止めて、日本人を含む多くの世界世論がもっとも不思議に思う点について述べておきたい。

つまりイタリア国民はなぜデタラメな行跡に満ちた元首相を許し、支持し続けたのか、という疑問である。その答えの多くは、世界中のメディアが言及しないひとつの真実にある。

つまり彼、シルヴィオ・ベルルスコーニ元首相は、稀代の「人たらし」だったのである。日本で言うなら豊臣秀吉、田中角栄の系譜に連なる人心掌握術に長けた政治家、それがベルルスコーニ元首相だった。

こぼれるような笑顔、ユーモアを交えた軽快な語り口、説得力あふれるシンプルな論理、誠実(!)そのものにさえ見える丁寧な物腰、多様性重視の基本理念、徹頭徹尾の明るさと人なつっこさ、などなど・・・元首相は決して人をそらさない話術を駆使して会う者をひきつけ、たちまち彼のファンにしてしまった。

彼のそうした対話法は意識して繰り出されるのではなく、自然に身内から表出された。彼は生まれながらにして偉大なコミュニケーション能力を持つ人物だったのだ。人心掌握術とは、要するにコミュニケーション能力のことだから、元首相が人々を虜にしてしまうのは少しも不思議なことではなかった。

ここイタリアには、人を判断するうえで「シンパーティコ」「アンティパーティコ」という言葉がある。

これは直訳すると「面白い人」「面白くない人」という意味である。

面白いか面白くないかの基準は、要するに「おしゃべり」かそうでないかということだ。

コミュニケーション能力に長けたベルルスコーニ元首相は、既述のようにこの点でも人後に落ちないおしゃべりだった。「シンパーティコ」のカタマリのような男だったのだ。

さらに言おう。

イタリア的メンタリティーのひとつに、ある一つのことが秀でていればそれを徹底して高く評価し理解しようとするモメンタムがある。

極端に言えばこの国の人々は、全科目の平均点が80点の秀才よりも、一科目の成績が100点で残りの科目はゼロの子供の方が好ましい、と考える。

そして どんな子供でも必ず一つや二つは100点の部分があるから、その100点の部分を120点にも150点にものばしてやるのが教育の役割だと信じ、またそれを実践している節がある。

たとえば算数の成績がゼロで体育の得意な子がいるならば、親も兄弟も先生も知人も親戚も誰もが、その子の体育の成績をほめちぎり心から高く評価して、体育の力をもっともっと高めるように努力しなさい、と子供を鼓舞する。

日本人ならばこういう場合、体育を少しおさえて算数の成績をせめて30点くらいに引き上げなさい、と言いたくなるところだと思うが、イタリア人はあまりそういう発想をしない。要するに良くいう“個性重視の教育”の典型なのである。

イタリア人は長所をさらに良くのばすことで、欠点は帳消しになると信じているようだ。だから何事につけ欠点をあげつらってそれを改善しようとする動きは、いつも 二の次三の次になってしまう。

ベルルスコーニ元首相への評価もそのメンタリティーと無関係ではない。

醜聞まみれのデタラメな元首相をイタリア人が許し続けたのは、行状は阿呆だが一代で巨財を築いた能力と、人当たりの良い親しみやすい性格が彼を評価する場合には何よりも大事、という視点が優先されるからだ。

ネガティブよりもポジティブが大事なのである。もっと深い理由もある。

「人間は間違いを犯す。間違いを犯したものはその代償を支払うべきであり、また間違いを決して忘れてはならない。だがそれは赦されるべきだ」というのが絶対愛と並び立つカトリックの巨大な教えである。

ほとんどがカトリック教徒であるイタリア国民は、ベルルスコーニ元首相の悪行や嫌疑や嘘や醜聞にうんざりしながらも、どこかで彼を赦す心理に傾く者が多い。「罪を忘れず、だがこれを赦す」のである。

彼らは厳罰よりも慈悲を好み、峻烈な指弾よりも逃げ道を備えたゆるめの罰則を重視する。イタリア社会が時として散漫に見え且つイタリア国民が優しいのはまさにそれが理由だ。

そうやってカトリック教徒である寛大な人々の多くが彼を死ぬまで赦し続けた。つまり消極的に支持した。あるいは罪を見て見ぬ振りをした。

結果、軽挙妄動の塊のような元首相がいつまでも政治生命を保ち続けることになった。

元首相は寛大な国民に赦されながら、彼のコミュニケーション力も遺憾なく発揮した。

相まみえる者は言うまでもなく、彼の富の基盤であるイタリアの3大民放局を始めとする巨大情報ネットワークを使って、実際には顔を合わせない人々、つまり視聴者にまで拡大行使してきた。

イタリアのメディア王とも呼ばれた彼は、政権の座にある時も在野の時も、頻繁にテレビに顔を出して発言し、討論に加わり、主張し続けた。有罪確定判決を受けた後でさえ、彼はあらゆる手段を使って自らの無罪と政治メッセージを申し立てた。

だがそうした彼の雄弁や明朗には、負の陰もつきまとっていた。ポジティブはネガティブと常に表裏一体である。即ち、こぼれるような笑顔とは軽薄のことであり、ユーモアを交えた軽快な口調とは際限のないお喋りのことであり、シンプルで分りやすい論理とは大衆迎合のポピュリズムのことでもあった。

また誠実そのものにさえ見える丁寧な物腰とは偽善や隠蔽を意味し、多様性重視の基本理念は往々にして利己主義やカオスにもつながる。さらに言えば、徹頭徹尾の明るさと人なつっこさは、徹頭徹尾のバカさだったり鈍感や無思慮の換言である場合も少なくない。

そうしたネガティブな側面に、彼の拝金主義や多くの差別発言また人種差別的暴言失言、少女買春、脱税、危険なメディア独占等々の悪行を加えて見れば、恐らくそれは、イタリア国民以外の世界中の多くの人々が抱いている、ベルルスコーニ元首相の印象とぴたりと一致するのではないか。



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「いかに死ぬか」とは「いかに生きるか」という問いである

生と死と両手650

2023年6月9日、イタリア・ベネト州の保健当局および生命倫理委員会は、末期がんの78歳女性が申請していた自殺幇助の嘆願書を承認した。

一定の条件下では自殺幇助は訴追の対象外、とする憲法裁判所の判決に沿ったもので、史上4人目のケースである。

イタリアでは基本的に安楽死は認められていない。

憲法裁判所の裁定や生命倫理委員会の決定は、今のところは飽くまでもいわば例外規定だ。それがゆるぎない法律となるには国民投票を経なければならない。

自殺幇助には5年から12年の禁固刑が科される。そのため毎年約200人前後ものイタリア国民が、自殺幇助を許容している隣国のスイスに安楽死を求めて旅をする。

そのうちのおよそ6割は実際にスイスで安楽死すると言われる。

安楽死に対するイタリア社会の抵抗は強い。そこにはバチカンを抱える特殊事情がある。自殺は堕胎や避妊などと同様に、ローマ教会にとってはタブーだ。その影響力は無視できない。

安楽死は命を救うことが至上命題である医療現場に、矛盾と良心の呵責と不安をもたらす。イタリアではそこにさらにカトリック教会の圧力が加わる。

医者をはじめとする医療従事者は、救命という彼らの職業倫理に加えて、自殺を否定し飽くまでも生を賛美するカトリック教の教義にも影響され、安楽死に強い抵抗感を持つようになる。

安楽死を推進する人々に対しては、キリスト教系の小政党などからも「死の文化」を奨励するものだ、という批判が湧き起こる。

またカトリックの総本山であるバチカンは、自殺幇助は「本質が悪魔的な行為」として、飽くまでも声高に論難する。

それらは極めて健全な主張だ。生を徹頭徹尾肯定することは、宗教者のいわば使命であり義務だ。彼らが意図的に命を縮める安楽死を認めるのは大いなる矛盾だ。

安楽死を怖れ否定するのは、しかし、宗教者や医療従事者のみならず、ほぼ全ての人々に当てはまる尋常な在り方だろう。

生は必ず尊重され、飽くまでも生き延びることが人の存在意義でなければならない。

従って、例え何があっても、人は生きられるところまで生き、医学は人の「生きたい」という意思に寄り添って、延命措置を含むあらゆる手段を尽くして人命を救うべきである。

その原理原則を医療の中心に断断固として据え置いた上で、患者による安楽死への揺るぎない渇求が繰り返し確認された場合のみ、安楽死は認められるべきと考える。

安楽死は、命の炎が消え行くままに任せる尊厳死とは違い、本人または他者が意図的に命を絶つ行為である。

その意味では尊厳死よりもより罪深いコンセプトであり、より広範な論議がなされるべき命題と言えるかもしれない。

僕は安楽死及び尊厳死に賛成する。いわゆる「死の自己決定権」を支持し、安楽死・尊厳死は公的に認められるべきと考える。

回復不可能な病や耐え難い苦痛にさらされた不運な人々が、「自らの明確な意志」に基づいて安楽死を願い、それをはっきりと表明し、そのあとに安楽死を実行する状況が訪れた時には、粛然と実行されるべきではないか。

安楽死を容認するときの危険は、「自らの明確な意志」を示すことができない者、たとえば認知症患者や意識不明者あるいは知的障害者などを、本人の同意がないままに安楽死させることである。

そうした場合には、介護拒否や介護疲れ、経済問題、人間関係のもつれ等々の理由で行われる「殺人」になる可能性がある。親や肉親の財産あるいは金ほしさに安楽死を画策するようなことも必ず起こるだろう。

あってはならない事態を限りなくゼロにする方策を模索しながら-繰り返しになるが-回復不可能な病や耐え難い苦痛にさらされた不運な人々が、「自らの明確な意志」に基づいて安楽死を願うならば、これを受け入れるべきである。

実を言えば安楽死や尊厳死というものは存在しない。死は死にゆく者にとっても家族にとっても常に苦痛であり、悲しみであり、ネガティブなものだ。

あるべき生は幸福な生、つまり「安楽生」と、誇りある生つまり「尊厳生」である。

不治の病や限度を超えた苦痛などの不幸に見舞われ、且つ人間としての尊厳を全うできない生は、つまるところ「安楽生」と「尊厳生」の対極にある状態である。

人は 「安楽生」または「尊厳生」を取り戻す権利がある。

それを取り戻す唯一の方法が死であるならば、人はそれを受け入れても非難されるべきではない。

死がなければ生は完結しない。つまり、死は疑いもなく生の一部だ。

全ての生は死を包括している。むろん「安楽生」も「尊厳生」も同様である。





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未だ「足るを知る」を知らず

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浮世の流れに無理に逆らえば息が詰まる。

始まったものは必ず終わる。

生まれたものはいつかは死ぬ。

無常がこの世の中の摂理である

変わることを受け入れなければ生は地獄になる。

なぜなら変わらないと意地を張れば、足ることを知らなくなる。

足るを知らなければ生は欲望の連続に陥ってひたすら苦しくなる。

それは生きる地獄である。

流転変遷が人生の定めだ。

全てが生まれ、全てが変わる、という条理を受け入れれば生は楽になる。たのしくなる。

たのしまずとも、ともあれ苦しくはなくなるだろう。

菜園で野菜たちと戯れながら僕はよくそんなことを思う。

それはつまり未だ「足るを知る」境地を知らず、悩み葛藤している自分がいるからである。

それと同時に、老いてなお「足るを知る」ことなくもがいている人を見て、自らの先行きの反面教師にしよう、などと目論むからである。

その目論みもまた生の地獄である。

なぜなら、もがく老人を反面教師にするとは、それらの人々を見下し、憎むことにほかならない。

そして憎しみこそが地獄へ誘い水の最たるものである。



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