【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2023年07月

大手メディアの存在価値

地球儀&Breaking news文字

インターネットが好きな人々の中にはテレビを全く見ない、あるいはそれを信用しないという者が多くいる。

人それぞれの考え方があるからそれで構わないと思う。だが同時にそうした人々は、インターネットにも同様の警戒心を抱きつつ進むほうがいい。

テレビをはじめとする大手メディアは資金や人的資源を豊富に持っている。彼らはそれを縦横無尽に使って情報を収集する。大手メディアの報道や番組は一次情報の宝庫だ。

いうまでもなく一時情報は、それがありのままに正直に提示されたものなら、客観的な事実であり真実である場合がほとんどだ。

テレビが嫌いなネット住人もそれを利用しない手はない。受信料を要求されるNHKを除けば、テレビに流れるそれらの一次情報は全てタダなのだ。

同じ無料の情報でも、大手メディアのそれとネット上のそれは違う。

SNSで情報を発信している個人には、自分以外には人材も金もないため、足と時間と労力を使って得る独自情報や見聞は少ない。せいぜい身の回りの出来事が精一杯だ。

そこで彼らは大手メディアが発信する一次情報を基に記事を書いたり報道したりすることになる。そしてそこには必ず彼らの解釈や意見や感じ方が盛り込まれる。

その結果ネット空間には偏向や偏見や思い込みに基づく表現もあふれることになる。

僕はテレビ番組を作ったり紙媒体に記事を書く以外にSNSでも発信している。その場合には今述べた現実をしっかり意識しながら動いている。

つまり、自分の足で集めた情報以外は、あらゆるメディアやツテや友人知己からの一次情報を自分なりに解釈し考察して、その結果を発信するということだ。

そこでは事実や事件の正確な報告よりも「自分の意見を吐露」することが優先される。換言すれば、他から得た情報や事実や見聞に対して自らの意見を述べるつもりで記事を書くのである。

そこでの最も重要なことは、報道者が自らの報道はバイアスのかかった偏向報道であり、独断と偏見による「物の見方や意見」であることをしっかりと認識することだ。

自らの偏向独善を意識するとはつまり、他者の持つ違う見解の存在を認めること、と同義である。他者の見解を認めてそれに耳を貸す者は、やがて独善と偏向から抜け出せるようになる。

SNSでの「発信」を目指す者は、あくまでも情報や事実や「報道」等に基づく、書き手の意見や哲学や思考を述べる努力をするべきだ。個人が情報を発信する意味はそこにあると思う。

客観的な情報やニュースは大手メディア上にあふれている。あふれているばかりではなく、それらは正確で内容も優れている場合が多い。個人の発信者の比ではないのである。



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JSTV突然サービス終了のヘキレキ


表紙全体ヒキ650

ことし5月、ロンドン拠点の有料日本語放送局JSTVが、10月末日をもってサービスを終了すると発表した。

JSTVNHK傘下のNHKコスモメディアヨーロッパが所有する放送局である。

僕はJSTVの黎明期からおよそ30年にわたって視聴してきたので、いきなりの宣告に正直驚いた。

突然放送が打ち切りになることもそうだが、「JSTV」のサービス終了を決めたことを、ここにお知らせします、という高飛車なアナウンスの仕方にもびっくりした。

倒産する企業なんてそんなものかもしれないが、大NHKがバックについている割にはなんともお粗末な内容だと思った。

もっともある意味では、大NHKがバックについているからこそそんなアナウンスの仕方になったのかもしれない。

さて自身もテレビ屋である僕は、テレビ番組を作るのと同程度にテレビを見ることも好きなので、JSTVがなくなる11月以降はどうしようかと少し困惑気味である。

その個人的な事情はさておき、NHKJSTVを見捨てることの、大局的な見地からの喪失感が大いに気になる。

JSTVはヨーロッパ、北アフリカ、中東、ロシアを含む中 央アジア地域の60を超える国に住む日本人に、日本語の番組を提供する目的で設立された

突然の放送打ち切りの理由として同局は「加入世帯数の減少と放送を取り巻く環境の変化」によりサービスの継続が困難になったから、としている。それが事実なら非常に残念だ。

なぜなら僕にはその主張は、「インターネットに負けたので放送を止めます」としか聞こえないからだ。NHKは本気でインターネットの前から尻尾を巻いて逃げ出すつもりなのだろうか

テレビ放送がWEBサービスに押されて呻吟している今こそ、逆にNHKJSTVを支えて存続させるべきではないか。

JSTVは今さき触れたように、欧州を中心とする60余国の邦人に日本語放送を提供している重要な使命を帯びているのだ。

だがそれだけではない。JSTVは日本語を学んだり学びたい人々、あるいは日本に関心のある域内の外国人の拠り所となり喜びももたらしている。そのことを見逃すべきではない。

JSTVは日本人視聴者が外国人の友人知己を招いて共に視聴することも多い。

例えば僕なども、日本に関する情報番組などを親しい人々に見せて楽しんだり学ばせたりすることがある。大相撲中継に至っては、友人らを招いて共に観るのは日常茶飯事だ。

そうした実際の見聞ばかりではなく、衛星を介して日本語放送が地域に入っている、という事実の心理的影響も大きい。

日本語の衛星放送が見られるということは、日本の国力を地域の人々に示すものであり、それだけでも宣伝・広報の効力が生まれて国益に資する

公共放送であるNHKは、そうした目に見えない、だがきわめて重要な要素も考慮してJSTV存続に向けて努力するべきと考える。

JSTVのウエブサイトでは「JSTV終了後にNHKがインターネットも活用した視聴方法について準備・検討を進めている」としている。

それは是非とも実行してほしいが、もっと良いのは、インターネットに対抗し同時に共存するためにも、今の放送を継続することである。



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陸自ヘリ墜落の恐怖連想ゲーム

小山上飛ぶヘリ縦650

ことしは6月までに2度帰国し計ほぼ2ヶ月余り滞在した。その間に沖縄の宮古島沖で自衛隊ヘリが墜落する大事故があった。

合計10名の隊員が亡くなった事故は既に重大事件だが、そこに師団長や駐屯地司令官などの幹部が含まれたことで事態はさらに深刻化した。

ところで

事故に対する防衛省、また自衛隊の情報公開はどうなっているのだろう?

フライトレコーダーも回収され、自衛隊内部にはかなりの情報が蓄積されていると考えられる。それなのに情報開示が少ない、遅い。

あるいは何かを隠したがっているのではないか、と感じるのは僕だけだろうか。

旧日本軍に限らずどの国の軍隊も隠蔽体質を持つ。それは専制、暴力、欺瞞、権謀術策、裏切りなどの悪行と表裏一体である。

2つの世界大戦と民主主義が多くの国の軍隊の悪の体質にメスを入れて、少しは情報開示と文民統制の意識が進んだ。

第2次大戦で専制主義による悪事を働いたナチスドイツ、ファシズムイタリア、軍国主義日本のうちのドイツとイタリアは、大戦を徹底総括して軍隊の制御法を学んだ。

それは文民統制と情報公開と民主主義による暴力装置の抑制のことだ。軍自体もそれに沿って進化した。

日本は第2次大戦の徹底総括を怠った。そのために旧日本軍の欺瞞、横暴、隠蔽体質などが密かに自衛隊に受け継がれた可能性がある。

自衛隊が非常事態に際して文民統制を無視し暴走する危険性は常に高い。防衛省また自衛隊が、ヘリの墜落に関する情報公開を徹底できなければ、そのことが露見、確認されることになる。

ここでは国民とマスコミの意識の度合い或いは民度が試されている。

日本国民は依然として、右翼の街宣車が暴力的言辞をがなり立てて公道を行進しても罪にならない、野蛮な社会に生きている。

自衛隊がドイツ、イタリアの軍隊並みに正確に制御され民主化されて、右翼の街宣車が違法として取締りの対象になる時にこそ、日本の戦後が真に終わる。

宮古島沖の陸自ヘリ墜落事故の周囲には ― 情報開示が十分になされないと仮定して ― 軍隊と日本社会の行く末を占う要素が多く秘匿されているようにも見える。








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オランダ・ルッテ首相の真意はどこ?

ルッテ知性的横顔650

これはあくまでも心証である。少しの楽観論も入っている。

先日、オランダのマルク・ルッテ首相が政界から引退すると表明したことに少し感服する思いでいる。

中道右派の自由民主国民党(VVD)を率いるルッテ首相はまだ56歳。

脂ぎった性格の者が多くいつまでも権力に固執する傾向が強い政治家らしからぬ潔さ、と感じるのだ。

ルッテ氏は2010年10月に首相に就任した。以来およそ13年に渡った在任期間はオランダ史上で最も長い。

オランダはほぼ全ての欧州の国々と同様に難民・移民問題で大きく揺れている。

同国は人口約1700万人の小国だが、歴史的に移民を受け入れて成長した多民族国家であり千姿万態が美質の国だ。

国土が狭く貧しいため、歴史的に世界中の国々との貿易によって生存を確保しなければならなかった。

宗教の多様性に加えて、貿易立国という実利目的からも、オランダは常に寛容と自由と開明の精神を追求する必要があった

オランダは国の経済状況に応じて世界中から移民を受け入れ発展を続けた。

だが近年はアフリカや中東から押し寄せる難民・移民の多さに恐れをなして、受け入れを制限する方向に動くことも少なくない。

保守自由主義者のルッテ首相は、流入する難民の数を抑える政策を発表。だが連立政権を組む中道左派の「民主66」と「キリスト教連合」の造反で政権が崩壊した。

ルッテ首相はこれを受けて、総選挙後に新内閣が発足した暁には政界を去る、と明言したのである。

僕は日本とイタリアという、よく似た古い体質の政治土壌を持つ国を知る者として、彼の動きに感銘を受けた。

イタリアにも日本にも老害政治家や蒙昧な反知性主義者が多い。加えて日本では世襲政治家も跋扈する。

日伊両国の感覚では、政治家としてはまだ若いルッテ首相が、あっさりと政界に別れを告げた潔さに、僕は知性の輝きのようなものを見るのだ。日伊の政治家とはずいぶん違うと感じる。

ルッテ首相が示したエリートまた教養主義的な面影は、得てして左派政治家に見られるものだが、この場合は保守主義者のルッテ氏であるのがさらに面白い。

大国ではないが政治的腕力の強いオランダを長く率いる間には、ルッテ首相は財政面でイタリアに厳しい姿勢で臨むなど、強持ての一面も見せた。が、印象は常に潔癖な知性派であり続けた。

そんなたたずまいも彼の政界引退宣言と矛盾しないのである。

そうはいうものの、しかし、ルッテ氏も権謀術数に長けた政治家だ。前言を翻して今後も政界に留まらないとも限らない。そこは少し気をつけて見ていようと思う。




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高市早苗氏に媚びる読売新聞が日本メディア全体の地金である

醜高市国旗込み650

6月半ば、イタリアへ向けて飛ぼうとする日の早朝、滞在先のホテルが部屋に届けてくれる新聞4紙に目を通していた。

4紙の1の読売新聞が、高市早苗経済安全保障相をポスト岸田の候補のひとり、とするヨイショ記事を載せていた。

僕が知る限り他の3紙には、そういう類の記事は一切書かれることはなかった。

メディアを支配できる、また支配しなければならないとする不遜な思想を持つ政治家を、メディアの一角である読売新聞が忖度し持ち上げるのは、同紙がメディアの名に値しないことを示している。

そうはいうものの、しかし、他のメディアも彼女の闇をとことん追及しないところを見れば、みな同じ穴のムジナなのだけれど。

日本のメディアは高市経済安保相の尊大で危険な思想をなぜ徹底的に論難しないのだろうか。

熱しやすく冷めやすく且つ羊っぽい国民が、もうすっかり忘れたか諦めたかしたからだろうか。

ならばメディアは、国民の記憶呼び覚まし不正義への抗議を炊きつけるべく果敢に報道を続けるべきだ。

それともメディアは国民に倣って、高市大臣の危険思想は自然消滅したとでも見做しているのだろうか。

僕が日本の新聞を読むのは、日本に帰国している時ぐらいである。イタリアでは主に衛星テレビとネットで日本の情報を追う。

そこを介してみる限り、日本のメディアが高市大臣の暗い危険な思い込みを探査している様子はもはやない。

あるいはこのままうやむやになって、彼女は日本初の女性首相になるのだろうか。

メディアの監視と批判に耐えられない政治家は首相になるべきではない。

メディアを抑圧し制御できると考える政治家は、政治家でさえない。

それは単なる独裁者だ。

独裁者かもしれない政治家の本性を徹底検証しようとしないメディアは、どうやら彼女の逃げ切りを許してしまったらしい野党と同罪の、悲惨なからくりである。




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イタリア初の女性首相の精悍

三色旗真ん中メロン650

イタリアではベルルスコーニ元首相が6月12日に死去した直後から、彼も参与していたメローニ政権の先行きを危ぶむ声が多く聞かれた。

86歳だったベルルスコーニ元首相はキングメーカーを自認し、周りからは政権の肝煎りとしての役割も期待された。

メローニ政権は首相自身が党首を務める「イタリアの同胞」と故ベルルスコーニ氏が党首だった「フォルツァ・イタリア」、またサルビーニ副首相兼インフラ相が党首の「同盟」の3党連立政権だ。

連立を組む3党はいずれも保守政党。イタリアでは中道右派と規定される。だがその中で中道の呼び方に見合うのは、元首相の「フォルツァ・イタリア」のみである。

メローニ首相率いる議会第1党の「イタリアの同胞」は、ファシスト党の流れを汲む極右政党。政権第2党の「同盟も極右と呼ばれることが多い超保守勢力だ。

「フォルツァ・イタリア」も極右2党に迫るほどの保守派だが、ベルルスコーニ元首相を筆頭に親EU(欧州連合)で結束しているところが2党とは違う。

メローニ首相はベルルスコーニ政権で閣僚を務めたこともある親ベルルスコーニ派。「同盟」のサルビーニ党首も、過去に4期、計9年余も首相を務めたベルルスコーニ氏に一目置いている、という関係だった。

ベルルスコーニ元首相が政権の調整役、という役割を負っても不思議ではなかったのである。

政権の副首相兼インフラ大臣でもあるサルビーニ「同盟」党首は、野心家で何かと独善的に動く傾向があり、過去の政権内でも問題を起こすことが多かった。

そのためベルルスコーニ元首相の死去を受けて、サルビーニ副首相兼インフラ相が俄かに勢いづいて動乱の狼煙をあげるのではないか、と危惧された。

それは杞憂ではなかった。サルビーニ氏は先日、来たる欧州議会選挙ではフランス極右の国民連合と、ドイツ極右の「ドイツのための選択肢」とも共闘するべき、と主張し始めたのだ。

するとすぐに「フォルツァ・イタリア」の実質党首で外相のタイヤーニ氏が、極右の2党とは手を結ぶべきではない、と反論。連立政権内での軋みが表面化した。

「フォルツァ・イタリア」はベルルスコーニ党首の死後、ナンバー2のタイヤーニ外相(兼副首相)が党を率いているが、彼にはベルルスコーニ元首相ほどのカリスマや求心力はない。

それでも政権内ではタイヤーニ外相の存在は軽くない。彼とサルビーニ氏の対立は、一歩間違えば政権崩壊への道筋にもなりかねない重いものだ。

メローニ首相は、前述の欧州最強の極右勢力との共闘については今のところ沈黙している。

彼女は選挙前、サルビーニ氏以上の激しさで極右的な主張を展開した。だが総選挙を制して首班になってからは、激烈な言動を控えて聡叡になった。

ある意味で一国のトップにふさわしい言動を続けて、風格さえ漂わせるようになったのだ。

メローニ首相にはもはやベルルコーニ元首相のような仲介役は政権内に要らないのかもしれない。独自にサルビーニ氏をあしらう法を編み出したのではないか、と見えるほど落ち着いている。

彼女がこの先、サルビーニ“仁義なき戦い”大臣をうまく制御できるようになれば、連立政権は長続きするだろう。

だがその逆であるならば、イタリア初の女性首相の栄光は終わって、早晩イタリア共和国の「いつもの」政治不安の季節が訪れるに違いない。





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