【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2024年04月

強姦魔?ハーベイ・ワインスタインの功罪

強姦魔と女たち650


ニューヨーク最高裁は2024年4月25日、性的暴行などの罪で禁錮23年の有罪判決を受けていた映画の元大物制作者、ハーベイ・ワインスタイン受刑者への一審判決を破棄した。

裁判とは無関係な複数の女性を証人として出廷させていたことが問題になったのである。

僕は目からウロコが落ちる思いでニュースをかみしめた。

#MeToo」運動の勢いと、そこから派生した「ワインスタイン効果」のあまりの目覚ましさにわれを忘れて、赤信号みんなで渡れば怖くない、 とばかりにワインスタイン攻撃の「全体主義」に便乗していた自分に気づいたのだ。

一審の裁判官が明らかにワインスタイン被告の不利になるであろう女性証人らの法廷出席を認めたのも、「#MeToo」運動の奔流に押されたものだろう。

ワイステイン受刑者を擁護するつもりは毛頭ない。だが僕は、誰もが彼を指弾するのが正当、と信じて突っ走る風潮の危険性を忘れかけていたことを告白しなければならない。

僕の驚きは、大手メディアがトランプ大統領の施策をこぞって指弾し、あたかもそれが圧倒的多数でもあるかのような印象を与えていた時代、実際には世論は賛否がほぼ同数でまっぷたつに割れている、と明らかになったときの衝撃にも似ていた。

知られているだけでも108人の女性がワインスタイン受刑者から性暴力を受けたと告発している。それらは全てが信用できる主張に見える。

だが大物プロデュサーに取り入りたい思いで近づいたものの、願い通りの展開にならなかったため逆切れするようなケースもあったのではないか。

男女を問わず、ワインスタイン受刑者への怨みや、妬みや、陥れようとする悪意は皆無だったのか、などと考えるのは、考えるだけでも女性全般への侮辱ということになるなるのだろうか。

ワインスタインという性暴力者は厳しく指弾され「#MeToo」運動と「ワインスタイン効果」を世界にもたらしたことで、結果として社会に貢献した。

そして今回、判決がくつがえる状況が訪れたことで、世論が一方的に走る全体主義の危うさと恐怖を再確認させた。またもや世の中の役に立ったのだ。

世に跋扈している権力者や勢力家の男たちが、密かに、思いのままに女性を陵辱する風潮にはほぼ終止符が打たれ、それはおそらく永久に元には戻らない。

それが「#MeToo」運動と「ワインスタイン効果」、つまりワインスタイン受刑者がもたらした大きな変化だ。

たとえ23年の禁固刑が否定されても、彼は別件で長い刑を科されているため、恐らく生きている間に自由の身になることはないだろう。

それは自業自得なのだろうが、かすかな憐れみを覚えないでもない。





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ボルサリーノハットが泣く事大主義パフォ-マンス

帽子胸にアホーとトランプ650

麻生太郎副総理が4月23日、ニューヨークのトランプタワーのオーナーを表敬訪問した。

2016年の安倍元首相の猿真似。

タワーのオーナーのトランプ氏は、11月の選挙で大統領に返り咲くかもしれない。

従ってたとえ彼がいわくつきの人物であれ、誰であれ、日本の国益のために友誼を結ぶのは悪いことではない。

だが麻生さんのやり方は、安倍さんと同じで原則原則に欠け節操がなく誇りもない。コメツキバッタよろしく相手におもねっただけだ。

トランプ氏への批判精神が微塵もなかった安倍元首相の動きも、世界から見れば恥ずかしいものだった。

だが少なくとも当時のトランプさんは既に当選が確定していた。

今回はそのはるか以前での追従訪問。

見苦しいこと、この上もない。



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日独とは一味違うイタリアの終戦記念日がまたやって来た

美三色旗+ガリバ?銅像800

毎年4月25日は「解放記念日」あるいは「自由の記念日」と呼ばれるイタリアの終戦記念日。休日である。イタリア全国でコンサートや路上での大食事会やワイン・ビールの飲み会など、など、楽しい催しものが展開される。

僕の住む北イタリアでも例年お祭り騒ぎがある。特にロンバルディア州でミラノの次に大きく僕の住む村からも近いブレッシャ市の祭典が面白い。僕は時間が許す限り毎年そこのイベントに参加する。

ところで、なぜイタリアの終戦記念日が「解放記念日」であり「自由の記念日」なのかというと、イタリアにとっての終戦が実は同時に、ナチスドイツの圧制からの解放でもあったからである。

日独伊三国同盟で結ばれていたドイツとイタリアは、大戦中の1943年に仲たがいが決定的になった。同年7月25日にはクーデターでヒトラーの朋友ムッソリーニが失脚して、イタリア単独での連合国側との休戦や講和が模索された。

しかし9月には幽閉されていたムッソリーニをドイツ軍が救出し、彼を首班とする傀儡政権「イタリア社会共和国」をナチスが北イタリアに成立させて、第2のイタリアファシズム政権として戦闘をつづけさせた。

それに対して同年10月3日、南部に後退していたイタリア王国はドイツに宣戦布告。以後イタリアではドイツの支配下にあった北部と南部の間で激しい内戦が展開された。そこで活躍したのがパルチザンと呼ばれるイタリアのレジスタンス運動である。

レジスタンスといえば、第2次大戦下のフランスでの、反独・反全体主義運動がよく知られているが、イタリアにおいては開戦当初からムッソリーニのファシズム政権へのレジスタンス運動が起こり、それは後には激しい反独運動を巻き込んで拡大した。

ファシスト傀儡政権とそれを操るナチスドイツへの民衆のその抵抗運動は、1943年から2年後の終戦まで激化の一途をたどり、それに伴ってナチスドイツによるイタリア国民への弾圧も加速していった。

だがナチスドイツは連合軍の進攻もあってイタリアでも徐々に落魄していく。大戦末期の1945年4月21日には、パルチザンの要衝だったボローニャ市がドイツ軍から解放され、23日にはジェノバからもナチスが追放された。

そして4月25日、ついに全国レジスタンス運動の本拠地だったミラノが解放され、工業都市の象徴であるトリノからもナチスドイツ軍が駆逐された。

その3日後にはナチスに操られて民衆を弾圧してきたムッソリーニが射殺され、遺体は彼の生存説の横行を避けるために、ミラノのロレート広場でさらしものにされた。

イタリアは日独と歩調を合わせて第2次世界大戦を戦ったが、途中で状況が変わってナチスドイツに立ち向かう勢力になった。言葉を替えればイタリアは、開戦後しばらくはナチスと同じ穴のムジナだったが、途中でナチスの圧迫に苦しむ被害者になっていったのである。

戦後、イタリアがドイツに対して、ナチスに蹂躙され抑圧された他の欧州諸国とほぼ同じ警戒感や不信感を秘めて対しているのは、第2次大戦におけるそういういきさつがあるからである。

日独伊三国同盟で破綻したイタリアが日独と違ったのは、民衆が蜂起してファシズムを倒したことだ。それは決して偶然ではない。ローマ帝国を有し、その崩壊後は都市国家ごとの多様性を重視してきたイタリアの「民主主義」が勝利したのだと思う。無論そこには連合軍の巨大な後押しがあったのは言うまでもないが。

イタリア共和国の最大で最良の特徴は「多様性」、というのが僕の持論である。多様性は時には「混乱」や「不安定」と表裏一体のコンセプトだ。イタリアが第2次大戦中一貫して混乱の様相を呈しながらも、民衆の蜂起によってファシズムとナチズムを放逐したのはすばらしい歴史である。

次いで終戦の翌年の1946年6月2日、国民投票によってイタリア共和国の成立が承認され、1947年には憲法が成立した。

新生イタリア共和国は1949年、4月25日をイタリア解放またレジスタンス(パルチザン)運動の勝利を記念する日と定めた。



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ことしで2777歳のローマは終身刑みたいに果てしない「永遠の都」だ

フォロ・ロマーノ典型絵WIKIより狭角度650

伝説によると「永遠の都」ローマは紀元前753年4月21日に誕生した。今から2777年前のことだ(考古学的には、紀元前1000年にはすでに人が定住していたことが証明されている)

ローマを建設したのは、ギリシャ神話の英雄アイネイアスの子孫で、オオカミに育てられた双子の兄弟ロームルスとレムス。2人はローマの建設場所を巡って争い、ロームルスがレムスを殺害する。

造られた街は、勝ったロームルスにあやかってローマと名付けられた。その後ロームルスは初代のローマ王となり、王政ローマはロームルス以降7代に渡って続いた。

ローマ帝国の首都だった街にまつわる逸話はそれこそ数え切れないほどあるが、2777歳を記念して最近のエピソードをまじえつつ書いておくことにした。

現在のローマ(都市)の人口は 286万人。古代でも同都市の人口は100万人を越えていて欧州一の大都会だった。その地位は産業革命で大発展したロンドンに抜かれる19世紀まで続いた。

それでもローマは世界の文化遺産の16%余りを有する重要都市である。

ローマがイタリアの首都となったのは1870年。その前はフィレンツェ、さらにその前はトリノがイタリアの首都だった。

ローマの記念碑や建物のいたるところに刻まれている SPQR という文字はラテン語のフレーズ「Senatus Populusque Romanus」の略。 「元老院とローマの人々」という意味である。

ローマの面積は約1285km²。多くの公園や庭園や緑地帯と郊外の農村地を合わせると、ヨーロッパで最も緑豊かな街という顔が現れてくる。

そこは欧州最大の農業都市でもあり、農耕地の面積はおよそ52、000ヘクタール。自然保護区の面積も40、000ヘクタールに及ぶ。

ローマには3つの大学がある。そのうちのラ・サピエンツァ大学 は生徒数はほぼ15万人。欧州で最も学生数が多い大学の一つである。ローマ大学といえば普通この大学のこと。西暦 1303年に設立された。

英国のオクスフォードやケンブリッジほどの知名度はないが、欧州でも最も古い大学である同じイタリアのボローニャ大学(1088年設立)に次ぐ伝統と格式を誇っている。

ローマには1年でおよそ700万~1000万人の観光客が世界中から訪れる。街には多くの魅惑的な観光スポットがあるが、最も訪問客が多いのがコロッセオとバチカン美術館。一年間にそれぞれ400万人余りの観光客を引き付ける。

コロッセオは剣闘士が猛獣などと戦うのをローマ市民が観て楽しんだ娯楽施設。ローマ皇帝ウェスパシアヌス(在位:69年 – 79年)の命令で紀元70年頃に建設が始まり、息子のティトゥス(在位:79年 – 81年)帝が紀元80年に完成させた。

天衣無縫な古代ローマ市民は、凄惨な殺戮の模様を楽しむばかりではなく、戦いで死んだり傷ついたりした剣闘士の血を競って買い求めた。それは健康飲料としてまた不妊治療薬としても熱く取引されたのだ。人間の血を飲むと女性は多産になると信じられ、癲癇(てんかん)にも効くと考えられていた。

コロッセオは記録に残っている大きな地震だけでも少なくとも3回の被害を受けた。しかし全体が円筒形の、力学的に安定した構造になっているために全壊することはなかった。コロッセオは古代の建築技術の粋を集めた革新的な建造物だったのだ。

2016年8月と10月の中部イタリア地震は、300人近い犠牲者のみならず建築物にも多大な被害をもたらした。その時の地震の強烈な揺れはローマにも届いて、コロッセオの外壁が剥がれ落ちるなどの損害が発生した。

残念ながらその修復は、ローマの地下鉄工事にからまる混乱に巻き込まれて、未だに成されていない。イタリアは地震の度に先進国とは思えない災難に見舞われる。日本に似た「地震大国イタリア」の問題は実は、耐震技術そのものよりも「政治の堕落」が真の、そして最大の障壁なのである。

コロッセオよりもさらに古い共和制ローマ時代の遺跡、トッレ・アルジェンティーナ広場は、古代の面影を残したまま極めて現代的な 職能 を付与されている。野良猫保護法によって猫のコロニーと定められ、250匹~300匹ほどがのんびりと生きているのだ。野良猫たちはエサを与えられ、ワクチン接種などを施されている。

コロッセオと並ぶ人気観光スポットのバチカンは、ローマ内部に存在するもう一つの街であり国家である。そこはカトリックの総本山でもあり、世界の約12億人のカトリック信者の聖地である。またバチカン市国の全体はユネスコの世界遺産に登録されている。

1年に400万人余りの訪問者があるバチカン美術館は、バチカン市国のど真ん中にあるサン・ピエトロ大聖堂に隣接している。世界最大級のその美術館は、バチカン宮殿の大部分を占めていて、ミケランジェロの「創世記」と「最後の審判」が圧倒的な美を放つ、システィーナ礼拝堂を始めとする複数の施設から成っている。

ローマは世界一噴水の多い街でもある。その数は2000余り。そのうち50は歴史的遺産と指定されている。中でも最も知られているのがトレビの泉。妙妙たる噴水には願いごとの成就を祈る人々が膨大な数のコインを投げ込む。

たとえば2022年には重さ約33トン、金額にしておよそ2億3千500万円相当のコインが集まった。それは全額が慈善活動に贈られる。

「永遠の都」はヨーロッパで最も写真に撮られる土地でもある。おびただしい数の歴史文化遺産は全てがフォトジェニックだ。ローマよりも多く被写体にされる街は、世界ではニューヨ-クだけだと見られている。だが映画などで印象深いシーンを提供するのは、ニューヨークよりもローマの方が多いように思う。

2016年6月、ローマに史上初の女性市長が誕生した。 ローマではそれまでの過去2769年間、皇帝や執政官や独裁官やローマ教皇や元首など、男性一辺倒の支配体制が続いた。それが古来はじめて転換し、37歳のヴィルジニア・ラッジ氏が市長に当選した。それによってローマは、女性の地位向上を示す画期的な出来事をまた一つ経験した。

ローマはパリと最も長く且つ重要な姉妹都市協定を結んでいる。“ローマはパリと、パリはローマと”をスローガンにする2都市の友情は1956年に始まった。ローマはほかにも、ロンドン、東京、ニューヨーク、モスクワ、北京、カイロ等々と姉妹都市になっているが、パリほどには重要な意味を持たない。

など、など、など・・・。2777年という長い歴史を刻んできた「永遠の都」ローマにまつわる、逸話や事件や出来事や騒動や異変や事象は、冒頭でも断ったように数え切れないほどある。それらは尽きることなく生まれて、今も生まれ続け、将来も生まれ続けることが確実である。


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