「家の前に立ち尽くして俺は今日も待っている"I'm still waiting at the door"」というタイトルの次の歌を聴いてひどく面食らった。
https://www.youtube.com/shorts/_rFqv0zpCjI
胸を打つその歌はAIによって作られた作品、と理解したからだ。それはついに機械が人間の感情を持ったと言うにも等しい出来事に見えた。
好みの問題はあるだろうが、控えめに見ても歌の出来具合はすばらしい。特に I'm still waiting at the doorと高く切なく歌い上げる一節は、鳥肌が立つと形容しても構わないほどに琴線を掻き鳴らす。泣かせる。
楽曲そのものがありのままで面白いが、それがAIによって作られたというアメリカのネット情報が僕を震撼させた。
AIが❝作った❞歌と、AIを❝使った❞歌とでは、月とすっぽん玉の輿、キングコングと清楚な娘のあられもない姿、とでもいうほどの違いがある。
AIは僕の理解では道具である。
飽くまでも道具であるが、道具の域を超えて人間にとって恐怖となるかもしれない知性や、人格を独自に持つ可能性を秘めた道具でもある。
人間はその恐怖の芽を摘みつつ、AIを旨く制御して文明の進化また深化に役立てていくだろう、というのが僕の希望的観測を交えた人間への心頼みだ。
それが上手く行く限り、AIは感情を持つことはない。AIはいくらでも理論を深め蓄積し賢くなれるが、感情を支配することは永遠にない。。はずだった。
だがAIは I'm still waiting at the door という楽曲を作りそれを歌うことで完全に感情を獲得している。そのことが僕を驚愕させたのだ。
パニくった僕は急ぎググり、さらににググりまくった。結果その歌は、AIが「ひとりでに作曲」したものではなく、誰かがAIを使って創造しAIに歌わせた楽曲であることが分かった。
あまりにも出来がいいために、僕はそこかしこのサイトで流布している「AIが作ってAIが歌っている画期的な歌」という誤った情報を信じてしまったのだった。
AIが作ったという怖い事実はなかった。なかったが、しかし、この感動的な歌のどこまでがAIの役割なんだろうという強い疑問が湧く。
それは言葉を替えれば、AIを使って作曲した音楽家は一体どこまでがアーチストで、どこまでが技術職人なんだろう、という問いでもある。
AIが人類の真の脅威となるのは、AIが自らをクローン再生する方法を発見した時だろう。
その時AIは意志を持ち同時に感情も獲得する。意志を持ち感情に後押しをされるからこそ、彼らは自身をクローン再生すると決意するのである。
そう合点はしているものの、僕は人の感情を深く表現しているI'm still waiting at the door"を聞くとき、われわれは果たしてこの先AIを自在に制御し続けることができるのだろうか、と腹から怖れずにはいられない。
参照:同じ歌を違うFake映像のFake歌手が歌っている
https://www.youtube.com/shorts/N93P6x9R_AU
https://www.youtube.com/shorts/0Ld_Fu2JVq8
https://www.youtube.com/shorts/qUkAUpWTzzI
https://www.youtube.com/shorts/cw0lSGMDAkQ
https://www.youtube.com/shorts/cw0lSGMDAkQ





