【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2025年11月

いかに死ぬかとは、いかに生きるかという問いである

本から煙

死を見つめるのもそこから目を逸らすのも本質は同じ。死への恐怖である

死という言葉が死を呼ぶという言霊信仰や迷信の影響、という世界共通のありようを別にして語ろうと思う。

イタリア人は、あるいはキリスト教徒は、学問や文学などの領域を除けば、死について日常的に語ることを避ける傾向がある。

日本人のように死は避けられないものと受忍して、折に触れてそれを意識したり口に出すことは少ない。

元々そうではなく、キリスト教徒も死を恐れつつ救いを求めて、行住坐臥に死を語り死を受け入れていた。死の苦しみをやわらげる手助けをするのが宗教である。キリスト教も例外ではない。

だが教会が権威拡大のために死の恐怖を強調し、救いを求める信者が教会への依存を強めるよう画策したことが反発を呼んで、人々はやがて死を語らなくなった。

また近代になって終末期医療の現場が家庭から病院へと移り、死が人々の日常から遠ざかるにつれて、それを不断に意識する機会が減り死に関する話題が避けられるようになった。

加えて次のような理由もある、と僕は考える。

デカルトが「我思う、故に我あり」というシンプルな命題に託して、それまでの支配観念であった「コミュニティが先ずあって個人がある」というスコラ哲学の縛りを破壊した。

いわゆる“近代的自我”の確立である。

私という個人の自我意識によって世界を見、判断して、人生を切り開いていく、という現代人にとっては当然過ぎるほど当然の価値観は、人々の自己への自信を深めた。

自信を深めた我、あるいは私という個人は諦めずに闘い、進化する存在になった。死生観にもそれは現れた。

死は避けられないものだが、それを恐れたり語ったりするよりも、今生きて在る自分自身を大切にし前進し続けるとこそが重要、という考え方が尊重されるようになった。

そうやって現代西洋人はますます死を語る習慣をなくしていった。僕はそこに西洋近代の不首尾の一つを見る。

いつ、どこで、いかに死ぬか、という自身では制御できない問いをあえて問うことは、つまるところ「いかに生きるか」と問うことである。

なぜならば生は死がなければ完結しない。畢竟、死は生の一部にほかならない。

いかに死ぬかを問うことが、いかに生きるか、という問い整合するのは、そのことだけでも明らかである。

いかに生きるかを問わない生き方は、いかに生きるかと問い続ける生き方よりも少し寂しく見えないこともない。




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肉体が命の行く末を差配する

650植トマト中ヒキ

命の行く末を牛耳っているのは肉体である。

当たり前じゃないか、と思うかもしれない。だが決して当たり前ではない。

なぜならそのことを実感するにはある程度の年齢を重ねなければならない。

若者の命は、あたかも肉体がなくても存在するがごとく躍動している。

若い肉体は生のエネルギーに満ち溢れている。彼らは健康である限り命の行く末などという迂遠なコンセプトには一顧だにしない

あるいは若者は命と肉体を区別しない。それは一体となってたぎっている。

言葉を替えれば若者は命や死に無頓着だ。

意気盛んな若者にとっては、彼らの存在そのものである命も、その対極にある死などというものはもっとさらに、七面倒くさいコンセプトに過ぎない。

僕は60歳代を通過して次の命のステージに飛びこもうとしている。そこは危険な領域である。

周りを観察していると、70歳から72、3歳は肉体の鬼門のように見える。

若者は肉体が命の先行き差配していることを知らない。

肉体が命を牛耳っていると気づくのは、若くなくなった時である。僕の場合はここ1、2年のことだ。

菜園で作業をする時の疲れ方が、それまでとは違うと感じる。

今の疲れには死のほのめかしのようなものがある。単なる筋肉の疲れではなく、体の深奥が呻吟するような疲弊である。

菜園では種まきや稙苗また水遣り以外はほとんど何もしない。畑は有機農法で耕している。雑草が勝手放題に繁茂し虫が大量に湧く。

僕は菜園に細かく手を入れるタイプの野菜作りではない。

作業をしたいのは山々だが時間がない。除草などもほとんどしないまま放っておく。

雑草は取り除かないと次々に花をつけ、種を撒き散らして大きくはびこる。それは分かっているが、じっくりと土に向き合う時間がないので、ミニ耕運機を畑に入れて鋤いてしまうことが多い。

とはいうものの、畑には草が茂り、小石が無数に埋まり、壁に食い込むEderaキヅタ )などの殺人的なしつこい草木がはびこる。ごくたまにはそれらを整理したくなる。

水はけを良くするために砂や粗い堆肥を埋めることもある。少しは有機肥料を入れたりもする。仕事はきつい。今はきっちり1日に1時間だけと決めて作業をする。

気や命だけではほぼ何もできない。肉体が横溢してこその気であり、命であり、作業なのである。




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高市総理を含む日本人は誰もが愛国者だ

キンペー高市合成650

はっきりさせておこう。

スパイやテロリストでもない限り、日本を悪くしようと思う日本人はいない。

右も左もない。

ただ右と左ではより良い日本という頂上に向かう道筋が違う。

そして頂上に向かう道のうちには遭難したり、事故ったり、地滑りや雪崩に遭ったりする危険なものがある。

危険を伴う道程の最たるものは過去を直視しないアプローチだ。それは歴史修正主義という深い迷い道へと続き、ついには脱出が不可能になる。

そして極端な場合は迷い道は、山自体が崩壊するにも等しいほどの結末を招く。それが第2次世界大戦の惨劇へと日本が辿った道だ。

登山の間違ったルートを行かないように右と左が互いに呼びかけるのが、民主主義社会における政治論争であり対話である。

極右や極左の人々でさえも「彼らなりの考えで」日本を良くしようとあれこれ模索している。

だが残念なことに彼らは、民主主義という仕組みを無視し破壊して、一息に頂上を目指そうとする。

それはつまるところ過激主義であり、専制政治や独裁政治に至る不吉な道だ。

保守やリベラルと規定される、過激派よりも穏健な政治思想を持つ人々も、むろん誰もが日本を良くしたいと願っている。

その意味では日本人は誰もが愛国者である。

ネトウヨヘイト系人士を含む右派の多くは、彼らだけが愛国者だと信じて、、対峙するリベラルや自由主義者などの左派を反日、売国奴、自虐史観主義者などと罵倒したがる。

だが彼らは、例えば日本の侵略行為を否定したり、靖国神社を盲目的に称揚したり、旧日本軍の蛮行を認めない等々の歴史修正主義に走ることによって、世界から批判される。

つまり実は彼らのそうした動きこそが、日本を貶める自虐史観行為だ。

平家、海軍、国際派という成句がある。

社会のメインストリームから外れたそれらの人々は、日本では出世できないという意味の言葉だが、政治の論壇などでは往々にして「反日」と同じ風に使われたりもする言い回しだ。

だがそれは間違いで、平家の中にも、海軍の中にも、国際派の中にも愛国者はいる。と言うか、そこには源氏、陸軍、国内(民族)派とまったく同数の愛国者がいるのだ。

そして僕自身は国際派の愛国者を自負している者だ。国際派だから、出世もできずに恐らく死ぬまで外国を放浪し続ける、という寂しい人生を送っているわけだが。

中国に宣戦布告をするのでもあるかのような、高市早苗首相の「台湾有事は日本の存立危機事態」の国会発言は、元を正せば歴史修正主義に根ざしている。

彼女は先の大戦は日本の侵略戦争ではないと信じている。従って被害国への謝罪も必要がないと結論付ける。そこには既に被害国への蔑視感情秘匿されている。

特に隣国の中国、韓国、北朝鮮への優越意識は強い。敵愾心と言い換えてもいい。

劣った国々だから優位にいる日本が彼らを支配しても問題はない、という思い上がった感情がそこにはある。

その気合いは、靖国参拝に反発するそれらの国々への怒りを呼んで、彼女の不機嫌がさらに募る。

高市首相の中国への敵対感情は特に深い。

日本が蹂躙しても構わないほど“劣って”いた中国は、近年経済的にも従って軍事的にも巨大化して、もはや日本は太刀打ちできない。その現実が彼女の怒りをさらに煽る。

そうやってアメリカを頼みにしつつ、台湾を卑小化し宗主国気取りでをこれ庇護するという思い上がりが加わった。

その結果中国に対して居丈高になり勇ましく拳を振り上げたのが、愚かな台湾有事=日本存立危機発言だ。

要するにその意思表明は、WEB上に踊るネトウヨヘイト系排外差別主義者らの勇ましくも空虚な反中国言論と大差ないのである。




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同じ極右なのに月とスッポンポンの日伊女性首相

若Meloni&高市699

僕は高市早苗首相の動静を、ここイタリアのジョルジャ・メローニ首相と対比しながら監視してきた。

2人には大きな共通点がある。何よりもまずそれぞれが両国初の女性首班であること。両氏ともファシスト的な気迫の政治スタンスやメンタリティーを持つ右派政治家である点だ。

メローニ首相は、15歳でファシスト党の流れを組むMSIに参加し、活発な右翼活動家となった。

2012年には同じ流れの極右政党、イタリアの同胞を結成。その泡沫政党を率いて党勢を拡大させ、2022年総選挙で第一党に躍り出てついに政権を奪取。イタリア初の女性首相となった。

政敵にネオファシストとさえ批判されたメローニ首相は、政権樹立後は中道寄りの現実路線にシフトして、イタリアのみならず欧州全体でも一目おかれる「保守政治家になった。

政治的にも極端な言動は鳴りをひそめ、対立する政治勢力を敵視するのではなく、意見の違う者として会話や説得を試みる姿勢が顕著になった。

そうした変化が可能になったのは、彼女がイタリアのトップとして統率力を発揮し、支持基盤であるイタリアの同胞に始まる極右モメンタムを抑えているからだ。

片や高市首相は、日本のトップとしての独立した強い権限や独自性はなく、自民党内の安倍残党歴史修正主義一派、日本会議、神社本庁ほかの祭祀陰謀団、また全国に蠢くいわゆる自称文化人やアカデミック層また芸能人などを含む、有象無象のネトウヨヘイト系国民によって操られるパペットであることが明らかになりつつある。

ふたりは元々かけ離れた右翼活動家ではある。ひとことで言えば、メローニ首相が明の右翼政治家、片や高市氏は陰にこもったキャラクターだ。

もっと言えば高市氏は自ら大いに右翼運動を担うのではなく、例えば安倍元首相に庇護されて四囲を睥睨したように威光を笠に着て凄むタイプ。

一方のメローニ氏は自ら激しく動いて道を切り開くタイプだ。

僕は先日、「高市首相は、独裁者気質のトランプ大統領や、極右とも批判されるここイタリアのメローニ首相もできない急カーブのファシスト街道を走りまくって、すわ!中国と開戦、というゴールに飛び込まないとも限らない」

と書いた。

すると高市首相は後日、あっと驚く「台湾有事は日本の存立危機事態」の国会発言をかまして、露わすぎるほど露わに自らの本性を激白した。

高市首相の―あえて大げさな意味合いで言うと―中国への宣戦布告じみ日本の存立危機事態発言は、彼女が仲間のネトウヨ人士らとの会合で気勢を上げるノリで口に出したものだろう。

高市早苗氏は、たとえ逆さに吊るして振り回しても“極右”という毒素しかこぼれ出ない政治家だ。

それでも日本のトップに押し上げられることで、政治的にも人間的にも成長するのではないか、と僕は密かに応援する気持ちでもいた。ここイタリアのメローニ首相がそうであるように。

だがそれはしょせん、大いなる無いものねだりだったようだ。

高市首相は英国のサッチャー首相に憧れていて、彼女のようになりたいと願うらしい。だが、それはあまりにも大それた願望だ。

岩盤支持層に操られるだけの彼女が、大化けにバケてここイタリアのメローニー首相の域にでも変貌できれば、上等以上に上出来だ。だが彼女はそこにさえ至らないようだ。

そうであれば高市首相は、近いうちに詰め腹を切らされる宿命だろうが、日本国民を戦争の崖っぷちにまで追い込んだ責任は重い。




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高市首相は世界ネトウヨ連盟のくび木から早急に抜け出せ

高市キンペー合成650

開いた口が未だに塞がらない。

高市早苗首相の台湾有事・日本存立危機発言とそれに対する中国の反応のことである。

どっちもどっちだ。

貧弱な政治文化の本質がてんこ盛りになった、恥ずかしくも見苦しい言動の数々だ。

高市首相が、台湾有事は日本の存立危機事態と口を滑らせたのは、日本の過去の蛮行を認めない歴史修正主義に凝り固まった精神が言わせたものだろう。

国際政治を知らず、従って外交に疎い迷妄もあるが、中国への深い蔑視と敵愾心も秘匿されている。日本のトップの人物がWEB上で汚い言語を撒き散らすネトウヨに似ているのは寂しい。

これに対して、大阪在の薛剣中国総領事が「勝手に突っ込んできた汚い首を斬ってやる」と、汚い首に付いた汚い口から腐臭を放つ言葉を投げつけた。

中国政府もこれを諌めるどころか、似たり寄ったりの野蛮醜悪な言動を続けている。

それらは“アジア”に共通した未開で好戦的な政治精神の発露だ。ここで言う“アジア”とは、外交も民主主義も理解しない中国的、アラブ的また日本極右的な勢力の全である。

そこには無論ロシアも北朝鮮も含まれる。またネタニヤフのイスラエル、エルドアンのトルコもりっぱな、いや、“アジア”以上の“アジア”であることは論を俟たない。

最近そこには信じがたい巨大パワーも加わった。言わずと知れたトランプ主義が席巻するアメリカだ。

日本は一刻も早くそれらの「ああ喚(わめ)けばこう叫んで背中に斬りつける」蛮人連合体から抜け出したほうがいい。

そうしておいて意識改革を断行し、欧州並みの政治文化また文明を獲得する努力をするべきだ。

それにはどうするか。ひとえに過去の蛮行を認めて反省し、被害者の国と国民に腹からの謝罪を行って生まれ変わる以外には方法がない。

僕は再び、再三再四、繰り返し何度でも主張する。ドイツを見習え。イタリアを意識しろ。

僕は11月3日、「高市首相は、独裁者気質のトランプ大統領や、極右とも批判されるここイタリアのメローニ首相もできない急カーブのファシスト街道を走りまくって、すわ!中国と開戦、というゴールに飛び込まないとも限らない」

とここに書いた。

それから4日後の11月7日、高市首相は 台湾有事は日本の「存立危機事態になりうる」と既述のあっと驚く国会発言をかまして、露わすぎるほど露わに自らの本性を激白したのだ。

高市首相の―あえて大げさな意味合いで言うと―中国への宣戦布告じみ日本の存立危機事態発言は、彼女が仲間のネトウヨ人士らとの会合で気勢を上げるノリで口に出したものだろう。

高市首相の先の大戦は侵略戦争ではないに始まる一連の歴史修正主義発言や靖国称揚思想、テレビ局への停波するぞ恫喝などのファシスト気質を知りつつ、また政治信条的にも大いに疑問を抱きつつも僕は密かに彼女の❝化け❞を期待してきた。

ここイタリアのジョルジャ・メローニ首相に重ねて彼女を見ようとしたのだ。

イタリア初の女性首相となったジョルジャ・メローニ氏は、ファシスト党の流れを汲む「イタリアの同胞」を率いて選挙を勝ち抜いた。

ところがメローニ氏は、首相になると同時に険しい表情をゆるめ、極右独特の厳しい言動を控えて、いわば強硬右派とでも呼ばれるべき穏健な道を歩みだした。

高市早苗首相は、たとえ逆さに吊るして振り回しても“極右”という毒素しかこぼれ出ない政治家だが、日本のトップに押し上げられることで政治的にも人間的にも成長するのではないか、と僕は密かに応援する気持ちでもいたのである。

だがそれはしょせん、大いなる無いものねだりだったようだ。

高市首相は彼女の岩盤支持層である日本極右勢力、即ちネトウヨヘイト系差別主義者の国民や自民党安倍礼拝族、また日本会議や国家神道など同じ穴の貉会が一体になった、日本ほぼカルト 勢力に呑み込まれあるいは同調して、結局独自の政治信条も無いままさらに右へと急カーブを切り続け、ついには昏倒する運命であるように見える。




記事と写真そのⅡ

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投稿記事と写真の関係についてたくさんのコメントやメッセージをいただいた。御礼申し上げる。

 読み進めるうち、結構深掘りに考えていらっしゃる方が多いらしい雰囲気におどろいた。 

それはひとえに僕の説明の仕方が悪い、つまり文章が拙いせいなのだろう。同時に皆さんが何やら考え過ぎているように見えなくもない。 

そこでまた少し説明をすると、要するに僕の手中にスマホがあるので、簡単に写真を撮っておき気ままに文章に貼り付けているというだけの話である。 

何か意味があるとすれば、写真を思い出や記録や資料やデータ等々にする目的ではなく、FB記事に貼付する、というはっきりした考えを抱いてぱちぱちシャッターを切っているという点だけだろう。

 僕は下手なTVディレクターでロケハンにも多く行くが、写真はほとんど撮らず、常に「メモ」という文章で記録を取って、ロケへ向けての準備を進める習いで来た。 

もしも仕事全盛の頃にスマホがあれば、どれだけ膨大な写真資料があって、どれだけ面白い写真がFBに掲載できただろう。。と残念がりながらの写真貼りである。 

写真は飽くまでもオマケなので、皆さん文章をひとつ、シク、よろしくお願いしますよ。ほんとに。







SNSの記事と写真はほぼ無関係

紅葉越しに隣家650

SNSの記事と貼付する写真はどんな関係があるのか、というコメントをいただいた。

結論を先に言えば、旅や料理や身の回りのあれこれといった個人的な報告は別にして、基本的に記事と写真は関係がない。

シンボリックな絵を掲載している、などと言えば格好がいいのだろうが、写真よりも文章が大事と思っているので実は掲載写真は、ま、二の次という思いだ。

掲載するほぼ全ての写真は僕が記事に貼付する心積もりで撮ったものだ。

二の次だ、どうでもいい、と思いつつも結構気を使って撮影し、掲載分の一枚を慎重に選んでいると言えば、およその状況がお分かりいただけるだろうか。

僕のSNSでの活動は先ずブログから始まった。そこでは写真は一切貼り付けなかった。文章で勝負、と密かに意気込んでいた。

絵もあったほうがいいと言われて、著作権フリーの無償写真サイトから引っ張ってきては少しずつ貼り付けた。

やがてFBにも転載するようになって無償サイトの写真が居心地悪くなった。

グログが間接的であるのに比べてFBは直に読者と接する感覚がある。すると写真は輪郭が暈けていると感じるようになったのだ。

著作権フリー写真と銘打っているWEBサイトの真贋も気になった。

そこで徐々に自分で撮った写真を貼付する使ようになった。

ブログでは今も無償写真を使う。

しかし気分はそれほど良くない。

サイトの写真は本当に著作権がクリアになっているのかどうかが、やはりどうしても気になるのである。

しばらく今のままで行くが、そのうち文章だけで勝負という気持ちになって、ブログもFacebookも写真掲載をやめるかもしれない。



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トランプの終わりの始まりが見えたかも、かい?

叫ぶトランプ切り取り650

アメリカ発の良いニュースと悪いニュースが飛び交っている。

最新の良いニュースは、トランプ大統領の支持率が急速に悪化していること。

悪いニュースは、それでもトランプ主義が引き続きアメリカを席巻しそうなことだ。

もうひとつの良いニュースと悪いニュースもある。

良いニュースはトランプ支持率が落ちているにもかかわらず、対抗する民主党支持率が上昇していないこと。

悪いニュースは、従って、民主党の早い政権奪取はありそうもないことだ。

今、は?とつぶやいた人も多いだろう。

要するにリベラルの民主党に政権を担ってほしいが、今のままの民主党ではNG、というのが僕の言いたいところだ。

民主党はトランプ主義者のエミリー・フィンリーが指摘した、「民意を無視し、平等、多様性、移民包容など、民主党が認める主張だけを“民意”として容認、やがてそれに合わない主張を排除」する“エリート主義”をかなぐり捨てなければ、“トランプの意のまま共和党”に勝つことはできない。

それどころか個人的には「勝ってはならない」とさえ思う。

なぜならリベラルとしての民主党が、平等の理念を全うし民衆の真のニーズや価値観や思いに寄り添って歩む本来の姿に立ち返らない限り、政権を担うべきではない。

それにしても、負け犬とはいえ米民主党は、トランプ大統領に噛み付き勝手を許さない動きを繰り返している。

ここイタリアでも敗者の民主党などの左派が、右派のメローニ政権に挑んで独断専横を監視している。他の欧州諸国も似たり寄ったりだ。

ところが日本はどうだ。結束すれば自維政権を小路に追い込むこともできるはずの野党が、特に立憲民主党のだらしなさ故にひたすら無力全開だ。

今のままの状況では高市首相は、独裁者気質のトランプ大統領や極右とも批判されるここイタリアのメローニ首相もできない急カーブのファシスト街道を走りまくって、すわ!中国と開戦、というゴールに飛び込まないとも限らない。



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男芸者に憧れて女芸者が生まれた

高市安倍合成650

高市早苗首相は、先の大戦は日本の侵略戦争ではなかったと言い張るだけで、紛れもなく歴史修正主義者であり極右である。

そんな人物が日本のトップに据えられた。さぁ大変だ、と騒ぐのは当たらない。極右の歴史修正主義者が日本のトップになった例は枚挙にいとまがない。例えば最近では安倍元首相がそうであり菅元首相もそうだ。

残りの自民党首班も 多かれ少なかれ歴史修正主義者然とした淀んだ私意を胸に秘めているのが普通だ

実はブレまくるが、一瞥すると善人の石破前首相でさえ、戦後80年所感で先の大戦における日本の加害責任を無視した時点で、歴史修正主義に毒されていると批判されても仕方がない。

そうしてみると高市首相が、自身が死ぬほど愛し盲従するファシスト気質の安倍元首相よりもい人気を集めるらしいのは、彼女が極右政治家だからではなく、やはり日本初の女性首相だからと考えるのが妥当だろう。

高市首相は就任直後にASEANで外交デビューした。そこにはつわものの“男性の”各国首脳が一堂に会して高市首相を歓迎した。曲がりなりにもアジアの有力国である日本の初の女性首相に対して、ASEANの男性ボスらが最大の敬意を払うのがひしひしと伝わってきた。

ところが高市首相は、ASEAN会議から帰国してトランプ大統領に会ったとたんに、馬脚をあらわした。アメリカの“属国”たる日本の首相の本領を発揮して、トランプ大統領に徹底的に媚びる外交を展開したのだ。

阿諛外交は高市首相の専売特許ではない。特にトランプ大統領との関係では、政治上の彼女の永遠の恋人、安倍元首相の行動がただちに思い起こされる。

安倍元首相は2016年、トランプ氏が大統領選に初勝利したとき、就任前にもかかわらず世界の首脳に先駆けてトランプタワーに乗り込み彼を祝福した。

世界の大半がトランプ勝利に眉をひそめている最中に、「何らの批判精神もなく」彼に取り入った安倍氏の行為は、グローバル世論を驚かせた。

そこには安倍元首相ならではの無邪気と無教養と無恥の気質が如実に現れていた。 自尊心のかけらもないような諂笑を振りまいて恥じない日本のトップの姿は、世界の虚をついた。

トランプ大統領に思いきり媚を売る高市首相の芸者振りを見て、僕は彼女のやり方が安倍元首相を真似たものであると気づいた。

それは翻って同時に僕が、安倍元首相はトランプ接待に長けた男芸者だったのだ、ということを悟った瞬間でもあった。

「世界の真ん中で咲き誇る日本外交」という、高市首相が口にしたがるセリフはネトウヨ界隈で大いに受け、信じられているコンセプトらしい。だが、そんなものは一秒たりとも存在したことはない。

それは文化の特殊性ゆえに常に世界のはずれに置かれていることを恐れる、保守主義者及びネトウヨヘイト系の差別主義者らが、熱病に冒されたように唱える念仏に過ぎない。

日本が真に世界の真ん中で咲き誇ろうとするなら、辺境に生きることを恐れず、万彩に咲く独特な文化の花を慈しみつつ毅然として立つことだ。

そうすれば世界の側がこちらに寄り添って来て、日本を世界の真ん中に押し進めようとする。なぜなら特殊であることこそが文化の価値であり命だからだ。それを大事にする社会を世界は尊ぶ。

今回はそうなる代わりに、高市首相の残念なトランプ接待劇によって、安倍&高市芸者外交が世界の真ん中で咲き誇ることになってしまった。

しかし、ま、そうは言うものの、宮本武蔵や塚原卜伝などの優れた兵法者もかつては「芸者」(武芸者ではない)と呼ばれていたのだから善しとして、今後の展開を待つとしよう。




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愛嬌は良いが媚態は怪しい


高市サッチャー有色・白黒650

高市新首相のASEANでの押し出しはとても良かった。

僕はイタリアにいながら、各国の衛星放送とYouTube、またSNSなどを介して彼女の動静を逐一見た。

高市総理は、日本発の女性首相という後光を担いで、にこやかに鮮やかに振舞った。

ASEAN各国のつわものの首脳たちも、ただちに彼女の存在を認め、称え、歓迎した。一目どころか、三目も、七目も置く雰囲気が伝わってきた。

僕はそれまで彼女を批判的な目で見つづけながら、密かに応援する気持ちでもいた。

なぜか。ひとえに高市氏が女性だからだ。

僕は日本の強烈な男尊女卑文化を国の諸悪の根源の一つと見なす者だ。

高市首相の外交デビューは、彼女が女性であることがポジティブな効果をもたらした。それは日本の明るい未来を示唆するようにさえ見えた。

批判するにしろ称揚するにしろ、高市首相が女性であることを争点にするのは、そのこと自体が「女性差別」だという馬鹿げた議論がある。

その主張を正当化するために、「世界には既に多くの女性首相がいる。だから高市首相が女性であることを問題にするべきではない」というたわけた言い分さえ垣間見える。

それらは議論のための議論、又はああ言えばこう言う類の、奇をてらった態度だ。

世界の潮流に逆行する男尊女卑思想のくび木が、社会の淀みの原因となっている日本で、女性の高市氏が国の最高権力者になった。それは議論値する大きな出来事だ。

そしてそれは本来なら、ただひたすらに慶賀されるべきドラマだ。

だが、彼女は女性でありながら男尊女卑の通念や政策に賛同するなど、異様な政治信条を公にしている。

ただでも話題にされるべき歴史的な出来事が、歴史を逆行するようなシナリオを内在させているのだから、話題にするなというほうが無理だ。

日本初の女性首相となった彼女は、まさに女性であるがゆえの行動原理でトランプ大統領を遇した。

そのやり方や立ち居振る舞いが、古来男に完璧に支配され続けた日本女性が強いられた様相を彷彿とさせて女性を貶める醜態にも見えた。

高市首相は一国のトップがしてはいけない動きを何の屈託もなくやってのけた。それは、彼女が尊敬するサッチャー元首相なら嫌悪感を露に叱責するであろうような行儀だった。

メルケル元首相も眉をひそめて軽蔑するだろう。高市首相と同じ極右政治家のここイタリアのメローニ首相も-仲間意識から正面切って批判することは避けるだろうが-内心呆れたに違いない。

トランプ大統領が肩を抱き寄せても身をかわさず、逆に彼の腕に縋り付いて喜ぶ女性首相を目の当たりにした世界中の、特にアメリカの男たちは必ず「ゲイシャ」という言葉を連想してほくそ笑んだに違いない。

そして世界の女性は、彼女たちが闘い少しづつ勝ち取った女性の人権とジェンダーフリーへの取り組みが破壊され、歴史が反転後退したとさえ感じただろう。

ここイタリアでは、極右と批判されながら初の女性首相となった先述のジョルジャ・メローニ氏が、プラグマティストへと目覚ましい変貌を遂げて国民の支持を集め続けている。

僕はASEANでの高市首相の輝きを、メローニ首相に重ねて眺めて心を躍らせた。彼女はあるいは日本を大きく変える仕事をするかもしれないとさえ思った。

だがその思いは、彼女が帰国後トランプ大統領と会った時点で消えた。それどころか以前から抱き続けてきた彼女への不信感がよみがえり大きく膨れ上がった。

彼女がトランプ大統領に寄り添い、腕を組み、流し目を送り、はしゃぎまくる姿に驚愕した。それはほとんど卑猥にさえ見える動きの数々だった。

あまりの出来事に僕は初めは状況が呑み込めず-時間が前後したこともあるが-ここFBのコメント欄に彼女の媚はトランプ大統領へのそれではなく自民党の男性議員へのもの、と頓珍漢な書き込みをしたりした。

各メディアから流れ出る彼女の異様な動きはそれほど僕の理解を超えていた。アイドルに魅入られた女子高生でもそれほど見苦しい動きはしないとさえ感じた。

無知と鈍感と下品さがてんこ盛りになった彼女の動きは、世界の心ある人々の眉をひそめさせた。

そうではあるが、しかし、高市首相が成すべき最大の仕事は日本の国益の追求である。彼女がそのためにトランプ大統領に媚を売ったのであるなら、首相としての義務を果たしたことになる。

その真偽はこの先、早々と明らかになるはずである。

国益に資さない動きだったと知れた場合は、高市政権はたちまち終わりに向かって歩み出すだろう。




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