【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2026年04月

トランプ的浅慮のはた迷惑

トランプ&FIFA会長インファンティーノ650

トランプ大統領はサッカーのワールドカップ予選で敗退したイタリアを、彼が戦争を仕掛けて紛争継続中のイランに代えて出場させるよう、FIFA(国際サッカー連盟) のジャンニ・インファンティーノ会長に要請した。

大統領の配下で、国際パートナーシップ担当特使という肩書きのパオロ・ザンポッリ氏が語った。

イタリアはW杯4回優勝の強豪国だが、今回を含めて過去3回の大会で予選落ちをしている。イタリアはそのことで悲嘆に暮れている。

従ってトランプ大統領の思いつきを喜ぶかと見えたが、事実は逆である。

メローニ首相は「イランに代わってイタリアが出場するというトランプ大統領の提案は不適切です。出場権はピッチ上で勝ち取るものであり政治が介入してはならない。イタリアはW杯で4度優勝しています。ルールに従ってプレーします」と明言した。

ジョルジェティ経済財務大臣ほかのメローニ政権の閣僚らは、トランプ大統領の申し出はイタリアに対する侮辱だとさえ表明した。

また有力新聞のひとつは「われわれはイランの抑圧的な政権には一ミリの共感も抱いていない。しかしイランのナショナルチームはピッチで正当に戦ってW杯への出場権を得た。彼らは何があっても大会に出場するべきだ」と書いた。

イタリア共和国中がトランプ大統領の提案に呆れ、怒っている。

僕はイタリア国民のその真っ当な心意気に感じ入っている。

トランプ大統領の独善的な、奇妙な申し出には裏がある。

トランプ大統領は最近、盟友と見做していたメローニ首相にイラン戦争を反対され、米軍機のイタリア基地使用さえ拒否された。

のみならずメローニ首相は、アメリカとイスラエルのイラン攻撃を国際法違反だと声高に指弾している。

またトランプ大統領は、ローマ教皇レオ14世とも険悪な中になっている。バチカンを抱くイタリア国民は、大統領による教皇批判に激しく反発。親米感情が雲散霧消したようだ。

トランプ大統領は、メローニ首相と仲直りし、世界的な影響力を持つ教皇レオ14世とも関係を修復したい。

その思惑があっての発案だと考えられる。

しかしこれまでのところ彼の目論見 ははずれて総スカン状態になっている。

僕は密かに快哉を叫びたい気分だと告白する。



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日本の解放記念日が待ち遠しい

Tricolore650

今日、4月25日はイタリアの解放記念日、つまり終戦記念日である。

第2次大戦末期の1945年4月25日、イタリアはナチスドイツとファシズムを駆逐して終戦を迎えた。

日本人の多くが、日独伊三国同盟の史実にひきずられて、イタリアを日本とドイツと同列に並べ一律に第2次大戦の敗戦国と考えがちだ。

イタリアはむろん敗戦国だが、イタリア自身のいわば生い立ちあるいは因縁、などという観点から見れば戦勝国でもある。

なぜならイタリアは、ナチズムに席巻された状況で終戦を迎えたドイツや、軍国主義に呑み込まれたまま天皇を筆頭とする戦犯さえ処罰できなかった日本とは違い、民衆の蜂起によってファシズムとナチズムを排撃したからだ。

盟友を装って仲良しこよしを演じていたドイツとイタリアは、大戦中の1943年に仲たがいしイタリアはドイツに宣戦布告。

民衆組織のイタリアパルチザン(レジスタンス)がナチスと激しく戦い、1945年4月25日、全国レジスタンス運動の本拠地だったミラノが解放されナチスドイツ軍が駆逐された。

その3日後にはナチスに操られて民衆を弾圧してきたムッソリーニが射殺され、遺体は彼の生存説の横行を避けるために、ミラノのロレート広場でさらしものにされた。

イタリアは日独と歩調を合わせて第2次世界大戦を戦ったが、途中で状況が変わってナチスドイツに立ち向かう勢力になった。

言葉を替えればイタリアは、開戦後しばらくはナチスと同じ穴のムジナだったが、途中でナチスの圧迫に苦しむ被害者になっていったのである。

イタリア共和国の最大で最良の特徴は「多様性」、というのが僕の持論だ

多様性は時には「混乱」や「不安定」と表裏一体のコンセプトだ。

イタリアが第2次大戦中一貫して混乱の様相を呈しながらも、民衆の蜂起によってファシズムとナチズムを放逐したのはすばらしい歴史である。




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チョー嬉しいチョウゲンボウ

成長し精悍650

今年も戻ってきてくれた。

2019年以来わが家の軒下で子育てをするハヤブサのチョウゲンボウだ。

4月2日、時期的にまだ早いと思いつつ屋根裏に行って覗くと、既に6個の卵が産み落とされていた。

これまでにヒナを確認できたのは6月頃だったので、産卵は4月半ば以降あたりだろうと思い込んでいた。少し嬉しいおどろきだった。

4月8日、親鳥がいないのを遠くから確かめて再び見に行くと、卵が一個増えて7個になっていた。

チョウゲンボウは多い場合は10個近い卵を産む。だから7個は珍しくない。もっと増えてほしいと思った。

多くのヒナが育てば鳩やがズミなどの衛生害獣が捕食されて好都合だ。

わが家は落ちぶれ貴族の巨大なボロ屋敷である。

屋根や倉庫には鳩の糞がうず高く積もり、ネズミが害をなす。

だがハヤブサがわが家に営巣し多くが空に舞うようになってから、明らかにそれらの害獣が減った。

わが家の周りには広大なぶどう園が連なっている。そこにはハヤブサの餌になる昆虫や小動物が多い。

それらは有機栽培のブドウ畑が増えるにつれて年々数が膨らんでいるらしい。

わが家のネズミや鳩が少なくなっても獲物には困らないだろう。



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メラニア・トランプってどんな何者か。あの者なの?

メラニア切り取り687

先日のファーストレディの突然の声明発表後すぐに、それが出されたタイミングやその意図するところについてメディアが一斉に騒ぎ立てた。さまざまな推論や謎解きや興味本位の揣摩憶測が乱舞した。

声明発出は時期的に不可解とされた。なぜなら当時彼女に対するエプスタイン関連のメディアの追及は一段落しており、敢えてその時期に声明を出す必然性はないと考えられた。

最も大きな疑問は、彼女がエプスタイン問題を持ち出すことで、夫のトランプ大統領に掛かっているエプスタイン疑惑醜聞がぶり返すことだった。

トランプ大統領はエプスタイン疑惑から世間の目を逸らせるためにイラン攻撃を仕掛けた、という疑いさえ持たれていた。

事実イラン戦争という大事件が起きたために国民の関心はそこに惹きつけられて、エプスタイン関連の報道は大幅に減っていた。

メラニア夫人がエプスタインに言及すれば、せっかく逸れた国民の関心が再びエプスタイン問題に引き戻される可能性がある。

一気に盛り上がったメディアやネットやSNSの報道合戦は、しかし、すぐに収まった。

大統領からの介入や言い訳や声明、また反論などの類は一切なく、エプスタイン問題が大きく蒸し返される気配もこれまでのところはない。

イラン戦争終結に向けた動きが激しく、人々の目は依然としてそこに釘付けになっている。

それはメラニア・トランプ氏の発言が、純粋に彼女の心の内を披歴したもので、夫と共謀しての政治的ブラフではないことを雄弁に物語るように僕の目には映る。

彼女が夫に付き従うばかりではない主体的な精神の持ち主であるらしいことが、僕の気分をそこに向かわせている。

僕は今このときは、彼女の声明の政治的意味云々よりも、「移民」としての彼女の動向に留意して事の成り行きを注視している。




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メラニア・トランプって何者?

melaniaDeclaration中ヨリ650

米大統領夫人のメラニア・トランプ氏はホワイトハウスで先日、性犯罪者のジェフリー・エプスタインとの関係を否定する声明を出した。

僕は声明を読み上げるメラニア・トランプ氏の英語のたどたどしさに目が点になった。

たどたどしいという表現はあるいは適切ではないかもしれない。だが彼女の話す英語の訛音が強烈で、同時に流れる英語のテロップがなければうまく聞き取れない語や発音が少なくなかったのだ。

それはネイティブの話し方とは似ても似つかない表音の英語だった

メラニア・トランプ氏はここイタリアの隣の小国スロベニアの出身である。1970年生まれの彼女は、26歳でアメリカに移住しアメリカ市民になった。

要するに彼女が話しているのは移民の英語だ。訛りがきつくても不思議ではない。むしろそれが当たり前だ。

僕は彼女の英語の訛音に接して、彼女が移民であることをあらためて強く意識したのである。

彼女は2005年にトランプ氏の3人目の妻になったことで「何者か」なった。だがそれは言うまでもなく彼女の語学力が突然ネイティブ並みに上達することを意味しない。

メラニア夫人はトランプという不吉な姓を持つゆえ故にセレブになっているが、ふつうなら自由なアメリカの夢を追って、旧東欧国からアメリカに渡った、どこにでもいるありふれた女性に過ぎなかった。

彼女がホワイトハウスで誰も予期しなかった声明文を読み上げたのは、渡米後30年の時だったわけだが、とてもそうは見えないほどに話し方に癖があった彼女は語学が得意ではないのだろう。

それはそれで構わない。英語を流暢に話すかどうかは個性の問題だ。

彼女の声明を聞きつつ僕がとっさに思っていたのは、訛りの強烈な「移民」の妻を持つ「移民の国アメリカ」のトランプ大統領が、移民を嫌い移民の排除を政策の中心に据えている冷酷な事実だった。

僕はトランプ大統領という異常人格者にいわば「不気味の谷」現象にも似た違和感と不快感を覚えてしまう。

そしてそれは、トランプ大統領自身も移民の子孫である事実と相まって、ますます異様な雰囲気を帯びる。僕の中の違和感と不快感は怒りになりやがてやりきれない虚無感へと変わる。

MAGA系に限らず白人至上主義者のレイシストらは、自らが移民の子孫であることを忘れて移民排斥を叫ぶ。

トランプ大統領はその狂気の群れの首魁だ。

メラニア夫人の真摯な、拙い発音の声明を聞きながら僕がひたすら思っていたのは、やはり性格破綻者の怪物、トランプ大統領の不気味さだった。

                                         つづく




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レオ14世の不退転

凶暴トランプvs微笑教皇650

僕はキリスト教徒ではないが、キリスト教徒のように感動し勇気を得、深い喜びを覚えている。

ローマ教皇レオ14世が2026年4月13日、彼を批判するトランプ米大統領に対して「私は彼を怖れていない」と名指しで反批判を展開したからだ。

たとえ敵であっても、ローマ教皇相手を名指しで糾弾することはほとんどない。

教皇は宗教指導者であり平和の推進者として対話を重んじ、和解と調和を追求する立場にある。

個人や国を名指しで直接的に批判しないのは、対立を深めず、和解の余地を残すための外交戦略である。あくまでも平和的な解決を模索する姿勢を崩さないのだ。

だから公の場での直接的な批判を控える。特定の名前を挙げるよりも、戦争そのものや不当な暴力自体を批判する形をとるのが定式である。

レオ14世がトランプ大統領を名指しで糾弾したのは、グレゴリウス7世が1076年、ハインリヒ4世を名指しで批判し破門。皇帝としての支配権を停止したいわゆる「カノッサの屈辱」にも匹敵するような出来事だ。

あるいは教皇ピウス11世が第二次世界大戦前夜の1930年代、ムッソリーニとファシズムを明確に批判し、ナチスの人種差別的政策についてヒトラーを名指しで糾弾した例にも続く重大な動きなのである。

世界14億の信者を率いるバチカンは、日本人が中々想像できない大きな影響力を持っている。

そのバチカンの権威は近年、大ヨハネパウロ2世の時代にぐんと伸びた。

だが教義の番犬とも批判されたベネディクト16世の治世下で停滞した。いや、あまつさえ後退した。

ところが2013年、バチカンはフランシスコ教皇の誕生によって再び希望の光を見出し、前進を始めた。

フランシスコ教皇は清貧と弱者への奉仕を最大の義務と定めて、信徒の熱い信望を一身に集めた。

教皇レオ14世はフランシスコ教皇を師と仰ぎ、世界14億のカトリック教徒とその共鳴者や友人、またその逆の人々までもが注視する唯一至高の聖職首座に就いた。

彼は「何者か」になった。

選ばれた「何者か」は、彼が誰であるのかではなく、「彼が何を為すのか」によって歴史の審判を受ける。

穏やかで控えめなスタイルで知られるアメリカ生まれの教皇レオ14世は、就任後は派手な言動を控えて、周囲と世界にじっと耳を傾けながらゆるりとバチカンの改革を進めるように見えた。

それはともすると、顔の見えない教皇、という印象を僕にもたらした。彼がどこに行こうとするのか、何を為そうとするのか、僕は息をひそめるような気分でじっくりと観察し続けた。

彼は事あるごとに平和を唱え戦争に反対する言葉を発してきた。

だが彼の師で前任のフランシスコ教皇に比べると、圧倒的にプロフィールが低く、目立たず、顔がおぼろげにしか見えない印象の時間が過ぎた。

ところが4月13日、事態が一変した。

イランへの攻撃が激化する中、教皇が戦争を糾弾し平和を呼びかける姿勢を続けることに逆切れしたトランプ大統領が、教皇は犯罪と核兵器に対して弱腰だ。レオは教皇として失格だ。イランを攻撃する私にむしろ感謝するべきだ、などとSNSを介してわめきたてた。

トランプ大統領のいつもの身勝手な主張に、温和な外見の内に秘めた教皇の強靭な精神が刺激された。彼は恐れを知らない率直さで同胞のトランプ大統領を名指しで真っ直ぐに批判し、飽くまでも軍事攻撃に反対し続けると宣言した。

彼はその行為によって、トランプ大統領という強烈で傍若無人な力に対抗する国際的な存在であることを世界に示した。

これまで辛うじてトランプ帝王大統領に対抗できたのは、プーチンロシアでも習近平中国でもなかった。それはアメリカの友人で同盟国の集合体であるEUだけだった。

だがそこにふいに、バチカンを率いて世界14億の熱心な信者を導く教皇レオ14世が加わった。いや、元々そこにいた存在がくっきりと可視化された。

僕はレオ14世誕生に際して、「アメリカ出身の教皇レオ14世が、自国の強権力者のトランプ大統領に歯向かうのか擦り寄るのか。それはレオ14世の正体が見える試金石になるだろう。」と書いた。

彼は歯向かうと決め、全世界が見守る中で、トランプ大統領に対して宣戦布告した。

これ以上に心強く喜ばしいことはない。



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トランプンは死ななきゃ治らない~イエス・キリストを気取るトランプの驕りの極み~

トラ本人投稿;救世主トランプ650

トランプ大統領は4月12日、自らをイエス・キリストに見立てたAI生成画像をSNSに投稿した。

それはイエス・キリストが重い病気や死の淵にいる病人を、額に手を当てて祝福するキリスト教伝統の宗教画を模したものだった。

トランプ大統領が古代の赤い表衣を着て、不遜にもイエス・キリストよろしく病人の額に手を当てて祝福するという、信じがたい愚劣な合成画像である。

これに対する世界中のキリスト教徒の反応はすばやく、怒りに満ちたものだった。カトリック、プロテスタントを問わず嵐のようなブーイングが地上に木霊した。

恐れをなしたトランプ大統領は、画像は(イエスではなく)医者のつもりだった、といつもの虚言に頼って言い逃れを図り即座に投稿画像を削除した。だが時すでに遅く、信者の怒りは大波となって世界中に広がっていった。

トランプ大統領の人格は、悪性のナルシシズムと変幻自在の虚言癖また万能幻想感覚で造られているように見える。

今回そこにむき出しのメシア・コンプレックス、つまり自らを救世主と信じ民衆を導く特別な使命を帯びていると思いこむ狂気が加わわって、彼の危険性はいよいよ増したようだ。

そこで不謹慎に聞こえるかもしれないことを承知で敢えて言っておくことにした。

馬鹿は死ねば治るが、殺しても死なないトランプ大統領は大王どころか神だ、と主張するMAGA系仕様のAIがあるらしい。

だがその人工知能は、当事者のトランプ氏以上の大嘘つきという見方もある。それって、ホントはどうよ? と僕は混乱するばかりだ。  

AIが馬鹿か利口か嘘つきかはAIの判断に任せるとしても、トランプ大統領が殺しても死なない、という主張には一理がある。

生身のトランプ氏の首を落とせばさすがに肢体は崩壊するだろうが、彼が作り出したトランプ主義は死なないからだ。

良識も倫理観も慈悲の心も、思い遣りも信義も人権意識も全く持ち合わせないらしいトランプ大王、もとへ、トランプ大統領は、排除されない限り世界を暗黒へと導き続ける。

要人を誅戮する行為は政治的に無意味だという考え方がある。

暗殺などの一過性の暴力は個人的な行為であり、一時的に社会の混乱や政治的な空白を招くことがあっても、根本的な世直しにはつながらない、というのがその理由だ。

それはつまり、議会主義や立憲民主主義の精神を重んじる立場からの意見だ。

暴力による政敵の排除を、文明を汚す野蛮行為と捉えて否定し、世の中を変えたいなら言論や政治活動によって成すべき、という崇高な気構えである。

だが世界の歴史を見れば、大物の暗殺が社会を大きく変えた例は少なくない。変えるきっかけになったケースはさらに多い。

近代なら例えばリンカーン、ケネディ両アメリカ大統領の暗殺、ガンジーのそれ、また古代にはカエサル暗殺など、多くのケースで政治体制や社会構造が変わるきっかけが生まれた。

ごく最近の例で言えば、安倍晋三元首相の暗殺事件も、統一教会と政治の癒着を暴き出して社会を震撼させた、という大きな意義を持つ。

だがそれによって日本の政治は変わるどころか、逆に隠蔽体質を強めた。そういう成り行き事態が日本社会の問題を抉り出している。

安倍元首相と統一教会と隠蔽体質の文化が社会の核心にある、と暴露された日本は最早安倍暗殺事件以前の日本ではない。やはり何かが変わったのだ。

では世界を揺るがせているトランプ悪太郎大統領を誅するのは果たして誰か?

習近平主席?プーチン大統領?あるいは彼らの連合軍?アメリカ抜きのNATO

いずれも力不足だ。トランプ大統領の敵ではない。

米軍を膝下に置くトランプ大統領は余りにも強すぎる。無敵と言ってもいいだろう。

いま挙げた全ての勢力が束になってかかってもあるいは勝てないかもしれない。

辛うじて彼を倒せるのはおそらくCIAだけだろう。だがCIAも今や完全にトランプ大統領の支配下にあるのだからお手上げだ。

トランプ大統領は国際法も人権も民主主義も同盟国との信義も司法の独立性も全て無視してやりたい放題をしまくっている。

彼は完全に排除されない限り止めることはできない。だが世界は彼を肉体的に粛清する術を持たない。

ならば彼はこのまま専横を続けるのか。むろんそうではない。

来たる11月の米中間選挙で民主党が勝てば、彼の政権はレームダックとなり、そのさらに2年後の大統領選挙で共和党が敗れれば、世界は一息つくことができる。

しかし、トランプ大統領が無理やり築いた無法者の論理、つまりトランプ主義は完全に消えることはなく、世界はしばらく暗黒の帳に覆われた状態が続くだろう。

例えて言えば世界は、再び弱肉強食の原始的な暴力時代に逆戻りし、各国が殺し合いを続ける。その後でようやく世界は対話と和合が支配する、トランプ以前の文明社会に戻る。

だがそれまでまでにはかなりの時間がかかるだろう。愚かな人類は学ぶことを知らないからだ。

アメリカ国民ではない者は米大統領を選ぶ選挙には参加できない。しかし、声を挙げることでアメリカの大統領選挙に影響を与えることはできる。

今このときはトランプ大統領を排除することは誰にもできないが、政治的に彼を抹殺することは可能だ。

われわれはそのことを信じて声を挙げ続けなければならないのである。



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悪鬼にも見えるヴァンス副大統領は救世主かもなの、かい?

vance orban trump

世界情勢は激しく動いている。

ハンガリーでは、EU加盟国でありながら反EUのスタンスを取り続けたオルバン政権が倒れた。

オルバン首相は2010年からハンガリーを牛耳った。

ロシアのプーチン大統領と米トランプ大統領の支持を受けて、彼はメディアを支配し選挙制度を改ざんするなどの手法で16年間ハンガリーに君臨した。

選挙前、トランプ大統領はルビオ国務長官とヴァンス副大統領をハンガリーに送り込んで、オルバン首相の選挙応援をさせたが、功を奏さずオルバン首相率いるフィデス党は大敗した。

勝者のマジャル氏はオルバン首相と同じ保守派だが、反EUのスタンスは取らないと見られている。それはEUにとっても世界にとっても朗報だ。

なぜならEUはロシアと中国の覇権主義と米トランプ主義に対抗する唯一の力であることが明らかになっている。

そのEUは英国の離脱(ブレグジット)で弱体化した。EUが団結して、特にトランプ強権主義に異議申し立てをし続けるのは重要だ。

その意味でEUの目の上のたんこぶ、オルバン政権の終焉は喜ばしい。

オルバン失脚とほぼ同時にイランとアメリカの停戦協議が決裂した。

それを受けてトランプ大統領は、ホルムズ海峡を米軍の力で封鎖するという、いつもの行き当たりばったり的な仰天策発表した。

思いつきとデタラメと嘘が主体ながら、世界最強の軍隊をバックに無理やり目的を遂げることもあるトランプ大王大統領である。

海峡を封鎖しているイラン軍もまとめて封鎖する、というコペルニクス的転回のとんでもアイデアを実行して、チャンスをモノにしないとは誰にも言えない。

僕はハンガリー選挙とイラン停戦協議に関わった、ヴァンス副大統領の動向を注視している。

骨の髄までのトランプ主義者で、トランプ大統領の後継者の筆頭と考えられている彼は、ハンガリーのオルバン首相救援に失敗し、イランとの停戦協議も達成できなかった。

そうしたことはトランプ大統領の不興を買って、彼はトランプ後継者レースから脱落するかもしれないという見方が出ている。

そうなればそれは、トランプ後のアメリカの行く末を大きく変える可能性がある。

なぜならトランプ大統領以上のトランプ主義者にも見える彼は、実はそうではないのかもしれない、と僕は考えているからだ。

彼がトランプ大統領の腰巾着の単純な日和見主義者なら、次期大統領になった暁には、トランプ後のトランプ主義をいよいよ加速させるだけだろう。

だが、そうではなく、彼が真に底の深いイデオローグであるなら事態は一変する可能性もある。

つまりその場合のヴァンス大統領は、トランプ主義から脱却して本来の共和党の良い面、あるいは健全な保守主義を、未来志向の目覚しい形に変容させるかもしれないと思うのである。

彼が次期大統領候補から脱落すればそのわずかな希望さえも消える。

のみならず他のトランプ主義者が権力を握るようなら、世界は今以上に暗く不安定な方向に進むのが確実に見える。



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欧州随一のトランプ主義者ヴィクトル・オルバンの崖っぷち

オルバントランプ650

4月12日に行われるハンガリー総選挙が、欧州のみならず世界の大きな注目を集めている。

EUきっての仁義なき戦い男、ハンガリーのヴィクトル・オルバン首相が、16年間(合計20年余り)にも渡る強権支配を終える日が迫ったかもしれないからだ。

ほぼ全ての世論調査によると、野党ティサ(Tisza党を率いるペーテル・マジャル氏が、フィデス(Fidesz 党のオルバン首相を大きくリードしている。

政権党による不正がない限り、ハンガリーの次期首相はペーテル・マジャル氏になる見込みだ。

オルバン首相はトランプ大統領とプーチン大統領の強い支持を受けている。

ウクライナ問題では、EUの総意に反してプーチン大統領に寄り添い、トランプ大統領のあらゆる政策を称賛している。

オルバン氏は1998~2002年に首相を務めた。その後、下野して2010年に再び政権を握った。

以後16年に渡って「民主主義ではない民主主義」の手法でハンガリーを統治してきた。

学識者は彼の政治手法を独裁ではないが民主主義でもない「ハイブリッド体制」「競争的権威主義」あるいは「情報独裁政権」などとと呼ぶ。

またオルバン首相自身は自らの政府を「非自由主義的民主主義」と規定した。

第12代欧州委員会委員長のジャン=クロード・ユンケル氏は、EUサミットでオルバン首相に会った際、「この独裁者~」とジョーク交じり言いつつ首相の頬を叩いた。

僕はオルバン首相を単純に「ハンガリーのミニトランプ」あるいは「EUの目の上のトランこぶ」などと呼んで呆れつつ憂鬱に眺めている。

ハンガリーは16年間の「非自由主義的民主主義」政権のおかげで、欧州連合の中で最も腐敗し、最も貧しく、最も自由度の低い哀れな国に成り下がったとされる。

オルバン首相のボスのトランプ大統領は、選挙応援のためにルビオ国務長官と、トランプ大統領に輪をかけたトランプ主義者であるヴァンス副大統領を、ハンガリーに送り込んだ。

彼らの力でオルバン首相の劣勢が覆せるとは思えない。

だが、もしも覆った場合は、オルバン首相のEU内での無頼度が勢いを増し、イラン戦争で躓いたトランプ大統領の強烈な悪運が回復するきっかけにもなりかねない。

そして何よりも気が滅入るのは、ボスよりもさらに危険なトランプ主義者にも見えるヴァンス副大統領が、次期米大統領としての足場をさらに固めるかもしれない事態である。



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辺境のリーダー、高市早苗首相の悲哀

日仏首脳会談ヒキ650

高市首相は欧米の首脳会談の相手にドナルド(Trump)、キア(Starmer)、ジョルジャ(Meloni)、エマニュエル(Macron)とファーストネームでしつこく語りかけた。

ところが高市首相は、会談した韓国の李在明(イ・ジェミョン)大統領をファーストメーネームではなく、一貫して「李大統領」と敬称で呼び続けた。

また2026329日から31日まで日本を公式訪問したインドネシアのプラボウォ・スビアント大統領に対しても初めから終わりまでプラボウォ大統領と尊称した

一見何ほどのこともないように見えるが、そこには高市首相の劣等感とそこからくる強い承認欲求、またそれとは真逆の優越意識がもたらすダブルスタンダードの虚偽が複雑にからみあっていて哀れを誘う。

彼女は欧米の首脳にはファーストネームで語りかけ、アジアの首脳には公の場でのプロトコールに則って李大統領、プラボウォ大統領またはプラボウォ・インドネシア大統領などと敬称し続けた。

敬称で呼びかけるのが当たり前の外交儀礼だが、彼女の胸の奥の奥にはアジアの首脳への、侮蔑とまでは言わないが、かすかな優越感が木の間隠れに見えるように思った

同時に彼女の中には、古くて新しい日本人の根本問題、つまり欧米(人)への抜きがたい劣等意識が潜んでいる

首脳同士の会談の場では、相手の肩書きやサーネーム(姓)+肩書きで語りかけるのが礼儀である。

そののち、何度か会い信頼関係が増す過程で、互いにファーストネームで呼びかけるようになる。それはルールではなく欧米の一般的な人間関係の発露に過ぎない。

国際関係に於いては首脳同士の友情がもっとも大事、という認識もある。従って最終的には2人がファーストネームで呼び合う関係が望ましいとされる。

高市首相は友誼、そして究極には信頼関係を構築する目的で、相方をしきりにファーストネームで呼んでいる。

だが、まだ親しみもない一国の首脳を「無理やり」にファーストネームで呼び続けるのは、不料簡を通り越した噴飯劇である。

そのことを端的に示すのが、高市首相に突然ファーストネームで呼ばれた各国首脳の驚きの表情だ。無神経且つ唯我独尊覇王のトランプ大統領は別にして、欧州首脳らは明らかに戸惑い、微苦笑を浮かべて彼女に対した。

マナーを心得ている彼らは、面と向かって相手のマナー違反を指摘するのは最大のマナー違反だと認識している。

だから驚き、だが無言で微苦笑を浮かべるしかないのである。

高市首相がそこで痛切に希(こいねが)っているのは、憧れの欧米の首脳と対等になりたいという激しい承認欲求、あるいは尊厳欲求である。

その心理また行動様式は、中曽根康弘首相が80年代にレーガン大統領とロン・ヤスの関係を構築し、首脳同士が名前で呼び合う慣わしが定着して以降の、日本側のいつもの一方的な、ストーカー然とした盲愛だ

同じ悲恋の直近の目立つ例は、故安倍首相がトランプ大統領とこれまたフェイクな友達関係を作り上げた物語である。

歴代のアメリカ大統領は腹の中で嗤いつつ日本首相の切なる願いを微苦笑のオブラートに包んで許し、受け入れてきた。

現大統領を除く彼らもまた、目の前の相手のマナー違反をあげつらうのは大きなマナー違反、と知っていたのである。

そうではあるが、しかし、高市首相の周りには、歴代の日本首相とは大きく違う空気感が立ちこめているのも事実だ。公平を期する意味でもそのことは指摘しておきたい。

会談相手の首脳たちは、ほぼ決まって出だしの微妙な違和感あふれる表情から徐々に解き放たれ、愁眉を開いていく様子がうかがえる。

高市首相の不自然な呼びかけに覚えたかすかな気持ちの揺れが過ぎると、彼らの表情には紛れもない親しみの色が浮かび出るのである。

それは高市首相の人となりが生み出すポジティブな情調だ。

あるいは後代の歴史家は、各国首脳を徹底してファーストネームで呼ぶのが高市首相独自の改革だった、評価するのかもしれない。

もしも彼女が、欧米の相方だけではなく、アジアの相対者にも、親しくファーストネームで語りかけるバイアスのない情動を持っていれば、その可能性はさらに高まるだろう。

だが、それはやはり無理ではないかと僕は考える。

なぜなら彼女は相変わらず極め付きの歴史修正主義者であり、天皇制ファシズム容認派であり、靖国崇拝、神社本庁また日本会議拝跪主義者である。

同時に彼女は、安倍極右神殿参りを繰り返す国家神道思い込んだら100年目保菌者でもあり続けている。

あるいは改革者かもしれないと思わせる外見はフェイクで、内心の黒い政治信条や思惑や哲学が彼女の本性なのだ。

そのことに思い至ると、高市首相の外交姿勢が途端に不気味に見えてしまうのは、返す返すも残念である。




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復活祭に子ヤギまた子羊肉を食らういつもの罪と快楽

羊肉丸焼き見世物ヨリ800 - Copia

今日は復活祭。イエス・キリストが死後3日目によみがえったことを祝う祭り。イタリアでは伝統的に子羊や子ヤギの肉が多く食される。

イエス・キリストが贖罪のために神にささげられる子羊、すなわち「神の子羊」とみなされることから、復活祭に子羊を食べてイエス・キリストに感謝をする習慣ができた。

子羊の肉はやがてそれに似た子ヤギの肉にも広がっていった。

僕はイタリアでは1年に一度、復活祭の日に子ヤギの肉を食べるのが習わしである。その習いが高じて、地中海域を旅するときは各地の子ヤギ料理を食べ歩くようになった。

地中海域の国々では、子羊や子ヤギの肉がよく食べられ味も素晴らしい。

子ヤギ料理にこだわるのは、単純にその料理が「おいしくて好き」というのがまず第一だが、自分の中に故郷の沖縄へのノスタルジーがあるからだと思う。

島が貧しかった子どものころは、ヤギ肉は貴重かつ高級な食材なので、豚肉と同様にあまり食べることはできなかった。たまに食べるとひどくおいしいと感じた。

島々が豊かになった今は、帰郷の際にはその気になればいくらでも食べられる。が、昔ほどうまいとは感じなくなった。嫌いではないが料理法が単調で肉が大味と思うようになったのだ。

イタリアを含む地中海域の子ヤギの肉は柔らかく上品な味がする。調理法もバラエティーに富んでいてヤギ独特のにおいもない。成獣の肉ではなく草を食(は)む前の小さなヤギの肉だからだ。

生まれて間もない子ヤギをつぶして食べるのは罪深くかつ大きなぜいたくである。

“かわいそう”などと偽善的な言葉は口に出すまい。それを言えば全ての家畜をつぶすことがかわいそうということになるのだから。

人間が生きるとは殺すことだ。植物のように自らの体内で生きる糧を生み出すことができない人間は、人以外の多くの生物を殺して食べ、そのおかげで生きている。

肉や魚を食べない菜食主義者の人々でさえ、植物という生物を殺して食べて生命を維持している

人間が他の生き物の命を糧に、自らの命をつなぐ生き方は仕方のないことだ。も しもそれが悪であり犯罪であるなら、われわれ人間は一人残らず悪人であり罪人である。

僕は子ヤギや子羊の肉を食べることを悪とは考えない。それは強いて言うならば、殺すことしかできない人間の「業」だ。

子ヤギを食らうのも野菜サラダを食べるのも同じ「業」なのである。

人間から業を取り去れば清浄無垢な何ものかが立ち現れるのだろう。だが、そんな存在はもう人間ではない。神に近い何ものかであり、人間の対極にあるものである。

つまり理想という名の虚偽だ。

理想は実現できないからこそ理想なのである。あるいは実現することが限りなく不可能に近い難事だからこそ、理想なのである。

故に理想に向かって懊悩する「プロセスそのもの」が、つまりは理想的な生き方ということなのかもしれない。

子ヤギを慈しむ心とそれを食肉処理して食らう性癖の間には何らの齟齬もない。

それを食らうも人間の正直であり、食わないと決意するのもまた人間の正直である。




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