【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2026年06月

高市早苗首相はサディスティックな暴風雨のようなものだ 

トラ&ポチ高市横長

4月から6月にかけてのイタリアの気候は不安定だ。冬物の装束をあわてて春夏物に替えるな、慎重に確かな季節の移ろいを見きわめろという有名な諺さえある。

若く多忙だったころは、6月はイタリアに限らず欧州最良の季節と思い込んでいた。日は長く風は爽やかで、人出が最高潮になるにはまだ時間がある海のリゾート施設は広々としてしのぎやすい上に滞在費用が安いと思い込んでいた。

天気が変わりやすく、油断すると冷気に襲われて苦労する、という6月の実態を意識するようになったのは、菜園を耕すようになってからである。野菜たちの成長を支配するのは天候である。

6月は暖気が勢力を張る季節ながら、ふいに雷雨や風や冷気が立つ不安定な時間でもある、と今ははっきりと知るようになった。むろん年によって違いはあるが。

ことしの6月は特に気圧変化が顕著だ。曇り空に伴なって冷涼な風が吹き、肌を刺す春雨が降る日々が多い。今日6月9日も曇り空。さすがに寒くはないが空気が冷え気味でかなり涼しい。

春から初夏のにかけてのイタリアの小嵐は、アフリカ・サハラ砂漠由来の熱気がアルプスの冷気にぶつかって起きる。それはヒマラヤ山脈で生まれた大気の流れが、日本に梅雨をもたらすのにも似た、大自然の営みである。

そんな北イタリア・フランチャコルタ地方の悪天候を眺めつつ、日本に居座っている爆弾低気圧をじっと観察し続けている。

爆弾低気圧とは高市早苗首相のことである。

他政党の候補や自党の仲間を誹謗中傷したビデオへの関与を、全く信用できない言い訳や欺瞞や誤魔化しに見える詭弁で執拗に否定する態度は見苦しくも腹立たしい。

死して後もなお自身のボスであり続けるらしい安倍元首相や、がスーツを着て歩いているトランプ大統領にそっくりだ。

彼女は言い逃れ術を安倍元首相から、ジコチューなSNS発信術をトランプ大統領から盗んで得意げに実践している。

高市首相は議員に成りたてのころ、時の村山首相に、周辺(被害)国に勝手に誤るな」と発言。

翌年には、「私は戦争の当事者世代ではないから反省しないし、反省を求められるいわれもない」とも 言い放った。

また2012年には「さもしい顔して貰えるものは貰おう、弱者のフリをしてでも得しよう云々」の、生活保護受給者は乞食だとでもいう趣旨の発言もした。

さらに2016年、テレビ局の電波を停めるという趣旨の暴言を吐いて大批判され、極まると総務省の行政文書は捏造だ。そうでないなら大臣も議員も辞職すると発言。

至近では「台湾有事は日本存続危機事態」と無思慮無分別が露わになった暴言をかましたものの一向に撤回しようとしない傲慢ぶりだ。

彼女はそれらの限りなく黒に近い灰色疑惑を、もはや常態となった日本の大手メディアの“忖度だけがレゾンデートル”という、似非メディア体質」のおかげで旨く逃れてきた。

今回こそは、と思いつつ見ているが、状況は悲観的だ。

NHKほかの大手メディアは、文春の頑張りを例によって高みから眺めつつ、まるで恐怖政治を目指しているかのような高市強権機構を、厳しく追求しようとはしない。

唯一共同通信が取り上げた事実を鸚鵡返しに報道するだけで、独自取材の批判記事はまだ皆無常態だ。

悪運の大祝福を受けてのさばる高市早苗首相は、今回もやっぱり生き延びてしまうのだろうか。



facebook:masanorinakasone






日本極右よりはるかに増しだが微妙に危険なドイツ極右

Meloni高市Weidel626

かつての日独伊=悪の三国同盟とそこに巣くう極右勢力について考え続けている。

今日現在の3国の極右勢力のうちで、最も危険なのは日本の極右である。

先の大戦を自らで徹底総括した国であるドイツ。そのドイツの後進であるイタリア。

片や総括どころか、自国の加害の過去を否定する歴史修正主義者が跋扈する日本の極右は、似て非なるものだ。

ヒトラーを知り、ムッソリーニを意識しているドイツとイタリアの極右は、ヒトラーにならずムッソリーニの轍も踏まない。

たとえ彼らがそこに向かおうとしても、戦争を徹底総括して子供たちにナチスとヒトラーの悪をこれでもかと伝え徹底教育しているドイツの極右は、民衆の抵抗に遭い挫折する。

イタリアは戦争途中で民衆が蜂起してファシズムを倒した。そのためドイツほどの徹底的な戦犯追及はしなかった。

だがイタリアの民衆も道徳的思想的にドイツの厳しい戦争総括姿勢に感化された。加えてイタリアにはファシズムを厳しく断罪するバチカンが控え人々はそれにも大きく影響される。

その上さらにイタリアには、極論や過激論者を穏健に引き戻す効果のある多様性の精神が深く浸透している。そうした要素が極右の暴走を抑制する。

現にネオファシストとさえ批判されたジョルジャ・メローニ首相は、首相就任と同時に穏健保守へと姿を変えて、国内は元よりEUの多大な信頼さえ勝ち取った。

ドイツの極右も政権を握った場合、イタリアのケース同様に多かれ少なかれ現実路線に舵を切る。それは過激な主張や政策をより中道寄りにシフトするということだ。

ドイツの極右の台頭に関しては、しかし、一抹の不安は残る。

ドイツ人の中には、白人種の優越意識があり、さらに白人種の中でも彼らこそもっと優越だ、という秘めた自負がある。

ナチズムを忌み嫌うドイツ人の中にさえ、ヒトラーの優性思想の残滓を体の奥深くに密かに抱え込んでいる者らがいるのだ。

僕はそうしたドイツ人の暗い一面を、旅先やイタリアのリゾート地などで行き逢うドイツ人の中に見る。たとえば次のような状況だ。

北イタリアのガルダ湖畔はドイツ人が愛してやまないリゾート地である。5月から10月にかけて多くのドイツ人バカンス客が訪れる。同地に住まいを得て移り住むドイツ人も少なくない。

たまたま湖畔に家がある関係で僕はよくそこに行く。すると一帯のホテルやレストランやカフェなどにドイツ人客だけがあふれている状況に出会う。

普通彼らは礼儀正しく、静かで、友好的でさえある。観光産業で生きている地元の人々にも大いに歓迎されている。

ところがドイツ人同士が集まると、彼らは少し人が変わったようになる場合がある。例えばドイツ人バカンス客のほぼ貸切り状態になった夜のバールなどで、声高に話し始める。

ビールの大ジョッキを頻繁に空にしながらうるさく議論をする。果ては酔って放歌高吟し騒ぎ出すようなことも起こったりする。

周囲の人々は、ドイツ人が集団になると傲岸で危険な存在になる要素を秘めていることを知っている。歴史がそれを物語っている。

ドイツ人自身もそのことを知っている。だから彼らは自ら抑制し羽目を外し過ぎないようにしようとしている。周りの目も気にしている。それでも時としてある種のドイツ人はその性癖の露見を止めることができないようだ。

全てのドイツ人バカンス客が野放図であるわけでは無論ない。むしろ威儀を保ち続ける者のほうが多数派だ。その多数派が今のドイツ人の実相である。群れて騒ぐ人々はドイツ人のうちの少数派だ。

その少数派の行動が、大多数の「良いイメージのドイツ人」を悪く見せてしまい、「群れると崩れかねない危うさを内包しているドイツ人」という過去の亡霊を人々に思い起こさせる。

危険を自覚し、決してそこに向かわないように自制しているドイツ人は、欧米の人々の尊敬も集めている。それは疑いようがない。だがドイツ人を見る人々の中の一抹の不信感は断じて消えていないのだ。

最近はそこにさらなる負の要素が加わった。ドイツで極右政党の「ドイツのための選択肢」が台頭し、勢力を伸ばしている現実だ。

ナチスと、「ドイツのための選択肢」と、リゾート地のバールで騒ぐ「一部のドイツ人」が、人々の心の中でぴたりと重なり合って、それらを真っ向から否定する「大方のドイツ人」にまで偏見が及びかねない状況が出来上がる。

それはイタリアだけに見られる特殊な状況ではない。ドイツを除くヨーロッパ中のリゾート地や行楽地や観光地で、飽きもせずに毎年繰り返されている光景である。

欧州の人々はドイツ極右の台頭を目の当たりにして、彼らが胸に秘め続けているドイツへの不信感を少しづつ表に出しつつある。

ドイツ人自身は欧州人のその微妙な感情に極めて敏感だ。だが、同国に住む外国人、特に日本人などはそのことに無関心であるように見えるのが不思議だ。

ナチスの過去に負い目を感じているドイツ国民が、移民や外国人を進んで受け入れ、徹底して平等に扱い持て成しているおかげで、そこに住む人々が安心して彼らに同化するせいだろう。

もしも極右が政権を取れば、彼らはヒトラーにはならないまでも、移民や外国人を差別する政策を易々と進めるに違いない。

それは欧州の各国で既に起こりつつある動きだが、ドイツの場合は一味違う何かが発生しそうな気配がなくもない。



facebook:masanorinakasone





イタリアがイタリアになった日

istockphoto-1486480802-612x612

毎年6月2日はイタリアの共和国記念日である。

第2次大戦後の1946年6月2日、イタリアでは国民投票により王国が否定されて、現在の「イタリア共和国」が誕生した。

イタリアが真に近代国家に生まれ変わった日である。

それからちょうど80年の2026年6月2日、イタリア共和国はファシスト党の流れを汲む「イタリアの同胞」を」率いるジョルジャ・メローニ党首を、国のトップに据えている。

就任から間もなく満4年を迎えるメローニ首相は、政権運営の初めから現実路線へとシフトし、反EUと見られていた姿勢も大きく変えて協調政策を採った。

結果、多くの国民に支持され国際的な信頼も勝ち取った。

同時に彼女は、事あるごとにファシズムを否定する言葉を発しつづけ行動で示している

政敵に「ネオファシスト(新ファシスト)」とも批判されるメローニ首相だが、彼女はファシズムが否定されて誕生したイタリア共和国記念日を大いに祝う。

そのあたりが、過去を直視するどころか、終わった昭和をわざわざ「昭和100年記念」として祝い、戦争の時代へのノスタルジーと賞賛を隠さない高市首相とはひょうたんに釣鐘だ。

過去を見つめ清算するメローニ首相。過去から目を背け歴史修正主義に徹する高市首相。

その違いが戦争をしないイタリアと、戦争に走る日本の未来像にならないことを祈りたい。

世界の主な民主主義国は、日本やイギリスなどを除いて共和国体制を取っている。

民主主義国には共和制が最もふさわしい。

それはここイタリア、またフランスの共和制のことであり、ドイツ連邦やアメリカ合衆国などの制度のことだ。

その制度は「全ての人間は平等に造られている」 という人間存在の真理の上に構築されている。

民主主義を標榜するするそれらの共和国では、主権は国民にあり、その国民によって選ばれた代表によって行使される政治システムが死守されている。

真の民主主義体制では、国家元首を含むあらゆる公職は主権を有する国民の選挙によって選ばれ決定されるべきだ。

つまり国のあらゆる権力や制度は、米独仏伊などのように国民の意志によって創設されるべきだ。

その意味では王を頂く英国と天皇制を維持する日本の民主主義は歪だ。

ここイタリアに居を構える僕は、6月2日のイタリア共和国記念日が訪れる度に、日本が共和国に生まれ変わる日を想像してみたりもする。



facebook:masanorinakasone




 EUならヒトラーの首に鈴を付け、ムッソリーニに引導を渡したかもしれない

30806808267

もしもヒトラーとムッソリーニの時代にEU(欧州連合)が存在していたなら、ヒトラーもムッソリーニも今われわれが知っているヒトラーとムッソリーニではなかったかもしれない。

先日僕はここに「彼ら(極右)の対極にあるリベラル勢力が、ドイツのみならず欧州全体からどっと圧力を掛ける。そこでもナチ的政策は強く抑制される。 」と書いた

欧州全体と書いたが、僕がそこで念頭においていたのは、言うまでもなくEU(欧州連合)である。

EUは欧州石炭鉄鋼共同体として1952年に誕生し、1958年に欧州経済共同体になって経済分野を統合した。

その後、外交・安全保障や司法・内務協力などの政治・社会・文化域の全てを巻き込み統合を進めて、ついに1993年「マーストリヒト条約(欧州連合条約)」を制定し現在のEUになった。

EUは統合の進展に伴って、究極の戦争防止装置としての機能を覚醒させていった

歴史を「たら・れば」で語るのは無意味という意見は無意味である。歴史を「もし〜だったら」「〜していれば」などの仮想シナリオで語り考察するのは、歴史の本質を深く知るために欠かせない手立てだ。

EUは多くの危機と挫折と失敗を繰り返しながら、その度に立ち直って発展を続けてきた。途中、重要なメンバー国であるイギリスが脱退(ブレグジット)するという最大の危機にも遭った。

だがその大難も克服して、トランプほぼファシスト政権や習近平専制一党独裁国家の中国、プーチン変形独裁国家のロシアなどに正面から立ち向かう唯一の民主主勢力であることが明らかになっている。

もしも1930年代に既にEUが機能していたならば、ヒトラーはわれわれが知る歴史上のヒトラーにはならず、ムッソリーニもわれわれの知るムッソリーニにならなかったかもしれない。

極右を超えて、ネオファシストというレッテルさえ貼られたイタリアのジョルジャ・メローニ首相が、EUとの連帯を梃子の一つにして、ファシストにはならずにEU勢力内の力強い保守政治家へと変身したように。



facebook:masanorinakasone




記事検索
月別アーカイブ
プロフィール

なかそね則

カテゴリ別アーカイブ
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ