【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2026年06月

天皇制温存か否かとは無関係に昭和天皇の罪は問われるべき

平和の礎

毎年6月から8月にかけて第2次大戦と戦犯をあれこれ思うのが僕の慣わしである。

他の時間にもむろん思わないことはないが、沖縄戦の終結と広島長崎の原爆、そして8月15日の敗戦と続く流れのメディアジャックに便乗することがやはり多い。

1945年6月23日、全国合計 310万人の戦没者のうち、一般市民約94000人と、軍人軍属約28000人、計12万2000人の沖縄県民の犠牲のもと、第32軍の牛島満司令官と長勇参謀長の自害と共に沖縄戦が一応終結した。

唯一の地上戦と凄惨な地獄を経験した沖縄は、間もなく島をアメリカに売り渡すことになる昭和天皇の裏切りと、そのことも影響したネトウヨ・ヘイト系愚民による県民への執拗な差別感情の到来を予測できないまま焦土と化して横たわっていた。

マッカーサーによって仕置きを免れた昭和天皇は、先ず沖縄をアメリカに差し出し、自らの大罪を「私には分からない」と述べて知らん振りを決め込み、広島長崎の原爆は「止むを得ないことだった」と無責任に言い放って、自決したヒトラーと民衆に処刑されたムッソリーニとは大違いに違い、畳の上で死んだ。

天皇は輔弼(ほひつ)者に従っただけのいわば操り人形。だから戦争責任はない、というのは欺瞞だ。

輔弼者は結局天皇の裁可がなければ何もできなかったのだから、その言いは誤魔化しの建前論に過ぎない。

百歩譲って例えそうだったとしても、天皇も輔弼者も自らの保身にかまけるだけで、彼らの中には犠牲になる国民への思いが完全欠落していた。その時点で罪は免れない。

昭和天皇はマッカーサーと会った際、私はどうなっても構わない、と言ったと伝えられているが真相は分からない。たとえそれが真実だったとしても、多くの国民に加えて侵略先の国々で、膨大な数の住民の殺戮を繰り返した罪は消えない。

沖縄がまさに陥落する前日、多くの住民と兵士が無残に死に続けていた1945年6月22日、東京では天皇を中心に権力中枢の戦争犯罪者が集っていわゆる御前会議を開いたが、相変わらず「本土決戦」と「一撃和睦」の門徒物知らずの念仏を唱えるだけで、戦争犯罪の上塗りに上塗りを重ねる愚行は終わらなかった。

一撃和睦も本土決戦も誤った見通しに基づく誤った戦略だった。戦争においては作戦の失敗は即被害や死に結びつく。誤った作戦は許されるべきではなく必ず断罪されなければならない。なぜならそれが戦争だからだ。故に天皇を筆頭に天皇以下の権力中枢は一人残らず有罪である。

昭和天皇の罪は誰よりも重い。なぜなら彼は統帥権を持つ大元帥だった。従って軍部の暴走を止めなかったことや、開戦から戦争継続、さらには戦いの大詰めで迅速にそれを終結できず、結局大空襲、沖縄戦、広島&長崎の原爆など、無くてもよかった甚大な被害を招いた。その責任だけでも彼は万死に値する。

それが起きなかったのは、マッカーサーが天皇を生かしておくことが日本統治に役立つと思い込んで、天皇が極東裁判で起訴されることを避けた。そうやって昭和天皇は命拾いをした。

日本国民はアメリカの占領が終わった後、戦犯を徹底追及し今も続けているドイツや、ドイツの薫陶を受けてファシズムという過去を断罪し、反省し、警戒する心を社会の最重要な道徳的支柱とすることに成功したイタリアとは違い、全てをうやむやにした。むろん天皇を独自に断罪することもなかった。

昭和天皇の戦争責任を追及、分析するとき必ず提示されるのが先に述べた責任は輔弼者にあり天皇は無罪」という主張である。それは飽くまでも天皇をシラス(治らす)と見做す土着未開の精神に支配された日本原人が、近代的自我の最重要コンセプトである「人間は生まれながらに平等であり出自による優劣は存在しない」という人間存在の真理中の真理を、骨の髄まで染み込ませては理解できていないことから来る。

近代的自我が人々の存在原理のうちに一分の隙もなく組み込まれた社会では、天皇というひとりの人間に身体的にも、心理的にはもっとさらに、畏れをなしてをひれ伏すことなどあり得ない。

そこでは人々は、お互いに1対1の人間として対峙した後、相手が人間的に優れていると腹から認めるときにのみ素直に尊敬の念を抱く。

それができない社会では、多くの日本人が今この時もそうであるように、天皇を無条件に上位存在と捉えて身も心もひれ伏す前近代的な精神が主流を占めることになる。

天皇は天皇という肩書きが重要なのではなく、彼が一人の人間としていかなる人格で何を成すか、ということだけが重要なのである。

そのことに気づいて、天皇を条件反射的に崇め奉る悪魔の呪縛から解き放たれたとき彼を純粋に一人の権力者として見做すことができるようになる

そこに至って初めて、昭和天皇の戦争犯罪人としての実相がくっきりと見えてくるのである。

彼の周りの輔弼者や軍幹部らに加えて、世界中では約5,700人の日本人が戦犯として起訴され、およそ1,000人が死刑判決を受けた。それとは別にソ連でも約3000人が裁かれたと見られている。

それなのになぜ加害者全体の統率者として君臨した昭和天皇が裁かれずにいられるのだろうか。

昭和天皇はもはやこの世にはいない。だが日本はいつの日か必ず彼を裁いて国民的合意を形成し、日本の戦争責任を明確にして子供たちにしっかりと教え語り継がなければならない。

それなくしては日本の真の再生はあり得ず、安倍元首相がレールを敷き高市早苗首相に代表される歴史修正主義者がその上を突っ走る政治がいつまでも続いて、再び破滅しかねない。

なぜなら過去を直視しない彼らは、再び同じ間違いを繰り返すことが宿命だからである。

その兆候は既にあらわになりつつあるようにも思える。




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トランプは狂人理論者なんかではなく、極くふつうに黄印なんでねえの?かも。かい?

meloni背中vsトランプ690

あきれたゴシップの類にも見えるが、実は今このときの世界を映し出す鏡とも考えられるので敢えて書いておくことにした。

エヴィアンサミットの直後、トランプ大統領がイタリアの民放局の電話インタビューに答えた。

Q :サミットではあなたとメローニ首相はずいぶん親密そうでしたね。

トラ:彼女がかわいそうだったから付き合ってあげただけだ。(私は彼女に興味はなったが)彼女は私と話したがり私と一緒に写真を撮ってくれと懇願した。だから並んで写ってあげた。

この話が伝わるや否やメローニ首相は:

「彼の発言は全くの作り話で驚いた。なぜアメリカの大統領が同盟国に対してこのような振る舞いをするのか理解できない。しかも今回が初めてではない。彼がアメリカを含む西側諸国の敵に対して強い抵抗の決意を見せず、むしろそれらの国の指導者たちには寛大な態度でいることは残念だ」とXの動画を介して即座に反論した。

そしてメローニ首相は最後に付け加えた。

「トランプが覚えておくべきことが一つある。私とイタリアは誰に対しても断じて物乞いなどしない」

トランプ大統領の動きの背景にあるのは、言うまでもなく、イタリアがイラン攻撃に向かう米軍機の基地使用を拒否したことだ。

のみならずメローニ首相は、アメリカのイラン攻撃を国際法違反と明確に糾弾している。

またその前にメローに首相は、トランプ大統領のローマ教皇批判は受け入れなられない、と断固として彼に楯ついた。

欧州の外交筋によると、メローニ首相はエヴィアンサミットでもトランプ大統領に対して最も強硬に異議を申し立てた。

強い言葉で欧州の立場を擁護し、トランプ大統領が西側同盟国は彼を助けないというのは虚偽の主張で、同盟国はむしろ彼を、そしてアメリカを支援してきたと明確な言葉で主張した。

メローニ首相はサミットの場のみならず、あらゆる機会を通してトランプ大統領に反論してきた。欧州の首脳らは彼女の影響もあって、徐々にトランプ大統領に楯つくことを怖れなくなっている。

メローニ首相のそうした異議申し立てや、リーダーシップに対する意趣返しがトランプ大統領の見苦しい言葉の数々だ。

メローニ首相はかつて、トランプ大統領の熱心な支持者だった。2025年のトランプ大統領2期目の就任式には、ヨーロッパの指導者のうちただ一人だけ出席したほどだ。

それでも彼女は、トランプ大統領に対して自己主張することを厭わなかった。

エヴィアンサミットでは、トランプ大統領とメローニ首相は親しげに話し合い笑い合っていた。メローニ首相はサミット後、彼女とトランプ大統領の仲は依然として良好だ、とメディアに話したほどだ。

その直後にトランプ大統領の辛らつな言い分が世界中を駆け巡った。

トランプ大統領は、メローニ首相が表明したように、サミットでは親密な素振りを見せていた。しかし内心の怒りは抑え切れなかったらしく、サミット直後に冒頭の主張をしたのである。

トランプ大統領は、「自分は予測不能で、時には破滅的な行動も辞さない狂気じみた人物である」と言動で示して、相手に譲歩を迫る高度な心理的駆け引き術を採用しているとされる。いわゆる狂人理論である。

それはかつてニクソン大統領が実践した外交及び交渉戦略術だ。トランプ大統領はその手法を真似ているのである。

だがトランプ大統領の場合は、彼の行き当たりばったりの行動様式や情報のムチャクチャな取捨選択が計算された演技の枠を超えており、彼本来のパーソナリティ障害が災いを成していると考える専門家が多い。

意図的に過激な言動を繰り返すうちに、演技と本性が不可分に融合してしまい、自身でも抑制がきかなくなったということである。

メローニ首相への攻撃の意味がそれで良くわかる。

同時に、そういう人物が世界最大の、そして最強の国家を運営しているという現実に、今さらながら戦慄するのである。





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オワコンG7より一億倍重要な国旗毀損罪

花形メローニ650

2026年6月17日、金持ち国の寄り合い、G7サミットが閉幕した。

ほぼオワコンであるG7の少しの存在意義は、変形独裁国家の帝王プーチンと、正真正銘独裁国のラスボス習近所平への対抗勢力として、7ヵ国が曲がりなりにも結束を示し続けることぐらいになっている。

ところが2017年以降、G7はその役割さえ覚束ない事態に陥ることが少なくない。言わずと知れたトランプ狂人理論大統領の“自己愛性パラノイア言動”に振り回されることが多くなったからだ。

だが、今回の仏エヴィアンサミットはこれまでとはやや事情が違った。

世界各地を実際に爆撃し、拉致し、爆撃拉致するぞと脅してやりたい放題をしまくっている“反欧州”志向のトランプ大統領が、直前にイランとの戦闘終結合意が成立したために上機嫌で友好的な態度に終始したからだ。

カナダを含む欧州各国は、イラン戦争とウクライナ戦争の当事者であり攪乱者であるトランプ大統領を、厳しく批判し続けている。G7国の中でトランプ大統領に寄り添うのは、イタリア語で言うトランプの「ケツ舐め外交」に徹する安倍-高市ラインの国辱政権のみである。

元々自立志向の強いフランスは言うまでもなく、普段はアメリカ批判に及び腰のドイツも毅然として非難の矛先を向け、アメリカとは血の絆で結ばれている特別な関係、とも評されるイギリスのスタマー首相も、トランプ批判を怖れない。

さらに目覚ましいのは、政敵からはファシストとさえ罵倒される反移民主義者で、トランプ大統領のガチ友であるメローニ伊首相が、トランプのイラン攻撃を厳しく責め立てイスラエルのネタニヤフ首相にも激しい糾弾の礫を投げつけることだ。

高市首相は、同じ女性首相で似たような強硬保守主義者であるメローニ首相を同友と片思いに思い込んで、彼女を国際会議の場でジョルジャ、ジョルジャと痴呆歓呼して、国際的に注目されるメローニ氏の人気や権威に便乗しようと躍起になったりする。

だが同じ極右でもメローニ首相は、トランプにひれ伏して中国に的外れの威嚇外交を繰り返す高市首相とは、月とスッポンポンだと狸が腹を叩いて笑うほどの違いがあるのだ。

市首相は、フランスで開催されるオワコンのG7サミットに出席するついでに、イギリスとイタリアに足を伸ばして、スタマー首相とメローニ首相と会談した。

スタマー首相とメローニ首相は先だって日本を訪問した。今回は高市首相が返礼したわけだが、ふたつの邂逅は時代錯誤のG7同様にほとんど意味のないイベントだった。

イギリスではエネルギー安全保障や重要物資の連携についてスタマー首相と確認し合い、メローニ首相とは半導体や重要鉱物の供給網強靱化、宇宙ゴミ対策や衛星データでの協力、また英国を交えた次世代型戦闘機(GCAP)の開発加速や、共同訓練などを話し合った。

要するに3人の首相は、共に間もなく、ほぼ時間差なしで開催されるどうでもいいG7に参加するのだから、個別に会う意味は象徴性以外には何もなかった。

高市首相はその後、G7会場の片隅で他国首脳の威厳に圧倒されて畏まりつつも、「世界の真ん中で咲き誇る(私と安倍晋三命の)日本外交)」としつこく空威張りをしていたようだ。

そんな暇があったら彼女は、G7より一億倍も重要な内政の緊急課題にしっかり取り組むべきた。

即ち:

1憲法改定と安全保障問題

2. 国旗損壊罪の法制化

3. スパイ法案

4. 思い付き消費減税

5. 誹謗中傷動画問題

6.無責任な「責任ある積極財政」と経済政策

7選択的夫婦別姓への慎重姿勢

などなど。

それらの中でも最も危険でおぞましいのが国旗損壊罪だ。

国旗損壊罪は個人の心情に土足で踏み込んで、権力の思惑を押し付けようとする真のファシズム的悪意の所産である。その成立に固執するのは未開で愚かで無知蒙昧の蛮人ら。彼らを獣と形容すれば獣を侮辱することになるから言わないが、要するに外道で人でなしの輩だ。

国旗の日の丸には戦前戦中の苦い記憶が刻印されている。それは日本の植民地支配やアジア蔑視の固定観念などで色付けされた忌まわしい過去だ

国旗損壊罪は物である国旗に無理やり精神性を塗り込んで、国民に天皇を神と崇めろ権力に服従しろと強制し、反体制派や反権力思想を殲滅しようとするファシスト的悪魔の陰謀である。

換言すれば過去の日本がぬるりと立ち上がる、醜くも危険極まりないイデオロギーの顕れなのである。

国旗損壊罪に込められているのは、繰り返しになるが、狂信的天皇崇拝であり、国粋思想に憑りつかれたカルト信者らの巨大な危険性のことだ。つまりファシズム、国家神道カルト、極端な国家主義、カルト的全体主義などと規定される心胆を寒からしめるコンセプトだ。

戦後80年以上が経過した今でも、中国や韓国を筆頭にするアジアの人々は怨みと憎しみの入り混じった複雑な感情を抱いて日の丸を見る。

日本国内でも地上戦を経験し天皇とファシズム勢力に蹂躙されたと感じている沖縄や広島また長崎などを中心に、国旗に複雑な感情を持つ国民が一定数存在する。

それらの人々の感情も一緒くたにし、あるいは無視して、国旗を介して国家への異議申し立てを為そうとする民主主義社会の人々の当然の権利を奪おうとするのは、悪法を通り越して狂気の沙汰だ。

諸外国にも国旗損壊罪に似た法律はある。例えばイタリアの国旗侮辱罪。

これは戦後ムッソリーニを処刑し、イタリア国王の戦争責任を追及した象徴である新国旗を侮辱することを禁じたものである。

つまり天皇制ファシズムの象徴でもある日の丸を温存した日本とは真逆に、イタリアの民主主義のシンボルである新国旗、要するにイタリア共和国三色旗を侮辱することを戒めたものだ。

同時に三色旗を破壊しても、それが表現の自由の観点からの政治的メッセージや風刺的な表現である場合は無罪となる。

ドイツもイタリアとほぼ同じ立場である。

要するにドイツもイタリアも、国旗を戦後の民主主義体制と共和制の象徴として位置付け、国旗に対する侮辱を民主主義と共和制に対する挑戦と見做して罰するということである。

一方日の丸には、昔は言うまでもなく現在でも、民主主義や共和制の神髄である自由・平等・博愛を表す意味はない。天皇制ファシズムを含む旧態依然とした曖昧な「日本の心」の象徴が現在の国旗だ。

日本に於ける国旗損壊罪を、諸外国にもあるからという理由で正当化するのは、詭弁以外のなにものでもないのである。

不条理な法の成立は必ず阻止されるべきだ。






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日本サッカーも思えば遠くまで来たもんだ 

日本vsオランダ上田?ドリブル650

またワールドカップがやって来た。4年に一度の祭典に胸を躍らせながら、無為に過ぎた自らの4年を嘆く。凡人のいつものパターンだ。

日本は昨日、W杯準優勝3回の強豪国オランダと初戦で火花を散らした

前回大会では日本は、ドイツとスペインを破って世界を愕かせた。

それは日本サッカーが強くなっていることを示す出来事だったが、同時にドイツとスペインに比べるとまだまだ力量不足であることも露呈した。

ドイツとスペインが大きな戦略と複雑な戦術で動くのに対して、日本は「脱兎の走り」で滑稽なくらいにひたすらに駆け回った。

コマネズミのように動き回る泥臭い戦い方は少しも美しくなかった。だが日本は走るスピードと量で相手をかく乱して勝利をものにした。

僕は当時ここに

日本は、物まねのポゼッションサッカーや無意味なボール回しや“脱兎走り”を忘れて、蓄積した技術を基に“独自の戦術とプレースタイル”を見出し次のW杯に備えるべきだ。独創や独自性こそ日本が最も不得手とする分野だ。だがそれを見出さない限り、日本がW杯で飛躍して、ついには優勝まで手にすることは夢のまた夢で終るだろう

書いた

日本のサッカーは相変わらず選手の「駆けっこ」が売りの拙いものだが、スピードはそのまま維持しながら戦術的に動くようになって、それに見合う選手のテクニックも備わってきたようだ。

オランダに勝つことはなかったが、チームの質としては前回大会でドイツとスペインを撃破したときよりもはるかに向上している。

いわば素人の域を抜け出して、世界の強豪チームの戦術に近い戦い方を会得しつつあるように見える。

対オランダ戦の特に前半では、ここイタリアのTVキャスターが「歩くサッカー」と形容したほど展開が遅い場面も頻発した。

それは日本が「脱兎走り」を抑制して、パスワークと戦術に重きをおいた動きをしていたからだ。

それが前回大会からの進化だと僕は思った。

まだ1次リーグの初戦を終えたばかりだが、今大会ではあるいは再びそこを突破して、悲願のベスト8進出も夢ではないかもしれない。

そうなれば優勝も全くの幻化夢幻ではなくなる。

サッカープレーヤーとしての僕が、「ベンチのマラドーナ」と呼ばれて相手チームの少年たちを震え上がらせていたころ、世界基準での日本サッカーは爪の垢にも及ばない程度の存在だった。

思えば遠くまで来たもんだ、というのが初戦の戦い方を見ての率直な感想である。

それにしても、サッカー嫌いやゲームに興味のない人たちはチョー暇そうでうらやましい限りだ。

こちとら「世の中に絶えてサッカーなかりせば 俺の心はのどけからまし」ってぇ気分だぜ。







名女優はあまねく悪の花を咲かす

振り向き顔にかかる髪650

占い師でタレントの細木数子を描いたNefflix配給の9本シリーズのドラマ地獄に堕ちるわよ」を見た。

仕事師として、詐欺師として、叩き上げとして、占術家として、タレントとして、そしてなによりも女として破天荒な生涯を送った細木数子の物語は面白く、9作品を一気に見てしまった。

主演は戸田恵梨香。

今はないロンドン発の、NHK系列のJSTVドラマで見た若いときの彼女は、キュートできゃぴきゃぴした印象の豆ロケット的名花だったが、この「地獄に堕ちるわよ」では、見事に初老の悪女を演じてみせた。

光には影が寄り添い傑作には悪女が躍動する。女優は悪女を演じてナンボだ。戸田恵梨香はこの名作の悪女演技で確実に名女優になった。

男の好みにおもねるだけの、日本独特の清純派女優ほどつまらないものはない。

絵に描いたような清純派女優・吉永小百合は、きっと生身の本人はすばらしい女性なのだろうが、女優としてはクサく、ダサくときめかない

清純派女優というカテゴリーは、女性を男の慰み者とみなす、男尊女卑思考てんこ盛りの日本文化が生み出す一大奇作だ。

戸田恵梨香には元々清純派という雰囲気はなかった。顔はどちらかというと綺麗なあどけないものだったが、自立したキャラクターの印象が強かった。

男性ファンが望む可憐、清純、透明感、清廉、加えて品行方正などの属性が、パッケージ化された存在ではなかった。

それでも高校生から初老の女までの悪女のノリを自然体で演技する力量は、一流女優の誕生を確信させた。

戸田恵梨香は作品完成後のインタビューで

「細木数子は人々が社会の反発を恐れて言いたくても言えないことをズバズバ言ってくれたから人気があったんではないか。占いは当たらなかったという指摘もあるが、細木さんの話は、自身が生きてきた経験を語ることが多いな、という印象を受ける。細木さんの人生論が世間を魅了したんじゃないかと思う」

と洞察眼の鋭い意見を言っている。

彼女はきっと、小説などのすぐには役に立たない本も多く読む、本物の読書家に違いない。

戸田恵梨香は作品の中で、先に触れたように女子高校生から初老のしたたかな女性までを、何の違和感もなく演じ分けた。まるで美しい化け物のような化性豊かな能力である。

それは彼女の女優としてのもうひとつの凄さ、あるいは巨大な幸運、と僕の目には映る。




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高市早苗首相はサディスティックな暴風雨のようなものだ 

トラ&ポチ高市横長

4月から6月にかけてのイタリアの気候は不安定だ。冬物の装束をあわてて春夏物に替えるな、慎重に確かな季節の移ろいを見きわめろという有名な諺さえある。

若く多忙だったころは、6月はイタリアに限らず欧州最良の季節と思い込んでいた。日は長く風は爽やかで、人出が最高潮になる7~8月にはまだ時間がある海のリゾート施設は、広々としてしのぎやすい上に滞在費用が安いと思い込んでいた。

天気が変わりやすく、油断すると冷気に襲われて苦労する、という6月の実態を意識するようになったのは、菜園を耕すようになってからである。野菜たちの成長を支配するのは天候である。

6月は暖気が勢力を張る季節ながら、ふいに雷雨や風や冷気が立つ不安定な時間でもある、と今ははっきりと知るようになった。むろん年によって違いはあるが。

ことしの6月は特に気圧変化が顕著だ。曇り空に伴なって冷涼な風が吹き、肌を刺す春雨が降る日々が多い。今日6月9日も曇り空。さすがに寒くはないが空気が冷え気味でかなり涼しい。

春から初夏のにかけてのイタリアの小嵐は、アフリカ・サハラ砂漠由来の熱気がアルプスの冷気にぶつかって起きる。それはヒマラヤ山脈で生まれた大気の流れが、日本に梅雨をもたらすのにも似た、大自然の営みである。

そんな北イタリア・フランチャコルタ地方の悪天候を眺めつつ、日本に居座っている爆弾低気圧をじっと観察し続けている。

爆弾低気圧とは高市早苗首相のことである。

他政党の候補や自党の仲間を誹謗中傷したビデオへの関与を、全く信用できない言い訳や欺瞞や誤魔化しに見える詭弁で執拗に否定する態度は、見苦しくも腹立たしい。

死して後もなお自身のボスであり続けるらしい安倍元首相や、がスーツを着て歩いているトランプ大統領にそっくりだ。

彼女は言い逃れ術を安倍元首相から、ジコチューなSNS発信術をトランプ大統領から盗んで得意げに実践している。

高市首相は議員に成りたてのころ、時の村山首相に、周辺(被害)国に勝手に誤るな」と発言。

翌年には、「私は戦争の当事者世代ではないから反省しないし、反省を求められるいわれもない」とも 言い放った。

また2012年には「さもしい顔して貰えるものは貰おう、弱者のフリをしてでも得しよう云々」
の、活保護受給者は乞食だとでもいう趣旨の発言もした。

さらに2016年、テレビ局の電波を停めるという趣旨の暴言を吐いて大批判され、極まると総務省の行政文書は捏造だ。そうでないなら大臣も議員も辞職すると発言。

至近では「台湾有事は日本存続危機事態」と無思慮無分別が露わになった暴言をかましたものの一向に撤回しようとしない傲慢ぶりだ。

彼女はそれらの限りなく黒に近い灰色疑惑を、もはや常態となった日本の大手メディアの“忖度だけがレゾンデートル”という、似非メディア体質」のおかげで旨く逃れてきた。

今回こそは、と思いつつ見ているが、状況は悲観的だ。

NHKほかの大手メディアは、文春の頑張りを例によって高みから眺めつつ、まるで恐怖政治を目指しているかのような高市強権機構を、厳しく追求しようとはしない。

唯一共同通信が取り上げた事実を鸚鵡返しに報道するだけで、独自取材の批判記事はまだ皆無常態だ。

悪運の大祝福を受けてのさばる高市早苗首相は、今回もやっぱり生き延びてしまうのだろうか。



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日本極右よりはるかに増しだが微妙に危険なドイツ極右

Meloni高市Weidel626

かつての日独伊=悪の三国同盟とそこに巣くう極右勢力について考え続けている。

今日現在の3国の極右勢力のうちで、最も危険なのは日本の極右である。

先の大戦を自らで徹底総括した国であるドイツ。そのドイツの後進であるイタリア。

片や総括どころか、自国の加害の過去を否定する歴史修正主義者が跋扈する日本の極右は、似て非なるものだ。

ヒトラーを知り、ムッソリーニを意識しているドイツとイタリアの極右は、ヒトラーにならずムッソリーニの轍も踏まない。

たとえ彼らがそこに向かおうとしても、戦争を徹底総括して子供たちにナチスとヒトラーの悪をこれでもかと伝え徹底教育しているドイツの極右は、民衆の抵抗に遭い挫折する。

イタリアは戦争途中で民衆が蜂起してファシズムを倒した。そのためドイツほどの徹底的な戦犯追及はしなかった。

だがイタリアの民衆も道徳的思想的にドイツの厳しい戦争総括姿勢に感化された。加えてイタリアにはファシズムを厳しく断罪するバチカンが控え人々はそれにも大きく影響される。

その上さらにイタリアには、極論や過激論者を穏健に引き戻す効果のある多様性の精神が深く浸透している。そうした要素が極右の暴走を抑制する。

現にネオファシストとさえ批判されたジョルジャ・メローニ首相は、首相就任と同時に穏健保守へと姿を変えて、国内は元よりEUの多大な信頼さえ勝ち取った。

ドイツの極右も政権を握った場合、イタリアのケース同様に多かれ少なかれ現実路線に舵を切る。それは過激な主張や政策をより中道寄りにシフトするということだ。

ドイツの極右の台頭に関しては、しかし、一抹の不安は残る。

ドイツ人の中には、白人種の優越意識があり、さらに白人種の中でも彼らこそもっと優越だ、という秘めた自負がある。

ナチズムを忌み嫌うドイツ人の中にさえ、ヒトラーの優性思想の残滓を体の奥深くに密かに抱え込んでいる者らがいるのだ。

僕はそうしたドイツ人の暗い一面を、旅先やイタリアのリゾート地などで行き逢うドイツ人の中に見る。たとえば次のような状況だ。

北イタリアのガルダ湖畔はドイツ人が愛してやまないリゾート地である。5月から10月にかけて多くのドイツ人バカンス客が訪れる。同地に住まいを得て移り住むドイツ人も少なくない。

たまたま湖畔に家がある関係で僕はよくそこに行く。すると一帯のホテルやレストランやカフェなどにドイツ人客だけがあふれている状況に出会う。

普通彼らは礼儀正しく、静かで、友好的でさえある。観光産業で生きている地元の人々にも大いに歓迎されている。

ところがドイツ人同士が集まると、彼らは少し人が変わったようになる場合がある。例えばドイツ人バカンス客のほぼ貸切り状態になった夜のバールなどで、声高に話し始める。

ビールの大ジョッキを頻繁に空にしながらうるさく議論をする。果ては酔って放歌高吟し騒ぎ出すようなことも起こったりする。

周囲の人々は、ドイツ人が集団になると傲岸で危険な存在になる要素を秘めていることを知っている。歴史がそれを物語っている。

ドイツ人自身もそのことを知っている。だから彼らは自ら抑制し羽目を外し過ぎないようにしようとしている。周りの目も気にしている。それでも時としてある種のドイツ人はその性癖の露見を止めることができないようだ。

全てのドイツ人バカンス客が野放図であるわけでは無論ない。むしろ威儀を保ち続ける者のほうが多数派だ。その多数派が今のドイツ人の実相である。群れて騒ぐ人々はドイツ人のうちの少数派だ。

その少数派の行動が、大多数の「良いイメージのドイツ人」を悪く見せてしまい、「群れると崩れかねない危うさを内包しているドイツ人」という過去の亡霊を人々に思い起こさせる。

危険を自覚し、決してそこに向かわないように自制しているドイツ人は、欧米の人々の尊敬も集めている。それは疑いようがない。だがドイツ人を見る人々の中の一抹の不信感は断じて消えていないのだ。

最近はそこにさらなる負の要素が加わった。ドイツで極右政党の「ドイツのための選択肢」が台頭し、勢力を伸ばしている現実だ。

ナチスと、「ドイツのための選択肢」と、リゾート地のバールで騒ぐ「一部のドイツ人」が、人々の心の中でぴたりと重なり合って、それらを真っ向から否定する「大方のドイツ人」にまで偏見が及びかねない状況が出来上がる。

それはイタリアだけに見られる特殊な状況ではない。ドイツを除くヨーロッパ中のリゾート地や行楽地や観光地で、飽きもせずに毎年繰り返されている光景である。

欧州の人々はドイツ極右の台頭を目の当たりにして、彼らが胸に秘め続けているドイツへの不信感を少しづつ表に出しつつある。

ドイツ人自身は欧州人のその微妙な感情に極めて敏感だ。だが、同国に住む外国人、特に日本人などはそのことに無関心であるように見えるのが不思議だ。

ナチスの過去に負い目を感じているドイツ国民が、移民や外国人を進んで受け入れ、徹底して平等に扱い持て成しているおかげで、そこに住む人々が安心して彼らに同化するせいだろう。

もしも極右が政権を取れば、彼らはヒトラーにはならないまでも、移民や外国人を差別する政策を易々と進めるに違いない。

それは欧州の各国で既に起こりつつある動きだが、ドイツの場合は一味違う何かが発生しそうな気配がなくもない。



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イタリアがイタリアになった日

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毎年6月2日はイタリアの共和国記念日である。

第2次大戦後の1946年6月2日、イタリアでは国民投票により王国が否定されて、現在の「イタリア共和国」が誕生した。

イタリアが真に近代国家に生まれ変わった日である。

それからちょうど80年の2026年6月2日、イタリア共和国はファシスト党の流れを汲む「イタリアの同胞」を」率いるジョルジャ・メローニ党首を、国のトップに据えている。

就任から間もなく満4年を迎えるメローニ首相は、政権運営の初めから現実路線へとシフトし、反EUと見られていた姿勢も大きく変えて協調政策を採った。

結果、多くの国民に支持され国際的な信頼も勝ち取った。

同時に彼女は、事あるごとにファシズムを否定する言葉を発しつづけ行動で示している

政敵に「ネオファシスト(新ファシスト)」とも批判されるメローニ首相だが、彼女はファシズムが否定されて誕生したイタリア共和国記念日を大いに祝う。

そのあたりが、過去を直視するどころか、終わった昭和をわざわざ「昭和100年記念」として祝い、戦争の時代へのノスタルジーと賞賛を隠さない高市首相とはひょうたんに釣鐘だ。

過去を見つめ清算するメローニ首相。過去から目を背け歴史修正主義に徹する高市首相。

その違いが戦争をしないイタリアと、戦争に走る日本の未来像にならないことを祈りたい。

世界の主な民主主義国は、日本やイギリスなどを除いて共和国体制を取っている。

民主主義国には共和制が最もふさわしい。

それはここイタリア、またフランスの共和制のことであり、ドイツ連邦やアメリカ合衆国などの制度のことだ。

その制度は「全ての人間は平等に造られている」 という人間存在の真理の上に構築されている。

民主主義を標榜するするそれらの共和国では、主権は国民にあり、その国民によって選ばれた代表によって行使される政治システムが死守されている。

真の民主主義体制では、国家元首を含むあらゆる公職は主権を有する国民の選挙によって選ばれ決定されるべきだ。

つまり国のあらゆる権力や制度は、米独仏伊などのように国民の意志によって創設されるべきだ。

その意味では王を頂く英国と天皇制を維持する日本の民主主義は歪だ。

ここイタリアに居を構える僕は、6月2日のイタリア共和国記念日が訪れる度に、日本が共和国に生まれ変わる日を想像してみたりもする。



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 EUならヒトラーの首に鈴を付け、ムッソリーニに引導を渡したかもしれない

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もしもヒトラーとムッソリーニの時代にEU(欧州連合)が存在していたなら、ヒトラーもムッソリーニも今われわれが知っているヒトラーとムッソリーニではなかったかもしれない。

先日僕はここに「彼ら(極右)の対極にあるリベラル勢力が、ドイツのみならず欧州全体からどっと圧力を掛ける。そこでもナチ的政策は強く抑制される。 」と書いた

欧州全体と書いたが、僕がそこで念頭においていたのは、言うまでもなくEU(欧州連合)である。

EUは欧州石炭鉄鋼共同体として1952年に誕生し、1958年に欧州経済共同体になって経済分野を統合した。

その後、外交・安全保障や司法・内務協力などの政治・社会・文化域の全てを巻き込み統合を進めて、ついに1993年「マーストリヒト条約(欧州連合条約)」を制定し現在のEUになった。

EUは統合の進展に伴って、究極の戦争防止装置としての機能を覚醒させていった

歴史を「たら・れば」で語るのは無意味という意見は無意味である。歴史を「もし〜だったら」「〜していれば」などの仮想シナリオで語り考察するのは、歴史の本質を深く知るために欠かせない手立てだ。

EUは多くの危機と挫折と失敗を繰り返しながら、その度に立ち直って発展を続けてきた。途中、重要なメンバー国であるイギリスが脱退(ブレグジット)するという最大の危機にも遭った。

だがその大難も克服して、トランプほぼファシスト政権や習近平専制一党独裁国家の中国、プーチン変形独裁国家のロシアなどに正面から立ち向かう唯一の民主主勢力であることが明らかになっている。

もしも1930年代に既にEUが機能していたならば、ヒトラーはわれわれが知る歴史上のヒトラーにはならず、ムッソリーニもわれわれの知るムッソリーニにならなかったかもしれない。

極右を超えて、ネオファシストというレッテルさえ貼られたイタリアのジョルジャ・メローニ首相が、EUとの連帯を梃子の一つにして、ファシストにはならずにEU勢力内の力強い保守政治家へと変身したように。



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