ドキュメンタリーのリサーチや人々との連絡や情報集めなどに追われながらも、ミラノ近郊の自宅から市内にある事務所まで通勤する時間が節約された分、時間に余裕ができた。
自宅から事務所まではミラノ-ベニス間のA4高速道路を使うが、かなり高速で車を走らせても40分ほどかかる。高速を降りてからの所用時間も含めると、どうしても往復2時間強になる。渋滞に巻き込まれたりするとさらに時間がかかってしまうのは言うまでもない。
自宅で仕事をしているとその時間がまるまる自由になる。そうなってみると、ただ物理的なものだけではなく気持ちにも余裕が生まれるようで、自由な時間がもっと多くなったような喜びを感じるから不思議である。
余裕の生まれた時間で、これまでそこかしこに書き散らかしてきた文章を見直してみようと考えている。
まず手はじめに雑誌や新聞に掲載された分から整理していこうと思う。大したものはないが、掲載された文章は全て字数制限の中で仕上げられている。
特に新聞の場合には雑誌に比べると字数が少なくなるケースがほとんどで、下手な寄稿者の僕のような人間の文章は、厳しい字数制限のおかげで曲がりなりにも引き締まったりする反面、本当に言いたいことが言えなかったり、書いた内容が舌足らずのまま終わったりすることも多い。
たまに読者から感想が寄せられて、自分の意図とは全く違う受け止められ方をしていることに気づき、愕然とすることもある。
僕は新聞や雑誌に寄稿する時は、まず初めに思いつくままをどんどん書き進めて行って、2稿、3稿、4稿、と字数制限の長さまで削っていく形を取っている。
新聞の場合の第1稿は、長い時は最終原稿の10倍程度の長さがある場合もざらである。
しかし雑誌の場合にはあまりそういうことはない。最初から字数制限を少し越える程度の長さにまとまることが多い。
雑誌では決められたテーマに沿って書くように求められていて、しかも内容もグルメだとかファッションとか旅やホテルなど、その時々の具体的なものごとを書き記すことが多いからだろう。
言葉を替えれば、雑誌の場合には自分の意見を書くのではなく、客観的な事象を記述して行くことがほとんどである。名のある作家やプロの雑誌記者などが書く記事は、おのずからまた別物だろうが、僕のような素人の場合には、現地にいる日本人の見聞記、程度の内容しか求められないことがほとんどである。
新聞は逆に、自分の意見や感想を自由に書くことができる。
極めて少ない字数制限の中に収まりさえすれば、多少の直しが入ることはあるものの、基本的に何を書いてもいい。
少なくとも僕はそういう形の短いコラムもここ何年か書かせてもらっている。それは南の島の新聞だから、自分が今住んでいるイタリアのことを書いても、できれば島に関連付けるなどして読者が親近感を持てるようにして欲しい、と言われてはいる。
しかしそれは建前で、内容やテーマにはほとんど制限がない。
そこで僕は好き勝手なことを書いてきたのだが、ほとんどの文章で欲求不満を覚えている。それはひとえに字数が少ないことから来ている。
字数を増やせば文章が良くなったり内容が自動的に深まったりするものではないだろうが、少なくとも言いたかったことを全てきちんと書きたい、という自分の不満は解消されるのではないか。
そうやって作業を続けて行くうちに、もしかするとこれまでどこにも掲載されることのなかった自分の小説、いや、「文学」を、友人二人を真似てここで発表したい気分になることがあるかもしれない 。そうなったら流れにまかせて漂ってみようと思う。なにしろ「ブンガク」あそびなんだから・・・