「同じ公共放送なのに、どうして俺達にはこんな番組が作れないのかなぁ・・・」イタリアのNHKに当たるRAIの番組を見ていた山田さんが、ため息まじりに言った。山田さんはNHKのプロデュサーで僕の友人である。イタリア旅行に来た彼に、僕はわざとゴールデンタイムに放送されるRAIの看板番組を見せて反応を確かめていた。少し前の話だが、イタリアの状況は今もあまり変わっていない。
番組の内容は歌あり踊りありクイズありマジックショーありゲストコーナーあり・・・要するに何でもござれのバラエティーである。たかがバラエティー番組なのに、いや、たかがバラエティー番組だからこそ、そこにはアメリカでもイギリスでもドイツでもない、もちろん断じて日本でもない、イタリア的なセンスが全編にちりばめられていた。
テレビ画面ではふんどしそっくりの布を腰に巻き、ついでに胸元にもその切れ端を二つだけチョンと付けてみました、という感じのアブナイ衣装を着た十人の娘が、スタジオの舞台上で花かごを片手に踊りながら、片方の手では花びらと投げキッスを交互に観客に送っている。十人の娘、というよりもダンサーたちは、いずれもちょっと見かけたことがない、というぐらいに華々しくセクシーでグラマーでそれなのになぜかスマートで、とにかくムチャクチャに魅力的である。そして極めつきは、彼女たちが少しもいやらしくない、という厳然たる事実だった。
ただ美女を集めて、お色気を売り物にするだけの番組なら誰でも作れる。ところがこのRAIのショーは、性を売り物にしているようで、そのくせそこを突き抜けてしまっているために、メルヘンのようなおかしみだけが画面いっぱいに広がって、子供から年寄りまで安心して見ていられる。だからこそゴールデンタイムに放送が可能であり、冒頭の山田さんの「どうして俺達には・・・」という嘆きを誘い出してしまうのである。
イタリアのテレビ局はこの手の遊び番組にどかんと金をかける。たとえば十人の娘は、日本の常識の数倍にはなる大人数の番組スタッフが、手分けしてイタリア中の美形の中から選りすぐり、肉感的でありながらしかもいやらしくない、いわば童話の中のキャラクターでもあるような不思議なダンサーに作り上げる。作り上げるのであって、元々そういうダンサーではないのだ。これだけでも金と時間が相当にかかる。
そして彼女たちが着るコスチュームは、たとえばアルマーニのような超一流のデザイナーブランドに特注して作らせる。番組の司会は年収ン億円の花形タレントを、年収に見合うかそれ以上のギャラを支払って拘束する。他の出演者も同じ。
乗りの良いすばらしい音楽は、イタリアといわず世界中のトップミュージシャンに当たって、納得のいくものを作曲させる。カラフルでまぶしくておシャレなスタジオセットの制作には、これまた莫大な金をかけて超一流のアーティストを呼ぶ、などなど。この手の番組に彼らは思い切って金を注ぎ込む。
それでは単に金をかければいいのかというと、それだけでもやっぱり無理だ。
十人のダンサーに代表される「天真爛漫イケイケゴーゴームチムチムッチリほんとにキレイ!」という風に、性をオブラートに包んで見苦しくない物(子供達に見せても構わないという意味で)に換えてしまう、イタリア人の才能がないとこの手の番組は作れない。
たとえばこれがアメリカならば、金も才能もあるが、十人のダンサーの使い方が女性をバカにしていると女権論者からすぐに猛烈な反発がくる。少なくともゴールデンタイムの放送は無理だ。イギリスのテレビが作ると、007映画よろしくお色気が前面に出すぎて子供には見せにくい雰囲気になる。フランス人がやるとイタリアに一番近くなるが、作る側の照れとか気取りとかが必ず画面にちらついて、あっけらかんとした自然な感じがなくなる。ドイツ人がやると、真面目すぎてひたすらコワイ。わが日本のテレビがやると、たぶん真夜中を過ぎてのピンクショーになってしまうかも・・・。テレビでの性の扱い方は、おそらく日本人が誰よりも不器用なのだから、これはしょうがない。
「そうか。イタリア人の才能というのは分かった。だけど、一つの番組にそんなに金をかけても視聴者は文句を言わないの?」と山田さん。「言いません。これはテレビ番組というよりも一つの壮大な“見世物”だという考え方があって、それには金がかかるのだと誰もが理解しています。そして何よりもイタリア人は“見世物”が大好きです」と僕。
イタリアのNHK、RAIは毎年大赤字である。当然批判も多い。民営化してしまえ、という声も年ごとに高まっている。ところがこうした番組に対しては、まるで局の体質とは関係がないかのように余り批判が起こらない。しかしもっと驚かされるのは、番組が半年間だけ放送されて、しばらく休んだ後に再開されることである。
「番組が休みの間、スタッフは何をしてるの?」と山田さん。「それは充電期間です」僕が答えると、山田さんはヒッと短い叫び声を上げた。恐怖と羨望で顔がひきつっている。
番組が当たれば、スタッフは充電期間どころか、ぶっ倒れてスカスカの干物になるまでむち打たれこき使われて制作をしつづけるのが、日本のテレビ局の常識であることを山田さんは誰よりも良く知っている・・・。