イタリアの3月8日は、黄色いミモザの花を恋人や妻に贈るその名もズバリ『女性の日』。昨日、そのことについて3日遅れで何かを書こうとノーテンキなことを考えていたら、日本から巨大地震発生のニュースが飛び込んできた。

 

すぐにテレビの前に走る。地震発生から既に3時間ほどが過ぎていて、日本とのリアルタイムのNHK番組が衛星放送で逐一流れてくる。大津波が、家も車も船も畑も何もかも飲みこんで、膨れ上がっていく驚愕映像が繰り返し流される。巨大な濁流の中に人々がいると思うとたまらない。画面をじっと見すえたまま泣く。

 

津波警報が、東北のみならず北海道から沖縄の宮古島、石垣島に至る全国に出ていることに気づいて、今度は電話の前に走る。

まず先島諸島内にある故郷の島に国際電話を掛ける。そこには90歳を過ぎた父とその面倒を見る妹が住んでいる。豆粒のような平坦な島は、たった今映像を見たばかりの津波が見舞った場合、人家や農地を含む一切が完璧に洗い流されてしまうだろう。


もしかすると島そのものが消えて無くなるのかも知れない。それ程に小さい島である。

 

実家の電話は通じない。妹の携帯電話も無理。すぐに埼玉県に住むもう一人の妹にも電話をしてみる。そこも通じなかった。那覇に住む姉のところも通じない。


次にトライした宮古島の兄がようやく電話に出た。津波への警戒はしているが、恐らく大丈夫、島は平穏だという。ならば、そこに近い父の島も同じ状況だろう。一応安心したが、日本のそこかしこにいる家族の安否はまだ全ては分からない。

 

テレビの前と電話を行き来しながら連絡を取り続けて、どうやら全員が無事と分かったのは、そこからさらに一時間半ほどが過ぎたあとだった。同じ頃に東京や近辺の友人らとも連絡がついた。

 

腰を落ち着けてテレビ画面に集中する。

 

言葉を失う凄惨な場面が、次々に、繰り返し映し出される。涙ぐみながら僕はずっと見入った。時々携帯電話で自宅近辺やミラノに住む日本人の友だちに連絡を入れる。皆NHKの衛星放送を見ている。お互いに慰めあいながら話しては少し心を落ち着かせる。

 

午後になって、気仙沼市の火災の映像が流れ出した。日本はもう夜。

 

自衛隊機から撮影された映像は、またまた震撼させられる状況だ。夜の闇を焦がすような火災が広範囲に渡って続いている。火は人々の制御能力を超えてひたすら燃え広がっているらしい。ドラマでも有り得ないような衝撃的な絵。

 

誰もが生きたまま、なす術もなく炎に飲み込まれているのが見えるようだ。涙が止まらなくなった。

 

時間経過と共に、日本の惨劇を知ったイタリア中の友人達から、僕の携帯に次々に見舞いの電話がかかってくる。妻の携帯電話にもかかってくる。

 

彼らの気遣いが僕をさらに泣かせる・・