今月25日から3~4日の日程で予定していたスペイン・アンダルシア旅行をキャンセルした。週末を利用して、妻と二人でフラメンコを観に行く計画を1月末頃に立てて楽しみにしていたのだ。

日本から逐一入る大震災の厳しい情報に埋もれて、かなり落ち込んでいる気分を引き上げるために、予定通り旅行をしようかと考えなくもなかった。が、やっぱりそんな気にはなれない。遠いイタリアにいて何ができる訳でもないが、しばらくは被災者の方々に心だけでも寄り添っていたいと思った。おそらく海外在住の日本人は誰もが僕と同じ気持ちでいるのではないか。旅行のキャンセルには妻も即座に賛成してくれた。

 

旅行を取りやめたことで何かできることはないかと夫婦で話した。彼女は南米やアフリカなどの貧しい人々を支援する複数の団体に所属して活発に活動している。それとは事情が異なるが、こういう場合にはどうするべきか良く心得ているから、全て妻に任せることにする。

気分高揚という意味では、実は一昨日17日の木曜日に僕は普段は余り考えられないことをして、自分を慰めた。今思うと少々冷や汗ものの行動だったが、不思議なことにその時は何のためらいもなくできた。

3月 17日はイタリア統一150周年記念日だった。イタリア中で盛大な祝典が催された。

僕ら夫婦も住まいのあるコムーネ(COMUNE:共同体)の祝賀会に招かれた。

僕が住んでいる北イタリアの村は、人口一万人弱のコムーネの中心地区である。僕は分かりやすいようにそこを勝手に「村」と呼んでいる。町や街と呼んでもいいのだろうが、のどかな田園地帯も広がる地域なので、僕の感じでは「村」というのが一番しっくり来る。

 

実は、イタリアには市町村という行政単位はない。首長を戴く全ての地域は、等しく「コムーネ」と呼ばれる。つまり、ローマやミラノのような都会も僕が住む田舎町も、一律にコムーネなのである。

 

コムーネ主催の「イタリア統一150周年記念式典」で、僕は妻と二人で壇上に上がって少し話をした後、妻を巻き込んで日本語で、日本式に「イタリア、バンザイ」と三唱した。突然、バンザイ三唱を強制された妻も、聴衆も驚いていたが、一番驚いたのは僕自身だった。生まれて初めてのバンザイ三唱を、僕は何の迷いも抵抗感も逡巡もなくやってのけた。そのことに自分でも驚いたのである。

 
僕は式典そのものに顔を出すと決めた時、日本の震災のことを少し忘れて、祭りに身をゆだねて気分転換をしようと思った。

 

ところが式典が始まると、挨拶をする来賓の多くが話の冒頭で東日本大震災に言及して同情を表明してから本題に入る。僕はそれで少しじんとなってしまった。

 

加えて、統一国家というものにそれほどの価値を見出さないイタリア人の真骨頂、とでもいうべき挨拶の一つ一つが面白かった。彼らはスピーチを一様に「統一イタリア、バンザイ!」と締めくくるのだが、その言い方がものすごく嘘っぽい。無理をして、というのが少し大げさなら、ひどく遠慮しいしい言っているのがわかる。

 

かつて独立自尊の気概に富む都市国家が群雄割拠していたこの国の人々は、今でもその記憶を失わず、むしろ誰もがそのことを誇りにして現代を生きている。人々にとっては統一国家の前にそれぞれが所属する「コムーネ」があり、それはいわば一つ一つが独立国家なのである。巨大コムーネのローマと僕の住む北イタリアの小さな「村」コムーネが、行政的に完全に対等な立場に置かれているのも、それが理由の一つである。

 

僕はイタリア人の独立自尊の気風が大好きである。それを尊敬し楽しんでいるからイタリアに住み続けている、と言ってもいいくらいだ。

 

大震災に見舞われた日本への連帯感を表明してくれる来賓の情にじんとしたり、統一国家よりも「オラが街が大事」という本音を隠して「イタリア、バンザイ」とか細い声で建前を言う様子を面白がったりしながら、僕はだんだん本気で楽しくなり愉快になって行った。

またその時の僕の胸の底の底には、甚大な災害に見舞われながらも人間性を失わずにじっと耐える、故国の被災者を讃える世界中のメディアの報告を、自身が誇る気持ちも少なからずあったと思う。

 

そこでイタズラ心が出た。僕は隣にいた妻に「僕に続いて日本語でバンザイを三唱して」と耳打ちして、聴衆に向かって「ビバ(バンザイ)、イタリア!」を日本語ではこう表現します、と言ったあと実際にバンザイ、バンザイとやったのである。
 

 自分の行動をあとで振り返ると冷や汗が出たが、会場にいた人は皆喜んだ、少なくとも面白がっていた、などの噂を聞いて僕はほっとした。

でも、やっぱり反省している。

なぜなら僕は叫んだり、悲鳴を上げたり、勝ち鬨(どき)を上げるなどの金切り声が嫌いだからだ。叫喚(きょうかん)や咆哮(ほうこう)や絶叫や大呼が起こる場所にはロクなことがない。そして僕の中では「~バンザイ!」というのは絶叫にしか聞こえないのだ。

 

軽い遊びのつもりでやってしまったが、僕は反省している。会場の人々の中には僕のジョークが分からず、日本的な過激なアクション、と決め付けた人も必ずいあたであろうから、なおさら・・・