東日本大震災のNHK報道を僕は日本との衛星同時放送でずっと見続けてきた。言葉を失う惨劇を、遠いイタリアで苦しい思いで追いかけながら、一つ気づいたことがある。

 

今回の東日本大震災も16年前の阪神淡路大震災も寒い時期に起きている。またそうではない例えば新潟中越地震の場合でも、災害後に厳しい寒さが訪れて、被災者の皆さんの苦労をさらに大きくした。

 

そこで、冬でも暖かい沖縄の米軍基地の全てを、国営の災害避難所に作り変えて、残念ながら今後も全国で発生し続けることが宿命の、あらゆる種類の天災への備えにしたらいいのではないかと考えた。

沖縄以外の日本国土は、本土最南端の鹿児島県でさえ、真冬には雪も降る寒い土地柄だ。冬でも花が咲き乱れ小鳥がさえずっている沖縄県に、苦しんでいる被災者の皆さんを迎えてあげるのは意義のあることであろう。
 

まず手はじめに普天間基地の米軍に退散を願って避難所となし、東日本大震災の被災者の皆さん、避難所の皆さんを全て受け入れる。とにもかくにも厳しい寒さをしのげる、というだけでも大きな負担減になるのではないか。

そうすれば、沖縄県民の基地への怒りも嘆きもきれいさっぱりとなくなり、本来の明るい性格ともてなしの心だけが最大限に発揮されて、被災者の皆さんを暖かく迎え、援助の手を差し伸べるだろう。

 

基地擁護者が言いたがる抑止力が、国難を排するための力であるなら、大震災で甚大な被害を受けて苦しむ国民の存在、という大きな国難を排する避難所こそ、真の抑止力だと言うこともできる。

 

普天間基地を開放して作る避難所には、被災者の皆さんが家族ごとに入れる、アパート群を始めとする様ざまな設備を作るのは言うまでもない。その時、応急処置のチャチな建物ではなく、しっかりしたりっぱな設計建築をすることが重要である。というのも、そこは災害避難所として使われない期間は、国民保養所や国民宿舎のような形にして低料金で貸し出すのである。言うまでもなく、災害が発生した場合は無条件に明け渡す、という契約で。

 

そうすれば施設はきっと夏には海で遊びたい若者で、冬には避寒保養地として、年金生活の高齢者の皆さんなどで溢れるに違いない。

またそうした施設は、島を訪れる多くの観光客が台風で足止めを食う時にも利用してもらう。

台風による足止めは、観光客にとってはホテル宿泊費を始めとする旅行費用の想定外の入り用で負担が大きい。ここでも低料金で提供すれば大きな助けになる筈である。そのほかにも知恵をしぼればいろいろと利用価値があるのではないか。

 

荒唐無稽な話、と一笑に付す人もいるだろう。だが民主主義国家のわが国において、沖縄県民の民意を完全に無視して、現職総理や幹事長や各閣僚が島を訪れては、バカの一つ覚えのように辺野古への基地移設を唱えることこそ荒唐無稽だ。

 

同じ荒唐無稽なら、被災者の負担と沖縄の基地負担を一気に解決できる避難所の方がよっぽどましである。