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言うまでもなく、共和国制のイタリアには法的な制度としての爵位はない。第二次世界大戦後に廃止されたのである。しかし社会通念としてのそれは厳然として存在する。これは革命が起こったフランスにおいてさえそうなのだから、いわんやイタリアにおいてをや、というところである。

 

たとえば妻の実家の家族を、人々はほとんど常に伯爵の称号をつけて呼ぶし、郵便物や届け物や書類などにも伯爵という枕詞が添えられている場合が多い。

 

イタリアの爵位は廃止されたけれども、法律では苗字に取り込んで姓の一部として名乗っても良いことになっている。しかし、そういう形を取った貴族家はあまりないようである。少なくとも僕はそういう家を一つも知らない。もちろん妻の実家もそんなことはしていない。

そういうことをしなくても、社会通念としての爵位の存在が十分に大きいから、改名をする必要がなかったのではないかと思う。

 

また、敗戦によって国民の全てが法の前では平等であるとうたわれている時代に、あえて過去の特権にしがみつくような改名をして、威をかざしたいと考える驕慢(きょうまん)は、さすがに出にくかったのではないか。

 

さらに言えば、多くの貴族家はほとんどの場合、その地域で極めて目立つ建物を所有し住居としている。爵位を持つ場合も持たない場合も、人目を引く歴史的建造物によって、貴族の館と分かることがほとんどだから、隠しようもないのである。そのあたりにも、あえて改名までして爵位にこだわろうとする貴族が少なかった原因があるように思う。

 

さて、僕は「カミングアウト 」の記事で、妻が伯爵だと書いた。が、それでは、その言葉が彼女や僕にとってどれだけの意味を持つのかと言うと、ほとんどゼロ、何の意味もないというのが真実である。

だからこそ僕はあえて伯爵と言った。分かりやすくて、しかも軽佻な感じが出て、カミングアウトという軽いタイトルにふさわしいと思ったのである。

 

実際に僕は、ふざける時によく妻を「伯爵(Signora Contessaシニョーラ コンテッサ)さん」と呼んでからかう。僕らの中では、伯爵などという時代錯誤な称号はその程度の意味しか持たない。

 

ただ前述した、妻の実家の家族を伯爵と呼ぶ人々や、その周りにある制度、あるいは習慣などにまつわる社会通念の中では、妻は今でも伯爵(Contessa、男性形はConte)と呼ばれることがよくある。

 

妻はそれには何も反応しない。そういうときに一緒に行動していることが多い僕も、ほとんど無関心である。それが形式だけの、無意味な呼びかけであることを知っているからだ。

 

妻がかつて爵位を持っていた家に生まれた現実が、妻自身はもちろん、僕や息子たちにも大きな影響を与えるのはもっと別なところにある。

そのことはまたおいおい書いて行ければと思う。





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