イタリア政府が、基地をたてにEUに対して難民問題での譲歩を迫ったらしいことに気づいて、僕は普天間基地のことを思い出した。

 

基地問題を話すのは暗い。疲れる。うっとうしい。

 

出版社の友人によると「基地問題の本は売れない」のが通例らしい。基地問題のこのブログ記事も恐らく誰にも読まれないのだろう。

特に沖縄の基地問題の場合には、島の持つ本来の明るさの反動からか、暗さに拍車がかかるように僕には感じられる。

 

青い海と、さんさんと降りそそぐ太陽と、のん気で陽気な人々の島、沖縄。  癒やしの島、沖縄。  明るい歌の島沖縄は、基地という言葉が絡んだ瞬間に、ツライ、クライ、オモイ、イタイ、の四拍子がそろった恐怖の島になる。しかし、それも島の現実なのだから仕方があるまい。

 

普天間基地問題に関しては、僕は言うなれば過激派である。つまり基地の地元の皆さんに「もっと怒れ」「もっと叫べ」とけしかけている。なぜなら人々は大人しすぎると僕には見えるし、今の状況では、地元が激しく怒ること以外には問題の道筋はつけられないと考えるからである。

 

僕は米国が好きである。日米が対等に向かい合うという条件付で、日米安保条約にも賛成である。また米軍が自衛隊とともに、東日本大震災の被災地を助けた事実には深く感謝したい。

 

そのことと、日米地位協定をたてに米軍が取る横暴の数々はまったく別の話だ。僕はそのことについては、今よりももっと激しく怒るべきだと考える。また小さな島の面積に照らしてみて、明らかに過重負担である米軍基地の割合は減らされるべきだと思うが、民主党現政権を含む歴代政権は、それをどうやって減らすかを考える代わりに、基地の沖縄県内でのたらい回しだけを考え、そう行動してきた。

 

そこには鳩山前首相が政権を投げ出したあとに白状した

 

「普天間基地の移設は、これまでの積み重ねの中での防衛、外務両省の発想があり、国外は言うまでもなく県外も無理だという思いが政府内にまん延していたし、今でもしている」

「“普天間基地を国外、最低でも県外へ”という私のようなアイデアは一笑に付されていたようだ。本当は私と一緒に移設問題を考えるべき防衛省、外務省が、実は米国との間のベース(県内移設)を大事にしたかった」

「防衛省も外務省も沖縄の米軍基地に対する“存在の当然視”があり、数十年の彼らの発想の中で、かなり凝り固まっている。動かそうとしたが、元に舞い戻ってしまう云々・・」

 

などの発言に見られる、歴代政権と官僚機構の「沖縄差別」と言われても仕方のない、不公平そのものの政策や発想がある。

 

また北海道から鹿児島県までの地方自治体の誰もが、自らの土地に基地を受け入れようとは言わない。それは理解できることだ。誰だって面倒で危険な基地など受け入れたくはない。また沖縄県民も、県外のどこそこに基地を持って行け、とは口が裂けても言えないだろう。それは彼らと同じ苦しみをその「どこかの地」に持って行けということだから。

 

地元の人々はただ基地の重圧を軽減してくれ、と言っているだけだが、他の日本国民が見て見ぬ振りをしている。見て見ぬ振りをしているように見える。そして政府はそれを敏感に察して、県内でのたらい回しを画策する。

 

つまりそれは、普天間基地問題では日本国内のどこからも援助の手はやってこない、ということである。

 

それならば仕方がない。

 

怒って怒って、憤死するまでさらに怒って怒りまくれ、というのが僕の主張である。

これは日常の人付き合いの話ではない。政治の話であり国を相手の話であり米国と米軍を相手の話である。誰かが助け船を出すだろう、みたいな甘い考えでは何も解決しない。そこでもっと怒れ、必要なら暴動を起こせとさえ僕は言う。


暴動とは、たとえば今から40年前に沖縄市で起こった、米軍車両や施設への焼き討ち事件、コザ騒動のようなことである。米兵が問題を起こすような時には、街にある米軍人の車をひっくり返して火をつけてしまえ、というぐらいの怒りを示せというのが僕の主張だ。

 

何も恐れることはない。

 

そういう動きは国際社会が見ているから、米軍は丸腰の住民を銃剣で圧することなどできない。必要ならばツイッターやフェイスブックなどを駆使して国際世論に訴えればいい。

 

日本と同じ敗戦国のイタリアにも米軍基地はある。が、米軍が住民を無視して騒音をまき散らしたり、犯罪者の兵をかくまうような横暴が許されることは決してない。

 

沖縄で、また別の基地の地元で、米軍が平然とそんな行動に出るのは、不公平な日米地位協定があり人種差別意識があるからだ。

 

日米両国が対等な立場で手を組み、沖縄に限らずすべての基地を抱える地元の理解を得て、不公平感をなくしていくべきだ、というのが僕の最終的な主張だ。

 

県内外の基地利権や利害にからむ人々の動きに負けて、もしもこの先沖縄の民意が辺野古移設に傾き、現在の日米合意を容認する方向に動いたなら、僕はあきらめて口を閉ざそうと思う。

その程度の民度の島なら日米両政府に翻弄されても仕方がない。

 

僕は帰国の際は、怒ることをやめて、自分の好きな宮古島や石垣島での滞在を、静かにエンジョイするだけにしようと思う。

なぜなら、普天間基地が辺野古に移設された場合、基地問題に関する僕の考えは間違っていたということだろうから。

いや、違う・・

今度は辺野古の基地を国営の災害避難所にしろ、と主張しなければならない。つまり、また怒り続けなければならない。

やっぱり基地問題は暗い。疲れる。うっとうしい・・・