長年マフィアのことに興味を持っていろいろ調べるうちに見えてきたのは、マフィアの実体はつかみどころがない、という厳然たる事実である。
情報も見聞も噂も知識も何もかも、時間とともにそれなりに増えていくが、見えてくるのは茫洋としたマフィアの輪郭だけだ。いや、それはもしかするとマフィアの輪郭でさえないのかもしれない。マフィアのまわりに渦巻く情報の山、伝聞のガレキの巨大な堆積、とでもいうようなものに過ぎない。
なぜそうなるかと考え続けて分かったのは、マフィアの掟「オメルタ(沈黙)」の巨大な枷(かせ)が、障害となって立ちはだかるということである。リサーチやロケハンや情報収集によって多くのことが分かっても、最終的に「オメルタ(沈黙)」の壁にぶつかって、マファアには決して近づけない。
マフィアの構成員は言うまでもなく、その周囲にいる筈の被害者、つまりシチリア島の人たちが、ほとんど何も語ってくれないために本当のことがまるで見えてこない。もどかしさがいつも付きまとう。それがマフィアリサーチの本質である。それは僕の親友であるサルバトーレとの付き合いの場でさえ同じ。
サルバトーレがマフィアの構成員だった彼の祖父のことを打ち明けてくれた直後、僕はどうにかして組織のメンバーに会う手段はないか、と彼に頼んだことがある。すると彼は2、3日後に「ある人に会わせる。しかし彼の前ではマフィアのマの字も出すな」とだけ言って、僕をパレルモ市内の一軒の家に連れて行った。
そこはある土建業者のボスの家だった。内装に少し金ぴかな趣味があるが、大きなりっぱな家である。
50歳前後に見えたその男性は、一人で待っていて僕とサルバトーレを居間に通してくれた。愛想は良くない。でも別に不快感や敵愾心を見せるわけでもない。彼はシチリア名産のマルサラワインをご馳走してくれ、われわれはシチリアや僕の住む北イタリアや日本のことなど、当たり障りのない話題をしばらく交わしてそこを辞した。最後まで男性の妻や家族が居間に顔を出すことはなかった。
それだけの出来事である。
「彼は誰?」
僕は帰宅する車の中で念のためにサルバトーレに聞いた。
土建業者のボス。趣味は良くないが明らかに裕福な住まい。家族の紹介などこれっぽっちも頭の中にない態度。知的ではないが、相手への尊敬の念を決して失わない物腰。射るような目線でほとんど笑わず、お愛想を言わず、かと言って敵意を見せるのでもない動き・・・あまりにも「らしい」要素の数々が、逆に嘘っぽいほどの見事なマフィオーゾ(マフィアの構成員)振りの男性について、僕はサルバトーレに確認を取ったのだ。
それに対するサルバトーレの答えは、僕が正確に予期した通りのものだった。
「君が見て、君が感じたままの男だ」
つまり男性は組織の一員である。でもそれはサルバトーレがそう言っているのではなく、一外国人である僕が勝手にそう考えているだけのことだ・・・というのがサルバトーレの言葉の意味である。
それがシチリア島のマフィアの実態である。
誰も本当のことは語ってくれない。
僕の親友のサルバトーレでさえそうなのだから、他は推して知るべしである。
そうやって僕は次第にマフィアそのものを描くドキュメンタリーの制作を諦めていった。
能力の無い僕には、不得要領なものを映像ドキュメンタリーにする術はない。その代わりに、フィクションでの描写が効用を持つのではないか、と考えるようになった。
しかし、僕はフィクション映像の監督ではない。そこで、せめて文章ででもマフィアについて表現できないものかと考えたりもしている。この先、ここでこうして書いていくのも、あるいはその一手なのだろうか・・