イタリアという国家の中に内包されている強烈な地方中心主義だとか独立自尊の気風というのは、日本人にはなかなか理解してもらえないような気がする。なぜならそれは、たとえば日本のなかでも秋田県と福岡県は風土や歴史や人々の気質が違う、とわれわれが話すときの“違う”とはまるで異なるものだからである。

 

秋田県や福岡県(もちろんどの都道府県でもいいのだけれど)には、明日にでも日本国から独立して勝手に生きていく、という考え方や覚悟や下地というものはまずないと断言できる。日本で一番独自色の強い僕の故郷の沖縄県民でさえ、独立を考える者はあまりいないのではないかと思う。が、イタリアの各地には充分にそれがあるのである。ミラノ、フィレンツェ、ベニス、トリノ、ローマ、シチリア、ナポリ・・・等々はそれ程に違い、それぞれが一つの国や都市国家として完結しているようなところがあるのだ。

 

それを象徴的に現わしているものの一つが、イタリア中の街や県にある独立のテレビ局の存在である。それらのローカルのテレビ局は、全国ネットの大放送網とはまったく関係のない文字どおりの独立テレビである。各地のローカル局のほとんど全てが、東京のいわゆるキー局の系列になっている日本とはそこが明確に違う。

 

彼らはそれぞれがカバーする地域内でスポンサーを得て、同じ街や県内のニュースを流したり地域に密着した番組を制作して、その同じ限られた地域だけに電波を送る。それらの放送局の規模は地域によってまちまちだが、どの局も土地の人々の強い支持を受けている。放送局が小さな独立国家としての各地方の顔であり、いわばそれぞれの国営放送局のようなものだからだ。

 

イタリアには全国ネットのテレビ局が7つある。イタリア国営放送局RAIの3チャンネルと民放4局である。ただこのうちの民放1局は規模が小さく、実質6局という方が正しいかもしれない。誤解のないように言っておくと、それらの全国ネットのテレビ局の影響力は、各地方の独立局のそれとは比べものにならないほどに大きい。全国ネットの前では独立局など吹けば飛ぶような存在に過ぎない。それでも独立局は、決して全国ネットの系列に入ることはなく、堂々と我が道を行くのである。

 

話のついでになるが、僕はイタリアの地方に出向いてドキュメンタリーを制作する時には、先ずその地方の独立局にコンタクトを取る。彼らは当然のことながらそれぞれの地方のでき事に詳しい。たいていの場合、僕が制作をしようとしているテーマについても、何らかの形で既に番組を作っていたりする。正直なところ、それらの番組の質はいつも貧しい。予算もなく視聴者の数も限られた、要するにローカルの番組なのだから、これは仕方がない。しかし、彼らは一年中その土地にいてカメラを回しつづけているために、時間の都合でこちらが撮影できないような映像を撮っていたりする。その場合には数十秒単位で絵をゆずってもらうこともある。

 

僕が独立局にコンタクトを取る第一の理由はしかし、実は別のところにある。僕はテレビ局を通してその土地の制作プロダクションやカメラマンとコンタクトを取りたいのである。制作プロダクションは往々にして、地方局よりも質の良い撮影機材や制作スタッフを持っていることが多い。これは独立テレビ局がその地方だけを仕事の相手にしているのに対して、制作プロダクションは、地方局はもちろん、全国ネットのテレビ局や、時には外国のテレビ局との仕事まで視野に入れているからである。

 

地方に仕事のベースを置いているカメラマンも同じような立場にある。そして彼らの中には、ローマやミラノのカメラマンに少しも引けを取らない腕を持つ連中がたくさんいる。絵作りの腕が同じならば、土地のカメラマンの方がその土地の歴史や風俗や文化や人心に精通している分、いい仕事ができる、と僕は考えている。

 

それにしてもミラノやローマから遠く離れた地方都市にまで、かなりのレベルの制作プロダクションや撮影カメラマンが存在して、しかもそこで充分に仕事をこなしているというのは驚くべきことである。

僕はイタリアに定住する前に、イギリス、日本、アメリカの順序で映画テレビの仕事をしてきた。イギリスには足かけ五年、アメリカにも二年いた。その実体験から言うと、映画テレビの仕事はイギリスはロンドン、アメリカはロサンゼルスとニューヨーク、日本は言うまでもなく東京に集中している。極端に言えばそれ以外の地方都市はゼロと考えて良い。フランスやドイツ等もほぼ似たりよったりだ。

 

この国は事情が違う。ローマとミラノが映画テレビの中心地であることは疑いがないが、同時にアルプス山中の南チロルからシチリア島に至るまで、その地方だけで完結していて、しかもローマやミラノに匹敵するだけの力量を持つ独立プロダクションや制作スタッフやカメラマンが、相当数存在しているのである。

 

そんな具合にイタリアの各地方というのは、現在でも中央とは一線を画して独自の道を歩みつづけている。それは各地方が独立を目指して運動をしているということではない。しかし、その気概だけはいつもあふれるほど持っているのである。

 

※ちなみに現在この国では北部同盟という政党が、経済的に豊かな北部と貧しい南部を切り離せと叫んでいるが、これは僕の話とは少し論点が違う。