ローマ中心部の終着(テルミニ)駅前に立てられた、前ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の銅像が、本人に似ていないと市民に批判されて、それがイタリアの全国ニュースになったりしている。

 ヨハネ・パウロ2世は先日、カトリックの最高の崇拝対象である聖人の前段階、福者に列福されたばかりである。将来は確実に聖人にも列せられるとみられている。

 僕はニュースを見ながら、教皇の葬儀における日本政府の不可思議な行動を思い出した

 2005年に亡くなったヨハネ・パオロ2世の追悼式は、世界中が固唾を飲んで見守る壮大な祭礼だった。そこにはヨーロッパ中の王室と政府首脳とアフリカ・アラブ・南北アメリカの元首がほぼ全員顔をそろえた。元首や国のトップを送りこんでいない国を探すのが難しいくらいだった。

 例えば欧米主要国だけを見ても、当事国のイタリアから大統領と首相をはじめとするほとんどの閣僚が出席したのは当たり前として、イギリスからは、自らの結婚式まで延期したチャールズ皇太子と当時のブレア首相、フランスがシラク大統領、ドイツは大統領とシュレーダー首相、アメリカに至っては当時の現職大統領ブッシュ、前職のクリントン、元職のブッシュ父の三代の大統領と、ライス国務長官という大物たちがそろって出席したのである。

 そればかりではなく、葬儀にはヨーロッパ中の若者と各国の信者がどっと押し寄せて、その数は最終的には500万人にものぼった。それは過去2000年、263回にも及んだローマ教皇の葬儀で一度も起きたことがない事態だった。ヨハネ・パウロ2世はそれほど人々に愛された。

 彼は敵対してきたユダヤ教徒と和解し、イスラム教徒に対話を呼びかけ、アジア・アフリカなどに足を運んでは貧困にあえぐ人々を支えた。同時に自らの出身地の東欧の人々に「勇気を持て」と諭(さと)して、ついにはベルリンの壁を崩壊させたとさえいわれる。

 ヨハネ・パウロ2世は単なるキリスト教徒の枠を超えて、宗教のみならず、政治的にもまたモラル(道徳・人道)的にも巨大な足跡を残した人物だった。そのために世界中が教皇の死を惜しみ葬儀にも注目した。

 偉大な男の葬儀が、外交的に重大な舞台になることをしっかりと認識していたアメリカは、まず世界中に12億人とも言われるカトリック教徒の心情に配慮した。さらに2000年も敵対してきたユダヤ教徒や、イスラム教徒にも愛された彼の業績の持つ意味を知り、ベルリンの壁を崩壊させた彼の政治力に対する東欧の人々の心情を汲みあげた。加えて、世界中に足を運んで貧困に喘ぐ人々を勇気付けてきた彼の業績に敬意を表して、現職を含む三代の大統領と国務長官をバチカンに送り込む、という派手なパフォーマンスを演出して見せたのだ。さすがだと言わざるを得ない。

 ではその大舞台でわが日本は何をしたか。
なんと、世界から見ればどこの馬の骨とも知れない程度の外務副大臣を送って、お茶を濁(にご)したのである。日本政府は教皇の葬儀が外交上の桧(ひのき)舞台であり、わが国の真摯な心を世界に知らしめる絶好の機会だということを、微塵(みじん)も理解していなかった。

 …あの落差は一体何なのだろう、と今でも考える。    

 日本という国はもしかすると、まだまだ「世界という世間」を知らない鎖国メンタリティーの国家なのではないか。また、当時おそらく日本政府の中には、教皇とはいえキリスト教の一聖職者の葬儀だから、仏教と神道の国である日本はあまり関係がない、という空気があったのではないか。あるいは単純に、ヨハネ・パウロ2世が生前に行った大きな仕事の数々を知らなかったのか。まさか・・

 いずれにしてもそれは、何ともひどい外交音痴、世間知らず、と世界から笑われても仕方のない間抜けな行動だった。

 あれから6年・・

 東日本大震災に襲われた日本は、被災者の秩序ある行動を世界から賞賛される国になった。

が、果たしてわが国政府はあれからどこか変わったのだろうか。大震災と原発事故への対応ぶりを見れば、相変わらず無力で無定見な政治家の集団でしかないように僕には見えるが・・