僕はイタリアのミラノにある自分の事務所兼プロダクションを基点に、ほぼ20年に渡ってテレビドキュメンタリーのディレクターの仕事をしてきた。ロケでイタリア中を駆け巡っていない時は、ミラノの事務所で編集作業やリサーチその他のデスク仕事をこなすのである。
番組編集などで徹夜仕事になった場合は、事務所近くに確保している小さなマンションに泊まったりもするが、基本的には毎日車で40分ほどの自宅に帰る生活。
自宅はイタリア特産のシャンパン「スプマンテ」の里として知られる、フランチャコルタ地方の一角にある。まわりをブドウ園に囲まれたのどかな美しい場所である。
ミラノでの仕事に疲れて帰る田舎のわが家は、既に十分に気分転換のできる安らかな場所だが、僕はもう少しリフレッシュしたい時には、よく自宅とは反対方向に30分ほど車を走らせた。するとそこはもうスイスである。
つまり僕の仕事場からは自宅よりも外国のスイスの方が近いのである。
山国のスイスは言うまでもなく美しい国である。が、南アルプスの山々や、地中海や、強い太陽の光や、ローマ、ベニス、フレンツェなどに代表される歴史都市を懐に抱いているイタリアはそれ以上に美しい、と僕は感じている。
ではなぜわざわざ外国のスイスに気分転換に行くのかというと、仕事場から近いという理由もあるが、そこがスイスだから僕は喜んで気晴らしに向かったのである。
スイスは町並が整然としていて小奇麗で清潔な上に、人を含めた全体の雰囲気が穏やかである。
僕が行くのはせいぜいルガノやロカルノなどのイタリア語圏の街で、湖畔の街頭カフェやリゾートホテルのバーや、うっそうとした木々の緑におおわれた、街はずれのビアガーデンなどでのんびりする。
イタリア語圏だから、そこではミラノにいる時とまったく変わらない言葉でやりとりをする。
ところがそこには、イタリアにいる時の、人も自分もいつも躁(そう)状態で叫び合っているかのような騒々しさや高揚がない。雰囲気が静かで落ち着く。
その気分を味わうためだけに僕はあえて国境を越えてスイスに行くのである。
要するに僕は、肉やパスタのようにこってりとしたイタリアの喧騒(けんそう)が大好きだが、時々それに飽きて、漬物やお茶漬けみたいにあっさりとしたスイスの平穏の中に浸るのも好きなのである。
仕事場を自宅の一角に移してからは、僕はまだ一度も気晴らしの「スイス往復」をやっていない。が、震災支援のコンサートも終わったし、そろそろ夏が来てビールが美味くなる季節でもあるから、スイス直通の高速道路をしばらく走って、ルガノ湖畔にビールでも飲みに行こうかと考えたりしている。
毎年6月恒例の、地中海沿岸巡りの旅に出る前に・・