元大関小錦のKONISHIKIさんが、ハワイと沖縄を結ぶ架け橋になりたい、と宣言して沖縄県の「民間大使」になったそうである。東京の僕の友人の「沖縄病」患者、つまり沖縄大好き男からの知らせである。

 

僕は思わず、ほう、とつぶやいた。実は僕も沖縄県から請(こ)われて「民間大使」になったことがある。昔、アメリカで制作したテレビ番組が、全くのまぐれ当たりで向こうの監督賞をもらったことがきっかけだった。

 

沖縄県というのは愉快なところで、世界に広がる沖縄県人のネットワーク構築と国際交流を目的とした文化の祭典、と銘打って5年に1度「世界のウチナーンチュ大会」という祭りを開催している。

 

ウチナーンチュとは沖縄弁で沖縄県人や沖縄人というような意味。ウチナーは沖縄。チュは「人」のこと。ひと⇒ひとぅ⇒ひちゅ⇒ちゅと変化した言葉である。たとえば漁師のことは「海人(うみんちゅ)」島の人間は「島人(しまんちゅ)」などと使う。

 

僕はアメリカで受賞したことが地元で評価されて、世界に羽ばたくウチナーンチュ(笑)、ということで第1回大会に招待されて、そこで「民間大使」に任命されたのである。

 

大会に招待されたとき、僕は祭りの大げさなコンセプトと、いかにも沖縄らしい「こだわり」が気に入って、いつものように面白がりつつ喜んで帰国した。

 

でも僕が面白がったのはそこまでである。

 

それは主として南米各国に移住した沖縄県出身の皆さんを慰労する会、とでもいうような集まりだった。参加している「世界の」ウチナーンチュの皆さんのほとんども南米からの訪問者だった。日本全国から移民として外国に渡って行った人々の大半がそうであるように、彼らも主に経済的困窮から必要に迫られて祖国を後にし、見知らぬ土地で頑張り抜いて今の生活を手に入れた方々である。

 

多分そのせいだと思うが、僕のように生活苦から移民になったのではなく、「好き好んで」外国に出て行った者にとっては、それはちょっと場違いな祭典に感じられた。

僕は東京で大学を卒業すると同時に「喜び勇んで」外国に飛び出したような軽い人間である。そんな僕が、多くの苦難を経て来たに違いない南米移民の方々と並び立つのは、とても申し訳ない気分がして仕方がなかった。

 
そこで任命された民間大使は一体なにをやるのかというと、それぞれの滞在国に戻って、いわば「県人会」のようなものでも立ち上げて交流しなさい、みたいなことで曖昧模糊(あいまいもこ)としてさっぱり意味が分からなかった。

 

まだ若かったその頃の僕は、ぶっちゃけ県人会とか日本人会とかいうものには全く関心がなかった。ましてや自分でそうしたものを立ち上げるなんて考えも及ばなかった。僕は民間大使としては結局なにもせず(できず)、2年かそこらの任期のあとは自然消滅という感じで終わった。

 

でも新しい民間大使のKONISHIKIさんは、僕などとは違っていろいろと楽しいことができそうに見える。トロピカルなハワイと南国の沖縄。似たもの同士が仲良くできる大いなる架け橋になりそうである。ぜひそうなってほしい。

それはさておき、僕は自分の故郷である沖縄の人々の「こだわり」に少し懸念を抱いたりすることがある。正確に言えば「こだわり過ぎ」に。


例えば「ウチナーンチュ大会」は、南米などに移住し苦労して現在の地位を築き上げた、移民の皆さんを故郷に呼んで慰労するという、とても良い企画である。

でもそれは、僕の見た感じでは、
ひたすら地元の環境だけにこだわっている内向きな祝典である。せっかく沖縄という極小の島社会を抜け出し、日本という小さな島国も飛び出して大きな世界で生きている人々を招いておきながら、外に向かって開かれているようには見えない。

 

そこには例えば、どちらかというと日本社会から冷たく扱われることが多い、全ての日本人移民や日系人の皆さんを等しく大会に呼んで、彼らの功績を大会で顕彰したり交流をしたり、というような大らかな発想があまりないように見える。 

 

こだわりのない人やこだわりのない物はつまらない。でも「こだわり過ぎる」のは何ごとにつけ鬱陶(うっとう)しい。

 

僕は沖縄にも適度にこだわりつつ、それよりもさらに強く「島」というものにこだわりを持ち続けている。例えば島である「沖縄」とはひどく限定されたある特殊なコンセプトだが、沖縄という枕詞を消したただの「島」とは、限定されながら大きな広がりも持つ豊かな概念である。

  

つまり「島」とは、例えば僕の生まれた極小辺鄙の島であり、それより少し大きな宮古島や石垣島であり、また少し大きな九州島でもあり本州島でもある。さらにそれは一段と大きな日本という島国でもあり、ついには大陸と称される世界の島々にまで広がる。

面積がオーストラリア島以上の陸地を「大陸」と呼ぶのはただの方便で、地球上のどの陸地も実は全て日本国と同じ島なのである。日本を含むそれらの島は、やがて地球という島になる。

 

さらに、地球島というのは太陽系という海に浮かぶ島であり、太陽系はそれより大きな銀河系の中の一つの島、さらにさらに、銀河系も宇宙の広がりの中の一つの島で・・というふうに果てしもなく広がって行くのが「島」なのである。 


僕はその「島」にこだわる。

 

でも決して「こだわり過ぎる」ことがないように気をつけようとも考える。

 

なぜならこだわり過ぎると、足元の小さな島の強烈な柵(しがらみ)にからめ取られて、島以外の世界を全て「よそ」と見なしてしまうような、「島国根性」のカタマリに陥(おちい)ってしまう危険性も大だから・・