12、13日に行われた、原発の是非を問うイタリアの国民投票で「反原発」派が勝利した。

 

ドイツとスイスに次いでイタリアも脱原発に舵を切ったわけだが、イタリアの場合は、福島原発事故後「世界初の国民審判」による「原発ノー」の強い意思表示だけに、その意味するところは大きいというべきだろう。

 

この国ではチェルノブイリ原発事故の翌年87年に、やはり国民投票で「反原発」の結果が出た。それを受けて、90年までに稼動中の全ての原発が閉鎖された。

 

ところが2009年、現在のベルルスコーニ政権が「原発再開法」を制定して原発の再稼動を目指した。しかし前述の通り、国民はその政策を明確に否定したのである。

 

90年以来、先進国の中で唯一原発を持たずにきたイタリアの電気料金は欧州一高い。原発大国フランスの2倍近くにのぼり、国は全電力の1割近くをそのフランスとスイスから輸入しているのが現状である。

 

ベルルスコーニは電力コスト削減を理由に原発再開を目論んだのだが、国民はそっぽを向いた。高い電気料金を黙認してまで・・なんてすばらしいことだろう!

 

僕は以前、今のところは原発に99%反対と書いた。

今のところは・・

 

99%の反対とは

 

「原発には100%反対。ただし核や原発の研究は続けるべき」

 

という意味で1%の賛成を込めて、反対99%と言ってみたのである。

 

その気持ちは今も全く変わらない。

 

いや、わが国がドイツ、スイス、イタリアの欧州三国が発起(ほっき)した「脱原発クラブ」に入会する願いを込めて、原発には120%も150%も反対と言おう。

 

それでもやっぱり1%の賛成も忘れずに込めておこうと思う。《化け物》の核や原発に負けるのはシャクだ。人類は必ずそれを征服するべきだと信じるから・・

 

閑話休題

 

「脱原発クラブ」は本来なら日本が真っ先に旗振りをして結成するべきだった。

ヒロシマを持ちナガサキを持ち、そして不運にもフクシマまで持ってしまったわが国は、なぜ誰よりも先に「脱原発」と叫ばないのだろうか。

 

経済に詳しいと思い上がっている人々、産業だけが国益だと信じ込んでいる人々、金と便利だけを追いかけながら憂い顔で国家を論ずるエセ憂国者、理念や理想をあざ笑うのが癖の原発及びビジネス利権屋などなど・・魑魅魍魎(ちみもうりょう)たちが跋扈(ばっこ)して脱原発を理想主義、ユートピア論などと冷笑する。

 

だがもうたくさんだ。彼らが皮肉たっぷりに言いたがる「少しの不便」や「少しの後退を」覚悟して、脱原発を叫ぼうよ。

 

日本の総電力の3割を担っている原発を止めれば、問題が起こらないはずはない。30%は小さくない数字だ。ドイツの22%よりも大きい。それでも日本はドイツよりも先に脱原発を宣言してしかるべきだった。

 

ドイツには広島も長崎も福島もない。また代替エネルギーの先行きが不透明であることも承知で脱原発を決定した。決定したことで、国を挙げて自然エネルギーの獲得を目指して模索し前進することになる。

 

多くのドイツ国民、特に産業界の人々はもちろんドイツ経済が失速するのではないか、と懸念を抱いている。彼らは脱原発を決めたドイツ国家を相手取って裁判を起こすことさえ考えている。

それでもドイツは自然エネルギーを模索する道を選んだのだ。彼らは創意工夫によって、原発に替わるエネルギーを必ず獲得するだろう。スイスもそうなるだろう。そして、遅ればせながらイタリアも・・

ところで

「創意工夫」こそわが国の専売特許ではなかったか。専売特許が言い過ぎなら、恐らくドイツやスイスさえも凌駕(りょうが)する日本のお家芸ではなかったか。

 

「脱原発」と国が明確に道筋を立てれば、世界一の創意工夫の民は、ドイツよりもスイスよりも先を行く技術や知恵を必ず探し当てる。現に省エネの分野では、電力供給がままならないと分かった大震災以降、多くの発明や工夫をこらした技術や製品が既に生み出されている。

 

脱原発は厳しい道のりを選択することである。だが原発推進は破滅を選択することである。少なくとも、破滅に至るかも知れない恐怖を抱えて生きること、を選択することである。

 

産業は重要である。経済には国の浮沈がかかっている。国が貧しくなれば、国民が不利益や不便をこうむることもある。当たり前だ。

 

だが、人は経済だけで生きているのではない。理念や尊厳や品位を持って生きることも重要だ。少しの不利益や不便を覚悟で、今こそわが国は「脱原発」の意思表示をして「脱原発クラブ」に入会するべきだと思う。

 

入会して、広島と長崎と福島の深い悲しみを力にして世界をリードするべきである。それが日本の義務ではないか。

 

恐らく僕がここで言うまでもなく、多くの日本人はそう思っている。それに気づかないのは愚劣な政争に明け暮れている、民主党政権や野党の政治家らだ。

「国民一流、国家三流」と世界から見なされるゆえんがそこにある。