「ヨーロッパとは何か」と問うとき、それはギリシャ文明と古代ローマ帝国とキリスト教を根源に持つ壮大な歴史文明、という答え方ができる。

 

ということはつまり、現世を支配している欧米文明の大本(おおもと)のすべてが、地中海にあるということになる。

 
なぜなら、南北アメリカやオーストラリアやニュージーランドでさえ、天から降ったものでもなければ地から湧き出たものでもない。ヨーロッパがその源である。

また近代日本は欧米を模倣することで現在の繁栄を獲得し、現代中国も欧米文明の恩恵を蒙って大きく発展し続けている。世界中の他の地域の隆盛も同じであることは言うまでもない。

ヨーロッパを少し知り、そこに住み、ヨーロッパに散々世話になってきた僕は、これから先じっくりと時間をかけて地中海域を旅し、その原型を見直してさらに学んでみたいと考えている。

 

ただし、その旅はできれば堅苦しい「勉強」一辺倒の道行きではなく、遊びを基本にして自由気ままに、のんびりと行動する中で見えてくるものを見、見えないものは見えないままにやり過ごす、というふうな余裕のある動きにしたいと願っている。

 

テレビドキュメンタリーや報道番組に長く関わってきた僕は、何事につけ新しく見聞するものを「もしかするとテレビ番組にできないか?」と、いつも自分の商売に結び付けてスケベな態度で見る癖がついてしまっている。つまり、いやらしく緊張しながら物事を見ているのである。

 

僕はそのしがらみを捨てて、本当の意味で「のんびり」しながら地中海世界を眺めてみたい。そうすることで、これまで知識として僕の頭の中に刷り込まれている地中海、つまり古代ギリシャ文明や古代ローマ帝国やキリスト教などの揺籃となった輝やかしい世界を、ゆるい、軽い、自在な目で見つめてみたい。そうすることで、仕事にからめて緊張しながら見る時とは違う何かが見えてくるのではないか、と考えている。

 

基本的な計画はこんな感じ。

 

イタリアを基点にアドリア海の東岸を南下しながらバルカン半島の国々を巡り、ギリシャ、トルコを経てシリアやイスラエルなどの中東各国を訪ね、エジプトからアフリカ北岸を回って、スペイン、ポルトガル、フランスなどをぐるりと踏破するつもりである。

 

中でもギリシャに重きをおいて旅をする。また訪問先の順番にはあまりこだわらず、その時どきの状況に合わせて柔軟に旅程を決めていく計画。


地中海は場所によって呼び名の違う幾つかの海域から成り立っている。

イタリア半島から見ると、西にアルボラン海があり、東にはアドリア海がある。北にはリグリア海があって、それは南のティレニア海へと続き、イタリア半島とギリシャの間のイオニア海、そしてエーゲ海へと連なっていく。またそれらの海に、トルコのマルマラ海を組み入れて、地中海を考えることもある。


今回ギリシャ本土の後に訪ねたミロス島とサントリーニ島は、イオニア海とともに南地中海を構成するギリシャの碧海(へきかい)、エーゲ海に浮かぶ島である。

 

地中海の日光は、北のリグリア海やアドリア海でも既に白くきらめき、目に痛いくらいにまぶしい。白い陽光は海原を南下するほどにいよいよ輝きを増し、乾ききって美しくなり、ギリシャの島々がちりばめられたイオニア海やエーゲ海で頂点に達する。

 

乾いた島々の上には、雲ひとつ浮かばない高い真っ青な空がある。夏の間はほとんど雨は降らず、来る日も来る日も抜けるような青空が広がっているのである。

 

そこにはしばしば強い風が吹きつのる。海辺では強風に乗ったカモメが蒼空を裂くように滑翔(かっしょう)して、ひかり輝く鋭い白線を描いては、また描きつづける。

 

何もかもが神々(こうごう)しいくらいに白いまばゆい光の中に立ちつくして、僕はなぜこれらの島々を含む地中海世界に現代社会の根幹を成す偉大な文明が起こったのかを、自分なりに考えてみたりする。

 

ギリシャ文明は、大ざっぱに言えば、エジプト文明やメソポタミア文明あるいはフェニキア文明などと競合し、あるいは巻き込み、あるいはそれらの優れた分野を吸収して発展を遂げ、やがて古代ローマ帝国に受け継がれてキリスト教と融合しながらヨーロッパを形成して行った。

その最大の原動力が地中海という海ではなかったか。中でもエーゲ海がもっとも重要だったのではないか。

現在のギリシャ本土と小アジアで栄えた文明がエーゲ海の島々に進出した際、航海術に伴なう様々な知識技術が発達した。それは同じく航海術に長(た)けたフェニキア人の文明も取り込んで、ギリシャがイタリア南部やシチリア島を植民地化する段階でさらに進歩を遂げ、成熟躍進した。

 

エーゲ海には、思わず「無数の」という言葉を使いたくなるほどの多くの島々が浮かんでいる。それらの距離は、お互いに遠からず近からずというふうで、古代人が往来をするのに最適な環境だった。いや、彼らが航海術を磨くのにもっとも優れた舞台設定だった。

しかもその舞台全体の広さも、それぞれの島や集団や国の人々が、お互いの失敗や成功を共有し合えるちょうど良い大きさだった。失敗は工夫を呼び、成功はさらなる成功を呼んで、文明は航海術を中心に発展を続け、やがてそれは彼らがエーゲ海よりもはるかに大きな地中海全体に進出する力にもなっていった。

例えば広大な太平洋の島々では、島人たちの航海の成功や失敗が共有されにくい。舞台が広過ぎて島々がそれぞれに遠く孤立しているからだ。だから大きな進歩は望めない。

また逆に、例えば狭い瀬戸内海では、それが共有されても、今度は舞台が小さ過ぎるために、異文化や文明を取り込んでの飛躍的な発展につながる可能性が低くなる。


その点エーゲ海や地中海の広がりは、神から与えられたような理想的な発展の条件を備えていた・・

イタリアやギリシャ本土から島々へ、あるいは島から島へと移動する飛行機の中でエーゲ海を見下ろしながら、僕はしきりとそんなことを考えたりした。