全ての町内会を満べんなく紹介する、という説明で僕はキオッチョラ地区の人々をなんとか納得させた。

 

しかしそれからが大変だった。キオッチョラの人々は、僕がタルトゥーカでいつ誰と会い、僕の撮影クルーが何をどのように撮影したか、ということを逐一(ちくいち)分かっていて、その度に抗議をしたり皮肉を言ったり、挙げ句の果てはタルトゥーカで撮影したことと同じことをキオッチョラでも撮影しろ、あるいはするな、と掛け合ってくる。

 

さらに困ったことに、タルトゥーカ側もキオッチョラに於ける僕らの動きを詳しく知っていて、やはりいろいろと牽制してくるのである。

 

これは実に不思議なことだった。というのもキオッチョラとタルトゥーカは、祭りの期間中まさに戦争状態としか言いようがないいがみ合いをつづけていて、人と人の交流は全くなくなっている。交流どころか彼らはお互いの町内には決して足を踏み入れようとはせず、誰かが相手の領内に入れば若者たちが袋叩きにしてしまうほど殺気だっている。2つの地区の境界線の通りは、双方が避けて通る為にいつもガランとしているという有り様なのである。

 

パリオの期間中のシエナは、敵対するコントラーダ同志の誹謗中傷合戦はもとより、殴り合いのケンカまでひんぱんに起こるのだ。毎年7月と8月の2回、それぞれ4日間に渡って人々はお互いにそうすることを許し合っている。そこで日頃の欲求不満や怒りを爆発させるせいなのだろうが、シエナはイタリアで最も犯罪の少ない街になっているくらいである。

 

2つの町内会が、直接に情報を交換し合っていることはあり得ないから僕ははじめ困惑したのだが、良く考えてみると、キオッチョラとタルトゥーカはお互いがいがみ合っているだけで、他の15の町内会の人々とは普通に付き合っている。したがって相手のことを知りたければ、たとえばその15の町内会の人々を使ってこっそり視察をして、いくらでも情報を手に入れることができるのである。       

 

僕はそれまで1台のカメラとスタッフを使って両方を行ったり来たりしていた撮影方法を止めて、カメラとスタッフをもう一斑用意して両町内会を別々に平行して取材していくことにした。費用は嵩(かさ)むが、そうでもしないとスタッフが人々に突き上げられて仕事ができない、とぼやくのである。

 

それぞれのカメラクルーには担当する町内の撮影だけに専念してもらい、ディレクターである僕だけがキオッチョラとタルトゥーカの間を大急ぎで行き来するという形に切り替えたのだった。

 

この方法はパリオの祭りがクライマックスに近づくにつれて、正しいやり方だったことが明らかになった。

 

祭りのクライマックスは言うまでもなく本番の競馬(パリオ)である。しかし、その3日前に行なわれる出走馬の割り当て抽選会の時から、人々の気持ちは一気に高ぶって街じゅうが異様な熱気に包まれる。

 

パリオの出走馬は毎年たくさんの候補の中から厳しい審査を経て30頭にしぼられる。その30頭が最終的にはさらに10頭にしぼられて、カンポ広場で晴の舞台に立つのである。この10頭の馬は当然それぞれ能力が違う。したがって良い馬に当たることが、パリオに勝つためのまず第一の条件である。

 

クジ引きではタルトゥーカに強い馬が当たり、キオッチョラは10頭の中ではみそっかすと見なされている馬を引き当ててしまった。

 

この時のキオッチョラの人々の落胆ぶりは、見ていてこちらの胸が痛くなるほどの大仰なものだった。まるで葬式と離婚と借金の返済日が重なったみたいである。彼らは弱い馬に当たった自らの不運に加えて、敵のタルトゥーカに優勝候補の馬が渡ったことで二重に落ち込んでしまった。

 

一方のタトゥルーカは、キオッチョラとは全く逆の二重の喜びで沸き立ったことは言うまでもない。

 

僕はこの日キオッチョラとタルトゥーカの間を行き来して、人々の気持ちを汲み取る振りをしながら一方では泣き顔になり、一方では宝くじに当たったような笑顔を作る努力をつづける羽目になってほとほと疲れた。

 

僕は今「振り」と言った。どう逆立ちしても僕はキオッチョラとタルトゥーカの当事者にはなり得ないから敢えてそう言ったのだが、実はそのとき僕はキオッチョラでは本当にくやしいと思い、タトゥルーカでは浮かれた気分になっている。人々の気持ちに自分がピタリと同化してしまっているのだ。それは矛盾であり偽善である。だから疲れてしまうのだが、撮影現場にいるときはいつもそうなるのだから、これは仕方がない。

 

人間を追いかけるドキュメンタリーの監督の重要な仕事の一つは、撮影対象になる(なってくれる)人々との付き合いである。

 

こちらの思いのままに俳優を動かすフィクションとは違って、ドキュメンタリーでは撮影対象になる人々の実際の姿を、そのまま映像に刻印する形で話を作らなければならない。しかもその場合には、撮影される人々に対して報酬を支払わないことが基本である。

 

例外はもちろんたくさんあるが、金銭が介在することで、撮影する側とされる側の間にビジネスが生じることを避けようとするのがドキュメンタリーである。

 

金を支払えば、撮影される側はその分演技をしなければならないと考えかねない。また支払う側も、金を渡したのだからある程度こちらの思惑通りのこと(演技)をしてもらおうと考えかねない。いわゆるヤラセが発生するのはたいていそういう時である。

 

それではなぜ撮影される側の人々が、しち面倒くさい迷惑なドキュメンタリーの取材に付き合ってくれるのかというと、それは彼らがこちらを信用してくれているからである。

 

陳腐な言い方になってしまうが、撮影する側とされる側の間に、人間としての信頼関係があってはじめてドキュメンタリーは成立する。そしてその人間関係とは、少なくとも僕の場合は、プロデューサーでもカメラマンでも音声マンでもなく、僕自身と撮影される側の人々との信頼関係である。

 

僕はその部分に一番エネルギーを注ぐ。だからいつも一つの作品を作る前に長い準備期間を持つ。何度も足を運んではこちらの意図を説明して人々に納得してもらう。

 

それがうまくいった時だけ、まがりなりにも見るに耐えるだけの作品ができる。

 

(つづく)