「 渋谷君
僕が君に書き送ったこれまでのメール書簡を、このブログに転載しても構わないと許可してくれたことに僕はとても感謝しています。
僕が書いた手紙なのだから、それをブログなりなんなりに再録するのは僕の自由なのではないか、と君は鷹揚(おうよう)に言ってくれたね。確かにそうなのかもしれない。
でも僕が君に書き送った手紙は、いわば僕から君への贈り物(あまり有りがたくない贈り物(笑)?)、という位置づけができるような気がして、いったん贈ったものを勝手に取り返すのはちょっと・・という気分だったんだ。
でも著作権は僕にあるのだから気にするべきではない、と君はまたうまいことを言ったね。著作権とは大げさな表現だが、書いたのは確かに僕なのだから、考え方としては著作権というのはあながち的外れなものではないのかもしれない。
すると、僕の手紙を僕が自分のこのブログに掲載するのは問題ではなく、もしも支障があるとするなら、たとえば君が僕の手紙をどこかに転載するとき、ということになるんだろうね。
ただ、僕は君が僕の便りをどこかで公表したとしても、あまり困ることはない気がする。妻に読まれてはマズイあれこれを除いては(笑)。奥さんのユリさんに読まれてはマズイ君のあれこれと同じさ(大笑)。
君が僕のブログを読んでくれていることを知って、僕はとても嬉しい。
しかも銀行勤めで超多忙のはずの君が、ブログをくまなく読んでいるらしいことに僕は感嘆している。
僕にほんのひとかけらでも才能のようなものがあるとすれば、それは集中力だと僕はひそかに自負しているんだが、長時間の厳しい仕事の後で僕の拙いブログを隅々まで読む君の集中力(というよりも忍耐力?)にはマケソーだ。まさかブログを読んでリラックスしている、と僕にとっては最大の賛辞を贈ってくれたりはしないだろう?(笑)
君に送ったメールをブログに転載させてほしいと頼んだのは、僕が長いあいだ書き続けてきたものが、いわば君だけに向けて書かれた自分のブログなのではないか、ということに気づいたからなんだ。
友人としての君に書いた便りと、不特定多数の読者に向けて書いたものとは、もちろん内容も形式も精神も何もかも違う。しかし、このブログを始めた今年3月以前の、僕が「ブログに書きたかった諸々のことドモ」は、君への書簡の中にあますところなく書かれている。
僕が新聞や雑誌に書き続けてきたことも、多くの場合はざっくばらんでくだけた、あるいはフザケた表現や内容やスタイルに変わって、僕はやっぱり君への便りにも仕立てているんだ。
僕らがメールをやり取りするようになってもう大分時間がたった。その間に僕は仕事や私用でもずいぶんメールを書き送ったが、君への便りが一番目くらいに多く、かつ僕の真情がたっぷり込められているケースがほとんどだ。
そうなったのは君のおかげだ。なぜなら君はおそろしく筆まめな男で、僕が書き送る便りには必ず、素早く、あり余るほどのボリュームの返信をくれた。僕はそれに触発されて、さらに次の便りをしたためる、ということのくり返しだったんだ。
ここであらためて
君の筆まめに乾杯!感謝!
メールに関して君と合意ができ、過去の2通<エーゲ海の光と風><ノブレス・オブリージュ>をブログに転載したこの時点で、僕は今回はこうして君へのメールをブログと同時進行で送ってみることにした。
この形に問題がなければ、以前のメールを転載することとは別に、ときどきこんな遊びをするのも面白いかも。
このブログを読んだら、いつものように「メールで」感想を聞かせてクデ。
よ~し!
則
PS:ユリさんの仕事の具合はどう?日本からの情報では、出版不況は深まるばかりで、さまざまな雑誌の休刊廃刊が相次いでいるということだが・・彼女の勤める大手出版社でも状況は厳しいの?