僕らが行くのは、ベニスから南に200キロほど下った海沿いにある、リチョーネという町である。リチョーネは、今でこそアドリア海岸でも有数のリゾート地として知られているが、つい最近まで誰も目を向けることさえなかった鄙(ひな)びた漁村に過ぎなかった。

 ところがイタリアにリゾートブームが訪れると同時に、ボローニャやフィレンツェなどの都会に近い立地条件が幸いして、他の沿岸添いの村や町に先んじて急速に発展したのである。

僕らが逗留するのは、海から300メートルほど離れた場所にあるペンシオーネ「マリネラ」である。ペンシオーネは宿泊と食事をセットにして提供する施設で、ホテルよりもはるかに割安だから人気が高い。たとえば日本の旅館よりも気が張らず、ペンションよりも規模が大きくてホテル並の施設がある、というのがイタリアのペンシオーネの特長である。

「マリネラ」では、僕らはいつもアパート形式の部屋を借りることにしていた。居間を兼ねた大きめの寝室が一つと子供用のそれが一つ、さらにバスルームと小さな台所とベランダが付いている。しかし台所の入口には引き戸式の白いシャッターがかかっていて、僕らは使うことができない。それは10月から翌年の5月までの間に部屋を借りる人だけが使用することになっている。

つまりその期間中に部屋を借りる人は、自炊することが許されていて、「マリネラ」のレストランで食事をする必要がない。台所には料理と食事に必要な全ての用具はもちろん、冷蔵庫やコーヒーメーカー等も備わっているから、飲食の一切は自部屋で済ませることができるのである。 そうした設備は2、3日の休暇を過ごす場合には無意味かもしれないが、滞在が長ければ長いほど経済的には有利になる。

ヨーロッパの6月から9月はバカンスの最盛期である。「マリネラ」はその間は一つ一つの部屋の台所を閉め切って、宿泊客に飲食のサービスを強制して稼ぐ。こういう言い方をすると余り聞こえはよくないが、ペンシオーネというのは、宿泊と飲食をセットにして客に提供することで彼らの売り上げを伸ばすと同時に、一人一人のバカンス客の出費を少なくすることにも成功している。そういう訳だから、台所が使えなくても誰も文句は言わないのである。

毎朝8時から9時の間に「マリネラ」の食堂で朝食を済ませて、僕と妻と子供二人は海に向かう。砂利の敷かれた「マリネラ」の前庭を突っ切って行くと、門の両側にレバノン松の大木が枝を広げて影を落としている。下を通るとひんやりとした空気が感じられるほどの濃い大きな影である。

そこを抜けて外に出ると、バカンス用の賃貸アパートやホテルやペンシオーネや別荘などがひしめいているフラテロ通りがある。通りにはそれらの建物から吐き出された人々が、僕らと同じようにビーチに向かって思い思いに行進している。

色とりどりのバスタオルや帽子や海水パンツや浮き袋やビーチボールやビキニなどが、歩く人々にまとわりついて、肥大症の蝶のように中空を舞いながらアドリア海を目指す。

フラテロ通りは真っ直ぐに海に向かっていて、ビーチの手前で海岸通りと交差する。

海岸通りには陸側だけに建物が連なっている。レストランやカフェやバールやブティックと並んで、リチョーネの高級ホテルもほとんどこの通りにある。目の前の通りの片側がそのまま砂浜につづいている絶好の立地だからだ。

フラテロ通りと海岸通りの角には、歩道の一部を占拠して営業している「カルロのバー」がある。鉢植の木や草花をいきれる程にたくさん並べて歩道に囲いを作り、その中に水色のクロスにおおわれたテーブルが配置されている。テーブルクロスに限らず、椅子も灰皿も花瓶も店の表の装飾も何もかも、そこでは全てが水色に統一されていて、見るだけでも涼しい気分になる。

リチョーネのバーやカフェやレストランは、かならず独自のシンボルカラーやデザインを決めて店を飾りたてている。「カルロのバー」だけが例外というわけではない。大衆向けの、いわば二流のリゾート地と言ってもいいリチョーネの街だが、一つ一つの店の飾り付けは抜群にセンスがいい。陳腐な言い方だが、そういうところはやっぱりイタリア的だ。

通りすがりに見ると、「カルロのバー」の囲いの中には既に2組のドイツ人のグループがやって来て、ビールの大ジョッキをテーブルに並べて談笑している。

店の奥のカウンターの前にも水着姿の人々がたむろしている。それはビーチに降りる前に、エスプレッソコーヒーとクロワッサンで朝食を済ませようとするイタリア人たちだ。

カウンターの向こう側には、店の主人のカルロと奥さんのアンナが忙しく立ち働いている。

僕はビーチでの日光浴に飽きると、ひんぱんに海岸通りを横切って、「カルロのバー」に行って冷たいビールを飲む。そのせいでカルロと奥さんのアンナとは、僕はけっこう親しく口をきく間柄になっている。

あと2時間もすれば、僕は今日もカラカラに喉をかわかせて、美味いビールを求めてこの店に立ち寄るはずである。そのときには僕は、妻と子供たちのために冷たい飲み物とアイスクリームも買い求めてビーチに戻る。

海岸通りを突っ切って、僕らはチカのビーチに出る。チカというのは、ビーチの一区画を管理している一家の名前である。チカ家はリチョーネの町に権利金を支払って、ビーチの決められた場所にトイレやシャワーやパラソルやビーチテントなどの設備を作る。バカンス客は、チカ家からそれを借りてビーチでの一日を過ごす、という仕組みである。

イタリア・アドリア海の長い砂浜は、どこもおよそ百メートル単位の長さに区画されて、その一つ一つがチカのビーチと同じ形で整備され管理されている。

[~のビーチ]と名付けられた一つ一つの区画の設備は、「カルロのバー」と同様にそれぞれが個性的な色とデザインで統一されて存在を主張している。

ところがたとえば海の上や空から全体を眺めると、不思議なことに一つ一つがお互いに引き立て合いながらしかもきちんと調和しているという、これ又イタリア的としか言いようのない景色に変貌してしまうのである。