チカのビーチに入ると、先ず管理人小屋につづいて着替用のキャビンが並んでいる。シャワーやトイレも同じ場所だ。その先の砂浜にパラソルが2列に渡って整然と立てられていて、さらにその先にビーチテントの列が6列ある。

 

テントは赤と青の縞模様が鮮やかな帯状の化繊布である。等間隔に立てられたたくさんの支柱の上にぴんと張り渡されているが、それぞれの長さは100メートルにも及ぶために絶えず海風をはらんで、ぱたぱたと小気味のいい音を立てる。

 

テントの下には、折りたたみ式の色違いの寝椅子が、2脚ないしは3脚で1組になってずらりと並べられている。1つのテントの下には合計50組もの椅子がある、1つ1つのパラソルの下にも最低2脚の椅子があるから、合計するとチカのビーチでは、1000人前後の人々が日陰の椅子に座ったり寝そべったりして、1日を過ごすことができる計算になる。

 

最前列のテントの前から波打際までの砂浜が、チカ家の管理外にあるいわゆる公共空間である。公共空間は、言うまでもなく
300キロメートルの海岸線のビーチの全体にある。そこでは散歩をしても日光浴をしても誰にも文句を言われない。ただし、大きな音を立てたり、ボール遊びをしたり、要するに他人の迷惑になるような行為をしてはいけないことになってる。

 

そんな決まりを守る気のある人間は一人もいない。

 

ミラノ訛(なまり)の言葉でまくし立てる10人ほどの若者のグループは、トランクの大きさほどもあろうかというオーディオ機器の音量を思いっきり大きくして、早くからディスコパーティーを開いている。

 

子供たちは、見て見ぬふりをする親や大人たちの態度に気をよくして、ありったけの声でわめきながら鬼ごっこをする。そのうちの一人が波打ち際を散歩中の老夫婦に体当たりを喰らわせる。かと思うと、日光浴をしているトップレスの女性の背中を思いっきり踏みつけて、隣の男の上にもんどり打って倒れる者がある。他の二人は、車座になってトランプをしている人々の間を突っ切って向こう側に逃げこむ。

 

ボール遊びをする者も多い。サッカーボールやビーチテニスの玉が右に左に飛び交って、男のサングラスをはたき落とし、金髪女性のビキニの尻を盛大に打ちつける。罵声と悲鳴と子供らの嬌声が間断なくつづく。

 

ビーチには物売りも多い。

 

「ココ・ベッロー! ココ、ベッロー!」と叫ぶのはココ(椰子の実)売りの若者だ。細かく割った椰子の実の入ったカゴを右手に、左手には水入れのバケツを持って、彼らは砂浜を行ったり来たりする。しばらく歩いて両手の荷物を砂に置き、バケツの水を手ですくってカゴの中のココに振りかける。そうしておけば、ココは取り立てのようにいつもつやつやして見える。歩いても立ち停まっても彼らは「ココ・ベッロー!ココ・ベッロー!」、と一番鶏の雄叫びみたいな声を競い合う。

 

クロワッサンに似た手作りのパンケーキを売り歩く女もいれば、蜂密をまぶして焼いた手作りのフルーツを売るキャンディ屋もいる。「ジェラート~、ジェラート~」と間のびした声を出して歩くのはアイスクリーム売りだ。手作りと称するテーブルクロスを両肩に山のようにかついで売り歩く男もいる。

 

明らかにアフリカ産と分かる女物のエキゾティックな装飾品を、箱に入れて売り歩く黒人もいる。生まれて間もないライオンの子を腕に抱いて、いっしょに記念撮影はどうか、と海水浴客にたずね歩くナポリ人もいる。ライオンの子は明らかに密輸入したものだ。

 

物売りの中で一番にぎやかなのはハワイ屋である。アロハシャツに椰子の葉の腰巻きを着て、頭には花輪をつけ、胸には真っ赤なレイと日本製の大型カメラをぶら下げて正装したハワイ屋は、バナナの葉で作ったジャングルの模型をリヤカーに積んで、「ハワイの記念写真はいかが~!」と日がな一日ビーチをねり歩く。

 

客がつくとハワイ屋は、小道具の花輪とレイと腰巻きをリヤカーから取り出して相手に着せ、さらにウクレレを片手に握らせる。ワイキキの海に見立てたアドリア海とジャングルのセットをバックに、ハワイ屋はカメラを構えて「はい、チーズ」と客に愛嬌を振りまく。ばか気たセットにはけっこう人が群がる。

 

ビーチの殷賑(いんしん)を耐え難い騒音の集積と見るか、開放的な活力と受け留めるかによって、リチョーネの海のバカンスは天と地ほども違うものになる。

ここはポポロ(大衆)の海だ。しかもイタリアのポポロの海である。彼らに静けさを要求するのは、日曜日には教会で神に祈れ、と日本人に要求するくらいに無駄だし不当なことだ。

 

憤然と立ち上がって若者や子供らを叱りつけ、ビーチに秩序を植えつけようとするドイツ人がたまにいる。しかし、イタリア人は馬耳東風に聞き流す。ドイツ人の言う秩序が、一歩間違えばヒトラーやムッソリーニのそれになりかねないことを大衆は良く知っている。


第2次大戦が終わって長い時間が過ぎた夏のバカンスにおいてさえ、ヨーロッパ人は戦争の記憶を頑固に胸の片隅にしまいこんでいる。大衆の知恵とはおそらくそういうものなのだろう。

 

ドイツ人のような勇気はなく、かといってイタリア人のように騒々しい寛大さも持ち合わせない僕は、1人そっと立ち上がって「カルロのバー」に行く。喉も渇いているが喧噪に少し疲れてきたから、冷えたビールでも飲んで一休みしたくなったのだ。

 

バカンスで疲れるというのは変な話だけれども、来る日も来る日もビーチで同じシーンがつづくと僕は日ごとに疲れていく。公共空間の騒ぎや売り子の押しつけがましい掛け声もそうだが、ビーチテントの下で隣り合った人々と付き合わなければならないわずらわしさが、僕をどっと疲れさせる。

 

付き合いというのはおしゃべりのことである。昼食の為に「マリネラ」に戻る2、3時間の休憩をはさんで、ビーチでは朝から夕方までぺちゃくちゃしゃべりまくっていなければならない。おしゃべりには男も女も関係がない。が、僕はイタリア語があまり話せない風を装って、ぺちゃくちゃはできるだけイタリア人の妻にまかせ、寝椅子に寝転がって人々の繰り言を黙りがちに聞いている、という形がほとんどだ。

 

しかしおしゃべりというのは、しゃべっている当人たちは好きでやっているからいいものの、無理やりにそれを聞かされている側は極端に疲れて行くものなのだ。

 

そんな訳で、少し長めに取るバカンスが終わりに近づく頃には、僕は1日のほぼ半分くらいを「カルロのバー」で過ごしたりすることにもなる。

 

僕は誰とも口を聴かずに「カルロのバー」で生ビールを飲みながらビーチでの付き合いの疲れを癒やす。飲むのはたいていドイツ製の「ワイスビア」。

 

ほんのりとビールの酔いが回るころ、ようやく僕の中にバカンスの大きな喜びが湧き上がってくる・・じわり、じわりと・・