イラク戦争中の2003年7月22日、サダム・フセインの2人の息子、ウダイとクサイが米軍の攻撃によって殺害された。2人の息子は、悪辣非道な独裁者である父親のサダムも顔負けの、凶暴残虐な性格だったとされる。

 

その出来事を受けて、誰かがリビアのカダフィ大佐の息子たちもやがて同じ運命をたどるだろうと予言した。当時、実は僕も同じことを考えた。

 

サダム・フセインとムアマー・カダフィというアラブの2人の独裁者と、その息子達の関係を歴史に照らして見てみれば、彼らの因果の巡りを予測するのは少しも難しいことではないと思う。

 

独裁者とその家族は、しばしば運命を共にして歴史に名を刻んできた。

例えばサダム・フセインと2人の息子の前には、ルーマニアの独裁者チャウシェスクと妻の処刑の例がある。

また処刑はされなかったが、20年にも渡ってフィリピンを独裁支配したマルコスが、蜂起した民衆に追われて妻のイメルダと共にハワイに落ち延びていく姿は、世界中の人々に鮮烈な印象を与えた。

 

もっと言うなら、ムッソリーニも、そしてヒトラーでさえも、独裁者の多くは家族または家族同然の人々を巻き添えにして、悲惨な最期を迎えた。またそれほど目立たないケースでも、独裁者の回りには家族や近親者や幼なじみの友人などが寄り添っている、と見てまず間違いがない。

 

独善と謀略と邪悪を力のより所とする独裁者には、敵も多いために心は決して安まらず、猜疑心のカタマリとなって身内を近くに置きたがる。独裁とは多くの場合「ファミリービジネス」でもあるのだ。

 

現在進行形で言うなら、キューバのカストロは弟のラウルを権力の座に据えた。エジプトのムバラク前大統領は、世界が注視する中、彼に従って権力を振るったアラアとガマルの息子2人と共に裁判にかけられている。わが隣国、北朝鮮の独裁者と息子に関しては、言及するまでもないだろう。

 

さて、今が旬のリビアの独裁者とその家族である。

 

カダフィ大佐の8人の子供のうち、下から2番目のサイフは5月1日のNATO軍の空爆で殺害され、末っ子のカ(ハ)ミスも8月に入って多国籍軍の空爆で死亡した。ただし、後者の死亡のニュースを大佐側は否定している。

 

殺害されたサイフを除く6人の息子たちは、親の威を借りていずれも権力の中枢かそこに近いところにいる。

 

次男のサイフは父親の後継者と見なされ、五男のムタシムと死亡説が流れているカミスは国家保安院あるいは秘密警察に近い組織の要職にあり、他の3人もそれぞれ国家の重要な役職を担っている。

 

このうち三男のサーディはイタリアのプロサッカーリーグ「セリエA」でプレーしたこともある変わり種だが、今回のリビア政変では軍を率いて、ベンガジに拠点を置く反対勢力を攻撃している。

 

また「アラブのクラウディア・シファー」と呼ばれる、大佐の一人娘のアイシャは弁護士。フェミニズムの活動家だが、内戦の混乱の中でも父親を擁護する発言を繰り返し、トリポリでは政権を支持する民衆の前でアジ演説を飛ばして、世界中のメディアに存在感を示したりしている。

 

独裁者と家族たちの行く末は、遅かれ早かれ又多かれ少なかれ、同じキャンバスの同じ絵に描くことができると歴史は教えている。

そのことを思うと、独裁者自身はともかく、親の存在に引きずられて運命を左右されたようにも見える、彼らの子供は少し哀れを誘う、と感じるのは僕だけだろうか。

 

独裁者とその息子たちの関係は、民主化の遅れた社会に共通のものだと言っても過言ではないが、それは日本などにも多い世襲議員のおぞましさにも通じるものがある。

ファミリービジネスの独裁制は、同じファミリービジネスの世襲議員制の、いわば従兄弟(いとこ)という見方もできるのではないか。