「リビア騒乱の中、反政府軍は首都トリポリからわずか50キロのザウィヤを押さえたらしい・・」と、昨日書き出して、今朝になって続きを書くために情報確認をしていくと、サウィヤどころか首都トリポリにも反政府勢力が進攻して戦闘があったという。

 

そうしたニュースに呼応して、カダフィ大佐が南米のベネズエラに逃亡するらしい、という情報もめまぐるしく駆け巡っている。

 

カダフィの友人、ベネズエラのチャべス大統領が、リビアの隣国チュニジアのジェルバ島の空港に、独裁者のために特別機を飛ばして、彼がやって来るのを待っているというのである。それは十分にあり得る話。世界の異端児カダフィとチャべスが手を組み合っても何も不思議はないように見える。  

 

実は中東の騒乱がリビアに飛び火した直後から、独裁者カダフィの逃亡先についてはいろいろ取り沙汰されてきた。

 

彼が落ち延びて行くであろう先の国々は限られている。カダフィのこれまでの友人が政権の座にある友好国のあれこれ。

 

即ちアフリカの国々ではリビアの隣国のチャド、ニジェール、マリ、モーリタニア、赤道ギニア、コンゴ、ウガンダ、ジンバブエ、南アフリカ。そして中南米のニカラグアとベネズエラ。最後に東欧のベラルーシ。

 

いずれも国際社会との対話に問題を抱える、似た者同志のいわくつきの国々である。

 

それらの友好国の中でも、カダフィにとって特に都合が良いのが、国際裁判所ローマ規定を無視、あるいは批准を拒んでいる国々。つまり戦争犯罪者や人道に反する犯罪者を、国際裁判所に引き渡す義務を負わない国々である。

 

その国とは、アフリカではモーリタニア、赤道ギニア、ジンバブエの3国。さらに中米のニカラグアと東欧のベラルーシがあるのみである。

 

ベネズエラは国際裁判所ローマ規定を批准している。それでもチャべス大統領が政権の座にある間は、カダフィをかばいぬくことができる、と独裁者自身もまたベネズエラの異端児大統領も考えているのだろう。

 

でも果たしてそうだろうか。それって、結構世界を甘く見ているのではないだろうか。自国民をいとも簡単に弾圧殺戮した独裁者を見逃すほど、国際社会は甘くない。カダフィは必ず弾劾され重い償いを課されなければならない。それは死よりもはるかに重い償いであって然るべきである。

 

カダフィばかりではない。シリアのバッシャール・アサド、エジプトのムバラク、イエメンのアリ・サレハ、モロッコのムハンマド6世、そしてサウジアラビア、バーレーンなどなど、時代遅れのあらゆる国々の支配者は、民衆の手によって権力の座から引き摺り下ろされなければならない。

 

あらゆる反民主化勢力、即ち独裁者、独裁主義、極右及び極左主義者と思想、軍国主義と軍国主義者等々は必ず排除されなければならない。抹殺ではない。排除である。

 

それらの極端主義者や過激思想は決して死滅することはない。また死滅させてもならない。なぜなら、それらの醜い存在があるからこそ民主主義が輝く。それらと対比することで民主化がさらに美しくなる。それらは、いわば必要悪。従って抹殺してはならない。徹底的に排除するのみである。

 

中東危機を語るとき、僕はずっとリビアとリビアの支配者を中心に考えを巡らせてきた。理由が幾つかある。

 

1. リビアは僕が住まうこのイタリアのかつての植民地であり、良きにつけ悪しきにつけ身近な話題、問題として常に語られる。

 

2. 独裁者カダフィの変わり身の早さに対する僕自身の興味。砂漠の狂犬、猛獣、などと呼ばれるカダフィは、まさしくその名の通りの暴君でありながら、保身のためとは言え2000年前後から突然欧米列強との対話穏健路線に走った。と思う間もなく、今の政変に際してはケダモノも顔負けの独裁者、あるいは時代錯誤も甚だしい抑圧者に変貌した。いや、変貌したのではなく、彼本来の「地」をさらけ出して咆哮しまくっている。

 

3. 僕のかつての友人ムフタ君への思い。彼は確実に独裁者のシンパ。なにしろ20代の半ばでロンドンのリビア大使館を自由に使っていた男だもの・・

→<イタリアVS砂漠の猛獣Ⅱ

4. とにかくリビアに民主主義体制が根付いてほしい。

 

5. 民主主義体制は、チャーチルの指摘を待つまでもなく、決して「ベスト」ではなく「ベター」な体制であるに過ぎない。民主主義にも多くの欠点がある。最大の欠陥はおそらく多数決による少数派の否定。しかし、今のところわれわれ人類は民主主義以上の政治体制を発見できずにいる。ベスト(最善)が見えない限り、ベターこそベスト(最善)なのである。

 

僕はそういうわけで、お節介と言われようが余計なお世話だと怒られようが、中東諸国に民主主義を持ち込む動きには大いに賛成する。

 

賛成どころか、独裁者どもを権力の座から引き摺り下ろして、地獄の底に投げ込む民衆の動きに、せめて気持ちだけでもしっかりと寄り添って行きたいと強く思っている。

 

それは僕の個人的な利害とも一致する。

つまり僕は中東の国々、特に地中海域の国々を、安心安全にしかも自由に訪れてみたいのだ。

そのためにもようやく芽生えたアラブの春が、一刻も早く「花咲き乱れる輝かしいアラブの春」になってほしいのである。