食事マナーに国境はない。

 

もちろん、いろいろな取り決めというものはどの国に行っても存在する。たとえばイタリアの食卓ではスパゲティをずるずると音を立てて食べてはいけない。スープも音を立ててすすらない。ナプキンを絶えず使って口元を拭(ふ)く・・・などなど。

 

それらの取り決めは別に法律に書いてあるわけじゃない。が、周知の通り、人と人がまともな付き合いをしていく上で、時には法律よりも大切だと見なされるものである。

 

なぜ大切かというと、そこには相手に不快感を与えまいとする気配り、つまり他人をおもんばかる心根が絶えず働いているからだと考えられる。マナーとはまさにこのことにほかならない。

 

それは日本でも中国でもイタリアでもアフリカでも、要するにどこの国に行っても共通のものである。食事マナーに国境はない、と言ったのはそういう意味である。

 

スパゲティをずるずると音を立てて食べるな、というこの国での取り決めは、イタリア人がそういうことにお互いに非常に不快感を覚えるからである。スープもナプキンも、その他の食卓での取り決めも皆同じ理由による。別に気取っている訳ではないのだ。

 

それらのことには、しかし、日本人はあまり不快感を抱かない。そばやうどんはむしろ音を立てて食べる方がいいとさえ考えるし、みそ汁も音を立ててすする。その延長でスパゲティもスープも盛大な音を立てて吸い込む。

 

それを見て、日本人は下品だ、マナーがないと言下に否定してしまえばそれまでだが、マナーというものの本質である「他人をおもんばかる気持ち」が日本人に欠落しているとは僕は思わない。

 

それにもかかわらずに前述の違いが出てくるのはなぜか。これは少し大げさに言えば、東西の文化の核を成している東洋人と西洋人の大本(おおもと)の世界観の違いに因(よ)っている、と僕は思う。

 

言うまでもなく、西洋人の考えでは人間は必ず自然を征服する(できる)存在であり、従って自然の上を行く存在である。人間と自然は征服者と被征服者としてとらえられ、あくまでも隔絶した存在なのだ。自然の中にはもちろん動物も含まれている。

 

東洋にはこういう発想はない。われわれももちろん人間は動物よりも崇高な生き物だと考え、動物と人間を区別して「犬畜生」などと時にはそれを卑下したりもする。しかし、こういうごう慢な考えを一つひとつはぎ取っていったぎりぎりの胸の奥では、結局、われわれ人間も自然の一部であり、動物と同じ生き物だ、という世界観にとらわれているのが普通である。天変地異に翻弄(ほんろう)され続けた歴史と仏教思想があいまって、それはわれわれの血となり肉となっている。

 

さて、ピチャピチャ、ガツガツ、ズルズルとあたりはばからぬ音を立てて物を食うのは動物である。口のまわりが汚れれば、ナプキンなどという七面倒くさい代物には頼らずに舌でペロペロなめ清めたり、前足(拳)でグイとぬぐったりするのもこれまた動物である。

 

人間と動物は違う、とぎりぎりの胸の奥まで信じ込んでいる西洋人は、人間が動物と同じ物の食い方をするのは沽券(こけん)にかかわると考え、そこからピチャピチャ、ガツガツ、ズルズル、ペロペロ、グイ!は実にもって不快だという共通認識が生まれた。

 

日本人を含む東洋人はそんなことは知らない。知ってはいても、そこまで突き詰めていって不快感を抱いたりはしない。なにしろぎりぎりの胸の奥では、オギャーと生まれて食べて生きて、死んでいく人間と動物の間に何ほどの違いがあろうか、と達観しているところがあるから、食事の際の動物的な物音に大きく神経をとがらせたりはしないのである。

 

スパゲティはフォークを垂直に皿に突き立てて、そのままくるくると巻き取って食べるのが普通である。巻き取って食べると三歳の子供でも音を立てない。それがスパゲティの食べ方だが、その形が別に法律で定められているわけではない。従って日本人が、イタリアのレストランでそばをすする要領で、ずるずると盛大に音を立ててスパゲティを食べても逮捕されることはない。

 

スパゲッティの食べ方にいちいちこだわるなんてつまらない。自由に、食べたいように食べればいい、とも僕は思う。ただ一つだけ言っておくと、ずるずると音を立ててスパゲティを食べる者を、イタリア人もまた多くの外国人も心中で眉をひそめて見ている。見下している。

 

しかし分別ある者はそんなことはおくびにも出さない。知らない人間にずけずけとマナー違反を言うのはマナー違反だ。

 

スパゲティの食べ方にこだわるのは本当につまらない。しかし、そのつまらないことで他人に見下され人間性まで疑われるのはもっとつまらない。ならばここは彼らにならって、音を立てずにスパゲティを食べる形を覚えるのも一計ではないか、とも思う。

 

窮屈だとか、照れくさいとか、面倒くさいうんぬんと言ってはいられない。日本の外に広がる国際社会とは、窮屈で、照れくさくて、面倒くさくて、要するに疲れるものなのである。スパゲティを静かに食べることと同じように・・・。