リビアのカダフィ大佐が、南米のベネズエラに逃亡した可能性は限りなくゼロに近いものだろう。でも杳(よう)として行方がわからないのだから、100%その可能性がないとも言えない。
→<カダフィの終焉?>
最新の情報としては、ロイター通信がリビア西部のガダミスに潜伏か、と報じているものの確認は取れていない。
ガダミスはアルジェリアとチュニジアの2国と国境を接する砂漠地帯の街。世界遺産にも登録されているオアシス都市である。
思いきり可能性が高いのは、独自の国を持たないトゥアレグ族の勢力圏内に潜んでいること。
トゥアレグ族の男たちは勇猛果敢で知られ、藍染のターバンと民族衣装を着ることから「砂漠の青い民」と呼ばれている。
彼らの勢力圏とは、リビア、アルジェリア、ニジェール、マリ、ブルキナファソにまたがる広大な砂漠地帯のことである。そしてガダミスは実は「砂漠の青い民」の広大な版図の最北端に位置している。
カダフィ大佐は革命で政権を奪取して以来、「砂漠の青い民」を徴集して鍛え、手勢や親兵として重用し手厚く保護し続けた。男たちの勇猛と忠誠心を重視したからである。「砂漠の青い民」は、大佐が危機に陥った今も彼と行動を共にし、かくまい続けているものらしい。
とはいうものの、カダフィ大佐の命運はもう尽きたも同然であろう。生きて身柄を拘束された場合は、裁判の有無にかかわらず、民衆の怒りに呑みこまれて弾劾されるだろうし、又されるべきである。彼はそれだけの罪を犯していると僕は思う。
→<イタリアVS砂漠の猛獣Ⅱ>
それでいながら僕は、心のどこかで、カダフィ大佐に共感するような感心するような、不可解な気分も抱きつづけている。
大佐は極悪非道な独裁者だが、行動がユニークで、どこか憎めない間抜けでユーモラスな一面も持っている。そして間抜けでユーモラスに見える部分は、少し見方を変えれば、彼の器の大きさを示すもののようでもある。
その部分が僕の関心を引き付けるばかりではなく、内心で彼の逃亡を期待するような怪しい気持ちさえ呼び起こしているようなのである。
魅力というと語弊があるかもしれないが、大佐の軽妙でユニークな部分とは
1) 黒人アフリカとアラブアフリカを結んで、その盟主になろうと画策した誇大妄想。彼にはもしかすると、巨大アフリカの統一王になるつもりさえあったのかもしれない。妄想には違いないが、壮大な野心であり考え方であるとも言える。黒人のオバマ米大統領を「アフリカの息子」と呼んで親しみを示したり、元米国務長官のコンドリーザ・ライス女史のファンで、ひそかに彼女の写真アルバムを作っていたりしたのも、アフリカへの特別の思い入れだろうが、やっぱりちょっとユーモラス。
2) 出自の砂漠の民、ベドウィンのテント生活を愛してやまないらしいところ。彼は国賓としてイタリアとフランスを訪れた際も、ローマとパリのど真ん中にテントを設営してそこに滞在した。普通なら超一流ホテルでも借り切って見栄を張るところで、砂漠民のテントにこだわるとは痛快ではないか。
3) アメリカを始めとする欧米列強に歯向かい続けたガッツ。彼が「砂漠の狂犬」とか「砂漠の猛獣」などと呼ばれるのも実はこのあたりが原因だ。欧米マスコミの勝手な命名。僕もそれを何度か拝借したが、多くのアラブ人や反欧米諸国の人々にとっては、逆に「砂漠の英雄」あるいは「砂漠の風雲児」というあたりででもあろう。実を言えば、僕もひそかにその反骨精神には一目おいてきたのだ。
4) もっとも、カダフィのガッツは、状況の変化に応じてさっさと迎合にもなる、風見鶏もマッ青の気骨であることも明らかになったが・・
→<カダフィの終焉?>
ただそれも又、この一筋縄ではいかない独裁者の「優れた政
治感覚」とも考えられるのだから、困ったものである。
5) 好戦的として恐れられていた「砂漠の青い民」の男たちを手なずけて、彼の親衛隊に組み込んだ見識と手腕。「砂漠の青い民」の兵士らは、今やリビアの主勢力となった反カダフィ軍の報復を恐れて、大佐と共に砂漠地帯に逃れているだけだという見方もあるが、もしかすると彼らのボスと本当に強い絆で結ばれていて、最後まで大佐をかばい彼と共に戦い続ける、ということも起こり得るのではないか。まさか、とは思うけれど・・
なにはともあれ、僕はカダフィ大佐が、イラクのサダム・フセインをまねて、地下の穴ぐらから敵の手で引きずり出されるような、悲惨な状況はあまり見たくない。
逃げ切れない場合は、自首して裁判で堂々と自己主張をした上で処刑されるか、せめて捕まる前に自決をしてほしい、という気分をどうしても拭(ぬぐ)い去る ことができずにいる・・・