先週の土曜日に晩餐会が開かれたのは、北イタリア・ブレッシャ県の貴族家である。

 

一家の館は県都ブレッシャノのすぐ隣の町にあるが、館は館でも、堀に囲まれた城のような堅牢な建物。

 

実際にそこは、館を意味するPalazzo(パラッツォ)ではなく、城を意味するCastello(カステッロ)と一般には呼ばれている。

 

一家の長女で修復師のベアトリーチェは、シチリア島のパレルモで教会の修復作業をしている。

→<ベアトリーチェとシチリア


長男のフランコはサラリーマン、次女のマリアンナは法学部の学生である。

 

僕は3人の子供のうち特に長男のフランコを良く知っている。彼は子供のころ、毎年夏休みを僕ら一家と共に、妻の実家の伯爵家の山荘で過ごしたのだ。

 

息子2人より少しだけ年上の彼は、礼儀正しい大人しい少年で、子供たちと非常に仲がよく、僕ら夫婦もまた伯爵家の人たちも彼をかわいがった。

 

フランコが僕らと夏休みを過ごしたのは、実は彼の家族に子供たちを連れて旅行に出たり、どこかのリゾート地でひと夏を過ごす、などという経済的な余裕がなかったからだった。

 

イタリアはバカンスの国である。どこの家でも夏には家族全員でバカンスに行くのが当たり前だ。ましてや貴族家などの裕福な家庭は、特に長い贅沢なバカンスを過ごすものである。

 

というのが普通の考えで、また実際にそういうことも多いが、しかし、りっぱな邸宅を構えてはいるものの、家計が火の車だったりする貴族家も、また実はとても多いのである。同家はその典型的な例だった。

 

一族の当主は、芸術家肌の男で、あまり甲斐性があるとは言えない。絵を描きつつ看護士として働いてきた。こういう場合にはよく政略結婚のようなことが行われて、古い貴族家の台所を潤(うるお)す事態が起こる。ま、いわば名誉と金の握手。

 

でも、正直者で人の良い彼は、貴族でも金持ちでもない煙草屋の娘と結婚した。大金持ちの事業家や商家などからの縁談もいくつかあったが、彼はその娘との恋愛結婚を選んだのである。

 

同家には、音楽の先生をしている当主の姉も同居している。姉弟2人の給料が、貴族家の収入のほとんどだった。それでは邸宅の台所が火の車になるのは見え見えである。古い館には莫大な維持費が掛かるのだ。

 

かつかつの生活をしている同家では、新妻が家政婦も雇わずに家事の一切を行っている、という信じられないような噂もあった。城とまで呼ばれるバカでかい館は、掃除をするだけでも大変な労力と時間が要る。パートでもいいからせめて家政婦の1人ぐらいは雇わないと、主婦の1日は広大な建物の清掃だけで終わりかねない。
 

その噂を裏付けるような愉快な話もある。一家の主人は、盗難防止のアラームを取り付ける経済的な余裕が無いので、夜な夜な起き出しては警報代わりに邸宅の周囲を巡り歩いて警戒を続けたりもしたという。これは本人から聞いたジョークのような、でも、どうも真実らしい話。

 

妻の実家の伯爵家と同家は、何世代も前からの親しい間柄である。その縁で、一族の跡とりのフランコ少年を、夏休みの間うちで面倒をみたというわけである。もちろんわが家に2人の男の子がいたから、男の子同士で遊ばせる意味合いがあったのは言うまでもない。

 

同じように同家の2人の娘、ベアトチリーチェとマリアンナも、一家の友人や親戚などのもとで夏休みを過ごした。

 

そんな貧しい家族だったが、7、8年ほど前に突然羽ぶりが良くなった。当主の叔母が亡くなって遺産が彼のところに入ったのである。それは県都のブレッシャ市にある広大な館。彼はすぐに遺産を売りに出した。館の値段は、浪費さえしなければ一家が今後何世代かに渡ってのんびり暮らせるだけの巨額。それは周知の事実。

 

以来、同家は昔のように晩餐会も催す余裕を取り戻した。バカンスなども優雅に過ごせるようになった。

 

遺産相続前までの一家のように、経済的に厳しい状況に置かれている貴族家は多い。いや、よほど幸運に恵まれてでもいない限り、現在まで存続している貴族家はどこも経済的に困窮していると見ていい。
 

同家のような僥倖(ぎょうこう)はそうそうは巡って来ない。貴族の多くは、豪華な館などの外見とは裏腹に、昔の蓄えを少しづつ食いつぶしながらつましく暮らし、ひっそりと生きているケースがほとんどなのである。

 

妻の実家の伯爵家なども事情は同じ。伯爵家の場合は、まだ決して貧しくはないが、巨大な館や建物などの膨大な維持費に家計を押しつぶされて、苦しいやりくりをしているのが実情である。


そして、それは将来も悪化し続けることが宿命である。悪化し続けて、ついには伯爵家そのものが消滅する。
 

でも、それだから世の中は面白い。

 

始まった全てのものは必ず終わり、栄華を極めた者は例外なく落ちる。そして富を手に入れた者がやがてそこに入れ替わる。それが人の世の、そして歴史の法則。

別にどうということはないのである。