いつもながら北イタリアの季節変化は荒々しい。つい先日まで夏そのままに暑い日々だったのに、だしぬけにストーブを点ける気温になった。
夏がとつぜん冬に変わる、とういうのが北イタリアの季節変化の印象なのだが、それはつまり秋が極端に短いということでもある。
「秋の日はつるべ落とし」と言うが、イタリアの場合は秋そのものが、訪れたと思う間もなく「つるべ落とし」的にさっと過ぎていくのである。
僕が昔住んでいたイタリアよりもさらに北国の英国ロンドンでも、また冬の寒さが厳しい米国ニューヨークでも、夏が抜き打ちに冬に変わってしまうみたいな極端な季節の動きはなかった。
僕は直情径行(ちょくじょうけいこう)なこの国の季節変化を目の当たりにする時、いつも決まってアフリカ大陸を思う。
イタリアの四季の推移がときどき激情的になるのは、明らかにアフリカ大陸のせいである。
この国には主に初夏のころ「シロッコ」が吹く。これはアフリカ大陸からイタリアに吹きこむ暑い南風のことである。
サハラ砂漠で生まれた風は、地中海上を渡るうちに湿気をたっぷりと吸って、イタリアに到達するときは高温湿潤になる。
日本からはるかに遠いヒマラヤ山脈の風と雲が、沖縄から東北までの日本列島に梅雨をもたらすように、シロッコは遠いアフリカからイタリアに吹き込んでさまざまな影響を与える。
アルプス山脈を抱く北イタリアでは、アフリカからの暑い空気とアルプスの冷気がぶつかり合ってせめぎ合い、時として猛々しい天候のうねりをもたらす。
豆台風みたいなテンポラーレ<ヴェンデミア(VENDEMMIA)>もきっとシロッコが生みの親だ。
あるいは真因ではなくても、必ず遠因の一つには違いない。梅雨時の雨が、その後の日本の気象や風情にさまざまな影響を及ぼすように。
そんな訳で、つい10日ほど前まで短パンにランニングシャツみたいな真夏の恰好で、「イタリア中の海の家が10月いっぱいまで営業を続けると発表」などと、そこかしこに書いたり情報を送ったりしていた僕は、今や冬着に衣替えをして、暖炉の焚かれた仕事場でこの記事を書いている。
そして僕はどちらかというと、北イタリアの奔流のような季節の流れが好きである。いや、大好きである。
その気分は子供のころ、日本の南の島で台風を待ちわび、暴風を喜んだ自分の心理と深く結び着いている。僕はその頃から台風が大好きなヒネた子供だったのだ。
台風がやって来れば何よりもまず学校が休みになる。僕はそれが嬉しかった。でもそのことが喜びの主体では断じてなかった。
僕は子供心に、日常を破壊して逆巻く暴風雨に激烈な羨望を抱きつづけていた。
台風が近づくと、わざと予兆の雨の中で駆けっこをして、ずぶ濡れになって帰宅し、母にこっぴどく叱られた。
やがて猛烈な風が吹き荒れると、厳重に戸締りされた家の中で昼夜を問わず暴風の咆哮に耳を傾けて、ひとりひそかに歓喜した。
そこに沸騰する非日常の騒乱に僕はめくるめくような憧れを覚えた。
僕がイタリアの強烈な季節変化を愛するのは、子供時代の不思議な憧憬と分かちがたく結び着いている、と強く感じるゆえんである。