昨日、カダフィ大佐の5男(腹違いの長兄から数えて)ムタシムについて記事を書いていたら、大佐が殺害されたというニュースが飛び込んできた。

 

すぐに衛星局アルジャジーラにチャンネルを合わせて、リビアの殺害現場のシルト(テ)と首都トリポリ、そしてドーハとロンドンとワシントンなどを結んでの生中継に見入った。

 

大佐は出身地のシルトで敵に発見され、拘束されて連れ去られる間の混乱の中で射殺された。少なくとも、シルト現場からの中継を挟んだアルジャジーラの第一報では、そんな風に見えた。

 

殺害時の映像では、まず敵の兵士らに囲まれて、ピックアップトラックから下ろされたカダフィ大佐らしい男が歩く。

兵士らが騒ぎ、叫び、ライフルや拳銃が画面に見え隠れする。

 

1人の兵士の拳銃が、大佐の後頭部をとらえるカメラの映像をさえぎる。

 

画面が変わって(編集されて)、射殺されたらしい大佐の体が地面に横たわっている。

 

顔のアップ。明らかに大佐。そのデスマスク。

 

アルジャジーラの最初の報道はそんな具合だった。その後、トラックで運ばれる遺体などの映像が幾つか紹介されたが、遺体の顔にはボカシ(モザイク)が入ってはっきりとは識別できなかった。血なまぐさ過ぎる絵、との判断がなされたのだろう。

 

さらに後の、アルジャージーラ以外の報道によると、大佐はコンクリートの穴に隠れているところを拘束されたとか、射殺される前に「撃つな!」と叫んだなどとも言われる。

 

正確なことは徐々に明らかになるだろうが、一連のドラマの核心とその意味するところは、詳細がどれほど明白になっても今のままと何も変わらない。

 

つまり、カダフィ大佐は民衆の反撃に遭った独裁者として、余りにも当たり前過ぎる形での最後を迎えたこと。彼の死に方はムッソリーニやチャウシェスクと同じだし、拘束のされ方はサダム・フセインとそっくり同じ。

 

また、彼の死によってカダフィ派の抵抗が終わり、リビアの内戦が確実に収束に向かうであろうこと。そしてこのことが最大の幸運であることは誰の目にも明らかである。

 

それにしても、クセ者の独裁者は、クセ者でありながらひどく凡庸でもあるという事実を世界にさらしてこの世を去った。そのこと自体がやっぱりクセ者の証かとも思う。

 

彼は国内情勢が政権にとって厳しい、と判断した8月末頃の時点で、妻と妊娠中の娘をひそかにアルジェリアに逃亡させている。その際は、戦闘には向かない性格と言われる長男のムハンマドと、4男のハンニバルを同行させることを忘れていない。

 

4男のハンニバルは多くの乱暴狼藉で知られた男だが、カッとなりやすい性格のため戦いには不向き、ということだったらしい。用意周到に見えるこのあたりの判断が、大いにカダフィのクセ者ぶりを示しているように僕には思える。

 

同じ頃、何十台、時には何百台ものトラックや車の隊列が、荷物と共にカダフィ政権の幹部やシンパを乗せて、南方のニジェールやブルキナファソを目指した。その動きは1度きりではなく何度も、リビアやその南の砂漠地帯で見られた。

 

そうした情報から、欧米、特にヨーロッパのメディアの多くは、大佐が「砂漠の青い民」つまりトゥアレグ族の精鋭部隊に守られて、リビア以南の砂漠地帯に逃げ込んだのではないかと考えた。僕もそう信じた1人である。→<熱砂の大海原に消えた猛獣> <熱砂の大海原に消えた猛獣Ⅱ

これが大佐の深謀遠慮だったとしたなら、やはり彼は巨大なクセ者であると言わざるを得ない。


大佐は大方の予想を裏切って、砂漠地帯ではなく彼の生まれ故郷であるリビア北(中)部の町シルトに潜伏していた!「砂漠の青い民」と固い絆で結ばれて、熱砂の大海原や月の砂漠を放浪していたわけではなかったのだ!

 

ったく、ロマンのない男である(苦笑)。

 

それは大佐の意図的な情報操作だったのかもしれない。が、ただ単に、独裁者の彼が疑心と暗鬼のカタマリと化して、人を信用していなかっただけ、という考え方もできそうである。

そしてその見方が正しいとするなら、大佐と「砂漠の青い民」との間に信義など生まれるはずもなく、結局彼は危機に瀕しては、自らと同じ部族の人々が住む出身地のシルトに逃げた、ということなのだろう。

 

それはイラクのサダム・フセインの逃亡劇とそっくり同じ。そしてそこで敵に見つかって惨めな姿をさらしたことも。

 

結局独裁者たちは「自決」なんてことは考えないことが分かる。現代歴史上の悪名高い独裁者のうち、最後に自決をしたのは僕が知る限りヒトラーのみだ。

 

キリスト教徒やイスラム教徒は自殺を禁じられているからその影響もあるのだろう。また、最後の最後まで生きのびて戦う、という決意もあるのかもしれない。そうしているうちに死期を逃して拘束、あるいは殺害される・・

 

追い詰められたら「潔く自決する」のが最善の道、と感じるのはどうやら日本人である僕のような人間だけらしい。

 

ともあれ、これでリビアが民主化に向けて大きく前進することを願いたい。

 

が、昨日、同じく反カダフィ派に殺害された、5男のムタシム以外の息子のうちの何人かがまだ生きていることなどを考えると、予断を許さない状況のようにも見える。