10月22日土曜日、イタリアきってのQuality Paper(高級紙・全国紙)「コリエーレ・デッラ・セーラ」は、カダフィ大佐の5男ムタシム・カダフィの殺害直前の写真を、一面に大きく掲載した。

 

それはジーンズに血まみれのランニングシャツを着、ミネラルウオーターのペットボトルを持ったムタシムが、マットレスに座って敵(拘束者)を見つめている絵だった。

 

蓬髪にびっしりと生えた無精ひげ。痩せた精悍な顔と体つき。でもなぜか気弱い青年の雰囲気もかもしだしている。

敵意むき出しの拘束者に囲まれた彼の恐怖心が、隠す術もなく表に出てそんな気配になったのだろう。

 

さらに同紙のクローズアップ欄の本編記事では、一面の写真からの連続のシーンで、ムタシムがボトルから水を飲む様子と、撃たれたか切りつけられたかしてマットレスに横たわっている写真が三枚続きで載せられ、そのうちの最後の写真は今まさに息を引き取ろうとする瞬間か、あるいは既に息を引き取った後らしい絵だった。

 

新聞写真はネットなどに流れている映像の一コマづつを転載していた。そのせいかどうか余りむごたらしい感じはないが、一連のシ-ンをビデオのオリジナル映像で見ると、写真とはまるっきり違う印象を与える中身になっている。

 

ムタシム・カダフィが、秘密警察のトップとしてリビア人民を弾圧した罪は厳然としてあるものの、拘束された彼のビデオの様子は、1人の青年が狭い部屋に閉じ込められて虐待され、やがて無残に殺される恐怖の舞台劇以外のなにものでもなく、殺害の瞬間そのものの映像は編集カットされて掲載されていないが、極めて胸が痛む内容であり、哀れである。

 

ムタシム・カダフィは、陥落間近いリビアの首都トリポリでNATO軍に殺害された弟のサイフ・アルアラブに言及して、(元)恋人のタリタ・ヴァン・ゾン<独裁家族の金の行方>にこうも言っているのだ。

 

「僕は弟をうらやましく思う。彼は殉教者として死んでいったのだから・・」

 

兄弟の死を「殉教死」と規定した彼は、弟と同じように英雄として死ぬことを望んでいたのではないか。

 

彼が深く愛する父カダフィ大佐に殉じ、彼にとっての「愛国」リビアに殉じる形で、戦い抜いて死んでいくことを。

 

胸が苦しくなるような殺害直前と直後のムタシムの映像を見ながら、僕は彼の無念を思った。

 

戦闘の中で死ぬのではなく、捕らえられて束縛され、虐待を受けつつなす術もなく屠殺同然に殺されていく、彼の心の強い無念を・・・