カダフィ大佐と息子のムタシムの死後、例によってリビア関連のニュースが減り続けている。
世界中のメディアは早くもリビアネタに飽き始めたのだ。
そこで僕は、自分なりに大佐の家族について、改めて情報を少し整理しておくことにした。
英語圏の各メディアをはじめ、イタリアのメディアの情報も覗いているが、カダフィ家の家族の資産隠しの実態や金額などについては、米英仏、特にフランスのインテリジェンスサービス・諜報機関からのリークが多いようだ。
→<独裁家族の金の行方>
ただ、カダフィ大佐の家族の履歴などの詳細に関しては、リビアとの歴史的なつながりや利害関係が深くて生々しい分、イタリアの情報がかなり信用できるように思う。
最も情報が錯綜しているのは、死亡したムタシムとハンニバル、さらにアイシャの類縁である。
3人のつながりは上からハンニバル(1975年生まれ)、アイシャ(1976年生まれ)、ムタシム(1977年生まれ)が正しいようだが、ハンニバルとムタシムの順序が逆になったり、アイシャがムタシムと同じ1977年生まれと見なされたりするなど、情報が混乱している。
あらためてカダフィ兄弟の続柄を整頓すると
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長男:ムハンマド(1970年生まれ)
→カダフィ大佐の最初の妻との間の子供。また次男以降の7人は大佐の2番目の妻サフィヤとの間の子供。
次男:セイフ・アル・イスラム(1972年生まれ)
3男:サーディ(1973年生まれ)
4男:ハンニバル(1975年生まれ)
長女:アイシャ(1976年生まれ)
5男:ムタシム(1977年生まれ)
6男:セイフ・アル・アラブ(1982年生まれ)
7男:ハミス(1983年生まれ)
養女:ハナ(1986年の米軍リビア攻撃で死亡、とされたが実は生きているという説と、ハナ死亡後に別の養女に同じ名前をつけたなど、真偽がはっきりしない)
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7人の兄弟のうち、ムタシム、セイフ・アル・アラブ、ハミスの3人はリビア内戦で死亡。
長男のムハンマドと4男のハンニバルは、母親と共にアルジェリアへ逃亡中。
次男のセイフ・アル・イスラムは、父親と5男のムタシムが殺害されたシルトの戦闘から逃れて、リビア南部の砂漠地帯か、隣国のニジェールに潜伏していると見られる。彼はリビア暫定政権と投降交渉をしているとも言われている。
3男のサーディは9月初旬、隣国ニジェールへ逃亡。現在も滞在中。
長女のアイシャは、逃亡先で生んだ自らの子供と母親、2人の兄(ムハンマド、ハンニバル)とその子供らと共にアルジェリア滞在中。
リビアに関する世界の報道は、何か大きな変化が起きなければこのまま下火になり、やがて忘れ去られるかもしれない。
特に四散した大佐の家族に関しては、リビアの新政権が一つにまとまって厳しく追及して行かない限り、彼らを連れ戻して犯した罪を償わせたり、彼らが盗んで国外に持ち出した国の資産の返還を実現させたり、といったことは夢のまた夢に終わるだろう。
それは根拠のないことではないのである。
例えば、イラクのサダム・フセインの妻と娘は、2003年にイラクからシリアに逃亡して、以来ずっと同国に潜伏しているとみられているが、イラク当局が2人に対してテロ支援容疑で逮捕状を出して追い求めているにも関わらず、一向に埒(らち)が明かない。
それと同じことがカダフィ家の逃亡者達にも十分に起こり得るのではないか。