昨日、今年3月末にわが家にやってきたウサギ2匹のうちの1匹、白ウサギがブドウ園の草を食んでいるのを見た。

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すっかり寒くなった園の端の木の下で、心なしか体を丸めて食餌をしている小動物の姿に僕は、決して大げさではなく、衝撃と言ってもいい強い心の揺れを覚えた。

 

うっかりしていたが、ブドウ園を含む邸内の全ての草地は間もなく枯れ果てるのだ。枯れ果てるばかりではない。凍った死の土が冬の期間中あたりを覆う。

 

そのとき、一体ウサギは何を食べて生きていくのか。

 

僕はそのことを考えてもみなかった。

 

春先、近くの農夫がやせた小さな子ウサギ2匹をわが家に持ち込んだとき、僕は即座に受け入れて敷地に放し飼いにした。

 

庭師のグイドに頼んで、2匹のために簡単な水のみ場を作らせたりもした。

 

また邸内に出入りする職人やワイナリーの従業員はもちろん、ウサギを持ち込んだ農夫らにももはや2匹を捕らえて食べてくれるな、と強く釘を刺した。

 

2匹のあまりの可愛さに、僕も家人もすっかり嬉しくなって、平飼いではあるが家族の一員として扱うことにしたのだ。

 

その気持ちに嘘はなく、広い屋敷内を自由自在に動き回って「たまに」姿を見せる2匹に癒やされ、親しんできた。

 

同時に僕はきっと、栄養不良で死にかけている小さな命を救う自分自身に、うっとりとなってしまったのだろう。

だから草木の枯れる冬のことまでアタマが働かなかった。

 

安っぽい同情、チンケな動物愛護心、余計なお世話、自己満足、偽善・・あらゆる責め句が脳裏をよぎった。

 

反省。

 

じゃ、今後はどうするか。

 

今さら農夫らにウサギを引き取ってくれとは言えない。彼らは喜び勇んですぐさま丸焼きにして食ってしまうだろう。

 

このまま放し飼いにすれば、かなりの確率で死んでしまいそうだ。広い敷地内には、石垣や屋根の下などに冬でも草の生える場所が無いではない。

が、果たしてそれが餌として十分な量かどうか分からない。

 

結局、庭師のグイドに頼んで干し草を作ってもらおうと思う。

 

その干し草を、今は半壊になったまま放置されている古い倉庫の一角に敷き詰めて、餌場とする。

ウサギにとっては、そこはきっと風雪をうまく凌(しの)ぐ巣の代わりにもなるだろう。

 

庭師のグイドは自宅でも食用ウサギを飼っている。夏の間はわが家の庭の手入れをしながら、ブドウ園も含めた敷地内の草をせっせと刈ってウサギの餌用に干し草を作る。だから作業はお手の物ものだ。

 

草が少なくなった今はそれが無理なら、グイドにウサギを引き取ってもらって、春まで彼のウサギと共に飼ってもらう。その後は再びわが家の草地に放つ。

 

一つ不安がある。

 

放し飼いにされてきたウサギはびっくりするほど逃げ足が速い。姿が余りにも可愛いので、時どき近づいて触ろうとすると、文字通り脱兎の勢いで走り去るのだ。

 

ウサギって実は時速60kmから80kmものスピードで走ることができる。

 

人間最速のあのウサイン・ボルトでさえせいぜい時速40km。

 

つまり、韋駄天(いだてん)のウサギ君って、ウサイン・ボルトの2倍ものスピードで脱兎するのだ!(笑)。

そんな彼らを果たしてうまく捕らえて保護することができるかどうか・・