国民投票案を撤回したギリシャのパパンドレウ首相は、野党から辞任を迫られ、内閣不信任決議が行われた。ところが僅差で信任されてひとまず政治空白が回避され、ギリシャの財政破綻危機も一時収束した。でもそれは飽くまでも「一時収束」であって、まったく予断を許さない・・
と書きながら、我ながら内心で少し微苦笑している。
ギリシャの危機が「ひとまず回避」されたから言うわけではないが、僕は腹の底ではギリシャの破綻→イタリア、スペイン沈没→欧米恐慌→世界恐慌へ、というような絵図を信じているわけではない。
いや、可能性としては本当にありうることだとは思うが、たとえそうなったとして「だから?なに?」というのが腹の底の底の、さらにその底での思いである。
僕は決して運命論者ではない。経済を無視する夢想家でもなければアナキストでも皮肉屋でもない。ましてや悲観論者などでは断じてない。それどころか、大いなる楽観論者であると自負している。
ギリシャ危機に始まる世界恐慌など大したことではないのだ。
ギリシャが財政破綻したとする。
それは事件だが、ギリシャの人々は翌日から食うに困るわけではない。生活は苦しくなるだろうが、世界の最貧国や地域の人々のように飢えて死んで行くのでは決してない。
それどころか、依然としてこの地上で最も豊かな欧米世界の一員として、それなりの生活水準を維持していく。ギリシャの将来の貧しさなんて、ヨーロッパ内や米国や日本などと比較しての貧しさでしかない。
今、その豊かさが大いに強調して報道されたりする、中国の大多数の人々と比較してさえ、まだまだ雲の上と断言してもいい「貧しさ」だ。それって、断じて貧しさなんかじゃない。
ギリシャの破綻が、イタリア、スペイン、ポルトガルなどに波及したとする。
それもまた大いなる事件だが、人々はやはり飢え死にしたりはしない。生活の質が少し悪くなるだけだ。
アメリカも豪州も日本も、要するに世界の富裕国は皆同じ。依然として豊かであり続ける。
最近の騒ぎは― そして僕も少しそれに便乗してブログに書いたりあちこちで発言したりしているが― 日米欧を中心とする世界の金持ちが集まる、ま、いわば「証券取引所」内だけでの話。
今の世界の「豊かさの」序列がとつぜん転回して、天地がひっくり返るのではない。
それらの出来事は、この先何十年、何百年、知恵があれば場合によっては何千年かをかけてゆっくりと、しかし確実に衰退し、没落し、落下していく日米欧の富裕国家間に走る激震、一瞬のパニックでしかない。
地震は過ぎ、パニックは収まる。
そして富裕国家は被害を修復し、傷を癒やし、また立ち上がって、立場を逆転しようとして背後に大きく迫るいわゆる振興国の経済追撃の足音を聞きながら、それでも今の地位は守りつつ破滅に向かっての着実な歩みを続ける。
各国経済はグローバル化している。従って富裕先進国のダメージは新興国にも及び、さらに弱者の貧困世界をも席巻するだろう。
だが、餓死者も出る世界中の貧困地帯に、今以上の悲惨が待っているとも思えない。
底を打った彼らの極貧は、もはや下には向かうことはなく、富裕国の落下と入れ替わりに上昇あるのみではないのか。
たとえそこに途方もない時間がかかろうとも・・
そうやって見てみれば、世界経済には何も悲観するべきことはないように見える。
全てがなるようになる。
なるようにしかならない世界は、なるようにしかならないのだから、きっとそれ自体がまっとうである。
ならばそれを悲観してみても始まらない。
流れのままに、世界も、イタリアも日本も、また人間も、流れていけばいい。
そしてそれは、悲観どころか楽観以外のなにものでもない、と僕は思うのである。