牧羊犬のジェリーは、呼吸がうまくできないので、とても苦しかった。
でも、飼い主の猟師の命令なので、瓦礫(がれき)の下にうずくまってじっと息を殺していた。
ジェリーは文字通り息を殺して這いつくばっていた。息を殺したのはあえてそうしたのではなかった。呼吸がほとんどできなかったのだ。
それでもジェリーは我慢をした。我慢するのは慣れていた。
生まれてから13年間ジェリーはいつも我慢をしてきた。
若い時は忍耐が足りずに少し騒いで、飼い主にぶたれたりしたこともある。
が、年を取って動きが鈍くなった今は、我慢をするのはたやすいことだった。思うように動けなければ、じっとしているしかないからだ。
ジェリーが生まれたガルダ湖畔は、北イタリア有数の景勝・観光地。
南アルプスに連なるロンバルディアの山々の緑と、澄んだ空の青と、多彩な花々の色がからみ合って輝き、はじけ、さんざめきながら大湖の水面に影を落とす。
自然の豊富なガルダ地方はまた、ハンティング(狩猟)のメッカでもある。
牧羊犬のジェリーは、生まれるとすぐに猟犬として訓練され、子犬の頃から野山を駆け回って飼い主の狩りの手伝いをしてきた。
だが、ここ数年は速く走って獲物を追いかけたり、主人が撃った獲物をうまく押さえ込んだりするのが思うようにできなくなって、彼に叱られることが多くなった。
それでも、じっと我慢さえしていれば、主人の怒りはやがて収まって、少しの食べ物ももらえた。
年老いたジェリーは、昔以上に我慢をすることで生きのびることを覚えた。
今やジェリーにとって生きるとは、「我慢をすること」にほかならなかった。
ジェリーはいつものようにじっと我慢した。苦しくても、いつまでも我慢をした。
昼とも夜ともつかない時間が過ぎていった。
ジェリーはさらに我慢をした。
でも、ついに我慢ができなくなった。なぜなら、まったく呼吸ができなくなったのだ。
瓦礫の下にうずくまってから40時間が過ぎようとしていた。
ジェリーはひと声吠えた。
一度吠えると、堰を切ったように声が出て止まらなくなった。
ジェリーはもう我慢しなかった。
彼は低く吠え続けた。吠えることで呼吸困難から逃れようとした。
瓦礫の近くを通りかかった若いカップルがジェリーのうめき声に気づいた。驚愕した男女はすぐに警察に連絡を入れた。
駆けつけた2人の警官が、取るものもとりあえず素手で瓦礫を掘り起こしにかかった。若者2人もあわてて手を貸した。
瓦礫を70センチほど掘り起こした時、ガラクタにまみれて喘(あえ)いでいる中型犬が見えた。
警官が助け出すと、ジェリーは安心したのか吠えるのを止めた。
ぐったりしている犬を警官は大急ぎで獣医の元に運んだ。
飼い主に生き埋めにされたジェリーは、そうやって九死に一生を得た。
2011年11月4日、北イタリア・ガルダ湖畔のデゼンツァーノでの出来事である。
動物虐待の罪でジェリーの飼い主は逮捕された。彼は警官にこう言い訳した。
「犬はもうてっきり死んだと思って埋めた・・」
と。
誰も彼の言葉を信じなかった。
なぜならジェリーは生きる喜びで輝いていた。与えられたたくさんの水を飲み干し、食事に飛びついて、われを忘れて食べて食べて食べまくって、たちまち元気になった。
明らかに嘘をついている飼い主の男は、3ヶ月以上、1年以内の拘禁と、15000ユーロ(約160万円)の罰金刑を受ける見込みである。
ジェリーのような酷(むご)いケースはさすがに希(まれ)だが、年を取った狩猟犬が虐待されたり捨てられたりする事件は、残念ながら1年を通してひんぱんに起こる。
そして、虐待の犠牲になるのはもちろん狩猟犬ばかりではない・・