飼い主に生き埋めにされた牧羊犬のジェリーは奇跡的に助かった。

→<生き物語り ~ジェリーの受難~

 

僕はジェリーの幸運と生き物の命の強さに感動した。そしたら、今度はアメリカからさらなる感動の物語がもれ聞こえてきた。

 

米国のとある動物養護施設で、19匹の犬が殺処分されることになりガス室に送られた。17分間の処理が済んで職員が部屋に入ったところ、息絶えて横たわっている18匹の脇に1匹のビーグル犬が立って彼をじっと見ていた。

 

わが目を疑う奇跡に驚愕した職員は、大急ぎで獣医を呼んで犬の診断を頼んだ。すると、ダニエルという名のそのビーグル犬の健康状態には全く問題がなかった・・

 

ダニエルの奇跡はアメリカ中の話題になり、動物の殺処分に対する関心が高まった。

 

そして生き残ったダニエル自身は、ニュージャージー州の動物愛護団体に引き取られて、新たな飼い主の登場を待ちながら今も元気に過ごしている・・

 

ジェリーやダニエルほどではないが、実はわが家のカテリーナの生命力もすごい。

 

カテリーナとは庭で放し飼いにしている白ウサギのこと。メスだから女の子の名前を取って「カテリーナ」。庭師のグイドがふざけて付けた名前である。

→<ウサギ

 

まるで日本ウサギみたいな赤目の白ウサギは、ブドウ園や庭園でしばしば見かけるが、毛が灰茶色だったもう1匹は8月頃からまったく姿が見えない。

 

庭師のグイドとワイナリーの従業員らの話では、屋敷外に逃亡したか、猛禽類など、別の生き物の餌食になったのではないかという。

 

残念だが、逃亡の可能性も猛禽類に食われた可能性も確かにあると考えられる。

 

ワイナリーのあるわが家の敷地内には人の出入りが多く、門扉を開放しての醸造作業もひんぱんに行われる。開いた門からウサギが外に逃げ出したとしてもおかしくはないのだ。

 

また、自家のブドウ園を含む広大な農地が広がる一帯の上空には、鷲や鷹らしい鳥が舞い飛ぶ姿も時々見られる。小型のフクロウもよく見かける。それらの猛々しい鳥たちが、ウサギをさらって行ったこともまた十分にあり得ると考えられる。

 

そうだとしたら、残念だが仕方がない。不可抗力にまで責任を感じて嘆くような偽善には陥るまい。半野生的に放し飼いをするのは、ウサギに自由を謳歌して欲しいからだが、そこには檻の中で至れり尽くせりの世話をされて育つ場合とは違う、危険や不便もつきまとう。当たり前のことだ。


グイドによると、わが家の敷地内で元気に遊んでいるカテリーナは、冬の間もまったく問題なく生きのびることができるらしい。

 

ブドウ園と館の前後の庭園と倉庫周りの広い敷地には、冬でもウサギが腹いっぱい食べるだけの草は生え続ける。

 

たとえ万が一それが足りなくても、屋外のウサギは枯れ草や木の根や樹皮や木の実なども食べ、さらに土を掘って昆虫なども食べる。

 

檻の中で干し草を食べて冬を過ごす、グイド所有の食用ウサギなどよりも、よっぽど食べ物が豊富で元気一杯に生きるものらしい。

 

村の田園地帯にある駅の近くでは、ある家から逃げ出した2匹のウサギが草むらに住み着いて、数年で100匹近くにまで繁殖したことがあるそうだ。

 

ウサギは余りにも数が増え過ぎて、付近に迷惑をかけたり病気持ちもあらわれたりして住民に憎まれた。そこで村では仕方なく人を送り込んで、ウサギを捕らえて殺処分にした。僕はまったく知らなかったが、それはごく最近の出来事だとのこと。

 

ことほどさようにウサギの生命力は極めて強い。ほんの小さい時分にブドウ園に放たれたわが家のウサギは、腹いっぱいに食べて大きくたくましくなり、今やほぼ野生化していて雪山のウサギにも負けないくらいの生命力を持っている。里で命をつなぐことなど何の問題もないから少しも心配することはない、とグイドは続けた。

  

グイドの話を聞いて僕はとても安心した。

 

栄養不良の子ウサギへの同情心から2匹を庭に置くことにしたが、僕は彼らの面倒も十分に見られないくせに余計なことをして、いたずらに小さな命を苦しませることになったのではないか、とひどく気が重かったのだ。

 

グイドは、オスのウサギを1匹購入して、カテリーナの相手として庭に放そうかとも聞いてきた。そうすればウサギはすぐに数が増える。餌の草はたくさんあるのだ、と真顔で続けた。

 

僕はあわてて彼の申し出を断った。彼にとってはウサギは、あくまでも「食用」の家畜なのだ。

 

僕はこれ以上ウサギを増やす気はない。今いるウサギだけをできる限り保護しようと思う。ただ保護すると言っても、甘やかして過保護に面倒を見るのではなく、今のまま、ほぼ野生の生態と考えられる形を守って、農夫らに捕らえられないように監視しながら、あるがままに放し飼いを続ける。

 

これからますます寒くなる中で、カテリーナが元気に生き続けることを想像すると、虐待を受けた牧羊犬のジェリーや殺処分からたくましく生きのびたダニエルを思うのとほとんど同じくらいに、
僕は胸のあたりが、ぽこ、と熱くなる気がするのである・・