イタリア、ベルルスコーニ首相が正式に辞任した。
個人としては巨万の富を築き上げた「財政」のスペシャリストは、公人(首相)としては国家の借金ばかりを増やした「財政」の敗残者として、政権の座を明け渡したことになる。
ま、イタリアの借金が増え過ぎたのは全て彼のせい、とばかりは言えないけれど、国家の最高権力者として、高まった財政危機を回避できなかった責任は100%負うべきだろう。
後任にはいわゆるテクノクラート(実務型)のマリオ・モンティが就任することがほぼ確実。
挙国一致の体裁を取るために、全ての閣僚も実務者で占められることが望ましいとされ、またモンティ新首相とナポリターノ大統領もその方向で動くことが予想される。
だからと言って、政治色が完全に払拭されることなどあり得ないと思うけれど。
それにしても、ベルルスコーニ首相が本当に辞任した。
それには素直におどろいた。
同時にそれは、総選挙を経ない「モンティ橋渡し内閣」の次や、次の次をにらんで、ベルルスコーニ首相が「いったん」身を引いたに過ぎない茶番ではないか、とも思う。
合計4度、9年以上も政権の座に据わりつづけ、17年の長きに渡ってイタリア政局の台風の目であり続けたしたたかな男は、国を思うよりも保身のために、再び権力そのものか、その周辺での生き残りをねらっていても、少しも不思議はないのである。
なにしろ彼は、国民的人気を常にある程度保ちつつも、汚職疑惑や未成年者買春疑惑などで起訴され、さらに多くの醜聞と疑惑にまみれて、検察やあまたの政敵の恨みを買っている。
権力の座を降りて「ただの人」になった時は、普通に起訴され普通に裁かれて、まっすぐに刑務所へ、という事態も大いにあり得るのである。それを阻止するには、政局の目玉であり続けることが肝心、と彼はよく知っている。
それはそうとして、今回のベルルスコーニ首相退陣劇は、過去の例とはかなり様相が違っていた。
イタリアの首相は退陣するとき、大統領府に出向いて辞表を提出するのが慣例だが、その動きがあった11月12日の土曜日には、ローマのクイリナーレ(大統領府)広場に多くの市民が集まった。
彼らは退陣するベルルスコーニ首相に抗議をするために集合したのである。首相の乗った車には罵声が浴びせられ、大きなブーイングが起こった。
人々がわざわざ大統領府にまで詰め掛けて、辞めていく総理大臣に向って抗議行動を取る、というのはイタリアでは過去にはあまり例がない。
それだけベルルスコーニ氏への怒りが強かった、と言うこともできるが、実は衛星放送のアルジャジーラの生中継やその他のメディアの情報を分析すると、抗議に集まった者の多くが若者を中心とする「インターネット」世代だったように見えた。
つまり彼らは、中東のチュニジア、エジプト、リビアなどに革命を起こし、シリアやイエメンなどで今も起し続けている「Facebook」パワーの一翼を担う若者たちなのではないか。
イタリアは曲がりなりにも民主主義国家である。中東ほかの独裁国家のように完全な情報操作は行われていない。従って、若者らが「Facebook」だけに頼って情報交換をする環境にはない。
インターネット以外にも多くのメディアが当たり前に情報を発信して、それは他の欧米諸国や日本などと同様に、誰にでも自由にアクセスできるのは言うまでもない。
それでも、いわゆる若者間のトレンドというものがあって、それは今や世界規模で発生することも稀ではなく、「Facebook」パワー現象もその一つであるように思う。
中東の「Facebook」パワー革命は、ニューヨークでの格差是正デモにもつながり、それはさらに世界中に広がった。
その大きな渦の中で引き起こされたのが、まるで死者にムチ打つような、イタリア大統領府前での反ベルルスコーニ・コールだった、とも考えられる。
つまり、テレビを主体とするイタリアの既存メディアを牛耳ってのし上ったベルルコーニ氏は、もしかするとインターネット革命の大津波に呑み込まれて沈没するかも知れない危機に陥っていて、その前夜の象徴的な出来事が大統領府前での騒ぎだったのではないか、という風に。
時代は確実に変わっている・・・