北イタリアの田舎にあるわが家の周りは昨日、今日と雪のように濃い霜でびっしりと被(おおわ)われた。
今秋の初霜は日曜日に降りた。
それはうっすらとはかなげな印象だったが、3日後の今日は、早くも寒さが牙をむいたことを想わせる、深い重い霜に変わった。
陽が差し始めても中々消えない。
おそらく、アフリカ生まれの温風シロッコも、もう来春まではやってこないだろう。
僕は仕事場から見下ろすブドウ園の草が気になってならない。
そこを含む屋敷周りの叢(くさむら)のどこかに、白ウサギのカテリーナがいる。
霜をかぶった草はきっと食べ辛いだろう。
でも、すっかり枯れ落ちたブドウの葉とは違って、草はまだ青々と繁っている。もう少し時間が経てば、霜も消えてなくなるからカテリーナも喜ぶに違いない。
今冬は、僕はずっと草のことを気にしながら過ごすことになりそうだ。
冬の間の庭草がどうなっているかなんて、僕はほとんど考えたことがない。従って、それを詳しく観察したこともない。
カテリーナのおかげで少し勉強ができそうだ。
勉強といっても、1月、2月頃の寒さの中でも、庭師のグイドの説の通りに、青草が生えるかどうかしっかり見つづける、というだけのことだけれど。
僕の小さな采園にもまだ野菜が残っている。
日本から種を持ち込んで作る白菜と大根とゴボウ。そして主に若芽をサラダで食べるシュンギク。
イタリアの野菜ももちろん作る。
今も残っているのはほとんどサラダサ菜のみ。トマトやピーマンも少し残っているが、霜が降りた今はもうダメだろう。
小さな土地にわずかづつ、数多くの種類(たぶん多過ぎるくらい)の野菜を作るのが僕のやり方である。いろいろな種類の野菜を見るのが好きなのだ。
農薬や化学肥料は一切使わない。だから雑草がすごい。
その草をむしったり、水をやったりぐらいのことはするが、ほかにはほとん菜園の面倒は見ない。
霜対策ももちろんしない。
時間がないこともあるが、真相は、菜園に打ち込むほどの情熱が今のところはない。
そのくせ、楽しんだり、有機野菜の美味さに感嘆したりしている。
凝り性の自分は、間もなく野菜作りの虜(とりこ)になるのかもしれない。
だが、よく分からない。
4、5年前から料理も作るようになったが、楽しんだり、喜んだりしながら、でもそれに夢中になってはいない。
野菜作りも同じかもしれない。
でも、こう書きつつ、せめて育ちつづけている白菜の霜対策ぐらいはやってみようか、と、たった今気持ちが動いている・・