ここのところ、日本の誰かと連絡を取るたびに、イタリアは大変ですね、とよく同情される。
 

ギリシャに始まったヨーロッパの財政危機は、イタリアに飛び火し、スペインを巻き込み、フランスにまで及びかねない情勢である。
 
イタリアの財政危機は、この国の札つきの前宰相・ベルルスコーニを辞任に追いやるという幸運ももたらした。が、借金漬けの国家財政が破綻にひんしている事態そのものは、もちろん良いことではない。

→<ベルルスコーニ「いったん」降参?


ギリシャの破綻→イタリア、スペイン沈没→欧米恐慌→世界恐慌へ、というような図式は、可能性としては本当にあり得ることだろう。
 
が、たとえそうなったとして「だから? なに?」というのが僕の腹の底の、さらにその底での思いである。
 
僕は決して運命論者ではない。経済を無視する夢想家でもなければアナキストでも皮肉屋でもない。ましてや悲観論者などでは断じてない。それどころか、楽観論者でありたいと願い、その努力もしているつもりの人間だが、未だ手放しの大いなる楽観論者にはなれずにいる凡人である。
 
その中途半端な凡人の視線で見てみても、ギリシャ危機に始まる世界恐慌など大したことではないのだ。
 
ギリシャが財政破綻したとする。
 
それは事件だが、ギリシャの人々は翌日から食うに困るわけではない。生活は苦しくなるだろうが、世界の最貧国や地域の人々のように飢えて死んで行くのでは決してない。
 
それどころか、依然としてこの地上で最も豊かな欧米世界の一員として、それなりの生活水準を維持していくだろう。
 
ギリシャの今の、そして将来の貧しさなんて、ヨーロッパ内や米国や日本などと比較しての貧しさでしかない。
 
昨今、その豊かさが大いに強調されて報道されたりする、中国の大多数の国民と比較してさえ、まだまだ雲の上と断言してもいい「貧しさ」だ。
 
それって、断じて貧しさなんかじゃない。
 
ギリシャの破綻が、イタリア、スペインなどの欧州諸国に波及したとする。

それもまた大いなる事件だが、人々はやはり飢え死にしたりはしない。生活の質が少し悪くなるだけだ。
 
危機にあおられて、同時不況に見舞われるであろう世界の富裕国、つまり日米欧各国や豪州なども皆同じ。今のところそれらの国々は、依然として豊かであり続けるだろう。
 
最近の騒ぎは ―― そして僕も少しそれに便乗してブログに書いたりあちこちで発言したりしているが ―― 日米欧を中心とする世界の金持ちが集まる、ま、いわば「証券取引所」内だけでの話、と矮小化してみても、当たらずとも遠からずというところではないか。
 
たとえギリシャが破綻し、イタリア経済が頓挫し、欧州の恐慌が世界に波及しても、今の世界の「豊かさの」序列がとつぜん転回して、天地がひっくり返るのではない。
 
それらの出来事は、この先何年、何十年、知恵があれば場合によっては何百年あるいは何千年かをかけて、ゆっくりと、しかし確実に衰退し、没落し、落下していく日米欧を中心とする富裕国家間に走る激震、一瞬のパニックでしかないのである。
 
地震は過ぎ、パニックは収まる。

そして富裕国家は被害を修復し、傷を癒やし、また立ち上がって、立場を逆転しようとして背後に大きく迫るいわゆる振興国の経済追撃の足音を聞きながら、それでも今の地位は守りつつ破滅に向かっての着実な歩みを続けるだろう。
 
各国経済はグローバル化している。従って富裕先進国のダメージは新興国にも及び、さらに弱者の貧困世界をも席巻するに違いない。
 
つまり、ギリシャやイタリアの破綻→世界恐慌の図式の中で真に苦しむのは、今もその時も同じ、世界の貧しい国の人々でしかないのである。
 
日伊を含む富裕国の国民は「ギリシャ危機「」や「イタリア危機」を心配するばかりではなく、少しはそれらの不運な人々に思いをはせて、自らの巨大な幸運を喜んでみることも必要ではないか。
 
それにしても
 
たとえ世界恐慌が起ころうとも、今この時でさえ餓死者が出る世界中の貧困地帯に、それ以上の悲惨が待っているとも思えない。

底を打った彼らの極貧は、もはや下には向かうことはなく、富裕国の落下と入れ替わりに上昇あるのみではないのか。

たとえそこに途方もない時間がかかろうとも……。
 
そうやって見てみれば、世界経済には何も悲観するべきことはないように思える。

全てがなるようになる。

なるようにしかならない世界は、なるようにしかならないのだから、きっとそれ自体がまっとうである。

ならばそれを悲観してみても始まらない。
 
流れのままに、世界も、イタリアも日本も、また人間も、流れていけばいいのである。