さすがはイタリア人。役者やのう~、という思いで僕はマリオ・モンティ・イタリア新首相のパーフォーマンスを眺めていた。

 

財政危機で国中が緊張しているさ中の12月7日、首相はなんとエルザ夫人を伴なって、ミラノのスカラ座のオープニング公演に悠然と顔を出したのである。しかもそこにはナポリターノ大統領夫妻も同席するという周到振りだった。

 

オペラの殿堂、ミラノのスカラ座の公演は毎年12月7日がシーズン初日と決まっている。イタリアはもちろん世界中のセレブ、つまり王侯貴族や芸術家や富豪や映画スターや政治家等々が一堂に会する大イベントである。

そのきらびやかなスカラ座の初日に、
タキシードを身にまとった宰相と国家元首が夫人と共にロイヤルボックスに並んで座って、2011年~2012年のオペラシーズンの華々しい幕開けをさらに盛り上げたのである。

  

オペラ初日の3日前の12月4日、モンティ首相は深刻なイタリア財政危機の回避をねらった300億ユーロ(約3.2兆円)の緊縮会計策を発表した。

 

その中身は国民に多くの苦痛を強いる内容で、付加価値税率を2ポイント引き上げるほか、年金支給開始年齢も大幅に引き上げる。さらにベルルスコーニ前首相が廃止した居住用不動産への固定資産税を復活させ、ヨットや高級車種などのぜいたく品に対する新税も導入する。また脱税防止策として、1000ユーロを越える全ての取引の電子化を義務付けることなどを盛り込んでいる。

 

ひとことで言うと、100億ユーロ余りを歳出削減で、また残りの約200億ユーロを増収分でまかなう計画である。

 

緊縮策は実は週明けの12月5日に発表される予定だった。が、スカラ座のオープニング公演を鑑賞すると決めていたらしい首相は、あえてそれを一日繰り上げて閣議決定し、公表したのである。スカラ座でのパフォーマンスまでに、少しでも長い緩衝(かんしょう)期間がほしかったのだろう。

 

そうとは知らない国民の多くは、前倒しの政策発表が首相と新内閣の「やる気」の表れた仕事振りだと思い、その動きを歓迎した。結果、首相の「やる気」は本物で、その上さらに深謀遠慮とも言える計画があったことが明らかになった。それが首相自身と大統領によるオペラ観劇だったのである。

 

その目的は、国内はもちろん世界中のメディアが注視するスカラ座の晴れの舞台で、優雅にゆったりと行動してみせることでイタリアの国家財政が修正可能であり、安泰であることを国民に印象付けるための演出だったと考えられる。

 

同時にそれは賭けでもあった。国民に多大な犠牲を求める政策を推し進めている当人が、この厳しい緊急時にオペラ鑑賞なんて何を悠長な、不謹慎な、と強い非難が湧き起こっても不思議ではなかったからである。

 

結果として首相の賭けは成功した。大統領と二人三脚で演じたパーフォーマンスは功を奏して、国内メディアはスカラ座の舞台と、2人の首脳をはじめとする観客の写真を一面トップにふんだんに使って報道を続けた。おかげでイタリア国民は、財政危機の憂うつをしばし忘れて、スカラ座のきらびやかな舞台と出席者の典雅な遊宴模様に酔いしれたのである。

 

それは地に落ちたイタリア国民の誇りをくすぐる十分な効果があった。

イタリア経済は先進国の中で二流か三流、もしかすると四流かもしれない。その結果、イタリアには財政危機がもたらされた、という国民の忸怩(じくじ)たる思いは、スカラ座の舞台と出席者が織り成すきらびやかな絵模様を目の当たりにした時に遠くに消えて、芸術文化における独創性と見識は、未だ世界中のどの国にも負けない、というイタリア人の誇りが甦ったのである。

  

僕は新首相のしたたかな動きを見ながら、イタリア人が好んで口にしたがる格言を思い出した。曰く「イタリア共和国は常に危機を生きている」。

 

都市国家と呼ばれた多くの独立国が、わずか150年前に結びついて統一国家となったこの国では、あらゆる事案に意見が百出してまとまる物も中々まとまらない。まとまらないから政治経済がしばしば滞(とどこお)り紛糾する。イタリアのほとんどの危機の本質はそこにある。しかし余りにも危機が多いために、イタリア人はそれに慣れて、めったに慌(あわ)てることがないという余得も生まれた。彼らはあらゆる危機をアドリブで何とか乗り切ることに長(た)けている。今回の財政危機もたぶん同じ結果になるのだろう。

 

この国の人々は、ギリシャ危機の影響もあって、今回の債務危機に対しては早くから犠牲を払う覚悟ができていたように思う。モンティ首相のパフォーマンスが肯定的に受け止められたのは、その辺にも原因があるのだろう。国民の暗い心に一条の光を投げかけたのが、首相の動きだったのだ。

 

今のところイタリアは、自国の救済も含めた欧州債務危機に関しては、一国が成すべきことを一応全てやったと感じている。国内には緊縮策に対する反対ももちろんあるが、国民は最終的には政府が打ち出した案を全面的に受け入れるだろう。そのほかには道はない、とういうのがイタリア国民の総意であるように見える。

 

あとはイタリアが属するEU(ヨーロッパ連合)の出方次第である。イタリア経済が沈没するようなことがあれば、それはEU圏の崩壊につながりかねないのだが、当のEUは一枚岩ではなく、イギリスが包括的な財政統合案を拒否するなど、依然として不透明な状況が続いている。

 

イタリア国民は、強い楽観と、一抹の不安と、この先の生活の劣化の可能性をひしひしと肌身に感じながら、事の成り行きをじっと見守っているというところである。