いろいろと書きたいことがあるのに、そのテーマがどんどん後回しになっていく。とても不思議な気分。
たとえば少しづつ書いていくと自分に約束した「今のところは・・」の幾つかの項目、サッカーのこと、これまでに出会い共に仕事をした名のある人たちのこと、ロケや取材の話、貴族たちの話、マフィアにまつわるあれこれ、オッパイの話、ワインのこと、島のことetc、etc・・さらにetc、etc・・
それらはある意味テーマが決まっている事がらである。その気になって時間があればすぐにでも書ける。
ところが、やはりどうしても時事話が自分の中では先行して、そちらがブログの優先事項にもなる。同時に実は、読んでくれている皆さんもどちらかというときっとそっちの方を期待しているのではないか、という思いもある。
1日1本の記事を書くという決意もまったく成就できない。あれこれと忙しく、時間が足りなくて無理だ。だから書くべきことがどんどん後回しになる。でもいつか最低1日1本を書く、というふうにはなりたい。
最近、ネット論壇にも寄稿したりして、ますます時間の余裕がない。このブログと同じ記事を掲載してもらう場合でも、いろいろと時間を取られるのだ。
いや、ホントのことを言うと、ネット論壇に書いた記事をここにも転載する、という場合が多い。理由はネット論壇は「よそ行き」の雰囲気があって肩が張り文体にも違いが出る。だから書くのに時間がかかる。いきおいそっちの方が気分的にも時間的にも重くなる、ということが起きる。
ネット論壇とこのブログで文体が違う、というのはなるべくあってはならないことである。二重スタンダードだしヘタ丸出しだ。でも今のところはそれが現実。どちらも自分の文章だしスタイルだが、向こうは気が張ってこちらはリラックスできる。
そして僕はリラックスしている方こそホントの自分であろうと考えている。従って、リラックスできないネット論壇は、今のところはオッカナビックリというふうな感じで書いている。多分自分の性格からして、いつまでもリラックスできなければさっさとやめてしまう方向に向かうだろう。でもリラックスするつもり・・・
てな感じで、書きたい題材がますます、またまた遠のいていくという訳である。
ま、書くことがあるということは、恐らくこのブログがまだ続いていくという証でもあるから、焦らず前進しよう、というのが新年の抱負。
実はこの稿では「名前、又はニックネームのこと?」でたまたま言及してしまった、なかにし礼さんの「時には娼婦のように」について書くつもりだった。
なにかの拍子で言及したことが気になって仕方がなかったり、そこから妄想がふくらんでしまって書かずにはいられなくなる、というのも僕の悪い癖である。そこから文章がどんどん先に進んでしまうことも。今のように。
という具合に長くなってしまったので「時には娼婦のように」は次の稿に回すことにする。
それでないとたとえば「9月、秋はじめと仕事はじめの期」の時のように、テーマが分散して自分としては不満の多い記事になってしまう・・