【加筆再録】
テレビ屋でありながら僕はネット情報をひんぱんに利用し、日英伊3ヶ国語の新聞や雑誌などにも注意しているが、24時間衛星放送を主体とするテレビからももちろん目を離さない。それらの情報網を観察・吟味・分析するのは仕事であると同時に大いなる楽しみでもある。
テレビに限って言えば、中東問題が大きくなった昨年以来、僕はCNNよりも衛星放送のアルジャジーラ・インターナショナルを見ることが多くなった。アラビア語は分からないが、完璧な英語放送なので付いて行くことができる。
アルジャジーラは中東カタールに本拠を置く衛星局だから、現地の情勢に詳しく、24時間体制で流れる情報の多くに臨場感がある。イタリアで見ている同局の英語放送はドーハから発信されているが、ロンドンからの放送かと見まがうくらいに洗練されていて、かつ力強い。僕が知る限り中東現地からの生中継は、例えばイギリスのBBCインターナショナルよりもはるかに量が多く、新情報の発信速度もわずかばかり速いようである。BBCインターナショナルもCNNと共に普段から僕が良く覗いている衛星チャンネルである。
少し古い話になるが、例えばエジプト危機の最中にムバラク元大統領の息子が政府の要職を辞任したニュースを、僕はアルジャジーラの画面テロップで最初に見た。しかし、直後にチャンネルを回したBBCにはまだ出ていなかった。僕が見逃したのでなければ、恐らくアルジャジーラが世界で最初にその情報を発信したのだろうと思う。
ただ情報発信の速度に関して言えば、今や世界中の放送局が様ざまな情報ネットワークを駆使してしのぎを削っていて、あまり大きな差はないと言える。
BBCインターナショナルのほかに、NHKのニュースも衛星放送で日本と同時に見ているが、アルジャジーラやBBCが現地からの生中継でえんえんと伝えている中東の主だった動きについては、ほぼ間違いなく取り上げていて遅滞感はない。速度ばかりではなく、その時々で現地情勢を掘り下げて詳しく伝える手法もNHK独特のものがあって、それなりに見ごたえがある。
イタリア公共放送RAIのニュースももちろん見ているが、時差の関係でこちらは速さや臨場感ではあまり頼りにしていない。イタリアにいてRAIの「時差」というのも変だが、こういうことである。
まず朝のうちにアルジャジーラやBBCの24時間体制に近い中東中継を見る。気が向けばCNNも覗く。その後NHKの午後7時のニュースを日本とのリアルタイムで見る。イタリア時間の午前11時である。そこまで見ると、少なくとも中東情勢に関しては充分。13時半に始まるRAIの昼のニュースは見なくても間に合う、というのが実感である。
それでもやはりイタリアの放送局のニュースも見る。中東がらみのイタリアの報道では、特に難民問題が重い。今はかなり落ち着いたが、アフリカ北岸に近い南イタリアのランペドゥーサ島には昨年、中東からかなりの難民が押し寄せた。当初はチュニジア人が主流だったが、やがてリビアからの難民も加わってイタリア国内には緊張が高まった。着の身着のままで島に上陸する多くの難民を見ると、中東の混乱はイタリアのすぐ隣で起こっているのだとあらためて痛感させられたものである。
リビアがイタリアの植民地だった歴史的ないきさつとは別に、両国は近年きわめて友好的な関係を築きつつあった。特に2009年のリビア革命40周年記念式典に、当時のベルルスコーニ・イタリア首相が植民地支配の謝罪と賠償約束のために同国を訪問して以来、友好関係は促進された。イタリアがリビアの石油の主要な輸出国である事実なども相俟って、ベルルスコーニ前首相と故カダフィ大佐は個人的にも親交を深めていたほどである。
それだけにカダフィ大佐は、リビアを攻撃するEU主体の多国籍軍にイタリアが参加した事実に激昂した。彼は「ローマに裏切られた。地中海沿いのイタリアの街を火の海にする」などと宣言して、イタリアへの恨みを募らせた。しかしイタリア政府が真に恐れていたのは、瀕死の独裁者のそうした脅迫などではなかった。
南イタリアのランペドゥーサ島には、慢性的に北アフリカからの難民や不法移民が流入し続けている。2005年から2010年までを見ると、その数は年平均で2万人弱である。ところが昨年は1月からの3ヶ月間で、島に上陸した中東危機の難民は既に3万人近くにのぼり、8月過ぎには5万人に迫ろうとする勢いだった。さらにその頃カダフィ大佐は、1万人以上の囚人を難民に仕立て上げてイタリアに向かって放つ計画を持っていた。イタリア政府がもっとも恐れていたのは、砂漠の猛獣とも狂犬とも呼ばれたリビアの独裁者のそうした動きだったのである。
中東危機を逃れて流入して来る難民の増大に悲鳴を上げたイタリアは、EU(欧州連合)に助けを求める一方で、人道的措置として昨年1月1日から4月5日までの間にイタリアに上陸した難民2万人に、一律に6ヶ月間の滞在許可証を与えた。そこまでは良かったのだが、滞在許可証はいわゆるシェンゲン協定に基づいてEU内を自由に移動することができる、としたためフランスやドイツを始めとする国々が難色を示して騒ぎになった。EU加盟国の多くは不法移民や不法滞在者の増大に神経を尖らせているから、フランスやドイツの反応はある意味当たり前だった。マルタを除く加盟国の全てが、イタリアの決定に反対したことを見てもそれは分かる。
EUはイタリアの滞在許可証を認めない、と正式にこの国に通告した。
それに対して今度はイタリアが怒った。中東問題はEU全体の課題であり難民問題もそのうちの一つだ。それにも関わらずイタリアだけがひとり取り残されて難民を押し付けられるなら、EUに加盟している意味はないとして連合からの離脱をほのめかしたり、EU諸国と足並みをそろえて国外に派遣している兵士を召還して、難民排除のための国境警備に就かせると主張したりした。意外に思えるかもしれないが、イタリアはアフガニスタンを筆頭にコソボ、ボスニア、イラク、レバノン、バーレーン等々、世界の30の国と地域に軍隊を派遣している。EUが移民問題でイタリアを見捨てるなら、イタリアはEUとの強調派兵を止めるというのである。
難民問題に関するEU内の混乱は、その後大きくなったギリシャ・イタリアに端を発するヨーロッパ財政危機の前に影をひそめる形で見えにくくなっている。しかし、未だ国家の形を成していないリビアは言うまでもなく、チュニジアやエジプトなどの政治体制も理想の民主主義とはほど遠い。いつ再び混乱が始まってもおかしくない情勢である。さらにシリアやイエメンなどの政情も依然として混沌としている。中東からイタリアへ、そして他のEU諸国へと流入する難民のマグマは、いつ再噴火を開始してもおかしくないのである。
イタリアに押し寄せる中東難民を見る時、僕はいつもの癖でどうしても日本のことを考えずにはいられない。
もしも中東の混乱或いは変革が、中国や北朝鮮にまで波及した場合、日本にも難民の波が押し寄せる日が来るかも知れない。イタリアの現実を見ていると、それは決して荒唐無稽な妄想ではないような気がする。
多くの難民は先ず陸続きの韓国に流れるだろうが、日本にも必ずやってくると考えるのが自然だろう。ろくなエンジンも搭載しない北朝鮮の小さな漁船が、冬の日本海の荒波をかいくぐって日本沿岸まで到達できるのだから、切羽詰った難民が少し大きめの船に鈴なりになって何艘も、そして繰り返し押し寄せる様子は想像に難くない。リビアやチュニジアからイタリアに押し寄せる難民がそうであるように。
わが国は彼らの隣人として、また責任ある先進国として、その時どう行動するべきか考えておく必要があるのではないか。
そうしておいて、もしもそれが杞憂に終わった場合はそれで良しとするが、そこで考えたことは、将来高い確率でやって来るであろう、移民と日本人との共存社会の構築に役立てることもできるはずである・・