天才シンガーソングライターのルーチョ・ダッラが亡くなった。69歳の誕生日を前にしての訃報。スイスでのコンサートツアー中に心臓発作に見舞われてしまった。

 

僕は彼とは仕事をしていない。友だちとも言えないかもしれないが、でも彼はいつも僕の心の中にいた。

 

1994年の夏、僕はシチリアのリパリ島でルーチョに会った。マグロを追いかけるドキュメンタリーの撮影中のことだった。

 

僕はシチリア本島のメッシーナから遠出をした猟師たちと共に船で寝泊りをして、連日マグロ漁の撮影をしていた。

 

ルーチョはリパリ島で船上のバカンスを過ごしていて、港で一緒になったのだ。

 

彼は僕が行動を共にしている猟師たちと友だちで、よくこちらの漁船にやって来ては夕食を一緒に食べた。カジキマグロを中心にした猟師料理は抜群の美味しさで、彼はリパリ島にいるときはひんぱんに猟師の船に招かれて食事をするのだという。

 

ルーチョはシンプルで自然体で優しい人だった。僕はそこで彼と親しくなり、いつか一緒にドキュメンタりー番組を作りましょうと話した。ルーチョは快くOKしてくれた。

 

その機会はないまま時間は過ぎた。僕の作るドキュメンタリー番組は実は、市井の人々を取り上げるのがほとんどだ。有名人は追いかけないし、あまり興味もない。

 

この世の中に存在する一人一人の人間の生きざまは全てドラマチックである、というのが僕の持論である。従ってあらゆる人々の人生はドキュメンタリーになりうる。

 

有名歌手のルーチョ・ダッラの日々は、市井の人々のそれよりも既に激しく劇的である。でもそれはいわば劇場劇とも言える特殊な劇で、劇場の外の広い巷間に展開される劇とは違うものである。有名人という名の劇場劇と市中劇とは違うのだ。僕が有名人を追いかけるドキュメンタリーに興味がないのはそれが理由である。

 

でも、先のことは分からない。僕はいつか劇場を出たルーチョ・ダッラの人生に行き逢うかもしれない。そのときに、共にドキュメンタリーが作れないとは誰にも言えないのである。

 

シチリア島で出会ったあと、ルーチョ・ダッラとは猟師たちを介して消息を尋ねる程度の付き合いしかなかった。それは付き合いというよりも、天才歌手への僕という一ファンの思い入れ、いう方があるいはふさわしい関係ではあったかもしれないが、僕は彼と仕事をする「可能性」を片時も疑ったことはなかったのである。

 

その機会がないまま時間が過ぎてルーチョは亡くなってしまった。

 

実は僕はファッションデザイナーのジャンフランコ・フェレとも全く同じような体験をしている。NHKの中継番組で一緒に仕事をした時、いつか一緒にドキュメンタリーを撮りましょうと約束したものの、実現しないまま天才デザイナーも亡くなってしまった。

 

彼らの人生は、僕が作るささやかなドキュメンタリーの枠組みなどからは大きく逸脱した、輝くばかりの劇場劇の連続だったのだから、それはそれでまったく問題ないのだけれど。

 

ルーチョ・ダッラを知らない人のためにユーチューブのリンクを一つ。自身のマスターピース『カルーソ』をヴィタスと共に歌うルーチョ・・